第12話 結果

 たった五日の勉強で、文官試験に合格できるはずはない。

 普通なら、そう。

 だけど、前王妃様が用意してくださった三十冊の本を読み込んでいて、わたしは気が付いた。

「これ、今まで、前王妃様の音読係として、読んできた本の内容を、更に深くしたものばかりだわ……」

 そうだ、マーティンだって言っていた。『おばあ様の要求って、ものすごい高水準だから、語学習得どころか、ほとんど王子妃教育みたいなものだし。ザビーネが、おばあ様に認められれば、他国の令嬢だろうが何だろうが、オレの、第三王子の婚約者としてふさわしいって思ってもらえる』って。

 前王妃様だって『あたくしの音読係、最長記録ね。これまでやってきたお嬢さんがたは、五日も持てば良い方だったから』って……。

 つまり、音読係の仕事って、王子妃教育と相違ないのだろう。そんなハイレベルな内容を、しかも、多くのご令嬢の皆様が、五日も経たずに辞めてしまったことを、わたしは一か月続けてきたんだ。

 それが分かった途端、ぱああああああっという感じに、わたしの脳内が高速回転し始めた。

 一か月、何度も読み直してきた本の内容。

 それは、すべて、きっちりと覚えている。

 その覚えていることを元に、この三十冊の本の知識を重ねていけば……。

 できる。

 やれる。

 まさに覚醒。

 いやそれは言いすぎか。

 だけど、わたしは自信を持って、試験に臨めたわ。

 結果は……、見事合格。

「やったわっ!」

 喜んでピョンピョン飛び跳ねた。

 わたしとは逆に、マーティンは呆然としていた。

「すごいとは思っていたけど……。ザビーネの執念って、岩をも穿つよね……」

 合格の通知を、信じられない思いで、何度も見返しているマーティンに、わたしは飛びついた。

「ありがとうっ! これも全部マーティンのおかげだわっ!」

「い、いやいや、ザビーネの努力の結果でしょ」

「そりゃあ、わたしは努力はしたけど。でも、努力ができる環境を整えてくれたのはみんなマーティンよ」

「いや、おばあ様でしょ」

「もちろんそうだけど。そもそも音読係のお仕事を紹介してもらってなかったら、前王妃様にもお会いできてないんだし。そうしたら、試験なんて受けていないし。ほら、全部、全部マーティンのおかげっ!」

 まだ一次試験に合格しただけ。

 文官採用試験に受かったわけじゃない。

 そうして、はっと気が付いた。

 わたし、二次試験でどんな試験を受けるのかとか、それからいつ二次試験が行われるのかとか、何も知らないわ。

「ごめんマーティン。二次試験について教えてもらってもいい?」

「いいけど……。ザビーネは二次試験については、どれくらい知っている?」

「推薦状が必要なことしか知らないのよね。あ、フランツィスカ様に、一次試験に合格したことをお伝えしないと……」

 それから、前王妃様にもお礼を言いに行かないとね。

 ありがとうございます、おかげで一次試験に受かりましたって。

「つまり、なにをどうやるのかもまったく知らないということか……」

 で、マーティンから聞いたことをまとめると、文官採用試験の二次試験は一か月後から始まるんだそうだ。

 なんでこんなに期間があるのかというと、その推薦状が問題なのだ。

 わたしみたいに、一次試験に合格する前から、誰かに推薦状を書いてもらえるという約束がある受験者は特に焦ることもなく、二次試験に臨める。

 だけど、元々推薦者が決まっているなんてことはめったにないんですって。

「推薦状が得られるかどうか。それ自体が試験のようなものだね」

「推薦状がもらえなかったら……」

「問答無用で不合格だ。一次試験に受かっても、二次試験には進めない。それから、誰の推薦を得られるかも重要だ。上位貴族の推薦を得られた受験者は当然優遇され、下位貴族の推薦しか得られない受験者は閑職に回されるカンジだね」

