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「お邪魔しまーす」


 暖簾のれんをくぐると懐かしさを感じる香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


「いらっしゃーい。……って、航じゃん」

「よっ」


 『高浜屋たかはまや』に入ってすぐ美里が出迎えた。

 航が軽く手を上げると美里もそれに応える。


「好きなとこ座って。今お水持ってく」


 店内はラストオーダーに近いこともあってかそれほど客はいなかった。

 客がたくさん入っている時間帯にしか行ったことがなかったため、新鮮な感じがする。

 時刻は午後九時を過ぎた頃。

 結局航は片付けを終わらせることができず、閉店時間の十時に近づいていたため片付けを切り上げて急ぎ足でやってきていた。


「久しぶりじゃない? うちの店来るの」


 美里が水をテーブルに置く。


「そうかもな。今日母さんが仕事でいなくって」

「自分で作ったらいいじゃん」

「今日はほら、美里への挨拶も兼ねて」

「どうせ、いつもはコンビニで済ませたりしてるんでしょ?」


 美里がジト目を向けてくる。

 その予想はバッチリ的中していた。

 航は何も言えず水をぐびっと一口飲む。


「もう大学生にもなるのにそんなんで大丈夫なの?」

「うるさいな、これからなんだよ」

「幼馴染として、色々と心配だな〜」


 美里は笑いながらポケットから注文票を取り出した。


「で、注文は? 何食べたいの?」

「うーん……おすすめは?」

「おすすめはチキン南蛮定食だけど、本音を言うとあと少しで肉じゃがをなくせそうだから、肉じゃが定食をお勧めしたい」

「選択肢一つに絞られたような……」

「別に、何頼んでもらったって構わないけどね。航の好きにしたらいいと思うよ」

「じゃあ、肉じゃが定食で……」

「毎度あり〜」


 美里はニコッと笑う。してやったりの顔だ。

 航と美里の構図は昔から何も変わっていない。航は基本的に美里の下に敷かれ、美里は常に航の上に立つ。そもそも、しっかり者の美里と若干の抜けがある航とでは、この構図になるのは必然だったのかもしれない。

 五分ほど経ったところで、美里が肉じゃが定食を持ってきた。その後ろでは、美里の母親の姿も見えた。


「航くん、お久しぶり。元気だった?」


 厨房に立っていた美里の母親はエプロンで手を拭いながら笑顔で航に声をかけた。昔からお世話になっている航も席を立って会釈をする。


「お久しぶりです、富美加ふみかさん」

「ありがとね、食べに来てくれて」

「いえ、こちらこそありがとうございます」

「航くん、もうすぐ大学生なのよね。偉いわねほんとに。しかも難関大学に合格するなんて。佐奈江さなえさんもきっとすごく喜んでるわ」

「あはは、ありがとうございます。でも母さんはあんまり反応がなかったっていうか、仕事しか頭にない感じで」

「そんなことないわ。誰だって母親は、子供のことをちゃんと考えてるものよ」

「そうなんですか」


 航としては少し信じがたい話だった。

 普段あまり喜怒哀楽を見せない母親は自分に興味がないものだと勝手に解釈していた。

 しかし話を聞いてみると、もしかしたらそういうことでもないのかもしれない。


「航くん今日はたくさん食べてってね。佐奈江さんにもよろしく伝えておいて」

「はい、ありがとうございます」


 佐奈江が厨房に戻ると同時に「美里ちゃん、お会計頼むよ」と客に呼ばれ美里もレジカウンターへと向かった。

 航はしばらく一人で肉じゃが定食を楽しむことにした。

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