第2話 婚約は拒絶しても、結ばれるようです。
「なんでお前のようなヤツが、この俺様の婚約者になるんだっ!」
ヒステリックな怒鳴り声が頭に響く。
ううう、うるさいな。黙ってくれないかな。
この声のせいかどうかはわからないけど、わたしの頭とか、首とか背中とかがすごく傷む。
(あ、ぶつけたところとかぁ、脳挫傷とかなんかはぁ、ちゃーんと治しておいたからね~)
手で額を押さえたとたんに、女神様の声も聞こえてきた。
あ? ぶつけた? で、脳挫傷?
ゆっくりと目を開けてみたけれど、なぜだか視界はぼんやりとしていた。周りがよく見えない。
「老婆みたいな髪に、赤い目なんて、化け物みたいで気持ちが悪いっ!」
さっきのヒステリックな声がまた聞こえてきた。誰だ、これ。
えーと、老婆みたいな髪ってなんだろう? わたし、日本人なんだから、当然黒髪なんだけど……って、ああ、転生とかしたんだっけ? 外見とかも変わっちゃったの?
額を押さえていた手で髪に触れる。
あれ? 髪の毛、いつの間にこんなに伸びたんだ?
なんとなく、手で髪を梳いてみれば、するするするー、さらさらさらーと、指の間を髪が流れていった。あー、すんごく手触りが良くて、気持ちがいい。美容院で、丁寧にトリートメントとか、してもらった後みたい。
そのままボケーと髪の毛を触っているうちに、だんだんと視界がクリアになってきた。
老婆みたいと言われた髪は、月の光を思わせる薄い青みを含んだ白色だった。
だけど、これ、白髪とかじゃなくて、多分、元々白いんだよねえ。
「いつまで寝転がっているんだよお前っ! 嫌みなヤツだなっ!」
また、ヒステリックな男の子の声がした。
(あらあらあらぁ~。レベッカに殴る蹴るの暴行を加えた上に、突き飛ばしてぇ、殺したのはぁ、この王太子殿下なのにねぇ)
えっと?
と、いうことは、このヒステリックにうるさい感じの男の子がローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下? わたしの敵?
こいつがレベッカとかいう悪役令嬢を殴って蹴って、突き飛ばして、それで、レベッカは死んじゃったということ?
それで、その死体……に、女神様がわたしの魂を入れて、転生させた……のかな?
(そうなのよ~。あなたを手違いでぇ、死なせてしまったときにぃ、レベッカもぉ、ちょうど、同時に死んじゃったのよねぇ。でもぉ、乙女ゲームのぉ、悪役令嬢がぁ、シナリオ開始前にぃ、既に死んでいたなんてぇ、困っちゃうでしょぉ?)
あー、それで、わたしがこの体に憑依? 魂の挿入? とかいうカンジにしたのか……。
(まあ、だいたいそんな感じよ~。それじゃあ、あとは、がんばってねぇ~)
ふっと、女神様のお声というか、存在感が消えた。
わたしは、むっくりと半身を起こす。
そして、あたりを見渡す。
寝転がっていたわたしを見下ろしているのが、金髪の、外国の絵本の中に出てくる王子様みたいな感じの男の子だった。
着ている服は実に豪華。襟や袖口に、繊細な刺繍が入っている。それから、えーと、サッシュとかいうヤツだったっけ、これ。大きくて色鮮やかな赤い布が、肩から反対側の腰へ斜めにかけられている。ぱっちりとして大きい青い瞳に、すっと通った鼻筋。現時点で、すごい美少年。将来はきっと美青年。
だけど、こちらを睨みつけてくる目つきの悪さと、表情の醜悪さで、マイナス一万点。
「ちょっと突き飛ばしてやっただけだろう。いつまでもそうやって、当てつけみたいに寝っ転がっているんじゃないぞ!」
ちょっと突き飛ばしたって……。当たり所が悪かったのかもしれないけど、ちょっと程度じゃ人は死なないよっ! それに今、女神様にあんたがレベッカに殴る蹴るの暴行って教えてもらったよっ!
今こうしてこの体が動いているのは、わたしを転生させるために、女神様がこの体、修復したからなんだからね!