 つまり、縁故とか、人間関係とか、ぶっちゃけコネとかが重要なのね。

「王子妃の推薦を得られるザビーネは問題ない。で、今から一か月後の二次試験なんだけど、見習いとして、各部署に配属されて、実際の業務に携わるんだ」

「ああ……、だから、推薦者が必要なのか……」

 文官というのはつまり、国の中心業務に携わるということだ。その仕事を実際に見たり体験したりさせてもらえる。

 上位貴族の推薦を受けた受験者であれば、例えば宰相閣下のお仕事の見学でも可能なのかもしれない。

 だけど、推薦も受けられない者に対しては、国の中心の政務やらなにやらの書類一枚だって見せられない。

 たぶん、そういう感じなのだろう。

「で、五日どこかの部署で働いて、一日休み。また別の部署で働いて、一日休み……を繰り返す。そこで、実際の文官たちから『こいつは有能だから、うちの部署に入れてほしい』と言われ、受験者も『ここで働きます』と、お互いの希望が合致したら、めでたく合格。どこの部署からも『欲しい』と言われなければ、不合格っていうわけだね」

「そ、それはまた……厳しいわね」

 わたしを引き受けてくれる部署があるのだろうか……。

 不安になる。

 だけど、やるしかない。

 とにかくまずは、フランツィスカ様とジェニファー姉様に手紙を書く。

 文官試験の一次試験には合格することができました。つきましては、推薦状をお願いしたいので、ご都合の良い日時にお会いしたいのですがという感じで。

 手紙を書いて、フランツィスカ様からのお返事を待つ間に、マーティンと一緒に前王妃様に御礼を言いに行った。

「おめでとうザビーネ。あなたならきっと合格すると思っていたわ」

 そう言ってくれて、二次試験の直前まで、音読係のお仕事を継続してもいいと言っていただいた。

「さらに厳しく指導するわよ」

「はいっ! もちろんですっ!」

 よろしくお願いいたしますと頭を下げたわたし。

「ちょっと待ってザビーネ」

 だけど、マーティンに止められてしまった。

 ん? 音読係のお仕事、継続不可とかいうわけじゃあないわよね?

「あら、マーティン。ザビーネに仕事ばかりさせないで、自分とも付き合えと言いたいのかしら? デートのお誘い?」

 からかい口調の前王妃様。

 だけど、マーティンはしかめ面になった。

「そうじゃあないですよ。あのですね、そろそろヴァイセンベルク王国へと戻らなくてはならない時期なんですよ……」

 えーと、帰国……。

 帰らなくてもいいじゃないとか一瞬思った。

 だって、わたし、ヴァイセンベルク王国ではなくて、ジェニファー姉様がいるモードント王国で生きていきたいんだし。

 職を得られるチャンスを目前に、今、なぜ、帰国しなくてはならないんだろう……?

 首を横に傾げてしまった。

「忘れているかもしれないけど、ザビーネだってヴァイセンベルク王国の貴族学園に入学したばかりでしょうに。夏期休暇中に、うちの国に来ているだけ、なんだよオレたちは」

「あー……、えっと、つまり、どういうこと?」

「何も手続きをしないまま、黙って学園を休み続けたら、退学処分になる」

「あっ!」

 言われて気が付いた。

「えっと、手続きには、一度帰国しないとダメ、だよね」

「うん、それにザビーネ。ご家族だって心配しているだろ?」

 ジェニファー姉様は、一次試験に合格したのを喜んでくれるはずだから、心配なんてするはずないよ……と言いかけてから、理解した。

 マーティンの言っている家族って、お父様とお母様と……脳内お花畑のユリア姉様のことか。

 心配なんてしていないと思うなあ……。

 とある高貴な身分の老婦人のお世話をする仕事が見つかったから、ちょっと行ってくるわ程度しか伝えていなかったけど。モードント王国に行くとかも言っていないから、きっと、その仕事はヴァイセンベルク王国内のどこかだと思われているんだろうけど。

「とりあえず、受けたお仕事が延長になるから、学園のほうは休学させてって、お父様には手紙を書いておくわ」

「それで大丈夫なのかい?」

「まあ、お父様もお母様も気にはしないと思うのよ。わたしの家はユリア姉様がクルト様と婚姻を結んで継ぐのだし」

 ユリア姉様なんて、わたしが家に不在になることを喜んでいたものねぇ。

「二次試験までだいたいひと月程度しかないでしょ。帰国して、またこの国に帰ってきて……っていう時間がもったいない。わたし、音読係の仕事、したい。そうして、二次試験も突破できる知識をつけていきたい」

