第26話 恐るべし

「説明するのはいいけど、長い話だから。場所を変えて、お茶も淹れ直したほうがいいか……、いや……」

 ちょっと考えているユリア姉様。

 わたしはマーティンに近寄って、さっきクズ男を殴ったマーティンの手をそっと取った。

 少しだけ、マーティンは顔をしかめた。痛いよね。

「……だったら、先に治療させてもらっていい?」

 誰かを殴るようなこと、マーティンはしない。殴りかたなんかも慣れていないだろう。だから、手を痛めていると思ったのよ。

 だって、わたしと出会う前、結婚や婚約を迫るご令嬢たちに対してだって、威嚇とかするわけでもなく、逃げるというか、距離を空けてきていたんでしょ。優しいし。

 だけど、問答無用であのクズ男を殴ってくれた。

 いや、暴力はダメとかは、基本的には思うけど。

 ……守ってくれてうれしい。

「ああ、そうね。とりあえず、冷やさないとね」

 侍女に命じて洗面器に水と氷を入れたものを持ってきてもらう。

「多分、手首とか、指の第二関節と第三関節のあたりとかが痛んでいるんじゃない?」

「……どうしてわかるんですか、ユリア義姉上」

 マーティンが首を傾げた。

「……あの馬鹿男と婚約を結んで、何かされることもあろうかと思ってね。フランツィスカ第二王女殿下……、ああもう王太子妃殿下だったわね……にお願いして、王城の騎士の人たちから、ある程度の護身の方法を習っておいたのよ」