なんかこう……ふつふつとした怒りが湧いてくる。本来のこの体の持ち主であったレベッカがかわいそうだ。
うん、決めた。この王太子はいつか泣かす。
だから、レベッカ。安心して成仏してね。今すぐには無理でも、いつか必ずわたしがあなたの無念を晴らしてやるから。
心の中で手を合わせてから、わたしはゆっくりと立ち上がった。
そうして両手でバンバンと、ドレスについたほこりを払う。いや、ほこりなんてついていないか。だって、この部屋、おそろしく綺麗。床の大理石なんて、磨き抜かれてピッカピカ。鏡みたいにわたしの姿が映っている。
あー、いとこのお姉ちゃんの結婚式の会場を思い出したわ。
『ヨーロッパの宮殿を思わせる煌びやかなシャンデリアに、お料理やお花を引き立てるシックで落ち着いたインテリア。最大四百三十名様を収容できる当ホテルの結婚式会場は、新しい門出を祝うにふさわしい』とかなんとか、式場のパンフレットに書いてあったのを覚えている。
今、わたしがいるのは、そのお姉ちゃんの結婚式の会場を、更に百倍くらい豪華にした部屋だった。
もしかして、ここ、西洋のお城の中の一室?
ごちゃごちゃ文句を言ってくる、目の前の王子様……ローラン・デル・ラモルリエールは無視。わたしは他の人を探す。
遠く離れた壁際の四隅には、どこかの国の近衛兵っぽい赤い服に金ボタン、胸に階級章みたいなものをつけている男の人たちが立っていた。微動だにしないのがすごいねと思うけど、話しかけても動かないかなこっちは。
じゃあ、別の人は……と。
わたしと王子様から数歩離れて、エプロンドレスのメイドさんっぽい女性が三人、控えていた。うーん、尋ねるのなら、こっちの女の人たちかな。でも、わたし……というか、レベッカがローラン・デル・ラモルリエールに突き飛ばされて、転ばされたのを助けてもくれなかったのだろから、どうかな? この人たちがメイドさんだったら、王太子殿下のやることに注意とかはできないか……。
期待はできなかったけれど、とりあえず、わたしは声をあげてみることにした。
「ごめんなさい。殴られたときか突き飛ばされたときかはわからないけれど、そのときにひどく頭を打ったみたいなの。目というか、視界があんまりはっきりしない。見えなくはないけど、ぼやけている感じ。お医者様のところに連れて行ってもらえる?」
そう言ったら、ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下はあからさまに動揺したみたい。あー、自分でもやりすぎたとかは思っているのかしらね。
「お、俺様は悪くないからなっ!」
と叫んで、バタバタと部屋から出て行ってしまった。
王太子殿下がいなくなったことで、ようやくメイドさんたちが動き出す。
わたしはベッドのある別室に連れていかれて、そのベッドに横にさせられた。
あー、すんごいふわっふわの寝心地。このまま眠りたい……。
そうしてどのくらい待っていただろう。
お医者様より早く、黒髪アゴヒゲのイケオジと、栗毛の緩やかな髪をアップでまとめた美魔女がこの部屋に入ってきた。
「レベッカっ!」
「大丈夫なの⁉」
あー……、誰だろうこの二人。
わたしは横になったまま、きょとんとして二人を見上げる。
名前を呼んだってことは、レベッカの関係者だよね。
「あの……」
「頭を打ったの? 目が見えないって……」
「あ、その……今はだいぶ見えてきてはいます」
「そうなの? レベッカ、わたくしのことは見える……?」
美魔女にそっとわたしの右手を包みこまれた。
うわぁ、すべすべの、白い手! ほっそい指っ! しかもいい香りがする……。思わず赤面しそうになったわ。
「えっと……おかあさ……お母様、ですか?」
レベッカは侯爵令嬢なんだよね。だったらおかーさん呼びはダメだろうなきっと。とりあえず、お嬢様口調で尋ねてみる。
「そうよレベッカ。あなたの母です……って、レベッカ、あなたわたくしが分からないの……? 見えていない……の?」
