第5話 入学式と出会い
入学式になった。
わたしは新入生。
ユリア姉さまは最上級生。
つまり、一緒に学園に通わねばならない。
いえ、学園に通うのは望むところなのだけど、行きや帰りの馬車で、ユリア姉様と一緒というのがちょっと……、ううん、かなり嫌。
まあ、伯爵家程度では一人につき一台馬車がある……なんてことはないから、仕方がない。
本当は、王都にある我が家のタウンハウスから学園に通うのではなくて、学生寮に入寮したかったのよね。だけど、入寮申請をしようと思ったときには、既に女子寮は定員いっぱいで、寮の空き部屋はなかった……。
ううう、行動するのが遅かった。
仕方がない。ユリア姉様が卒業するまでは、こうやって一緒に通うしかないのだ……。
ああ、これが、ジェニファー姉様と一緒の通学であるのなら、うきうきわくわくが止まらないのに。
ユリア姉様と同じ馬車に乗る?
けっ! ぺぺぺぺぺっ! って、つばでも吐きたいくらいよ!
わたし、淑女だからやらないけどね!
幸いなのは、クソ男……クルト様が卒業しているということね!
あのクソ男は、ユリア姉様が学園を卒業するまでの一年間、お父様から領地経営を実地で学ぶとかで、我が家の領地に向かっている。
それでもたまには王都にある我が家のタウンハウスに来ることもあるだろう。
あー、嫌だ嫌だ。
あんなクソ男の顔なんて見たくない。
ユリア姉様と一緒にゴミにでも出してしまいたいわっ!
「ちょっとザビーネ! アンタねぇ、クルト様に色目使わないでよっ!」
クソ男を睨んでいたら、ユリア姉様にこう言われた。
はあ?
知ってたけど馬鹿なのねユリア姉様。
「あんな気持ち悪い男に色目なんか使うわけないでしょ。ユリア姉様の頭って、腐ってんの?」
ああ、腐っているから実の姉の婚約者を奪うなんてこと、できたのね。厚顔にもほどがあるわ。
「はあ? 失礼ねっ! あたしとクルト様は純愛なのよっ!」
「なぁにが純愛よ。不貞の上の略奪でしょっ! 妄想と事実を混同するなんて、さすがユリア姉様。頭の中がお花畑ね!」
先日、そんなケンカをしてから、わたしとユリア姉様は、お互いに口を利いていない。
同じ馬車の中でもお互い無言。
ユリア姉様はわたしを睨んでくるけれど、わたしは無視。
カラカラと、馬車の車輪の音だけが響く。
わたしがユリア姉様と話すことなんてないからどうでもいい。
それよりも、わたしは隣国、モードント王国の言葉を頭の中で思い浮かべるのに忙しい。
ジェニファー姉様がしていたように、起きてから寝るまで、身の回りの物の名前や自分の行動、気持ちなんかを、逐一翻訳していくのだ。
『馬車に乗る』『座る』『馬車に揺られる』『窓』『見える景色』『空の色』『雲がない』『青い空』などなど。
まだ長い文章で考えることはできないから、知っている単語や短い文を羅列するのが精いっぱい。
そうしているうちに、馬車は学園に着いた。
ここが、これからわたしが通う貴族学園。
馬車を降りた後、制服に皺がついていないかな……と、ちょっと確認。
新しい制服を作ることもできたけど、わたしはジェニファー姉様の制服を、ちょっと手直しして、それを着ることにした。
ジェニファー姉様に、早く追いつけますようにとの願いを込めてよ、もちろん。
姉様の制服……と、悶えるヘンタイじゃあないわよっ!