「へ?」

 護身……って、そんなことまでやってたの、ユリア姉様ってば。

 なんか、陰でいろいろごそごそやってたのかな、この人……。

 なんだろう? 今までわたしが見てきたはずの、知っているはずのユリア姉様が……別人に見えてきた……。

「習い始めのときにね、殴り方とかちゃんとしていなくて。力任せにテキトウに殴ると、相手を倒す前に、自分の体を痛めるって注意されたわ」

「へ、へえ……」

 とにかくマーティンの手を冷やす。

「うーん、医者とか呼んで治療している間にお父様たちが帰ってきちゃうわね……。

 それマズいか。じゃあ、ザビーネ」

「は、はいっ!」

「殿下の腕を冷やしている間、側についていたいとか思っちゃうだろうけど」

 うわあ、姉にバレてる恋心。ちょっと顔が赤くなりそう。

「大至急、アンタは自分の部屋に行って、持っていきたい荷物をまとめなさい。とっととさっさと逃げるわよ」

「へ? どこに? なんで?」

「説明は、後で。殿下もごめんなさい。でも、ちょっと急いだほうがいいと思うの」

 よくわからないという顔をしつつ、マーティンはユリア姉様の言葉にうなずいた。

 わたしもよくわからないけど、無駄に反発するよりは、ここはユリア姉様に従うべきなんだろう。

 急いで荷物をまとめる。

 ジェニファー姉様から、誕生日プレゼントとかでもらったぬいぐるみとか、アクセサリーとか、絵本とか。

 勉強関係のものとか気に入っている普段着とかは、音読係のお仕事でモードント王国に向かったときに、既にあっちに持って行って、そのまま置いてあるから、問題なし。

 簡単に荷物をまとめて、玄関ホールに降りていったら、既にホールには馬車が準備されていて、その馬車の横に、マーティンとユリア姉様とラフェドが待っていた。

「じゃあ、乗って。ラフェド、後のことは手はず通りに頼んだわよ」

「かしこまりました、ユリアお嬢様」

「一番最後まで残っていないで、ラフェドもさっさと逃げるのよ」

「わかっております」

 深々と頭を下げるラフェド。

 とにかく馬車に乗り込むと、馬車はすぐに出発した。


  ☆★☆


「えーと、ユリア姉様。この馬車いったいどこに向かっているの……?」

 馬車の外から見える風景は……、どことなく、既視感があるんだけど……。

 特にあれよ、王城の隣に建てられている青い屋根の離宮。

 まだ、距離があるとはいえ、その離宮に向かっているような……。

 あれ、ジェニファー姉様の結婚式の後に、連れてきてもらった、フランツィスカ様の離宮だよね……。

「か、勝手に、行っていいの……?」

「勝手じゃないわよ。ちゃんとフランツィスカ王太子妃殿下の許可を取ってあるもの」

 ユリア姉様の言葉を証明するかのように、降車場から離宮の入り口までずらりと立っている護衛騎士たちは、わたしたちを止めもしないし、やって来た侍女たちは、馬車に乗せられた荷物を粛々と運んでくれる。

 前にお世話になったのと同じ客間に案内されて、お茶や軽食まで用意されて。

 その上、マーティンにお医者様まで連れてきてくれて。

 マーティンは痛めた腕に湿布をされて、包帯も巻いてもらった。うん、一安心。

「さ、じゃあどこから説明しようか」

 さらに、ユリア姉様は余裕をかまして、優雅にお茶なんて飲んでますけど……。

 わたしはマーティンと一緒で、頭の横にいくつもの疑問符が浮かんでいる。

「どこからもなにも、最初から全部お願いします……」

 わたしの言葉に同意するように、マーティンも頷いた。

 で、ユリア姉様の説明をまとめると、こんな感じだった。

 まず、ユリア姉様は、あのクズ男とジェニファー姉様の婚姻には反対だった。ジェニファー姉様が不幸になったり苦労するのが目に見えているって。

 うん、慧眼。

 姉から妹に婚約者を簡単に代えようとする、あんなクズ男なんかと結婚したら、不幸になる。

 でも、ジェニファー姉様は、お父様が決めた婚約だし、自分は長女だし、我が家には跡継ぎの男児がいないし。それに、誠実に向き合えば、クズ男だって、自分と一緒に領地を守ることくらいはしてくれるって……。

 ジェニファー姉様……、優しすぎる……。

「甘いのよ、ジェニファー姉様は」

 なんてユリア姉様は言うけど。まあ、そうかもしれないけど……。

「あのクズが、ジェニファー姉様にきちんと寄り添ってくれればって、あたしも最初は思ったけどね。だけど、あのクズ、ジェニファー姉様と婚約を結んだ直後に、あたしに色目は使ってくるわ、べたべた触ってくるわで気持ち悪くて。ああ、こいつはジェニファー姉様を不幸にしかしないって確信したわ」

 ……ジェニファー姉様が、どこかのお家にお嫁入りしたら、わたし、ジェニファー姉様と離れてしまうから。婿入りしてくれる男ならだれでもいいやって思ってた。

 わたしがジェニファー姉様と、ずっと一緒に居られてうれしいって、わたし、自分のことしか考えてなかった。

 なのに、ユリア姉様は、ジェニファー姉様のことをいろいろ考えて、手を尽くして……。

 ……悔しい。

 やっぱりわたし、視野が狭い。

自分のことばかりで、ジェニファー姉様のしあわせなんて、全然考えていなかった。

だけど、ユリア姉様は……。

「だったら、それ、利用して、ジェニファー姉様からあのクズを引き離そうとしたの。べたべた甘えて、気があるふりして。で、そのあたりの演技指導とか、その他いろいろご協力というか、ご教授を、フランツィスカ王太子妃殿下にね、お願いしたの」

 あの頭がお花畑みたいなユリア姉様も演技だったのね……。

 そうか。そうだったのか……。

 ちょっとだけ、納得した。

 そうだよ、ユリア姉様だって、ジェニファー姉様のことが大好きで、わたしとジェニファー姉様の取り合いをしていたくらいだったのに。

 ユリア姉様がクズ男との恋に狂って、ジェニファー姉様を裏切ったなんて、思い込んでいた。

 あああ、恥ずかしい。

 あああ、悔しい。

 わたし、ユリア姉様に負けた……とか、ちょっと思ってしまったよ。

 それにしても、ユリア姉様の後ろにフランツィスカ様がついていたとはっ!

