第9話 真っ赤な顔で、逆ギレ
「あ、あの、お二人の会話を遮る不躾をお許しいただきたいのですが……。フランツィスカ王太子妃殿下とマーティンが、義姉弟、とはいったい……」
がっつりと問いただしたい。
だけど、前王妃様の前だ。
わたしは深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着いてみせた。
マーティンは「ああ、そう言えば。そのうちわかるからって、ちゃんと説明していなかったっけ」なんて言って、わたしのほうへと向き直った。
「マーティン・R・アシュクロフトという名も嘘じゃない。オレは、アシュクロフト男爵として、ちゃんと領地も治めている。留学中はまあ、側近や執事たちの力を借りてるけどね」
つまり、マーティンは男爵令息なんじゃない。マーティン自身が男爵位を有しているんだ。
だけど、それだけのはずがない。
「オレが白状なんてしなくても、ザビーネには推測できるんじゃあないのかな?」
わたしはわざとらしくため息なんてついてみせた。
「……フランツィスカ王太子妃殿下と義姉弟と言うからにはマーティンは王族。しかも、オリヴァー・S・モードント王太子殿下の……弟君。違う?」
「さすがザビーネ」
いや、全然さすがなんかじゃないです。
前王妃様のことをおばあ様と呼んだ時点で気が付いてもいいようなもんだったのよ。フランツィスカ王太子妃殿下とマーティンが義姉弟って言われてようやくわかったんだからねえ……。
「……だけど、何番目の王子様なのかってところまではわからないわよ」
「オリヴァー兄上は二十歳だね。オレはザビーネと同じ年だよ」
ええと、たしか王太子殿下と第二王子は年子だったはず。なら……。
「……第三王子殿下」
「正解。改めて、自己紹介しよう。マーティン・R・モードントだ。まあ、王位を継ぐこともないだろう気楽な三番目だからね。男爵として、領地経営を実地で学ばせてもらったり、留学させてもらったりと、わりと好き勝手に過ごしているんだよ」
たかが伯爵家の娘でしかないわたしが、第三王子殿下に対してなれなれしい口を利き、そして、モードント語を教えてもらい、前王妃様の音読係のお仕事を斡旋してもらい、その仕事のための旅費なんかも全部出してもらった……。
血の気が引きそうになるんですけど。
「ええと、あの……わたし、不敬罪とか適用されるのかしら……」
「しないよ」
「だけど、わたし、マーティン……えっと、殿下に対して」
言いかけたところで、顔をしかめられた。
「殿下呼び、やめてよね」
「ですが……」
「オレは、ザビーネと仲良しでしょ。それに、ヴァイセンベルク王国ではオレはアシュクロフト姓を名乗っているからね。とすると伯爵令嬢であるザビーネのほうが、身分は高いということになるけど」
「うわっ! やめてよっ! 本当は王子様のくせに」
「そうそう、そうやって普通に話してね」
普通……ね。今まで通りにしろってことか。
「ううう、わかった。努力する」
「よかった。で、オレの正体は納得してもらったということで、話を元に戻すんだけど。ザビーネはザビーネの姉君のそばで暮らしたいから、うちの国の文官試験、受けたいんだよね。文官になって国の政治に関わりたいとかじゃないんだよね」
「うん」
文官になるというのは単なる手段であって、目的ではない。
王太子妃殿下の侍女であるジェニファー姉様のお側に行くためには、それなりの地位とか身分とかが必要というだけ。
「王城で暮らすのが目的なら、今、おばあ様が言った通り、オレと結婚しようよ」
そんな気軽に「しようよ」とか言われましても。
マーティンと結婚したら、一方的にわたしが得するだけ。
マーティンには何の益もない。
たとえ、王位を継承することはなくとも第三王子なら、もっとこう……国内の高位貴族のご令嬢とか、他国のお姫様だって娶れるのに。
なぜに、わたし?
