第18話 ここにいる
気が付くと、俺は馬車の中まで転移していた。
なぜか目の前には、魔導士と同じローブを着たアリスがいる。
いつもの黒い修道服ではない。頭の被り物もない。
そんな新鮮な服装で、彼女はどうしてここにいるのか。俺はいつの間にここに来たのか。
さっきまで目の前がぐるぐるしていたせいで、何が起きたのかはっきり覚えていなかった。
「……もう、いいんだ」
そして、また気付いた時には、アリスの手を弾いていた。
俺は崩れるように馬車の座席に座り、両手で頭を抱える。
「勇者様……」
寂しそうなアリスの声。普段なら彼女にこんな失礼な態度は取らない。
だけど、今の俺には余裕がなかった。いや、違うな。全てがどうでもよくなっていたのだ。
「俺はもうダメだよ……。魔王なんて一人じゃ倒せないし、この呪いがある限り迫害され続ける……もう、何をしたってダメなんだよ」
ただただ無気力に、渇いた声がこぼれた。
俺は前世で全てを失った。
父親が犯罪者になったせいで、全てを失ったんだ。
ショックだった。もう立ち直れないと思った。
だから、転生してやり直せると知った時は嬉しかった。
そして、呪いの話を聞かされた時は、同じくらい絶望した。
また、みんなから拒絶されるのかって。
俺自身にはどうにもできない理由で、ひどい仕打ちを受けるのかって。
心が折れた。投げ出したかった。
けど、アリスのおかげで前を向くことができた。
もう一度この世界で頑張ろうって、今度こそみんなとうまくやろうって、思うことができたんだ。
……だけど、やっぱりダメだった。
俺は勇者として認めてもらえなかったんだ。
理不尽な呪いに立ち向かおうとして、あっさり負けてしまったんだ。
「どこに逃げたって一緒だよ。俺を見てくれって叫ぶのは、もう疲れたんだよ……」
どこへ行こうが先には何もない。待っているのは孤独だけだ。
悪魔だか魔人だか知らないけど、俺は本物の犯罪者になったんだ。
こんな仮面があったところで、もう誰も俺の言葉なんて聞いてくれない。一緒にいてくれる人なんて――。
「――だったら、私と二人で魔王を倒しましょう、勇者様」
不意に、アリスがそんなことを言ってきた。
「……………………へ?」
二人で、魔王を倒す……?
あまりにも真っ直ぐな声で、あまりにも予想外なことを言われたから、俺は目を丸くしてしまった。
「勇者として認めてもらおうとして、今回は失敗しました。だったらもう、勇者なんかやめてしまいましょう」
「……」
「勇者をやめれば支援は受けられなくなりますし、これからは指名手配されるでしょうけど……それでもよければ、私と二人で、こっそり魔王を倒しませんか?」
呆然とする俺に、アリスはなんでもないことみたいに、そう言った。
正直なところ、俺には魔王の脅威度がはっきり分からない。
ただ、勇者が全人類から支援を受けながら立ち向かうレベルだ。たった二人で倒せる相手ではないだろう。
だけど、今はそれ以上に理解できないことがあった。
「えっと、ごめん……今更だけど、どうしてアリスがここに……?」
「どうしてって、私は勇者様を助けに来たんです」
「ああ、いや、そうだよな……それはそうなんだけど……」
俺はいったい何を聞いているんだろうか。
アリスは俺を助けに来てくれた。そんなのは状況を考えればわかる。彼女が戦ってくれたのも
まずは彼女にありがとうと、真っ先に伝えるべきだろう。
それでも俺は、どうして、と聞かずにはいられなかった。
「俺は、勇者になれなかったんだぞ? それどころか犯罪者扱いだ。そんな俺を、どうして助けたんだ……?」
アリスがこれまで協力してくれていたのは、俺が勇者だったからだ。
勇者じゃなくなったのならもう、助ける理由なんてないはずだ。
「俺なんか放っておけば、アリスは襲われずに済んだ。というか、今すぐ俺を差し出せば教会に戻れ――」
「私はもう、教会に戻るつもりはありませんよ」
「な、なんで……!」
「だって私、あの人たちに殺されかけましたんですよ? 今更戻りたいなんて思えませんよ!」
アリスはぷいっと頬を膨らませた。
それはたしかにそうかもしれない。だけど。
「けど、だからってなんで、わざわざ俺なんかと一緒に来るんだよ……。もし魔王を倒したいなら、他のやつと協力した方がいい……」