ここから始まるのだ……と気合を入れたためか、黒地に金の縁取りをしたこの制服の重厚さによるものか、背筋が伸びる感じがする。
よし、がんばろう。
両手の拳を握りしめた。
馬車から降りたユリア姉様は、上級生の教室棟のほうへとさっさと歩いて行った。
もちろん無言のままだ。「じゃあね」とか「またね」とかも何もない。
わたしもさっさと入学式が行われるホールに向かう。
美しく造園された中庭のその先にホールの扉が見えた。わたし以外の新入生も、ホール手前の中庭の小道を歩きながら、そちらに向かっている。
中庭の小道は緩やかなカーブを描いていて、両側の花壇には、色とりどりの花が植えられていた。
手前には赤いベゴニア。
その奥には白い薔薇。
更にホールの手前には噴水から水が出ている池まである。
目に見えているそんな風景をモードント語に直そうとして、わたしは「うっ!」と詰まった
「赤とか、白とか、色ならわかるけど。さすがにモードント語で花の名前はわからない……」
噴水の水が光を反射して美しいですわね……とか、空の青を背景にしますと、ベゴニアの赤い花と白薔薇のコントラストが素晴らしいですわねとか……。
どうやってモードント語で言うのっ⁉
「『赤い花』『きれい』『あの』『花』『名前』『何』」
今のわたしのモードント語のレベルって、この程度っ! 単語は並べられるけど、文章になっていない。うーうーうー、道のりははるか険しいよ、ジェニファー姉様……。
泣きそうになったら、後ろから声がした。
「『赤い花はベゴニアだね。白いのは薔薇。薔薇の種類まではわからないけど』」
「ほへっ⁉」
突然聞こえてきたモードント語らしき言葉に、わたしはびっくりして振り向いた。
すると、わたしを見てにこにこと笑っている人がいた。
晴れた日の海のように輝きのある明るい青い髪。着ているのは、制服。ホールのほうに向かっているということは、この人も新入生かな?
「あ、いきなりごめん。つたないモードント語が聞こえてきたから、ついしゃべっちゃった」
つたないとか言われたけど、嫌みな感じはしない。それに今彼がしゃべったのは、モードント語での説明なのだろう。残念ながら、わたしには『赤い花は』とか『白』以外、聞き取れなかったけど。
「ううん。あなた、モードント語、すっごく上手なのね」
「あー、まあ。母国だし」
「えっ! じゃあ、あなた、モードント王国の人なの?」
「あー、うん。そうだよ」
青い髪の男子生徒はにこりと笑った。笑うと目じりに皺ができて、なんだかそれが不思議と優しげに見える。
これは……素晴らしい出会いなのでは。
モードント語が話せる、しかも我が国の言葉も上手。
わたしは、思わず彼の腕にしがみついてしまった。
「お願いっ! いきなりだけど、わたしにモードント語を教えてっ!」
「へ⁉」
「わたし、どーしてもっ! 早急にモードント語を覚えたいのよっ!」
「あ、ええと、あの……。き、君の熱意はわかったけど、まずは自己紹介とかからしない……?」
「あ……」
うわあ、やらかした。
初対面の名前も知らない男性の腕にしがみついて、いきなり言葉を教えてとは……。
焦ったのもあったけど、このモードント国の男性に対して、ものすごく失礼だわ、わたし……。
恥ずかしくて、耳や首までわたしは真っ赤になった。慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ! あまりの幸運に気が動転して……。あの、わたし、ザビーネ・フォン・ディール。ディール伯爵家の三女です。えと、今日から貴族学園に通います」
「びっくりしたけど、ええと、オレはマーティン。モードント国からの留学生で、同じく新入生だ」
「マーティン師匠ね、よろしくお願いします!」
再度あらためて、わたしは頭を下げた。
「師匠はやめてくれよ、同学年だろ。呼び捨てでいいよ」
「じゃあ、マーティン。わたしもザビーネでいいわ」
「早急にモードント語を覚えたいってことは、なんか事情があるようだけど。入学式、そろそろ始まるから、会場に向かいながら話してくれないか?」
「あ、そうね……」
わたしとマーティンは、ホールに向かい、歩きだした。
歩きながら、わたしは説明した。
わたしが三姉妹の末っ子であること。