「受かるかどうかもわからない文官試験を突破するために努力を重ねるよりも、オレのお嫁さんになったほうが確実」
マーティンは真顔でそんなことまで言ってくる。
「そうね。あなたのように努力ができるご令嬢なら、王族になってもやっていけると思うわよ」
なぜそこで、前王妃様も後押ししちゃうんですか。わたしという他国の伯爵令嬢なんて、王族の嫁にふさわしくないわとか、不機嫌になるところでしょうっ!
音読係として、わたしのことを認めてくださっているのかしら。それなら、嬉しいけど……。
それに努力?
努力と根性なら自慢じゃないけど、他者と比較しても、そこそこあると思うけど。
ええと、待って。
ちょっと待ってほしい。
そんなに簡単に結婚なんて決めて良いの?
だけど、わたしはありがたいと思って、マーティンとの結婚を受け入れるべきなのだろうけど。
いや、ありがたいと言えばありがたいのよ。
だって、文官試験なんて受かるかどうかわからない。
マーティンと結婚すれば、確実に、わたしが王城で、ジェニファー姉様のそばで暮らせるようになる。
だけど。
だって。
だけど。
でも……と、そんな無意味な言葉だけが、わたしの頭の中をぐるぐると回る。
「あの……、確かにわたしの目的のためには、マーティンと結婚という選択肢は確かに……ありといえばあり、だけど。だけど……」
「ん? なんか迷ってる? もしかして、オレと結婚するの、嫌?」
マーティンのことは、嫌いじゃない。好きか嫌いかだったら好きだろう。
だけどそれは語学の師匠としての尊敬や、お世話になっていてありがたいとか、友人として気が合うとか。そういう感じの好きというだけで。
愛や恋ではない。
今後は、わからないけど。今は。
「嫌ではないよ。借りが一方的に積み上がりっぱなしで、何も返せないのに、この上更に迷惑をかけてしまうのが心苦しいだけ。既に一生かかっても返せないくらいの恩義を受けているのに。ジェニファー姉様のそばで暮らしたいから、マーティンと結婚なんて、ありがたいけど申し訳なさすぎる。わたしが得をするだけで、マーティンには何の益もない。わたしを選べるくらいなら、国のための結婚とか、政略とかも考えなくてもいいんでしょ。だったらマーティンはちゃんと好きな人と結ばれて、しあわせになる道だってあるってことじゃない」
わたしの犠牲になんて、ならないでほしい。
それが、わたしの正直な気持ち。
「迷惑なんてぜんぜん思ってないよ。前にも言っただろ。ザビーネのおかげでオレは多くのご令嬢に囲まれずに、ごく普通の学園生活を送ることができているんだ。感謝しかないって」
「一時の感謝で一生を決めないでね。それに感謝しているのはわたしのほう。わたしがマーティンから受けた恩義が百と仮定すると、わたしがマーティンに返せている分は二とか三とかって程度でしかないわ。借りが多すぎる。申し訳ない。結婚なんかで、わたし、マーティンの一生を縛りたくないよ」
借りとか恩義とかいう以上に。わたしがジェニファー姉様のそばで暮らすために、マーティンを犠牲にするなんて。さすがにそれはやってはいけないと思うのよね。結婚というのなら、マーティンには好きな相手と幸せな結婚をしてもらいたい。友人として、それは切に願う。
「そんなことないよ。ザビーネがオレと結婚してくれるんなら恩義も借りも一気になくなるね」
「へ? どうして? 借りが増えるだけじゃない。いくらジェニファー姉様と一緒に暮らしたいって思っても、これ以上マーティンに迷惑かけるのは嫌だよ」
「迷惑なんて、全然思ってないってば。むしろ、ザビーネがオレのお嫁さんになってくれたら、オレはすっごく嬉しいんだけど」
わたしとマーティンがお互いに、迷惑をかけすぎだ、そんなことないよ、なんていう会話を繰り返していたら。
前王妃様に呆れたみたいに笑われた。
「マーティン、あなた、ご令嬢がたから迫られてばかりいるから、自分から迫るやり方も言い方も分からないのねえ」
「……オレはちゃんと言っているつもりですが?」
「ザビーネにあなたの気持ちなんて、欠片も伝わってないわよ。外堀を埋めるばかりしていないで、真正面から気持ちを伝えなさいな」
苦虫を噛み潰したような顔になるマーティン。
仕方がないわねって顔になる前王妃様。
外堀?
