第3話 あのクソ野郎が、我が家に来ていた。謝罪ではなく談笑だと……?

 もう夕方を過ぎてしまったので、わたしとジェニファー姉様は、そのままフランツィスカ第二王女殿下の離宮に一泊させてもらうことになった。

「食事はこの部屋に運ばせるわ。姉妹だけで、いろいろと話すことも多いでしょうから」

 わたしとジェニファー姉様は、フランツィスカ第二王女殿下の申し出をありがたく受け取って、そうして一晩、ゆっくりと二人でいろんなことを話し合った。


 そうして次の日。

 ジェニファー姉様は、侍女としての教育を急ぎ受けることになった。

 わたしはひとまずディール伯爵家に帰ることにした。

 本音を言うのなら、帰りたくはない。

 だけどわたしには無駄にする時間はない。

 学園に入学してからのんびりと勉強をしようなんて構えていたら、モードント王国の文官試験なんて受からない。

 ジェニファー姉様が学園で使っていたノートや教科書は、そのままそっくりジェニファー姉様の部屋にあるというので、それを全部わたしはジェニファー姉様からもらい受けることにした。

 それから、ジェニファー姉様の部屋にある私物や服なんかの荷物をまとめて、フランツィスカ第二王女殿下の離宮に送る作業もわたしがすることになった。

 ジェニファー姉様にも、ディール伯爵家に帰って、荷物の整理をする時間も、実はない。

 なんといっても、将来のモードント国の王妃様の侍女になるための教育を受けられるのは、二か月程度しかないのだ。それに、クルト様やユリア姉様にも会いたくはないだろう。

 そういう状況を読めていたから、昨日の夜、フランツィスカ第二王女殿下はわたしとジェニファー姉様を二人でゆっくり話せるようにしてくれたのだ。

 本当にありがたい。そして、先を読むことに長けているのだなあ……と、感心する。

 いつかわたしも、フランツィスカ第二王女殿下のように、先を読む目を持って、行動できるようになるのだろうか?

 むむむ、道のりは長い……なんて、ことは言っていられない。

 わたしは絶対に、フランツィスカ第二王女殿下からの推薦を受け、ジェニファー姉様のそばで暮らせるような人間になってやる。

 そう決めた。



 その日の昼前に、わたしはディール伯爵家に帰ってきた。

「ただいま」

 わたしを出迎えてくれたのは、侍女と家令だけだった。

 あんな結婚式の後、花嫁だったジェニファー姉様とわたしが家に帰ってこなくても、心配なんかしなかったということだろうか? フランツィスカ第二王女殿下からの知らせがあったとしても、家族なのだから、もうちょっと気を遣うなりなんなりしてもいいんじゃないのかなー……と、わたしは思うのだけれど。

「お父様たちはどうしているの?」

 とりあえず、聞いてみた。

「……サロンで、ユリアお嬢様と、クルト・パブロ・ヴィット様と談笑中でございます……」

 びしり、っと。わたしの額に青筋が立った。

 あのクソ野郎が、我が家に来て、しかも、謝罪ではなく談笑だと……?

「そう、なの、ね……」

 わたしは怒鳴りたいのを必死に抑えて、それでも盛大な溜息だけは吐かせてもらった。

 家令や侍女に当たり散らしても無意味だし。それに家令もわざわざフルネームでクルト様を呼ぶあたり、わたしと同じように胸に含むものがあるのだろう。

「ジェニファー姉様はもうこの家には帰ってこないわ。フランツィスカ第二王女殿下の侍女として、モードント王国に行くことが決まったの」

「そうでございますか……」

 家令の声は、ほっとしているようだった。

 侍女はあからさまに、安堵の息を吐きだした。

「ジェニファー姉様の私物をまとめるのを手伝って。夕刻、フランツィスカ第二王女殿下の離宮へと持って行ってもらうよう手配してあるから」

 わたしが手配したのではなく、もちろんフランツィスカ第二王女殿下の采配だけどね。

「荷物をまとめるのが終わったら、お父様にいろいろ報告するわ。夕刻か、夕食の後にでもお父様にお時間を取ってもらえるよう伝えてくれる?」

 家令は「かしこまりました」と言って、頭を下げた。

 わたしはそのまま侍女と一緒にジェニファー姉様の部屋に向かった。


 ジェニファー姉様の部屋に入って、着替えやドレスや私物など、必要と思われるものを片っ端からトランクに詰めていく。詰め終わったものは、離宮の使用人が荷物を取りに来たときに、すぐに運び出せるようにと我が家の玄関ホールの隅に運んでおいた。

