第17話 魔術符


アリスside.



 教皇様に勇者様のことを紹介して、勇者として認めてもらえた時、私は心から安心した。

 テミス教会のシスターとして務めを果たせて、何より勇者様が喜んでいる姿を隣で見て、純粋に嬉しく思ったのだ。


(よかった、また勇者様が害されるようなことにならなくて……)


 でも、国王にお目通りするのに一週間もかかると言われた時、小さな違和感を覚えた。

 この世界は勇者を待ち望んでいる。そしてテミス聖教国は勇者を迎え入れ、送り出すことを使命とした国。

 もし異世界から勇者が現れたとなれば、教皇様はいち早く国王に伝え、国王もすぐに王城に来るよう命じるはずだ。


(なのに、一週間も……?)


 その違和感が確信に変わったのは、二日前のことだった。

 教皇様は勇者様を執務室に呼び出すと「国王にお会いした後、すぐに任命式を執り行います」と伝えたのだ。


 本来なら勇者の任命式は、聖女の任命と一緒に行われる。

 だけど今、聖女になる予定のルミナスさんは出張中。そんな状況でわざわざ任命式を急ぐ理由はないはずだ。

 そう思った瞬間、


(もしかしたら、これは勇者様を油断させて、一人で王城におびき寄せる罠なのでは……?)


 そんな最悪の予感が脳裏を駆け抜けた。


 仮に国王と会うだけなら、私でも城内までは勇者様に同行できるだろう。

 だけど正式な式典となれば、部外者が城内に入ることは許されない。安心しきった勇者様を一人にさせられる。


 何より、呪いの効果は絶大だ。勇者様の人柄を知っている私ですら、素顔を見た瞬間とてつもない恐怖心と嫌悪感に襲われる。

 教皇様が勇者様を信じていない、悪魔だと危険視している可能性は十分にあった。


(絶対に許されないことだけど……それでも勇者様を一人にするわけには……)


 もう居ても立っても居られなくなった。


 私は勇者様の出発前、馬車の中に『御札』を置いておくよう頼んだ。

 勇者様は何も聞かずに引き受けてくれた。

 私はそれを使ってこっそり城内に侵入すると、魔道士を捕まえて気絶させ、その人のローブを着て謁見の間に潜り込んだ。


(本当にすみません。許されるとは思っていません)