青ざめる美魔女も麗しいわ……とか冗談を言っている場合じゃないわね。
「れ、レベッカっ! 儂のことはわかるか? 見えているのか? お前の父だぞっ!」
お父さんらしきイケオジも、美魔女と同じように青ざめていた。
ああ……、良かった。レベッカってば、王太子からはともかく、ご両親には愛されていたみたい。二人からは、ちゃんと心配されていることが伝わってくる。
「あの……さっきまでは、視界がぼんやりとしていたのですが。今は、もう普通に見えていると思います。ですが、頭を打ったせいなのか、なぜ、わたし……、わたくしがこのようなところにいるのか……はっきりとわからなくて……」
とにかく現状を把握しなければ、動けない。
とりあえず、いろいろぼんやりで曖昧なんですよーって感じで、聞いてみよう。
「レベッカ、お前は、ローラン・デル・ラモルリエール王太子殿下との婚約を結ぶために、この王城にやってきていたのだ。儂とデルフィーヌは国王殿下や教会の司祭たちと共に、婚約の手続きのための書類に記名や捺印をしているところだった。だが、それに飽きた王太子殿下が休みたいと言い出して……」
デルフィーヌというのがこの美魔女……お母さんの名前かな。
「婚約の手続きとはいえ、長時間、立ちっぱなしで付き合わせるのは、十二歳の子どもたちには少し大変では……と、王妃様が申し出てくださったのよ。それで、あなたと殿下は隣室でお茶を飲んで待っていてもらったのだけど……」
「疲れのためか、貧血を起こして倒れたらしいなレベッカは」
は? 貧血?
わたし……というか、レベッカは、そのローラン王太子殿下に殴る蹴るの上、突き飛ばされて、死んだんですけど?
そこにわたしの魂を、女神様が入れたんですけど?
それを、貧血、だと?
「あの……わたし……、えっと、わたくしのことを、その……、貧血だと、誰がお父様とお母様にお知らせしたのですか?」
お嬢様口調、難しいな。とりあえず、しゃべる時の一人称はわたしじゃなくて、わたくしにしておこう。それから丁寧語とか使ってゆっくり話せば……まあ、大丈夫……かな?
「王太子殿下自ら、儂たちに知らせてくださったのだ」
「よかったわ。殿下はレベッカを大事にしてくださっているのね……」
ちょっと待て、あのクソ野郎っ!
殺人犯のくせに、善人ぶりやがったのかっ!
やっぱり、あいつ、絶対に、泣かす。
わたしの闘争本能に、さっき以上の火が付いた。
けれど、相手は一国の王太子殿下。
ポカリと殴ったりしたら、きっと不敬罪。わたしだけではなく、このイケオジと美魔女も連座で罪を被せられるかもしれない。
うーん……。わたしは悩んだ。
転生前の、女神様の情報によれば、わたし、レベッカ・ド・モンクティエは乙女ゲームの悪役令嬢。多分、攻略対象の一人であろう王太子殿下と婚約を結ぶのは確定事項。
わたしを突き飛ばしてくるような乱暴な王太子殿下と婚約を結ぶのは嫌です~なんて、言っても多分婚約は結ばれてしまうのだろう。
婚約していないと、乙女ゲームの最大の見せ場、ヒロインが王太子殿下と恋仲になって、卒業パーティとかで悪役令嬢を断罪するという展開にならないのだろうから。
それに……女神様も言っていた。
「あなたがぁ転生するぅレベッカもぉ、悪役令嬢としてぇ、婚約者である王太子殿下から婚約破棄を叫ばれてぇ、断罪されるってシナリオなのぉ。どんな展開になるかはぁ、乙女ゲームの主人公の選択によってぇ、多少変わるけどぉ。国外追放とかぁ、修道院行きとかぁ。まあ、いろいろねぇ」と……。
と、すると……だ。婚約破棄をされるまでは、きっとどうあがいても、多分、変更不可。変えることができるのは、きっと婚約破棄の後。
それに、そのときに、わたしは一つだけではあるが、女神様から願いを叶えてもらうことになっている。その願いを何にするかはまだ決まっていないけど……。まあ、必殺技……じゃなかった、切り札はあるのだと思っておこう。