 学園の教科書の類はわたしが使っていいと言ってくださったから、それらは全部わたしの部屋に持っていく。パラパラと教科書をめくってみたら、ジェニファー姉様の字で書き込みがものすごくされていた。女領主になるために、相当勉強していたのだなあ……。それがこんなことになって。

 結果的に、あのクソ野郎と婚姻なんて結ばなくて済んで、しかもフランツィスカ第二王女殿下の侍女として隣国についていくことになったけれど。

 それは運が良かった……というよりも、学園でのジェニファー姉様のがんばりを、フランツィスカ第二王女殿下が見ていてくれた結果だろう。

 わたしは、神に祈るように、手の指を組むと、フランツィスカ第二王女殿下に対する感謝の祈りを捧げた。

 わたしも、がんばろう。ジェニファー姉様の妹として恥ずかしくないように。

 いつか、ジェニファー姉様と一緒に暮らせるように。

 そして、フランツィスカ第二王女殿下にご恩を返せるように。

 さっそくわたしは、ジェニファー姉様の教科書を使って、勉強を始めることにした。

「うーん、でもどこから手を付けたらいいのかしら……」

 悩む。

「我がヴァイセンベルク王国の歴史、文化、法律。貴族としてのマナー。この辺りは必須として、隣国のモードント王国のことも学ばなきゃ……って、それよりも先に覚えるべきは、モードント王国の言葉よ! モードント王国に行って、そこで王城の文官試験を受けるのだから、当然その採用試験はモードント王国語で書かれているじゃないっ! 面接試験とかもあるだろうし、とすると、日常会話なら話せます……って程度じゃなくて、城で働く高官として、モードント王国の言語を操れるようにならなくちゃ……」

 うわああああああ。

わたしの行く道は、果てしなく遠い……なんて、頭を抱えている場合ではない。

「とにかく第一目標っ! なるべく早く、モードント王国の言語で日常会話くらいできるようになることっ! その次っ! 法律用語だの、王城での特殊な言い回しだのを覚えていくこと! 千里の道だって、一歩ずつ歩いて行けば、いつかは到達するわっ!」

 そう叫んで、わたしは離宮からの使者が来るまでずっと、机にかじりついて、モードント王国の言語の教科書を読み続けていた。

 そうしたら、だんだん頭がぐるぐるしてきたわ……。

 ううむ……言語の習得は暗記一筋。だけど、覚えようって言ったって、なかなか覚えられるもんじゃあないわね。ふと、ジェニファー姉様の、ノートに挟まっていたモードント語の試験の結果が目に入った。試験の結果はほとんど満点だった。

「特別に家庭教師に教えてもらったわけではなく、学校の授業だけでどうやって覚えたのだろう……?」

 ジェニファー姉様のノートに全部目を通してみた。

 そうしたら、朝起きてから夜眠るまでのジェニファー姉様の行動と、その時の思った気持ちが、ズラリと書いてあって、その横に、その言葉をモードント語に直したものが書かれてあった。

「なるほど。自分の行動とその時の感情をとにかく翻訳して、それを覚えていったのね……」

 よし、真似してやってみよう。

 というか、ジェニファー姉様のノートをそのまま丸暗記すれば、わたしの日常の行動とそう変わらないようだったので、ジェニファー姉様のノートをまず先に暗記することにした。

 過去の、ジェニファー姉様の行動記録と思うと、すごくすらすらとモードント語がわたしの頭にしみ込んできたわ。

 ふっふっふ。こんなところでも、シスコンパワーは健在ね。

 だって、教科書の無機質な活字はなかなか頭に入ってはこないのだけれど、その活字の横に書かれている、姉様の文字ならすらっとおぼえられるのだもの。

 よし、やれる。姉様の字なら、すぐに暗記できる。それを覚えたら、ついでに、教科書の活字も覚えられるに違いない。

  燃えまくって、いると、わたしの部屋の扉が「コンコン」とノックされた。

「ザビーネお嬢様。離宮からの使いの方がいらっしゃいました」

「あ、ジェニファー姉様の荷物を取りに来てくれたのね。すぐ玄関まで行くわ」

 うちの家令や侍女たちに任せて、荷物を運んでもらってもいいんだけどね。ジェニファー姉様本人やフランツィスカ第二王女殿下ご本人様がいらっしゃるわけではないし。でも礼儀として、使いの方にも挨拶がしたい。どうか、ジェニファー姉様をよろしくお願いいたしますって。

 そう思って、急いで玄関ホールへと、わたしは向かった。

 すると、ホールにはお父様やお母様、そしてユリア姉様までもがいた。

 おお、お父様たちも、ジェニファー姉様のことをよろしくとか、離宮の使いの方にきちんとご挨拶するのか……なんて、一瞬思ったのだけれど。

 違った。

 クソ男……クルト様が帰るのと、王城殿下の離宮の使いの方がやってきたのが、運悪くかち合ってしまっただけ、らしい。

 だって、にやにや顔のクルト様も、玄関ホールにいたからね。

 わたしのほうにニヤケ顔なんて向けてくる。

 ……ちっ!

