「俺の婚約者が君の妹だったら良かったのに」と、姉のクズ婚約者が言った。

藍銅 紅(らんどう こう)

第1話 「婚姻相手を姉から妹に変えても不都合はないよな」

 結婚式会場の花嫁の控室。

 式の開始を待つ白いウエディングドレス姿のジェニファー姉様。

 ああ……、なんてきれいなのだろう……。

 すっきりとしたうなじの白さ。清純な佇まい。まるで百合の花のよう。ジェニファー姉様は、わたしの理想の女性そのものよ!

 わたしと三歳しか違わないというのに、ジェニファー姉様はすごく大人っぽい。

 いや……わたしが子どもっぽいのかな?

 赤みのある茶色の緩やかな髪の毛を、両サイドで編み込みにしたツインテールの髪型。

 ライトグリーンのレースとエメラルドグリーンの生地で仕立てたツートーンカラーのドレス。

 ちょっと背伸びした大人なドレスと思ったんだけど……。ベルト代わりのウエストのリボンが大きくて、それが子どもっぽく見えるのかもしれない。うーん、ドレス選びって難しい。

 なーんて悩んでいる場合じゃないわね。まずはジェニファー姉様にお祝いの言葉を言わなければ!

 わたしは小走りに、ジェニファー姉様に近寄って行った。

「本日はおめでとうございます! ジェニファー姉様、すっごくきれい!」

「……ありがとう。ザビーネも素敵よ。そのドレス、良く似合っている。かわいいわ」

「えへへへへ」

 わたしはこのとき気が付かなかった。

 ジェニファー姉様の笑顔に、陰りがあることなどに。

 本当は、ジェニファー姉様は、この婚姻を取りやめたかったのだ。

 わたしがそれを知ったのは、中断された結婚式の後。

 このときのわたしは、ジェニファー姉様の美しさにうっとりとしていた。ちょっと悩んだドレスを褒められたことにも浮かれていた。

 ああ、浮かれていたのは元からか。

 我が家には跡継ぎとなる男児がいない。だから、ジェニファー姉様が将来女伯爵となる。ジェニファー姉様の夫となるヴィット伯爵子息のクルト様が、我がディール伯爵家に婿入りをするだけなのだってね。

 ここ、大事!

 だって、ジェニファー姉様の結婚後も変わらず、わたしはジェニファー姉様と一緒にディール伯爵家で暮らすことができるのだから。

 わたし的にはジェニファー姉様の夫となる人が、クルト様であろうが他の人であろうが、誰でも良かったのよ。ただ、ジェニファー姉様を支えてくれればそれで。

 ジェニファー姉様も、親が決めた政略結婚だから、燃え上がるような恋愛感情がなくても、お互い誠実に向き合って、良い夫婦関係を結べればそれで構わないと言っていたし。

 でもね、わたしはね、ジェニファー姉様を妻にした男の人が、ジェニファー姉様に惚れないなんてことはありえない! と、思っていたのよ。

 ふつう惚れるでしょ!

 だって、ジェニファー姉様は、華やかな美貌をお持ちではないけれど、上品で清楚でとっても素敵なんだもの! 

 わたしにとっては世界一の姉様よ!

 シスコン? 

 あー、はい、そうね。それは自分でも認めている。

 でも、単に血の繋がった姉だから慕っているわけではない。

 わたしにとってジェニファー姉様だけが特別なの。

 わたしにはもう一人、姉がいるのだけれど、そのユリア姉様とは気が合わない。

 だって、ユリア姉様ってば、外見はかわいらしいけど、なんていうの? お花畑思考のヒロイン気質? とにかく自分が一番かわいくないと気が済まないって人だから……。

 二人いる姉を比べて、ユリア姉様はないわー……とか思って、余計にジェニファー姉様に傾倒したところもあるのかもしれない。

 だけど、優しくって、いい匂いがして、清楚で。まさに理想の姉的なジェニファー姉様を好きにならない理由などないのよっ!

 と、ジェニファー姉様について語りだすと、止まらなくなるから自重する。

 で、えーと。

 まあ、つまり、わたしはうきうきしながらジェニファー姉様のウエディングドレス姿を堪能し、その浮かれた気分のまま、結婚式会場の親族席に座って、結婚式が始まるのを待っていたのだ。


 結婚式は盛大に行われるはずだった。

招待客もかなり多かった。

 ジェニファー姉様とクルト様の婚姻が、大勢の人たちに祝われているというよりも、ジェニファー姉様の貴族学園での同窓生、フランツィスカ・エル・ヴァイセンベルク第二王女殿下がご参列くださったことの影響が大きいのだろう。

 列席者たちは、結婚式会場の祭壇の前で神父様と共に花嫁を待つ新郎のクルト様よりも、参列席の一番前の席で優雅に微笑むフランツィスカ第二王女殿下のほうが気になっているらしい。皆一様に、フランツィスカ第二王女殿下をちらちらと見ているのだ。