なんだろう?
なにが言いたいんだろう?
マーティンはがりがりと頭なんかを搔いているけど。
「おばあ様の前で、……なんて、恥ずかしすぎる……」
おばあさまの前で……と、なんて……の、間の言葉が聞き取れなかったんだけど。
えっと?
恥ずかしいの?
「その恥ずかしいことをさっさと済まさないで、語学やら音読係の斡旋やら遠回りなことばかりしていたら、本当に一生お友達のままになるわよ」
「取り囲み切って、逃げ場がないようにしてから、引き受けざるを得ないようにして……それから言おうかと思ってですね」
「マーティンあなた、自分に自信がないの? 好きな女の一人や二人、さっさと口説き落としなさいな。我が国一番の美形だのなんだの言われているのに情けないわねえ」
「その好きな女が、オレのことなど眼中にないから困っているんですよっ! このオレの顔に夢中になってくれたら、話は簡単なのにっ! 有象無象のご令嬢はオレの顔を見て一瞬で惚れてくるっていうのに、本命の女だけは、この顔の威力が通じない上に、考えているのはいかに実力をつけて姉君の元へとたどり着くか、だけなんですよっ! ザビーネの頭の中は姉君のことばかりっ!」
うん、まあ、ジェニファー姉様にたどり着くことしか考えていないけど。マーティンには当然感謝しています。マーティンと出会えたのは僥倖。出会えてなければ、どうなったか。言葉だって、カタコトの単語を連発しているだけだっただろう。
「つまり歯牙にもかけられていないのね? だから、気持ちを告白せずに、遠回りな囲い込みばかりしていると……」
ふう……と、呆れたように、前王妃様は溜息をお吐きになった。そんな姿も実に麗しい……だけど。
「ヘタレねえ……」
「ヘタレって……。おばあ様が、そのような言葉をお使いになるとは……」
「ほほほ。その程度の言葉、知っていますとも」
ちょっと待って、お二人とも。
あの、その、この会話の流れからすると……。
「あ、あの、マーティン。もしかして、もしかしなくても、マーティンって、わたしのこと……」
思い切って聞いてみたら、マーティンから泣き出しそうな目で睨まれた。
「あー、そうだよっ! オレはザビーネが好きなのっ!」
「ええと、友人として好き、というだけの意味ではなく」
「単なる友人程度の相手にさあ、休み時間ごとにノート見て、一緒にこの国まで連れてきて、おばあ様に紹介して……なんてすると思う⁉」
うん、まあ、普通はしないだろうけど。
「いや、その。マーティンが異様に親切な人なのかと……」
わたしの言葉に、マーティンは自分の頭をばりばりと掻いた。
ちくしょーとか、やっぱり全然伝わってないとか、ちょっとわめいた後で、わたしを睨むみたいに強い視線で見てきた。その目が、涙目になっていたのは……気のせい、ではない。
「惚れた女の希望を叶えたいって思わなきゃ、そんな無料奉仕みたいなこと、するわけないだろっ! うちの国に連れてきたのだって、バレないように隠していたけど、実は下心満載だよっ! 好きな女と旅行なんて、心躍るだろうがっ! もうここまで来たら、全部暴露するけど、親切ぶって、友達ぶって、好感度上げて、うちの国まで来てもらって、逃げられないようにしてやろうって、姑息な考えしてたよっ! いざとなったら、今まで売りつけた恩を返してもらうとかの理由をつけて、婚約者になってほしいと頼むとかさあっ! ああ、オレはひどい男ですよっ!」
真っ赤な顔で、逆切れ状態で叫びだしたマーティン。
前王妃様は「ホントダメ男ねぇ」と笑っておりますが。
ええと、わたし、どうしたら……。
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