第19話 ダンス
……考えるより行動だ。ならばマーティンと踊ってから、いろいろと考えてみればいい。
そう覚悟したつもりなんだけど……。
プレッシャーというか、圧がすごい。
王族の皆様からの圧力ではない。
夜会に参加している、招待客の皆様。特に、マーティン狙いのご令嬢たちから向けられる視線の圧力に、わたしは気圧されそうになる。
覚悟が、甘かったかな……。
いや、そうじゃないか。
頭で考えているだけじゃわからない。
実際に体験してみないと、いくら考えていても実感はできない。
それを、今、まさにわたしは体感している……。
背中に、盛大な冷汗をかきながら。
夜会が始まり、国王陛下が王妃様をエスコートして大広間へとご入場される。
その後ろに王太子殿下とフランツィスカ様、第二王子ご夫妻、そして第三王子のマーティンが続いて入場。大広間にて待機していた招待客たちは、一斉に盛大な拍手で王族の皆様を迎える……というのが通常の流れ。
けれど、今日は、拍手は鳴り止みはしないけれど、招待客たちの顔が「え?」とか「なに?」というふうに固まっている。
だって、これまで誰の手も取ってこなかったマーティンが、見知らぬご令嬢をエスコートしているからね。しかも満面の笑みまで浮かべて。
まあ、そのご令嬢というのはこのわたしなんだけど。
招待客の皆様、特に年若で、マーティン狙いだった人たちは、わたしを凝視というよりも、射殺しそうな視線で睨んでくる。
……正直言って、すごく怖い。
顔に、笑顔を貼り付けてはいるけれど、マーティンにエスコートしてもらうのにつながれている手が、がたがたと震えそうになる。
ううん、手、だけじゃない。
全身が震えて、一歩も前に進めなくなりそう。
マーティンに、それにフランツィスカ様にも、恥をかかせるわけにはいかないと思うからこそ、ぎりぎり耐えることができている。
正直に言えば、尻尾を丸めて逃げ出したい。
それくらいの、圧力のある視線を、わたしは今、大勢の貴族たちから受けている。
……マーティンの求婚を受ければ、これが日常茶飯事になる。
わたしが第三王子の婚約者、そして、第三王子妃となって、こんなふうに注目される。
マーティンを狙っていたであろうご令嬢から、睨まれるだけでは済まなくなるかもしれない。
それを体感している。
これが嫌なら、わたしはマーティンからの求婚を断ればいい。
断っても、マーティンは恨みや嫌味を言う人なんかじゃないし、わたしがフランツィスカ様の元で文官として働くことに対しても、絶対に邪魔なんかしない。わたしの選択を尊重してくれる。
どちらの道を選んでも、最初のわたしの目的は果たされる。
そう、目的。
最初は、わたし、単にジェニファー姉様の側に居たいだけだった。
ただ、それだけだった。
ジェニファー姉様の側に居るために、この国の言葉を学んで、この国に来て、文官試験を受けて、そして合格した。
多少の贔屓目はあったかもしれない。
だけど、フランツィスカ様はそんなに甘くない。
わたしを認めてくださったからこそ、合格をくださったのだ。
それは、わたしが努力して勝ち取ったもの。誇っていいものだ。
マーティンだってそうだ。
わたしが努力をしていたからこそ、学園の授業の合間に言葉を教えてくれて、カトリオーナ様の音読係のお仕事も紹介してくれて、この国に連れてきてくれた。
そして、求婚までしてくれたんだ。
わたしは、自分の努力を誇っていい。
だから、顔を上げて。自信を持って、マーティンの側にいて良いんだ。
歯を食いしばる。
顔を上げる。
射殺されそうな視線なんか、跳ね返す。
笑う。
ここ数日、フランツィスカ様に鍛えられてきた。
背筋を伸ばして、優雅に。余裕を持って。
国王陛下が挨拶というか、口上を述べる。
今宵は楽しんでくれとか、そんな、一般的な言葉。
陛下は、わたしに優しく微笑みかけるだけで、わたしのことは招待客の皆様には何も説明はしなかった。
当たり前のように、王妃様の手を取り、そして、大広間の中央へと進む。
音楽が流れだす。
夜会の最初は国王陛下と王妃様、二人きりのダンス。
わたしたちは、それをじっと見つめる。
国王陛下の安定感のある足さばき。王妃様のドレスが花弁のように広がる。
完璧な美しさ。
曲がだんだんと小さくなり、そして、それが終わる。
大広間内に割れんばかりの拍手が起こる。その拍手に応える国王夫妻。
次に踊るのは、いつもならば王太子殿下とフランツィスカ様と第二王子ご夫妻。
踊らないはずのマーティンが、わたしの手を引いて、大広間の中央に進む。
国王陛下も王妃様も、わたしたちを穏やかな顔で見つめてくださっている。
だから、他の招待客たちは、わたしのことを疑問に思っていても、誰も、何も言えない。
マーティン狙いのご令嬢たちだって、王族のダンスを妨げることはできない。
せいぜいわたしを睨みつけるのみ。
まあ、その睨んでくる目が、恐ろしいのだけれど。
内心の怯えを見せることなく、わたしはマーティンの手を取って、音楽が流れるのを待つ。
心臓が、バクバクと、音を立てる。
緊張で、わたしの体から、心臓が飛び出すのではないかと思うくらい。
だけど、そんな怯えは見せてはいけない。
わたしは、ここに、マーティンと共にいる。
この期に及んでも、まだ、マーティンの求婚を受けるかどうか、迷っている。
だけど、わたしをここに連れ出してくれたマーティンの瑕疵にならないように。
わたしは、気力を奮い立たせ、全力を以って、優雅に振る舞う。
曲が始まり、わたしたちはステップを踏む。
学園ではダンスの授業を受けていた。ここ数日フランツィスカ様からダンスの特訓もしていただいた。
だけど、わたしは人前で踊ったことなどほとんどない。
ぎこちなくならないように……と、気を張っている。
マーティンに、恥をかかせてはいけない。
だけど。
「ああ……、しあわせだなあ……」
小さく、マーティンがつぶやいた。
誰かに聞かせるための言葉ではなく、思わず、心の声が漏れたような。
熱のこもった目線で、わたしを見つめてくるマーティン。触れている指先が、わたしは緊張で冷えているというのに、マーティンはあたたかい。
幸福感に満ちた笑顔。
燕のように軽やかな足さばき。ゆったりとした曲調に合わせて、大きなスイング。そして、ライズ・アンド・フォール。1・2・3とカウントを取るのではなく、音楽に身を任せる。マーティンと一緒に、二人で共に滑らかに動く。
……ああ、なんだか気持ちが良いな。
ここが、大広間の真ん中で、大勢に囲まれて、見られていることなんて、忘れた。
わたしの視界には、マーティンだけ。
マーティンも、わたしだけを見つめてくれている。
まるで、花園で、二人きりで踊っているみたい。
ふふっと、思わず笑みがこぼれてしまった。
そうしたら、マーティンも、わたしと同じように、笑ってくれた。
楽しいね。
しあわせだね。
いつまでもこうして二人で踊っていたいね。
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