 艶やかな長い黒髪にサファイアのような青い瞳を持つフランツィスカ第二王女殿下は、まるで陶器の人形のように美しい。ジェニファー姉様の清楚な美とは全く違い、存在を主張するような、圧倒的な美貌。

 だけど、今日の主役はジェニファー姉様。

 ああ、早く、世界で一番幸せなジェニファー姉様のお姿を列席の皆様に見てもらいたい。そうして皆にジェニファー姉様のことを祝福してほしい……などと思いながら、わたしはジェニファー姉様の登場を待っていた。

 ようやく、会場の扉が開き、お父様にエスコートされたジェニファー姉様が登場した。

 盛大な拍手に一礼をして、列席者の間をゆっくりと歩いてくるジェニファー姉様。 

 それを、神父様と共に祭壇の前で待つクルト様。

 だけど、ジェニファー姉様がクルト様の元へとたどり着くその直前、いきなり、クルト様が言ったのだ。

「政略による婚姻に過ぎないのだから、婚姻相手を姉から妹に代えても不都合はないよな」と……。

 え? 今、クルト様は、なにを言ったの……?

 わたしは信じられない思いで、クルト様を見れば、クルト様は重ねて言った。 

「ずっと思っていたんだよ。俺の婚約者がジェニファーではなく、ユリアだったらよかったのにってさ。だって、ジェニファーは地味だろう? 髪だってありふれた栗色で、特に目立つようなところはないし。それに比べてユリアはかわいい」

 ジェニファー姉様は紙のように真っ白な顔になった。今にも倒れそう。わたしは慌てて、ジェニファー姉様のそばに駆け寄った。

「クルト様ぁ、ユリア、嬉しいですぅ」

 舌足らずな甘い声。ユリア姉様だ。

 呆然としている周囲の人たちなど、気にもかけずに、親族席から立ち上がり、そして、クルト様の待つ祭壇へと走っていった。

 そのまま、クルト様に抱き着くユリア姉様。

 クルト様は、そんなユリア姉様を、ぎゅっと抱きしめた。そして、ユリア姉様のピンクに近い薄茶色の髪を、愛おしそうに撫でる。

 ジェニファー姉様のほうなど、見向きもしない。

「神父様。このユリアが俺の真実の愛の相手だ。今から本当の花嫁との結婚式を始めさせていただこう!」

 舞台俳優のように、高らかに宣言したクルト様。

 神父様は戸惑っているのか、それとも呆れているのか、ただ、口をぽかんと開けていた。

「えー、でもぉ、ユリア、ウエディングドレスじゃなくて、フツーのドレスよぉ。結婚するならぁ、やっぱりぃ、ウエディングドレスを着たいわぁ」

 ユリア姉様は、光の加減によってはパールピンク色だけれども、パッと見た目には白い色に見える光沢のあるドレスを着ていた。

「そうだな。じゃあ、みんなにはちょっと待っていてもらって、着替えようか。ジェニファーのウエディングドレスを着ればいいだろう?」

 クルト様のその発言と同時に、ジェニファー姉様の体がぐらりと揺れた。

「ジェニファー姉様っ!」

 あまりのことに、ジェニファー姉様は意識を失ったみたいだった。血の気が引いて、貧血でも起こしたのかもしれない。わたしはジェニファー姉様の体を支えきれずに、ジェニファー姉様の体を抱きしめたまま、床にしゃがみ込んでしまった。

 すぐ横に立つお父様を見上げる。

 お父様は「やっぱりこうなったか……、仕方がない。ユリアを花嫁にするか……」と、ぼそりとつぶやいた。

 その言葉が信じられなかった。

 こうなることがわかっていたの?

 ユリア姉様とクルト様を咎めることなく、花嫁をジェニファー姉様からユリア姉様に変更する?

 嘘、でしょう……?

 お父様のつぶやきが信じられなくて、わたしはお父様を凝視した。

 結婚式の招待客たちはざわついている。クルト様のご両親はといえば、困った顔はしているけれど、仕方がないとばかりにため息を吐いただけだ。

 そんな状況を破ったのは、フランツィスカ・エル・ヴァイセンベルク第二王女殿下だった。

「馬鹿々々しい茶番には付き合っていられないわ。あたくしは、帰ります」

 すっと立ち上がったフランツィスカ第二王女殿下。まっすぐな黒い髪が揺れた。

「お、お待ちください王女殿下。お待たせするのは申し訳ないですが、すぐに俺と、このユリアの結婚式を……」

 行いますとか、しますからとか、そんな言葉をクルト様は続けることはできなかった。

 ぎろりと、フランツィスカ第二王女殿下がクルト様を睨んだのだ。

「あたくしは、ジェニファーの祝いにとやってきたの。お前などには用はないわ」

 わざとらしく、コツコツと靴音を立てて出ていこうとするフランツィスカ第二王女殿下。

 その靴音が、わたしの……いや、ジェニファー姉様の横で一度止まった。

「ジェニファーの身は、このあたくしが預かります。守ってもくれない両親と、自分を裏切った泥棒猫のいる家には帰りたくないでしょうから」

 フランツィスカ第二王女殿下が目配せをすると、王女の護衛らしき騎士がわたしのそばに駆け寄って、すっと膝を着いた。わたしからジェニファー姉様を受け取り、起こさないようにとそっとジェニファー姉様を抱き上げる。

