第7話 音読、以前
のんびりとゆったりと、馬車は進む。
仕事に向かうはずなのに、まるで旅行中のよう。宿に泊まり、きっちりと食事をし、祭りや史跡も見学しつつ、モードント王国に向かう。
……それらすべて、わたしはマーティンのお世話になっている。
「オレが帰国するついでだし。道中、話し相手がいたほうが楽しいでしょ」
と、マーティンは言ってくれるけど。申し訳ないと言うべきか、ありがたいと思うべきか。
もちろんわたしとマーティンの二人旅ではない。
侍女が二名、護衛三名が付いている。
更に、国境を越えて、モードント王国に入国した途端に、騎乗した騎士たちが何人も現れた……。
「大丈夫、問題ないよ」
なんて、マーティンは言うけど。
「モードントに入国するまでは、目立たないように距離をおいて守ってもらっていただけ。入国したからそばに来てもらったんだ」
えーと……。
……マーティンは、ゆっくりと、久しぶりの故郷の風に吹かれておりますがね。
さすがにここまで来ると、わたしもツッコミを……じゃなくて、これまで聞かないでいたことを聞かざるを得ない。
「マーティン……、もうモードント王国だから、聞いてもいいかな?」
ん? なにが? みたいな顔をしていますけどねえ。まず、おかしいでしょ、この護衛の数。
「前王妃様の音読係として、わたしを連れていけちゃうなんて、マーティン、モードント王国の偉い人、なの? ナニモノ?」
マーティン・R・アシュクロフト。それがマーティンの名前のはず。
そして、アシュクロフトという家名は男爵位のはず。
だけど、単なる男爵令息が、前王妃様とつながりがあるなんて、普通に考えたらおかしい。この護衛の数だって、そうだ。
「それに、アシュクロフトって偽名?」
単刀直入に聞いた。
これでも一応、モードント王国に入るまでは聞かないで我慢していたんだ。
さあ、吐けっ! じゃないけど。
教えてくれないと、後々困りそうな気がするのよね……。
「あはははは。惜しい! アシュクロフト男爵っていうのは、オレが持っている爵位の一つ。だから、まあ、嘘ではないんだよね」
「……マーティンが、持っている?」
「うん、そう」
爵位の一つ、っていうことは。
「爵位、一つだけじゃなくて、二つとか三つとか、持っているってこと?」
「さすがザビーネ。正解」
……例えば侯爵。そのこう公爵位のほかに、伯爵とか男爵とか、別の爵位も持っていたりするよね。
で、嫡男には侯爵の位を継がせて、次男には持っている伯爵の位をあげたり、三男にも男爵位を渡す……とか。
そういう感じで、いくつも爵位をお持ちの高位貴族……であるのなら、王族と近しい間柄である……ということもあり得るかなって思ったりもした。
「んー、まあ、そんな感じ? 詳しくはそのうちわかるから」
今は詮索するなということかしらね?
気にはなったけど、モードント王国に着いてからは、マーティンの正体を気にしている余裕はなかった。
ええ、全く以って、それどころではないのだ。
前王妃様のために、本を音読するお仕事。
そのために、わたしはモードント王国までやってきたのだ。
そのはずだった。
だというのに、初日から七日目まで、本を読むところまで辿り着かなかった。
一日目。
前王妃カトリオーナ様にお会いするや否や、ご挨拶もしないうちに、「身なりを整えてちょうだい」と、部屋から放り出されてしまった。
前王妃様付きの侍女さんたちに、風呂に入れられ、体を磨き上げられるところからやり直しをさせられた。
わたしの赤みのある茶色の髪は、すごくパサつきやすいから、それをごまかすために、右と左の両サイドの髪は編み込みにして、耳の下で二束に結んでいるんだけれど。ものすごく丁寧に髪を整えられて、しっとり艶やかな赤茶色の髪へと変化した。化粧も落とされて、肌を手入れされた。
今わたしのほっぺたは、掌に吸い付くように、もっちりふっくらとしている。
すごいわ。
前王妃様の侍女の皆様の技術は神のごとしだわ。
二日目。
立ち姿勢と歩き方を直された。
特に指示されたのが、耳の中央、肩の中央、くるぶし。この三点が一直線になるようにまっすぐに立つこと。
これが基本……なんだけど、保つのが、すんごく大変。ちゃんと背筋を伸ばしているつもりでも、ついうっかり猫背気味に背が丸まってしまうのよね。
で、この姿勢を保ったまま歩くの。
両足の幅を離さないというか、膝の内側が接触するかしないかくらいで。
手は自然に、緊張したり、力を込めずに。
歩幅も大事。
わたしがいつも歩いている歩幅より、ほんの少し広くして、颯爽かつエレガントに……って。
ううう、辛い。体中が軋んできた。
三日目。
冗談抜きで、筋肉痛になった。
あまりの痛さにベッドから立ち上がれずにいた。一日目にお世話になった侍女の皆様からマッサージを受けた。お風呂で温められた体に、優しいマッサージ。天国はここにあった……。
四日目。
身なりと立ち姿勢と歩き方が、きちんとできたから、ようやく前王妃様にご挨拶ができる……と思ったら、できなかった。
今度は発声や話し方を矯正された。
これは、さすがに一日では無理だった。三日もかかったわ……。
いや、母国語ではなく、外国語という点も加味しても、三日もかかるとは……。
とにかくここまで及第点をいただいて、ようやく前王妃様にご挨拶をすることができた……。
音読以前に、立ち居振る舞いやらマナーやらが全く以ってなっていないのね……。
ううう、音読に入れるのはいつだ。
せっかく音読係のお仕事を紹介してもらったのに、お仕事しないまま帰国になったらどうしよう……。本気で、心配になった……。
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