 思わず淑女らしからぬ、舌打ちなんてしてしまったわ。ああ、いやだ。

 クソ男は無視。

 とりあえず、お父様には声をかけないとね。

「お父様、お母様……」

「なんだザビーネ。彼らはお前が呼んだのか? どこの誰だ? なにをしに来たのだ?」

「は? ええと、彼らはフランツィスカ第二王女殿下の離宮の使いの方々です」

 え、わかってないの? 

 わたしは思わずまじまじとお父様を見てしまった。

「王女殿下の? なぜ、そのようなかたが、我が家に?」

 ……話が通じていないのだろうか? そんなわけはないと思うのだけれど。

「あの、お父様。ジェニファー姉様がフランツィスカ第二王女殿下の侍女として隣国に向かうことは、もうお聞きになっていますよね? 陛下もしくは第二王女殿下からの通達が、もう来ているはずですが。もしやお読みになっていない……?」

 そんなわけはないだろうと思いつつ、聞く。

 だって王女殿下もしくは陛下からの通達だよ? 客が来ていようが何だろうが最優先で確認する事項でしょう?

「ああ、それがどうした」

 は? それがどうしたですって? 

 もしや通達の内容を理解できてないの……?

「……ですから、あちらの皆様は、ジェニファー姉様の荷物を取りにきてくださったのです」

「そんなもの、ジェニファーが自分で取りに来るべきだろうに」

「……この家に来たくなかったんですよ。特にクルト様には絶対に会いたくないでしょうからね」

「はあ? なんだ、薄情な奴だな」

 ……どの口がそれを言うのだ。

 こみあげてくる怒りを辛うじてこらえる。

 ここでお父様を怒鳴ってしまえば、離宮の使いの皆様の前で醜態をさらすようなものだ。わたしだけの醜態なら、べつにいいけど、ジェニファー姉様の評価とか、そういうものに影響するかもしれない。

 拳をぐっと握って、怒りの感情を押さえつける。

「元婚約者に、その元婚約者を奪った女に会いたいとでも? しかもそんなことをやらかしたのが自分の妹だなんて……」

 押さえつけてはいるけれど、どうしても口調は冷える。口調だけじゃない。ユリア姉様がわたしの視界に入ると、わたしはユリア姉様を睨みつけてしまう。

 そうしたら、ユリア姉様もわたしを睨んできた。

「なによ、ジェニファー姉様に女としての魅力がないのがいけないんでしょお?」

 ユリア姉様よりジェニファー姉様のほうが魅力的に決まってんでしょっ! それが分からないクソ男に、そんな男を略奪するクソ女めっ!

 口汚く罵りそうになったわっ!

 離宮の使いの皆様の前では言えないけどねっ! 

 だから今は黙っていてやるわよっ! あとで見てろっ!

 わたしが睨むだけで黙っていたら、クルト様とユリア姉様がいちゃいちゃしだした。 

「そうだよ。ユリアはジェニファーなんかよりも何百倍も魅力的だよ」

「ああん! クルト様ったらぁ!」

 怒りを上回る気持ち悪さ。こんなやつらに関わって、離宮の使いの皆様をお待たせするわけにはいかない。

 わたしはユリア姉様たちに背を向けて、離宮の使いの皆様のほうに、小走りに駆け寄った。

「……ご苦労様です。姉の荷物はこちらになります」

 よろしくお願いしますと頭を下げて、離宮の使いの皆さまに、荷物を運んでもらう。荷物を詰めたトランクの数はそれほど多くなかったから、すぐに馬車に積み込み終わった。わたしは用意していた心付け……お菓子や手のひらサイズの小瓶に入ったお酒なんかを、お礼として離宮の使用人の皆様にお渡しした。別に賄賂じゃないわよ。ごく普通の儀礼ですからね、これ。

 本当は、離宮の使いの皆様や、ジェニファー姉様の荷物と一緒に、わたしもフランツィスカ第二王女殿下の離宮について行きたかったけれど……。そうすると、また、わたしをこの家まで送ってもらわなくてはならなくなるから、それは皆様の仕事を増やしてしまうだけ。

 だから、去っていく馬車に深々と頭を下げて、見送った。

 どうか、ジェニファー姉様をよろしくお願いいたします。

 心の中で、何度も何度もそう繰り返し思った。



 


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