長女のジェニファー姉様が結婚式の当日に、夫となるはずだったクルト様がいきなり「政略なら姉と結婚するのではなく、妹のユリアでもいいだろ」と言い出したこと。
ジェニファー姉様はフランツィスカ・エル・ヴァイセンベルク第二王女殿下のご厚意で、侍女となり、王女殿下と共にモードント王国に向かうことになったこと。
そして、わたしも、この学園を卒業したら、モードントに行き、そこで文官試験を受けるつもりだということ。
「……ヴァイセンベルク王国の伯爵令嬢が、モードント王国の王城で働く文官の試験を受ける……。受かるかな……」
「うん、厳しいのはわかってる。だけど、一次試験に合格すれば、必要な推薦状はフランツィスカ第二王女殿下が書いてくださるって」
「え、本当に?」
「あのかた、嘘はおつきにならないと思うわ」
「そーだな。えーと、フランツィスカ第二王女殿下って、あれだろ? に……じゃなかった、オレの国の、オリヴァー殿下に嫁ぐお姫様だよな」
「うん」
「そんな人の推薦を受けられるって、実はザビーネ、すごいヤツ……?」
まじまじと見つめられて、ちょっと恐縮だけど、わたしはすごくなんてない。きっと、まだ。すごい人だと認められるようにはなりたいけれど。
「ううん、まだ、熱意を認めていただいただけ……だと思う。わたしに実績はないし。それに、一次試験にもしも合格したらの後の話よ、推薦状をいただけるのは。だけど、わたし、合格したいの」
「そっか……」
そこまで話したところで、入学式が始まった。学園長先生のご講話を聞いて、各教科やクラス担任の先生の紹介をしてもらって、そうして、それぞれの教室へと向かった。
わたしにとっては運の良いことに、わたしとマーティンのクラスは一緒だった。
「一緒のクラスよ、マーティンっ! うわぁ、嬉しいなあ……」
「うーん、オレ個人と一緒で嬉しいというよりも、モードント王国語が話せる奴と一緒で嬉しいって感じしかしない……」
「えー? そりゃあ、一緒のクラスなら、疑問に思ったことはすぐに聞けるなあとか思ったけど。マーティン、友人として、気が合いそうだとも思っているわ」
「あはははははは……。友人ねえ。いや、嬉しいけどさ。オレの顔見て、何とも思わないご令嬢がいるとは思わなかった……」
「え? 顔?」
言われて、じーっとマーティンの顔を見つめてみた。
「ああ、そういえば、マーティンって、鼻筋が真っ直ぐ通っているから、顔全体の彫りも深く見えるわね」
「……それだけ?」
んんんん? わたしの答えがお気に召さないのか、マーティンは口をへの字に曲げている。
「ええと……、まつげも長いわね……?」
「…………ほかには?」
「うーんと……、あ、唇が薄いから、クールでカッコよく見えるけど、笑うと目尻に皺が寄るからカッコいいというよりは人が良いって感じに見えるなーとか?」
褒めているんだけど。わたしが言葉を重ねるたびに、マーティンは複雑な表情になった。
なんだろう? わたしはマーティンが何を言いたいのかよくわからなくて、首を横に傾げた。
「あのね、ザビーネ。これでもオレは、自分で言うのもなんだけど、いわゆる『美形』っていう顔立ちでね。モードント王国にいた時は、オレを巡って数多くのご令嬢が争奪戦を繰り広げていたの」
「へー、そうなんだ?」
たしかにはっきりとした二重に高い鼻、薄めの唇とか、美形男子の特徴を総結集! みたいな顔をしているなーとは思うけど。
「あんまりモテすぎて、ご令嬢同士の争いがヒートアップして、怖くなって。離宮……じゃなくて、屋敷の奥でぶるぶる震えて引きこもるか、それとも他国に逃げるかって思って、この国に留学してきたくらいなんだけど」
「ふーん。美形も大変ね。でも、美醜の感覚って、人によっても国によっても違うんじゃない? マーティンは確かにきれいな顔立ちしてるけど、わたしには、顔がいいとかどうとかよりも、モードント王国語が話せるかどうかって方が重要だわ」
「……ブレない意見をありがとう。ザビーネは、オレの、貴重な女友達になりそうだ」
そうしてわたしたちはがっつりとした握手を交わし合った。
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