第11話 文官試験に挑む

「えっと、試験を、受ける……?」

「ちょうど五日後に試験があるのだから、さっさと合格して、それでマーティンとのことを考えてみればいいでしょう。試験までは音読係の仕事はお休みにしてあげます」

 あ、あの、前王妃様。簡単に言いますけど、そもそも申し込みもしていないのに、受験できるわけがないのですが……。

「あの、出願期間とか、過ぎているのでは……」

「その程度の権限がないとでも? 試験の合否に口は出せないけれど、あなた一人くらい、試験に参加させる程度の権限は有しているのよ」

 前王妃様の権限を使って、文官試験を受けさせてくださるのですか……。

 ええと、だけど、あと五日?

 受かる気が、全くしない……。

 ようやくわたし、この国の言葉をまっとうに使えるようになったばかり。

 音読係の仕事だって、ようやく、初めて、直されずに本を一冊読めるようになっただけ。

 そんなレベルで、受かるはずがない。

「受からないと思っていれば受からないでしょう。だけど、命令です。さっさと合格をもぎ取って、あなたは自身の未来を考えなさい」

 はい……と、言えない。

 だって、合格しなさいって……。

 無理だと、言いそうになった。

 だけど。

「うだうだしてる時間がもったいないでしょう。さっさと動いて、心を決めなさい」

 前王妃様の言うとおりだ。

 受験して落ちるなら、仕方がない。

 だけど、受ける前に自分で無理と思うなんて、目の前にあるチャンスを拾わないで捨てるようなもの。

 わたしは自分の両手で、自分の頬をパンと叩いた。

「ザ、ザビーネ⁉」

 マーティンがびっくりしたようにわたしを見る。

 ぐっと、お腹に力を込める。

 手を伸ばせ。チャンスがそこにあるうちに。躊躇していたら、せっかくのチャンスが、あっという間にどこかに行ってしまう。

 手を伸ばして、掴めないなら、しかたがないけれど。

 伸ばす前に、諦めるな。

 わたしは立ち上がる。そして、前王妃様に向かい、頭を下げる。

「試験を、受けさせてください。お願いします」

 マーティンのことはいったん保留。

 呆けている場合じゃない。

 受かる、ために、あと五日、しかない、じゃないわ。五日も、ある。

 その間で試験対策して、受かる。

 決めた。

 受からないとしても、次回で必ず合格するために、今回の試験で何が出題されるのかくらいはわかる……なんて、気弱なことも考えない。

 わたしは、受かる。受かってみせる。

 全力を、出す。

 前王妃様はにっこりと笑って、控えている侍女さんたちに何かを告げた。

「準備させます。少し待ちなさい」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 そのまま言われたとおりに待つ。

 すると、まず受験申請書の用紙とペンが用意された。

「名前を書きなさい」

「はいっ!」

 申請書を書いた途端、それを侍女さんがどこかに持って言ってくれた。提出してくれるのだろう、ありがたい。

 その間に、別の侍女さんたちがどっさりと、三十冊ほどの分厚い本をテーブルに積み上げていた。

「文官試験に必須の知識がそれらの本に書かれているわ。五日で全部覚えなさい」

 五日で、この本を、全部、暗記。

「ちょっと待ってくださいおばあ様。これ、五日で覚えられる量じゃないですよ」

 マーティンはそう言うけど。

 目の前に、やることがあって、それをこなすための時間はある。

「ありがとうマーティン。だけど、五日でわたしこれ全部覚えるわ」

「無理だろ……」

「無理とか無理じゃないとか、じゃないの。やるか、やらないか、なの。そして、わたしはやると決めたの」

「まさかとは思うけど、寝ないで覚えようとか……」

「寝ないなんて、効率悪いでしょう。きちんと食べて寝るわよ」

 覚えるための方法なんて、とにかく繰り返して、脳に叩き込むのみ。

 だけどやり方ってものはあるのだ。

 五日で三十冊。だから、一日で六冊分を暗記すればいい……というのは、正解のやり方に聞こえるけど、違う。

 今日覚えたことでも、明日には七割くらい忘れてしまう。

 人間の脳っていうのは、そういうふうにできているらしい。

 だから、五日間、毎日、三十冊を読み込む。

 繰り返し、記憶を重ねていく。

 前王妃様とマーティンにお礼を言って、わたしはお借りしている自分の部屋に戻る。

 侍女さんたちが三十冊の本をそのわたしの部屋に運んでくれた。

 まず黙読で、ざっと全ての本を読み通す。

 一冊読んだら十分休憩。

 その休憩時間で、お茶を飲んだり、食事を摂ったり、侍女さんたちのマッサージを受ける。

 それだけでも夜中までかかってしまった。

「寝ます。申し訳ないけど四時間後に起こしてください。それで、起きたら湯あみもお願いしたいのだけれど」

 そう言ったら、侍女さんたちは笑顔で了承してくれた。ありがたい。

 とにかく寝る。

 起きて、湯あみで、ボケっとしている頭を叩き起こす。

 座って本を読んでいたら眠たくなるので、立ち上がって、一冊目の本を音読。喉を傷めないように、小声でぶつぶつと呟く感じだけど。

 だけど、暗記するには五感をフル活用するべきなのよ。目で見て、耳で聞いて、声に出して。

 味や香りにも効果があるみたいね。例えばチョコレートの主成分、カカオは集中力を高めるらしい。ベリーの類は脳の疲労感を軽減する効果があったり、記憶力の低下を予防する働きがあるんですって。集中力や判断力なども上げてくれるって。

 レモングラスの香りは集中力。

 ペパーミントは脳の活性化。

 本当かどうかは知らないけれど、効果があることを期待して、食べたり香りを嗅ぐ。

 読み終わったら食事しつつ休憩。

 休憩しつつ、今読んだばかりの本の内容を思い出しておく。

 また次の本を音読。

 うがいをして、お茶をいただく。

 次の本、そして休憩。

 午前中には十冊しか読めなかった。

 だけど、気にせず、午後も同じパターンで読む、休むを繰り返す。一回目より二回目、二回目より三回目のほうが早く読めるようになるはずだし。

 五日間、できる限り、頭に本の内容を叩き込む。

 疲れてどうしようもなくなったら、侍女さんたちにマッサージを頼む。

 ああ、体の疲れが取れていくわ……。

 侍女さんたちに支えてもらっているからこそ、わたしは暗記だけに集中できる。

 ありがたい。

 その侍女さんたちを手配してくれている前王妃様に感謝を捧げる。

 それから、マーティンにも最大級の感謝を。

 ここまで、わたしができるようになったのは、もちろんマーティンがいてくれたから。入学式で、マーティンに出会ったからこそ、わたしは今、ここにいて、多く人に手助けをしてもらっている。

 感謝は尽きない。

 わたしが、ジェニファー姉様のそばで暮らしたい。

 そんな個人的な願い。

 子どもみたいな、小さな願い。

 なのに、それを叶えるために、みんなが支えてくれている。

 だから、全力で頑張れる。

 ありがとう。

 わたし、きっと、ううん、絶対に試験に合格してみせる。

 合格してから……真剣に考える。

 わたしがどうしたいか、どうなりたいか。

 マーティンのことも。

 とにかく、全力を尽くした五日間。

 そして、わたしは文官試験に挑んだのだった。







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