第21話 しあわせ

 そのにこやかさを保っていられたのは、控室に戻ってくるまでの間だけ、だった。

「パタン」と、控室の扉が閉まる音を聞いたとたんに、わたしは膝が抜けたみたいに崩れ落ちた。

「ザビーネ⁉」

「あ、はははは……。力、抜けちゃった……」

 ペタンと床に座り込んでしまったわたしを、マーティンがそっと支えてくれた。

「だ、大丈夫……。緊張の糸が、切れた、だけ……」

 背中を支えてくれているマーティンの手があたたかくて。わたしはほっと息を吐くことができた。

 ずっと息も詰めていたようなものだから。

 そのまま、マーティンの手のあたたかさに甘えて、わたしはそっとマーティンに寄りかかる。

「あははは、ちょっと、がんばり、過ぎた……かな……」

 負けたくなかったの。マーティンを取り囲んできたあんなご令嬢たちに。

 そりゃあね、逃げ出したくなるほどの苛烈なマーティン争奪戦を彼女たちが繰り広げていたから、マーティンはヴァイセンベルク王国にやってきて、そうしてわたしはマーティンに出会うことができた。

 だから、ある意味彼女たちはわたしの恩人でもあるんだけど……。だけど、さっきみたいに、マーティンを狙うだけではなく、いかにも自分の所有物です的な目線で見られるのは不快だった。

 別に、マーティンはわたしのものよ、とか言うつもりはない。

 だって、まだ、わたし、マーティンの告白に返事すらしていないし。保留にさせてもらったままだし。

 でも、わたし、さっきマーティンと踊ってすごくしあわせだった。このままずっとマーティンと一緒に居たいって思ったくらい。それを伝えようと思ったのに……邪魔を、してきて、ムカつく……程度には怒っていたの。

 まあ、わたしも対抗して、彼女たちをあおったり思わせぶりなことをしたけどね。

 だけど、マーティンの手を取るのなら、あの程度はできないとね。

 負けるもんか。

 あんなご令嬢たちに、大事なマーティンを渡せないっ!

 ……ちょっと戦闘モード、入ったわよ。

 まあ、全力出しすぎて、今、わたし、足腰脱力状態なんて……ちょっと情けないけど。

 だけど、支えてくれるマーティンがいるから。

 ほっとして、それから、嬉しいな……なんて感じているのだ。

 ああ……、ここに、ずっといたいな……って。

「ありがとう」

 呆けていたら、マーティンがなぜだかわたしにお礼を言ってきた。

「え……?」

 マーティンに寄りかかったまま、顔を上げたら……、なんだかマーティンはすごく優しい顔をしてくれていた。

「うぬぼれてるわけじゃないんだけど……、ザビーネ、オレのために頑張ってくれたんだろ」

「あー……、ええと……」

 マーティンのためというかなんというか……、ううう、照れる。

「……あんなご令嬢たちに、マーティンの所有権、主張されるのが嫌だったの」

「うん」

「わたしが、見下されるのは……いい、と言いたいところだけど。わたしが、もしも、マーティンの求婚を受けるのなら、相手が高位貴族のご令嬢だとしても、わたしが見下されることは、わたしを選んでくれたマーティンを見下すことに通じるなって……」

「うん」

「だから、わたし、負けるもんかって」

「うん」

「それに……わたしのほうが、あなたたちよりもマーティンに近しいのよって、マーティンはあなたたちのものじゃないわって」

「うん」

「……ねえ、マーティン。さっきから『うん』しか言ってない」

「だって嬉しくて」

「へ?」

「嬉しすぎて、オレ、今、言語中枢働いてない」

「はい?」

 マーティンの言っていることが理解できなくて、半ば呆ける感じでマーティンを見た。

 ……なんかこう、幸福感に満ちあふれたって感じの、きらっきらな微笑みを浮かべてますけど……。

「ザビーネ、自分の言ってることの意味、気が付いてない?」 

「ほへ?」

「さっきの夜会の会場でも、後日正式にとか今日は顔見せとか、言ってくれたし。今も、その、あいつらにオレの所有権、主張されるの嫌とか、あいつらよりもオレに近しいとか。それって、あの、オレの希望的観測じゃなくても、その、ザビーネ、オレの求婚、承諾って言っているようなものだろ……って」

「あっ!」

 言われて気が付いた。

 ううう、やっぱり、わたしって、視野が狭い。あああああ、顔が、熱い。絶対に、今、わたし、顔真っ赤……。だけど……。

「うん……、はい……。そう、なの。わたし、マーティンと一緒で、すごくしあわせで……。だから……」

 ああ、遠回しに言うんじゃなくて、ちゃんと言わないと。

 息を吸って、止める。

 マーティンの目をちゃんと見る。

 ああ、なんてきれいな、吸い込まれそうなひとみ。

 青い髪と相まって、まるで空とか海とかみたい。

「好き、です……」

 好きの「す」を言ったくらいのうちから、わたしはマーティンにぎゅぎゅうに抱きしめられてしまった。あああああ、ど、どどどどどうしたらいいのっ!

「すげえ、うれしい……」

 吐息みたいな声が、わたしの全身にしみ込んでくるみたい。

 じわじわ……って、うれしいが、浸透する。

 ダンスをしていたときも、しあわせだった。

 すごくすごく。

 ここが、わたしの、しあわせ。

 ジェニファー姉様も大好きだけど。わたし、マーティンが好き。

 ジェニファー姉様を支えてくれる人とか理解してくれる人が側に居て、そのそばにわたしもいて、ジェニファー姉様の笑顔を見られれば満足だった。

 だけど、マーティンは。

 ……わたし、側に居るだけじゃ、嫌だな。マーティンの、一番が、いい。

 マーティンの、誰よりも、もっとずっと、一番に、近くにいて、一緒にずっと……幸せになりたい。他の誰にも渡したくない……なんて。わあ、すっごい独占欲。わたしって、こんなだったったっけ⁉ いつの間にこんなふうに思うようになったんだろう。ちょっと自分でもびっくり。

「ありがとうザビーネ。改めて……、オレは、ザビーネが好きです。だから、第三王子、マーティン・R・モードントは……ザビーネ・フォン・ディール伯爵令嬢に、結婚を申し込みます。受けてくれる……かな」

 語尾だけ、少し自信なさげというか、わたしに尋ねる感じで。

 だけど、外堀を埋めるとか、遠回りな囲い込みとか、真っ赤な顔で、逆切れ状態で叫ぶとかではなく。

 きちんと、真正面から気持ちを伝えてくれた。

 だから、わたしも。マーティンの背中に手を伸ばして、マーティンをぎゅっと抱きしめる。

「視野が狭くて、突っ走ってしまうわたしだけど。どうか末永くお願いします」

 そう答えたら、マーティンは笑った。

「外堀埋めて、囲い込むようなオレだから、ザビーネの猪突猛進っぷりとバランス取れて良いよね」

「むーっ!」

 猪突猛進とまで言いますかっ!

 ちょっと頬なんかふくらましたら、笑いながらマーティンはそのわたしの頬に、そっと唇を寄せてきた。

「あはははは、すげーかわいい」

 ふわっとした感触。

 え、え、え。も、もしや……今の……、頬っぺただけど……キス⁉

 にゃーっ! と叫びそうになったわよ。あのいやその、うれしいけど嬉しいけどうれしいけどっ!

 しかも。

「そういうトコロも、オレ、すげー好き」

 なんて、言う、から。

 わたしもつられて笑ってしまった。

 ああ……、しあわせだなあ。



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