 どこで知り合ったの……って、そうか。わたしは当時、入学前だったけど。学園で、ジェニファー姉様とフランツィスカ様は仲良しだったのだ。なら、ジェニファー姉様と一緒に学園に通っていたユリア姉様は……そりゃあ、フランツィスカ様と、懇意かどうかはわからないけど、ジェニファー姉様のことを相談できる程度には親しいはずだよねえ……。

「もうね、すごいわフランツィスカ王太子妃殿下。あたしなんて、単にジェニファー姉様からあのクズを引き離せばいいやって思ったのに。こういう選択をした場合はこういうふうに対応。ああいう選択をした場合は、ああ対応って、数手先まであらゆるパターンを想定していて。それをあたしが分かりやすいようにって、ちゃんとノートに書いてくださって」

 パターン想定?

「しかもその想定が、かなりの精度で当たるものだから、すごいわ。ああ、結婚式以降も細かい状況は、手紙で連絡してたわよ。それで、指示の修正とかも、いろいろしてくださったわ。さすが未来のモードント王国の王妃様。マーティン殿下の国は、将来安泰ねえ」

「マジですか、ユリア姉様……」

 フランツィスカ様を味方につけるとは……すごい、の一言しかないわ。

「ま、とにかくクズとジェニファー姉様を引き離して、ジェニファー姉様をフランツィスカ王太子妃殿下の側……安全圏に逃がす。アンタもね、クズになんかされる未来が想定できたから、どこかに逃がさなきゃって思ったら、幸いそちらの殿下と懇意になって、モードント王国に行くことになったから、ああ、ラッキーって思っていたのにねぇ」

「ラッキーって言うか、マーティンとの出会いも、フランツィスカ様の想定内……?」

 まさか、と思うけど。

 マーティンも、ちょっと考え込んでいる。

「……どこかに逃げたい。ご令嬢がたがもう嫌だ……って、思ったときに、じゃあヴァイセンベルク王国に留学してみれば、と勧めてくれたのは……」

「ま、まさか、フランツィスカ様……?」

「いや、オリヴァー兄上だが……」

「……王太子殿下かっ! フランツィスカ様の旦那様じゃないの……」

 も、もしかしたら、全部が全部フランツィスカ様の掌の上……?

 思わずわたしとマーティンは顔を見合わせてしまった。

 そしたらユリア姉様があっけらかんと笑った。

「いろいろなケースをフランツィスカ王太子妃殿下は想定するだけよ」

「想定って……」

 うーん、想定通りに物事が動くものかなあ……? 予想外とかないの?

「……想定パターン、二種類とか三種類とだけとか思わないでよね。なん十種類も先を考えて、そのうちの一つを選択したら、その場合、次の選択肢はコレとアレとソレになる確率が高い……って、考えていくのがフランツィスカ王太子妃殿下よ」

「す、ごい、のね……」

 もしも、戦争とか起こったら。フランツィスカ様、軍師とかもできるんじゃあないだろうか……。

「うん。おかげで助かったわ」

 フランツィスカ様、おそるべし。

「まあ、だけど、さすがのフランツィスカ王太子妃殿下も、ザビーネがたかが半年程度でモードント語をマスターして、前王妃様に気に入られて、その上文官試験とかにまで合格するとは予想を超えていたって、お笑いになっていたわ」

「へ、わたし?」

 驚いたら、マーティンは「ああ」と納得の声を出した。

「義姉上の想定以上なのか、ザビーネは」

 苦笑するマーティン。

「ホントよね。あのフランツィスカ王太子妃殿下の想定の斜め上を行くんだから、我が妹ながら、ザビーネ恐るべしよ」

 ユリア姉様とマーティンが、顔を見合わせて、頷き合いながら、笑う。

 ええと、あの……、ちょっと、恐るべしって……、それ、わたしのセリフなんだけど……。





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