魔王討伐はアリスも望むことだろう。俺だって呪いが解けるなら倒したい。
でも、俺は犯罪者になったのだ。呪いのせいで全人類から嫌われ、迫害されるのだ。
そんな奴と一緒にいても苦労しかない。それどころか、アリスまで危険な目に遭ってしまう。
それなのにどうして、一緒にいようなんて言葉が出てくるのか。分からない。
人は、自分に害があると分かっていて、他人を助けたりしないはずなのに。
「俺といればアリスが損をする。教会が嫌なら他のとこでも普通に暮らせる。なのに、どうして……?」
俺は子どもみたいに視線を彷徨わせた。
そんな俺を見て、アリスは少し呆れたように微笑む。
「だって、前にも言ったじゃないですか。『この御恩は一生忘れません』って」
「え……?」
一瞬、なんの話かわからなかった。
でもすぐにわかった。それは、俺とアリスが初めて出会った日の話だ。
「本当なら今頃、私は盗賊に売り飛ばされて、どこか知らない土地で奴隷になっていたはずです。だけど、あなたはそんな私の運命を変えてくれたんです」
「……」
「私があなたを助けるのは、あなたが私を助けてくれたからです。人助けをしたら自分が困った時に返ってくる……あなたのお母さんの教え通りじゃないですか」
「……っ!」
その言葉に、俺の胸は静かに震えた。
「…………あ、アリスは、勇者じゃない俺でも、一緒に、いてくれるのか?」
前世での記憶を思い出す。
誰も味方になってくれなかった、真っ暗な日々を。
「はい。私がそばにいます。一緒に魔王を倒しましょう」
「…………俺は、悪魔で、人殺しの息子、なんだぞ?」
みんなからの視線を思い出す。
その事実だけで、俺の人間性の全てを決めつけてきた、冷たい視線を。
「あなたはとても真っ直ぐで、優しい心の持ち主です。ちゃんとわかってます」
一歩、アリスは歩み寄ってきた。
「もう勇者の使命なんか捨てて、自分のために魔王を倒しちゃいましょうよ。これまでたくさん人のために生きてきたんです。少しくらい好きに生きてもバチは当たりません。それで結果的に、世界も救われますしね」
そう、アリスは優しく笑いかけてくれた。
俺は何も答えられなかった。
うまく言葉が出てこない。喉の奥につっかえて吐き出せない。
ずっと、こういう言葉を、誰かに言って欲しかったはずなのに。
「……まだ、信用できませんか?」
仮面のせいで表情は見えてないはずなのに、彼女は俺の困惑を正しく読み取った。
一歩、もう一歩と、アリスが距離を詰めてくる。
俺は座席に座ったまま彼女の顔を見上げる。
アリスは俺の前に立つと、一度ぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めたように瞼を開く。そして両手を伸ばし、俺の仮面をそっと外した。
「……っ!!」
ハッと息を呑む音。俺の素顔を目の当たりにして、アリスの全身に力が入る。
だけど、彼女は決して、俺から視線を逸さなかった。
素顔の状態で、初めてアリスと目が合う。
彼女は恐る恐る手を伸ばし、ゆっくりと俺の頬に触れてきた。
「大丈夫です。たとえ呪いの力があっても、私はここにいます」
アリスの手は震えていた。
けど、決して離そうとはしなかった。
熱いものが、胸の奥から込み上げてくる。
涙が勝手に溢れてきて、頬に添えられたアリスの手の甲を伝っていく。
アリスはちょっと目を丸くしてから、俺の頭をそっと抱き寄せてくれた。
「声を出したらダメですよ。すぐに逃げないと見つかるので、時間も少しだけです」
「く……ぅ、うん…………うん……っ」
俺はアリスの背中に腕を回した。
彼女は不安がる幼子をあやすみたいに、何度も何度も、優しく頭を撫でてくれた。
「ぅ……くっ…………うぅ……っ」
「辛かったね。怖かったね。もう大丈夫だよ」
必死に嗚咽を堪えるけど、涙は止まってくれない。
女の子の胸に泣きつくなんてかっこ悪い。そう思っているのに、彼女の温もりから離れることができない。
(……ああ、俺はずっと、こんな風に誰かに抱きしめて欲しかったんだ)
自分のことをちゃんと見てくれる人がいる。たったそれだけのことで、もう大丈夫だと思えた。
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