「ああ、あなたはどうする? できの悪い茶番に付き合うの? それとも、ジェニファーと一緒に来る?」

「よろしければ、姉と一緒に行かせてください」

 わたしは即答した。

「そう、ならばついていらっしゃい」

「はいっ! ありがとうございます!」

 フランツィスカ第二王女殿下とわたしたちが結婚式会場から外に出て行ったことで、他の列席者たちも、どんどんと退出してしまった。

 あとから聞いたことだけど、結婚式は、そのまま続けられることなく、終わってしまったらしい。

 ユリア姉様は「あたしのことを泥棒猫なんて、ひどい」とか騒いで、クルト様が「ユリアとの結婚式は、新しくウエディングドレスを仕立ててから、改めて挙げよう」とかなんとか言って、ユリア姉様を慰めていたらしい。

 でも、このときは、わたしはクルト様やユリア姉様のことなど気にしていられなかった。

 気を失ったままのジェニファー姉様とわたしは、恐れ多くもフランツィスカ第二王女殿下の馬車に同乗させてもらったのだから。

 馬車の中ではフランツィスカ第二王女殿下は多くを語らなかった。

 ただ、「かわいそうにね、ジェニファー。あんな婚約者でも、誠心誠意向き合おうとしていたのに……」とだけ、ぼそりとつぶやいた。あとはずっと馬車の小窓から外を眺め続けていた。

 わたしから王女殿下に話しかけることも不敬かと思い、わたしはジェニファー姉様の頭をわたしの肩に乗せ、馬車の揺れが少しでも伝わらないようにと、ぎゅっと抱きしめ続けた。

 そうしてすぐに、馬車は王城の隣に建てられている青い屋根の離宮へと到着した。

「ここは、あたくしの離宮。だから、あまり気を遣わなくていいわ。父王がいらっしゃる王城とは違って、あまり大勢の者はいないから」

 いや無理です……なんて言う言葉すら出てこないほどに圧倒される。

 だって。離宮とはいえ王族の住まい。わたしたちの伯爵家の屋敷なんて、この離宮に比べれば、掘っ立て小屋に思えてしまう。それに、大勢の者はいないというのは、王族基準の発言でしかないと思う。降車場から離宮の入り口まで、既に一列に並んだ何十人もの騎士が控えているし、一歩離宮に足を踏み入れれば、何十人もの侍女や使用人の皆様が控えていたのだから。

「ジェニファーとあなたには客間を用意させるわ。とりあえずはそこでゆっくりしていて。それに、いつまでもそんなドレスでは窮屈でしょう。部屋着も用意させるわね」

「あ、ありがとうございます……っ!」

 なんとかお礼だけは告げることができた。

「気にしなくていいわ。あたくしにもちょっとした下心があるのだから」

「え?」

 思わずきょとんと眼を丸くしてしまったわたし。

 けれど、フランツィスカ第二王女殿下は「またあとでね」と目を細め、去って行ってしまった。

 通された部屋で、わたしとジェニファー姉様は肌触りの良いワンピースに着替えさせてもらった。ジェニファー姉様は着替えさせられても目覚めることなく、ベッドに横になったまま。

 それだけショックが大きかったのか。

 それともクルト様との結婚を悩んでいて、ずっと眠れていなかったのかもしれない。

 結婚式の最中に、お父様は「やっぱりこうなったか」と言っていた。つまり、クルト様とユリア姉様とのことを、お父様は知っていたことになる。多分、ジェニファー姉様も。

「知っていて、それでもジェニファー姉様とクルト様の結婚式を挙げようとした……どうして……って、あ」

 それはもしかして、ジェニファー姉様の結婚式なら、フランツィスカ第二王女殿下をご招待できるから? 

 我がディール伯爵家が、王族と懇意であると見せつけることができるから?

 そのために、ジェニファー姉様とクルト様の結婚式を中止にしなかった?

 もしそうなら、お父様はなんと浅はかな考えをしているのだろう。

 むかむかと、胃の奥から不愉快さが湧き上がってくる。

「ジェニファー姉様のことをなんだと思っているのよ。お父様も、ユリア姉様も、クルト様も……」

 それに気が付かなかったわたしにも、だ。

「気が付かずに浮かれていて、ごめんなさいジェニファー姉様……」

 泣きたくなったけれど、辛い思いをしたのはわたしではなく、ジェニファー姉様だ。

 眠り続けるジェニファー姉様のひんやりとした手を取って、それをそっと温めることしか、できずにいた。



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