第2話 「狭くても、道があるのなら、そこを進みます」

 窓から見える空の色が、夕陽のオレンジ色に変わってきたころ、ジェニファー姉様が目を開けた。

「姉様っ! 大丈夫?」

 ジェニファー姉様はベッドの上で半身を起こした。そして、ぼんやりとあたりを見回した後、わたしを見た。

「ザビーネ……? ここは……」

「ジェニファー姉様が気を失った後、フランツィスカ第二王女殿下がわたしたちを殿下の離宮まで連れてきてくださったの」

「そう……。フランツィスカ様にはご迷惑をおかけしてしまったわね……」

 項垂れたジェニファー姉様にかける言葉がなかった。

「ザビーネにもごめんなさい。驚いたでしょう……?」

「ジェニファー姉様が謝ることじゃあないわ。わたしこそ、なにも知らなくて……。のんきにしていてごめんなさい。あの……、ジェニファー姉様は、その、ユリア姉様とクルト様のことを知っていたの……?」

 ジェニファー姉様は、小さく頷いた。

「知ったのは、ほんの十日前ね。クルト様とユリアが抱き合っていたのを見てしまった。お父様に相談したけど、もう結婚式の招待状も出してしまったし、今更中止にはできないとおっしゃられて」

「それでも中止にすればよかったのに……っ!」

「式だけ挙げて、婚姻届は出さないでおけばいい……なんて、お父様は思ったのかもしれないわね」

「そんなの酷い。ジェニファー姉様の気持ちを、ちっとも考えていないじゃない」

「そうね、クルト様もユリアも……お父様もみんな酷いわね……」

 ジェニファー姉様は手で顔を覆った。泣いているのかもしれない。だけどジェニファー姉様は、嗚咽は漏らさなかった。ただ、静かに肩を震わせいるだけ。

「姉様……」

 わたしがジェニファー姉様に手を伸ばそうとしたとき、ノックの音がした。開かれた扉から入ってきたのはフランツィスカ第二王女殿下だった。

「ジェニファー」

 呼びかけに、ジェニファー姉様が顔を上げた。

「フランツィスカ様……」

 ジェニファー姉様がベッドから足を下ろし、そうして、フランツィスカ第二王女殿下に向かって深々と頭を下げた。

 わたしも、慌ててジェニファー姉様の真似をして、頭を下げる。

「この度は、大変ご迷惑をおかけしました」

「いいのよ。あたくしだって下心があってしたことですもの」

 そういえば、フランツィスカ第二王女殿下はそんなことを言っていた。

 さっきは尋ねることができなかったけれど、下心ってなんだろう?

 フランツィスカ第二王女殿下は、ジェニファー姉様に向かってにっこりと微笑まれた。

「ジェニファー、あなたはあたくしが二か月後に隣国のオリヴァー・S・モードント殿下の元に嫁ぐことを知っているわね」

「はい、もちろんでございます」

「あたくしの侍女として、あなたを一緒に連れていくわ。だから、ディール伯爵家に帰らなくていい。二か月間、このままこの離宮にいて、あたくしの侍女として必要な教育を受けてちょうだい」

「え、ええっ⁉」

 驚いて、声を上げてしまったのは、ジェニファー姉様ではなくわたしだ。

「モードント王国の言語、習慣、文化などは、学園の授業で履修済みだから問題ないわね。二か月で、このあたくしの、未来のモードント王国王妃の侍女としての振る舞いだけ、覚えてちょうだい。できるわね?」

 できるわね……って、隣国の王妃様の侍女としての振る舞いって、それ、レベルがものすごく高いのでは……。

 確かにジェニファー姉様の学園での成績はかなり良かったと聞いている。だけど、それは将来ディール伯爵家の女伯爵となるための知識であって、王女様の侍女の知識とは、また別だろう。

 戸惑うわたしとは違い、ジェニファー姉様は、フランツィスカ第二王女殿下に向かって、迷うことなく深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、フランツィスカ様……」

 ああ……、ジェニファー姉様は王女殿下と共に隣国へ行くことを決めたのだ。

 結婚しても、わたしはずっとジェニファー姉様と一緒に過ごせると思ったのに。

 じわりと、目の奥が熱くなる。離れることがさみしくて、泣きそうになった。

 やっぱりジェニファー姉様は、もうディール伯爵家には帰りたくもないのだろう。クルト様にもユリア姉様にも会いたくないに違いない。

 さすがのわたしにも、それが分かった。

 でも、わたし、姉様と離れたくないよ……。

 子どもみたいに泣き叫んで、嫌だ嫌だと言っても、ジェニファー姉様を困らせるだけ。

 どうする? 