 こんなことがバレれば確実に罰せられる。

 それでも万が一を考えると行動せずにはいられなかった。


 何もなければそれでいい。

 ただの私の勘違いで、普通に勇者様の任命式が行われて欲しい。私はそう願った。


 だけど案の定、勇者様は身に覚えのない罪を着せられ、罵詈雑言を浴びせられていた。

 許せないと思った。

 私は魔法砲撃が放たれた瞬間、考えるより先に飛び出していた。



◆◇◆



 勇者様に向けて一斉に放たれた魔法砲撃。


 その砲撃と勇者様の間に飛び込んだ私は、ローブの内側から魔法陣が描かれた御札――『魔術符』を取り出した。

 この魔術符は、魔力を込めるとあらかじめ刻まれた魔術が発動する。


「結界!!」


 魔術符に魔力を込め、床に叩きつける。

 瞬間、私と勇者様をぐるりと囲むように光の壁が形成された。


 光の壁と魔法砲撃が衝突する。

 ドゴーンッッ!! と幾重もの爆発音が鳴り響く。全ての砲撃を防ぎきった。


「よし……!」


 光の壁の外側はすごい煙に覆われているが、内側の視界はクリアだ。

 パッと振り返ると、勇者様と目が合った。


「勇者様! お怪我はありませんか!?」

「あり、す……?」 


 かすれた声だった。瞳に光がなかった。

 勇者様が無事でよかったと思うと同時に、ぎゅっと胸が締め付けられた。


「アリス……! いったいどうしてここに……いえ、なぜ悪魔を庇っているんです!?」


 煙が晴れると、教皇様が声を上げた。

 国王も、周囲の魔導士も、突然現れた私が砲撃を防いだことに唖然としている。


「教皇様、彼は悪魔などではありません。異世界から来た勇者です。こんな仕打ちは許されません!」

「何を……彼の正体は悪魔です! アリス、今すぐにこちらに来なさい! さもなくばあなたの首も飛ぶことになりますよ」


 教皇様の目を見て、何を言っても聞き入れてもらえないことはわかった。


 教皇様は国王に向かって膝をついた。


「陛下、彼女は我が教会のシスター、アリス・ローレンです。どうやら、彼女はあの悪魔に強く洗脳されているようです」

「洗脳か……ならば仕方ない。妙な真似をされても厄介だ。すぐに追撃を放て!」


 国王の号令に合わせて、魔導士たちがすぐに魔法を放ってきた。


「う……!」


 私は光の壁が破られないよう、魔術符に魔力を送り続けた。

 しかし、十数人がかりの連続砲撃だ。私の魔力量は膨大だけど、さすがにこのままでは耐えきれない。


(洗脳……そう思われているんですね……。この状況から勇者様を信じてもらうことはもう不可能でしょう。なら、私も覚悟を決めるしかありません)


「勇者様! ”封魔の檻”を解除してください!」


 私は勇者様に向かって叫んだ。

 勇者様は魔力を封じる檻に囚われている。それを破壊しない限り、逃げることはできない。


「……? 勇者様、足元の魔法陣に魔剣を突き刺すんです! それで解けるはずです!」

「…………」


 勇者様は顔を俯かせ、反応しなかった。

 判断は一瞬で。私は光の壁にありったけの魔力を込めてから駆け出した。


 封魔の檻は内側からは出られないが、外側からは素通りできる。もちろん魔力は使えなくなる。

 私は檻の中に入り、下から覗き込むように勇者様と目を合わせた。


「勇者様!」

「あ……ありす……」

「辛いとは思いますが、今は逃げましょう! 刀を抜いてください!」

「逃げ……ああ、そうか……逃げないと、だよな……」


 勇者様の反応が明らかに悪かった。


 魔法砲撃は今も続いている。

 光の壁がなんとか防いでいるけど、ヒビが入り、今にも突き破られそうだ。


 勇者様は心ここに在らずな動きで刀を抜こうとする。

 私は痺れを切らして、勇者様の手越しに刀を掴み、足元の魔法陣に突き刺した。


「すみません、失礼します!」


 パリンッ、と封魔の檻が解除される。私は新たな魔術符を取り出した。


「結界が破れるぞぉ! 叩き込めぇ!!」

「位置替え!」


 光の壁が破られ、大量の魔法砲撃が降り注ぐ。

 その寸前で魔術符を使用し、私たちは謁見の間から脱することができた。



◆◇◆



 さっき使った魔術符は、二枚で対になっている。

 片方の魔術符に魔力を込めると、もう片方の魔術符と位置が入れ替わるのだ。


 私は城内に侵入した時、事前に馬車の中に魔術符を置いておいた。

 さっきはその魔術符と位置を入れ替えたのだ。今は王城一階の倉庫内に停車している馬車の中だった。


 謁見の間にいた面々からすれば、私たちが突然消えたように見えただろう。

 そもそもどうやって封魔の檻を解除したのかと混乱しているはずだ。勇者様に魔剣の効果を口封じしていたことが功を奏した。


 きっと今頃、謁見の間は大騒ぎだ。

 そしてすぐに私たちを探しに来る。城の門も封鎖して、逃げ道を塞ぎにくるはずだ。


(でも、ちゃんと準備はしてきました。今すぐ動き出せば問題ありません)


「勇者様、すぐに逃げましょう」


 私は目の前の勇者様に声をかけた。


「……勇者様? ここにいればいずれ衛兵に見つかります」

「…………」

 

 だけど、勇者様は俯くだけで返事をしない。

 気持ちは痛いほどわかる。勇者様の生い立ちを考えれば、あんな仕打ちをされて耐えられるはずがない。

 いや、わかるなんて軽々しく言ってはいけない。私なんかには想像もできない痛みだ。


(それでも、今だけは……!)


 私はクッと下唇を噛み、勇者様の肩に手を伸ばした。


「勇者様、お願いします。私が一緒に逃げますので、どうか――」


 しかし、パチン、と。


「……もう、いいんだ」


 私が伸ばした手は、今にも消え入りそうな声とともに弾かれてしまった。

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