第18話 申し込み

 太陽がだんだんと西の方へと傾きだしたころ、上位の貴族から王城のほうへと移動していく。

 と言っても、庭から直接大広間に向かうのは、男爵位から伯爵位の招待客たち。

 王族ならびに上位貴族は、招待客全員が王城の大広間に移動する間の時間、用意された控室で、優雅にお茶を飲みながらの待機。

 わたしもジェニファー姉様も、そんな王族専用控室にご一緒させてもらって、豪奢なソファに腰を下ろして、ゆったりとお茶と軽食をいただいておりますよ……。

 いいのかな……。

 園遊会では陛下や王妃様方は、招待客と次々と談笑されるから、こういう待機時間に軽食を摘まんでおかないと体がもたないんですって。

 ……大変だな。

 なんて思ったら、控室の扉が開かれて、マーティンが入ってきた。

 うわあ……。

 思わず感嘆のため息が、わたしの口から漏れた。

 マーティンは、ゆっくりと、一歩一歩、歩いているだけ。

 なのにワルツでも踊っているかのように見えるほどの優雅さ。

 所作が美しいとかいうレベルじゃない。

 纏っている空気が、学園でのマーティンとは全然違う。

 クラシカル且つ豪奢な刺繍が施された衣装を身にまとっているからだけじゃない。

 金の肩章や胸元のブローチが、シャンデリアの光を受け輝いているからだけじゃない。

 自然体でありながら、優美。

 時間を忘れたような穏やかさ。

 身についている気品、風格。

 いくら言葉を並べても、足りないくらい。

 幼い子どもだったら「うわあ、本物の、王子様だ……」とか言って、口をあんぐりと開けてしまうんじゃないだろうか?

 いや、幼い子どもでなくても、わたしだって、心の中では、そんな感じで呆けながらマーティンを見てしまっている。

 すごいな、どうしたって目が惹きつけられてしまう。

 美形なのは知っていた。

 見て、わかっていた。

 だけど、こんなふうに目を引かれることなんて、今の今まで一度だってなかった。

 ご令嬢たちに取り囲まれないように、普通に、ごく当たり前の学園生活を送れるようにと、わざわざ身分も隠して、隣国留学までした。

 だから多分、王子様的なこのオーラというか威厳も抑えていたのだろう。わたしと過ごすときも、きっとすごく気楽な雰囲気を作ってくれていたにちがいない。

 今のマーティンは、なんていうか、天才芸術家が魂を込めて作った彫像みたい。

 これが、本当の、マーティンなのか。

 王族に対する畏敬で、自然と頭を垂れてしまいそうになる。

 ちょっと、なんていうか、こんなマーティンのそばに、わたしなんかが立つなんて恐れ多い気分になる。

 もう、気楽にノートの添削なんて、頼めない。

 そう思った瞬間、わたしに気がついたマーティンがぱっと表情を変えた。

「えっ!ザビーネ!?なんでここに」

 驚いて、キョトンとして。

「えーと」

 フランツィスカ王太子妃様も他の皆様も、わたしがここに来ていることを、黙っていてくれたのかな。

 こっそり、マーティンのことを見たいなんて、わたしが言ったから。

 それをどう説明しようかと思っていたら、マーティンの顔がふわぁって感じに緩んだ。

 人懐っこささえ感じられる柔らかな笑み。

 一瞬前までの、超越した神々しさとはぜんぜん違う。

 わたしの知っているいつものマーティン。

 なんか安心する。

 フランツィスカ王太子妃様がくすくすとお笑いになった。

「ザビーネの前とそうでないときと、ずいぶんとお顔が異なりますわね、マーティン第三王子殿下?」

「……フランツィスカ義姉上」

「ザビーネの第二次試験に合格したご褒美として、あたくしが招待しましたのよ」

「……オレが連れてきたかったのに」

「ふふっ! 推薦者の特権ですわ」

 なぜだかフランツィスカ様がとても楽しそうなんだけど。

「……と、いうことは、ザビーネ。予定通り姉上の側で働くの?」

 ……迷ってはいる。

 それを決めるために、こっそりマーティンを見たかった。

 王族の、本来の、マーティン。

 やっぱり王子殿下なんて恐れ多いと感じた。

 だけど、わたしを見て、いつもみたいに笑ってくれた。

 わたしは、どうしたい……?

 マーティンはわたしからの返事を急かせなかった。

「いつものザビーネは可愛い感じだけど、今日はすごくきれいだね。花柄のドレスがよく似合ってる」

 すらっと話題を変えて、その上褒めてくれるんだから。

 思わずわたし、頬を赤らめてしまった。

「えと、あの。フランツィスカ様のドレスを、お借りしたの」

 褒められると嬉しい。

 それは、褒めてくれるのがマーティンだから、なのかな? 

 意識するとドキドキしてしまいそうになる。

 褒められたからドキドキするのか。

 それとも……好き、だから、なのか。

 あああ、わからない。

「オレはね、こういう夜会とかで、誰かの手を取ることはないんだけど」

「うん」

「ザビーネに、ダンスを申し込んでもいいかな?」

「え、ええっ! あのその、マーティンとダンスは正直嬉しいけど、その、踊ったら、あの、いろいろと、ご、誤解、されない?」

 わたしがマーティンの婚約者ですとか、絶対に思われる。

 だって、今まで誰とも踊ったことのない第三王子殿下だよ。

「オレ的には婚約者だって思わせたい。だけど、ザビーネがオレとの婚約は無理なら、最後の記念でも良い」

 最後の記念って。

「ザビーネは、一度決めたら突っ走るだろ。オレの手を取らないって決めたら、オレが、未練がましくまとわりついたって、靡いてくれないよね」

 うっ! そ、そうかも。

 だけど。

「オレの手を取ってくれるなら、オレは一生幸せだけどね。なーんていきなり追い詰めることはしないよ。気楽に一度踊ってみてよ」

 気楽……で、いいのかな……。

 良くないよね……。

 手を取るなら、覚悟を決めないと。

 そんな悲壮感がわたしの顔に表れていたのかもしれない。

「ザビーネ」

「は、ほへっ!」

 わたしのほっぺたを「むに~」って、マーティンに引っ張られた。

「そう追い詰められたみたいに考え込まないで」

 優しい、笑顔。

「オレはザビーネが好きで、もちろん恋愛の意味だけど。ザビーネもオレは嫌いじゃないよね」

 その好きの種類で迷っているんだけど。

 うつむきそうになったら、マーティンがそっとわたしの手を取った。

「手をさ、こうやって繋いで、嫌悪感とかある?」

「あるわけないでしょうっ!」

「ダンスなんて、体がけっこう密着するけど大丈夫?」

「もちろん」

 マーティンが何を聞いてるのか分からず戸惑う。

「じゃあ、さ。そのダンスの相手が、えーと、クルトとかいう名前だっけ? ザビーネの姉上の婚約者。もしもそいつだったら?」

 聞かれた瞬間ざわっと鳥肌が立った。

 気持ち悪い。

 アイツとダンスなんて、冗談でも嫌。

「変なこと聞いてごめん。でもそういうふうにさ、感覚で返事してよ。この先のこととか、考慮しなくて良い。今だけ考えて。ねえ、オレとダンスをするのは嫌かな?」

「嫌じゃない」

 即答した。

「ありがと」

 やっぱりわたしって、考え込むよりも動くタイプよね。

 突っ走って突き進んで、あとのことは後で考えればいい。

 だったら。

 わたしはなにも考えずにマーティンと踊ることにした。



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