 わたしは、どうするの……?

 考えた。結論は一つだった。

 今は無理でもいつか。わたしは姉様と一緒に暮らしたい。

 だったら……。

 わたしは不敬を覚悟で、フランツィスカ第二王女殿下に言った。

「フランツィスカ第二王女殿下、今は無理でもいつか、わたしが学園を卒業したら、わたしもモードント王国に行きます。だから、侍女でも下女でもなんでもいい。わたしも王女殿下のそばで働かせてください」

「ザビーネ……っ!」

 ジェニファー姉様は、咎めるようにわたしの名を叫んだ。

 けれど、フランツィスカ第二王女殿下は面白そうに片方の眉を上げただけだった。

「今すぐに、ジェニファーと一緒に連れて行って、じゃあないのね?」

「……今のわたしでは、何の役にも立ちません。学園にだってまだ入学もしていないし、貴族の娘としての振る舞いも、家庭教師に習っただけです」

 一週間後、わたしは学園に入学するけれど、そこでの二年間で、どのくらい学べるかはわからない。ジェニファー姉様のように優秀な成績を残せればいいのだけれど。

「もちろんジェニファー姉様とは離れたくないし、わたしだってクルト様やユリア姉様のいるディール伯爵家なんかで過ごしたくはない。だけど、お荷物にもなりたくはない。ジェニファー姉様の迷惑になるのは絶対に嫌」

「そう……」

「だから、実力をつけます。これから二年かけて、学園で学びます。フランツィスカ第二王女殿下に、ぜひモードント王国へと来てほしいと言われるように」

 シスコン魂にかけて、わたしは姉様のそばに行く。

「ちょうどね、あたくしの侍女の一人が妊娠してしまって。それで、新しい侍女を一人、探していたところだったの。だから、ジェニファーを侍女にして隣国に連れていくことは、あっさりと父王の承諾も得られたわ。父王からディール伯爵へ命令も出してくれるそうよ。まあ、簡単に言えば取引ね。ディール伯爵家の次女ユリアと、ヴィット伯爵家の三男クルトのに、国王のお墨付きを与える代わりに、長女のジェニファーをあたくしに渡しなさい……とね」

 うわぁ……。ジェニファー姉様が気を失っている短い時間で、フランツィスカ第二王女殿下はさっさと動いていたのか。

 さすが、未来の隣国の王妃様、仕事が早い!

「だけど、ザビーネ。あたくしにはあなたを連れていく理由もないし、口実もない。あたくしに必要な侍女の枠も、一名分だけ。それは当然、ジェニファーで埋めるわ」

 わたしはぐっと詰まってしまったけど、頷いた。

 たしかにそうだ。

 学園での同級生がかわいそうな目に遭ったから、同情して、連れて行ってくれる……のではないのだ。フランツィスカ第二王女殿下が言った通り、ジェニファー姉様を侍女として連れて行くのは下心、つまり、欠員となった侍女の枠を埋めるため。

 隣国に嫁ぐ王女の侍女。それを行えるだけの有能な人材なんて、なかなか見つからなかったのだろう。だけど、ジェニファー姉様ならできると、フランツィスカ第二王女殿下は考えたのだ。だから、結婚式会場で倒れたジェニファー姉様を、フランツィスカ第二王女殿下はこの離宮まで連れて帰ってきた。

 今のわたしは、フランツィスカ第二王女殿下にとって、権力を使ってでも、隣国に連れて行くに値する存在ではない。この離宮に連れてきてくださったのは、きっと気まぐれ。そうでなければジェニファー姉様に対するちょっとした親切。

 だったら、どうしたらいい?