「うーん、だけど……」

「二次試験に不合格になったら、その時点で一度帰国して、学園は退学して、ヴァイセンベルク王国からモードント王国に移住手続き、するわ。だから、学園は、もういいの」

 正直に言えば、合格しようが不合格だろうが、もうこのままモードント王国に居座りたい。

「マーティンはどうするの? 一度ヴァイセンベルク王国に戻る?」

「ううううう。ザビーネが戻らないのになんでオレだけ行かなきゃいけないんだよ……」

「だって、入学したのはわたしとは無関係でしょ。モードント王国でなら、ご令嬢に取り囲まれることなく、普通の学園生活を送れると思ったんでしょ?」

「それは入学当初の話。今はねえ、ザビーネと離れたくないんだよ。そりゃあ、ザビーネは今は二次試験突破に燃えているから、オレと愛だの恋だのなんて、考えもしていないだろうけどさあ」

 あ、あ、あ……。そ、そうだった。好きとか、言われていたんだ……。えーと、えーと、えーと……。どうしよう……。

 真っ赤な顔で青ざめるという、矛盾した顔色になったわたし。

 マーティンは、そんなわたしを見て、ふっと笑った。

「オレの気持ち、思い出してくれたようで良かったよ。オレはザビーネの願いが叶うように協力はするけど。ちょっとは気にしてくれると嬉しいなって……」

「あ、あの、ごめん、マーティン……」

「またうだうだするとおばあ様に怒られそうだから、この話はここで終わり。ザビーネの試験が終わって、どうするか決まるまで、オレはザビーネの邪魔はしない。できる限りの助力はするけど、それはなにもザビーネの為だけじゃない。オレが、この国で、ザビーネと一緒に暮らしていきたいから、その下心付きだから。遠慮なくオレを使ってよ」

 知ってたけど、マーティンてすごい。いい人だ。

 第三王子なんだから、権力使ってわたし程度の伯爵令嬢を、自分の思い通りにするって、命令でも出せちゃう立場なのに。

 わたしの気持ちを慮ってくれて、わたしに協力までしてくれる。

 ああ、ホントありがたい。

 こんな素晴らしいマーティンを待たせるなんて、わたし、傲慢なんじゃあないかって思ってしまう。

 もしかしたら、わたし、マーティンに甘えているのかな?

 待っててって。

 自分の力で、この国で生きていけるようになるまでそれまで待っていてって。

 ううん、違うか。自分の力なんかじゃない。

 マーティンの、前王妃様の、フランツィスカ様の、みんなの力で、わたしは今、ここに居られるんだ。

 それを、忘れてはいけない。

 ジェニファー姉様の側に居たい。

 子どもじみた願いのために、みんな力を貸してくれた。

 甘えて、待たせて。

 でも、二次試験突破のためには、わたし、今、余計なこと、考えてはいられない。

 そもそもが、一次試験だって突破できたのは、奇跡みたいなものなのだ。

 まず、全力で立ち向かわないと。

 すべてのことは、それからだ。

 わたしは、真正面からマーティンの顔を見た。

「マーティン。ごめんはもう言わない。だけど、ありがとう。わたし、絶対に二次試験も合格して、ちゃんと今後の身の振り方も決めて、それから……ちゃんとマーティンのこと、考えたい。待たせてしまうけど、それは許してね」

 わたしが今できることは、これしかない。

 最短で、合格すること。

 不合格になって、また一年以上、マーティンを待たせるなんてことしたくない。

 ほとんど不可能に近い二次試験合格かもしれない。

『こいつは有能だから、うちの部署に入れてほしい』なんて言われるくらい、わたし、有能になれるのだろうかって、不安になるけど。

 絶対に、しがみ付いてでも、どこかの部署で採用してもらう。

 頑張る。全力で。

 わたしができるのは、それしかない。




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