とにかくわたしは、婚約破棄までは耐えて、婚約破棄後に明るい未来を勝ち取るとともに、あの腐れ外道王太子を泣かさなければならない。
悔しいけど、今は耐えるべきときか……。
そうね、正義のヒーローたちだって、敵を倒せない時には修行をする。それと同じよね……。
よし、方向性は決まった。
今は雌伏のときに決定。
……だけどこのとき、わたしはこんなふうに大人しく引き下がるべきじゃあなかったのだ。
少なくとも、王太子から突き飛ばされたと主張するべきだったのだ。
レベッカのお父さん……おっと、お父様とお母様は、あの乱暴者の王太子のことを「優しくて、レベッカを大事にしてくれる」と誤解してしまった。
そのクソ野郎……ローラン王太子殿下もわたしのことを「何をしても文句ひとつ言わない大人しいだけの令嬢」と認識したらしかった。
くそう……。
第一印象って、なかなか覆らないのよね……。
しばらく経ってから、お父様やお母様に「王太子殿下がちょっと意地悪で……」と、さりげなく、王太子殿下からの狼藉を話してみても「まあ、それは好きな女の子のことを、からかいたくなる男心というものでしょう」と、微笑まし気に言ってくる。
お父様も「うむ、若気の至りというものもあるな。儂も若いころはな、デルフィーヌの気を引きたくて、ついついちょっかいをかけてしまったものだ……」と、昔を懐かしむように、しみじみと語りだす。
「そうよ、レベッカ。男のかたってそういうトコロがあるの。で、ね。そういうときは、逆にね、相手を虜にするチャンスなのよ?」
美魔女のお母様もニコニコとしてそんなことを言ってくる。
「チャンス……ですか、お母様……」
「そう。からかわれたらね、こう言うの」
コホンと、小さく咳をしてから、お母様はお父様のほうに向きなおる。そして、ちょっと口をすぼめて、潤んだ瞳で、お父様を見上げる。
「……他の人からそんな意地悪なコトをされたら、絶対に許さないけど。オリヴィエ、あなただから許すのよ?」
はうわっ! お、お母様の威力、すごすぎるっ!
お父様なんて、ハートを射抜かれたみたいに耳まで顔を赤く染めながら、悶えている。
「ね? 効果的でしょう?」
なんて、わたしに向かってウインクをしてくるお母様。
最強か、この美魔女。
すごい、すごすぎる。
たしかに、仮にわたしがあのバカ王太子殿下を好きだったとしたら、お母様を見習ってみるのもありかもしれない。
が、そんなことをしても、どうせ結局最後は婚約破棄のシナリオだ。
それにわたしはあんな男に好かれたくはない。
右手の中指を立てて、思い切りへこませてやりたいのだっ!
王城での、王太子殿下とのお茶会とやらが本当に苦痛でしかない。
それでも王妃様とか国王陛下が同席しているときは、あのバカ王太子殿下も大人しくしている。
だが、不在のときには泥のついた葉っぱをわたしの頭にかけてくる。
芋虫とか、蜘蛛なんかを紅茶に入れられたこともあった。
王城で、王族がいるようなところには、もちろん泥なんてものはない。
芋虫や蜘蛛なんてもってのほかだ。
それにもかかわらず、あの野郎、わたしに嫌がらせをするために、わざわざそういうものを使用人とかに集めさせてくるのだ。
ちなみにあの野郎、自分の手は決して汚さない。誰かにやらせて、あの野郎は遠くからの高みの見物だ。
「大丈夫かレベッカ。ああ、汚いな、泥だらけではないか。よし、優しいこの俺様が、きれいにしてやろう」
そう言って、わたしに向かって、バケツの水をかけさせる。この間は王太子殿下付きの侍女から、その前は、王太子殿下の将来の側近とかの、どっかのご令息からね。それをにやにや見ているのだ、あの王太子殿下は。
本当に嫌な奴だ。
もう嫌だ。婚約破棄まで待っていられるか。あの野郎はいつか必ず絶対に潰すっ!
わたしはそう決意をした
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