 どうやったら、隣国の王妃様となるフランツィスカ第二王女殿下のそばで、つまりはジェニファー姉様のそばで暮らせるの?

 例えば隣国で、平民のような暮らしをするだけなら、簡単だろう。

 だけど、ジェニファー姉様は、未来の王妃様の侍女になるのだ。いくら姉妹だからといって、王妃様の侍女にそう簡単に会えるわけはない。だから……。

「最低限、モードント王国の王城で働けなければ、ジェニファー姉様に会うことすらできない」

 わたしのつたない知識では、そこまで考えるのが精いっぱいだ。

 だけど、それ以上は考えもつかない。

 どうやったら隣国の王城で働けるの? 

 そもそも他国の人間が、簡単に王の居住近くで働くことができるの?

 考え込んでしまったわたしに、フランツィスカ第二王女殿下が面白そうに言った。

「洗濯や掃除をする下働きのものとしてなら、まあ、すぐにでも働けるわ。だけどそれでは、あたくしに近寄ることもできないわね。だけど……」

「だけど……、ということはなんらかの道はあるのですか?」

「ええ、あるわね」

「教えてください」

「狭き門よ?」

「狭くても、道があるのなら、そこを進みます」

 やってみせる。絶対に。

「良いわ、教えてあげる。一つ目は荒唐無稽な夢物語ね。隣国のオリヴァー・S・モードント殿下以外の王族、もしくは高位貴族の男性に、あなたが見初められること」

「は……?」

 あまりにも予想外なことを言われて、わたしは目が点になった。

「ああ、オリヴァー殿下以外と言ったのは、あたくしが殿下に嫁いで隣国に行くのに、あなたがオリヴァー殿下に見初められたら、そもそもあたくしがジェニファーを連れて隣国へ行く必要などなくなるからよ。別にオリヴァー殿下のことを取られたくないとか、そういう心理からの発言ではないわ」

「は、はあ……」

 と、言いつつ、フランツィスカ第二王女殿下はちょっと目を逸らして、しかも頬がほんの少しだけ朱に染まっていた。

 ええと……。

 どう反応していいのかわからずに、ちらとジェニファー姉様を見れば、ジェニファー姉様は「こういうトコロがフランツィスカ第二王女殿下のかわいらしいところなのよね……」的な温い目線で、フランツィスカ第二王女殿下に微笑んでいた。あ、姉様、ちょっと元気になったのかしら? 良かった。フランツィスカ第二王女殿下に感謝……って、ええと……。もしかしてジェニファー姉様とフランツィスカ第二王女殿下って、ホントはすっごく仲良しなの? 結婚式に招待してご参列いただいたのも、同窓生としての儀礼ではなく、本気で仲がいいの……?

 わたしは思わずじーっとジェニファー姉様とフランツィスカ第二王女殿下を見つめてしまった。

 あ、でも今は、そこにツッコミを入れる場合ではないわね。

「えっと、隣国で暮らすために、隣国の王族と婚姻……」

 どこで知り合うのよ、隣国の王族と。

 フランツィスカ第二王女殿下にどなたかを紹介していただいたところで、隣国の、単なる伯爵家の娘を見初めるような、そんな王族はいないと思う……。

 あー、正式な妻として迎えるのではなく、愛人としてならありなのだろうか?

 だけど、わたしが隣国の王族とはいえ、まっとうな相手と婚姻を結ぶのではなくて、愛人になんてなったら。ジェニファー姉様は、きっと悲しむ……な。悲しむまでは言わなくても、喜びはしないと思う。それに、愛人なんて、愛が冷めたらポイって捨てられるような存在でしょう? わたしはずっとジェニファー姉様のそばにいたいのだ。

 思わず眉根を寄せてしまったわたし。

 フランツィスカ第二王女殿下はそんなわたしを咎めることなく、ころころとお笑いになった。

「青いわねえ。目的のためなら手段を問わない………というのは嫌なの?」

「モードント王国の王族であれば、どなたでもいいので紹介してくださいなんて、失礼なことは言えません。それに、ジェニファー姉様のお顔を真っ正面から見られなくなるような手段は取りたくないんです」

 即答した。けど、甘い、のは、わかっている。

 他国の王族の近くで生きるためには、岩にでも食らいつくような覚悟が、きっと必要。手段なんて、選んではいられない………はず。

 他に手段なんて思い付かないのに、提案された婚姻に難色を示すなんて。

 俯いたわたし。

「そう………、ならば正攻法でいく? 大変よ?」

 フランツィスカ第二王女殿下の答えに、わたしはぱっと顔をあげた。

「他に手段があるのですか?」

 フランツィスカ第二王女殿下は頷いた。

「ええ、いくらでも………とまでは言わないけれど、いくつかはあるわ」

「教えてください」

 フランツィスカ第二王女殿下は、右手のひとさし指をピンと伸ばした。

「学園を優秀な成績で卒業し、我が国の外交担当官になること。試験を受けて合格するだけだもの、簡単でしょ。ただ、モードント王国の担当官になれるとは限らない。他の国の担当になるかもしれない」

 それじゃあ意味がない……と、わたしが言葉にする前に、フランツィスカ第二王女殿下は、今度は右手のひとさし指と中指の二本を立てた。

「だから、いっそモードント王国に行って、そこで王城の文官試験を受けるほうがいいと思うのよ」

「えっと、他国の人間が、モードント国の文官になれるんですか?」

「一次試験は誰でも受けることができるわよ。モードント王国の学園に通っていなくてもね。でも、二次試験を受けるためにはモードント国の貴族の推薦状が必要になるの」

「推薦状が………」

 わたしにモードント国の貴族の知り合いはいない。推薦状なんて無理………。

 この案も無理かと一瞬思ったけど。違う。居る。モードント国の貴族………ではないけれど、今、わたしの目の前に。

 わたしは背筋を伸ばし、息を吸ってから、フランツィスカ第二王女殿下の目を見た。そして聞いた。

「もし………、もしも、わたしがモードント国の文官の採用試験に合格したら。フランツィスカ第二王女殿下、わたしに推薦状を書いてくれませんか」

 フランツィスカ第二王女殿下は、わたしのその言葉を待っていたかのように、あっさりと「良いわよ」と答えてくださった。

「いいの………ですか?」

 推薦するということは、その人物の、人格や気質……人となりを保証するということだろう。

「正確に言えば、ジェニファーの働き次第なのよね。ジェニファーの妹なのだから、隣国の人間であろうとモードント国の文官として役に立つだろうと思われたら、試験も突破しやすいはず」

「あ………」

 わたしとジェニファー姉様は、思わず顔を見合わせた。

「そうなれば、あたくしは有能な侍女を一人、それから未来の有能な文官を一人、得られることになるの。ジェニファーだって、妹の未来のためなら、頑張れるでしょう? みんな得をして、誰も損をしないわ」

  言い方は悪いけど、わたしを餌に、ジェニファー姉様の元気が出るように発破をかけている……のかもしれない。

 あんなくだらない男のことでいつまでも悲しんでないで、さっさとあたくしの侍女として立ちなさいよ。そのためなら、あなたの妹だって、使ってあげるわよ……というところだろうか。

 これはもちろんわたしの想像でしかないのだけれど、多分大きく外れてはいない。

 だって、ジェニファー姉様の瞳が感謝できらきらと輝きだしている。

 ああ、フランツィスカ第二王女殿下はすごい。さすが未来の王妃様だ。

 わたしの心の中に燦然と輝く一番星は、やっぱりジェニファー姉様だけど。わたし、フランツィスカ第二王女殿下のことも、すごく好きになってしまった。

 ジェニファー姉様のそばに行きたい。だけでなく、このフランツィスカ第二王女殿下のそばで働くことができたのなら。

 それは、すごく充実した、素晴らしい人生になるに違いない。

 わたしは、その未来を、絶対にこの手に掴みたいと思った。


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