第16話 断罪


「いえ。全くの嘘でございます」


 教皇は、俺が勇者である事実を否定した。

 その直後、俺の足元に直径4メートルほどの魔法陣が浮かび上がり、紫色の光の壁が立ち上った。


「へ……?」


 変な声が洩れる。

 光の壁をバンバン叩く。外に出ることはできない。

 体に違和感を感じて確かめてみると、魔力も練れなくなっている。完全に魔法陣の内側に閉じ込められた。


「な、なんだこれ……いったいどういう……」


 俺は突然のことに困惑した。

 だが、教皇は至って落ち着いた様子だった。国王も、周りの兵士も、こうなることを事前に知っていたかのように微動だにしない。

 嫌な予感がして、ぞわりと背筋に寒気が走った。


「彼は勇者の名を騙るかたる悪魔です! 彼は我が教会のシスター、アリス・ローレンを洗脳してこの国に近付きました」


 謁見の間がシンと静まり返る中、教皇は強い口調で俺を糾弾した。


「その狙いは国王陛下を騙し、軍資金と聖女を奪うこと……つまりは正当な勇者が現れた時、我が国が勇者を支援できないよう国力を削ぐことです!」

「え、は……?」

「これは間違いなく魔王軍側の策略。彼の正体は魔王の手先……いいえ、新たな魔人だったのです!」


 俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。

 悪魔? 魔人? 教皇が何を言っているのか理解できなかった。いや、したくなかったのだ。


(え、いや……ちょっと待ってくれよ……え?)


 現実についていけない。受け止めきれない。

 そんな感情をありありと顔に出しながら、俺は渇いた唇を必死に動かした。


「待、てよ、なんだよそれ……今日は、俺の任命式じゃなかったのか……?」

「いいえ、この謁見は悪魔の罪を裁くためのものです。あなたを確実に拘束できるよう、時間をかけてこの場を用意しました」

「そんな……なんで、なんでだよ……! 俺は魔王の手先なんかかじゃない! あんたも俺の魔剣を見て、勇者だって認めてくれただろ!?」


 訳のわからない容疑をかけられ、敬語を使うのも忘れて声を荒げた。

 

「魔剣などいくらでも偽造できます。そして、あなたは勇者の間に現れなかった。この事実が全てです! 我々の使命は、勇者の間に現れた者を迎え入れること。断じて、素性の知れない悪魔を受け入れることではない!」

「だ、だからそれは……俺の呪いが原因だって――」

「そもそも、呪いというのは他者の肉体や行動に制限を与えるもの。人から恐れられるなど、周囲の認識を改変させる呪いは存在しない!」


 そう言われて、俺は反論できずに口をパクパクさせた。

 呪いのことなんて俺が一番分からない。

 俺だって女神から聞かされただけだ。これは魔王の呪いだと言われただけだ。


 俺は助けを求めるように周囲を見た。

 だけど、誰も彼もが、俺に冷たい視線を向けている。その視線に気付いた途端、心臓がぎゅっと縮こまった。


「アリスを盗賊から助けたことも、教会に接触することが目的だったのでしょう?」

「ち、違う! アリスと会ったのは偶然だ! 盗賊があそこにいるのも知らなかった!」

「違わない。あなたがアリスだけを狙い、他に囚われていた者たちを口封じのために殺害しようとしたことは、すでに調べがついています」

「な……っ」


 教皇は国王の方を向いた。


「陛下、予定通り、この件に関する証人を通します」

「構わん」


 国王の許可を取ると、教皇は『証人』を入れるよう兵士に指示を出した。

 直後、謁見の間に入ってきた二人を見て、俺は仮面の奥で目を見開いた。


(あいつらは、確かアリスと一緒に捕まってた……!)


 俺が盗賊から助けてあげた集団。そのうち、縄を解こうとしたら暴れた女性と、俺のことをボコボコに殴ってきた少年だ。


「彼らはアリスと共に囚われていた者です。当時の状況について聞かせて頂けますか?」


 教皇は二人に問いかけた。


「は、はい……正直、あの時のことは、恐怖であまり覚えていません……。で、でも、あの悪魔が、私たちを殺そうとしたことは確かです……!」

「俺たちはなんとか逃げられたけど、あのシスターだけは最後まで拘束されていた。今思えば、あいつは最初からシスターだけを狙っていたんだ!」


 女性と少年が順番に答えた。

 事実は全く違う。だが、二人はそれが真実だと本気で思い込んでいた。

 呪いのせいで認識が捻じ曲がっているのだ。


 教皇は満足そうに頷くと、害虫を見るような視線を俺に向けてきた。


「では、確認しましょうか。その仮面を外してください」

「…………へ?」

「この二人が話す悪魔と、あなたが同一人物かを確認します。この二人に……いえ、この場にいる全員に素顔を晒すのです」

「いや、で、でも……そんなこと、したら……」

「何かできない理由でも? 自分が悪魔じゃないと言うのならできるでしょう? もしできないのなら、罪を認めたとみなして首を刎ねます」


 自分の喉がひぅっと鳴った。


 ここで仮面を外せばどうなるかなんて、自分が一番わかっている。

 絶対に外せない。外したら終わる。

 ……だけど、拒否なんてできない。外すしか選択肢がなかった。


 俺は瞼をぎゅっと閉じ、震える手でそっと仮面を外した。


「ひ、ひぃぃい……っ!? あ、悪魔だぁあッッ!?」


 椅子から盛大に転げ落ち、悲鳴を上げたのは国王だった。

 周囲の兵士も慌てて剣を抜き、魔導士が一斉に杖を構える。一瞬にしてこの空間が恐怖で満たされた。


「こ、こいつだぁ! こいつがあの悪魔で間違いないっ!!」


 少年が足をガクガク震わせながら、俺を指差してそう叫んだ。

 俺はすぐに仮面を付け直した。みんなの恐怖心が一瞬だけ和らぐが、俺への敵意は強いままだ。


(や、ばい……、な、なんか言わないと……っ)


 とにかく急いで、この場を打開できる言葉を言わなければと思った。

 だけど、焦るばかりで頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 

「ま、待ってくれ……誤解なんだよ、まずは話を――」

「ええい黙れ! 我が国に厄災をもたらす悪魔が! 貴様の言葉など誰が信じるか!」


 国王が怒号を上げた。

 弁明の余地はなかった。この場にいる誰もが俺を黒だと決めつけていた。


(なんだよ……なんなんだよ、これ……)


 俺は最初から、教皇に騙されていたのだ。

 俺に素顔を晒させて、俺が悪魔だという証拠をみんなに見せつけて、事前に魔法陣の罠を設置して、大量の兵士を集めて……。

 この謁見は全て、魔王の手先である俺を、確実に殺すための罠だったのだ。


「お、俺は、勇者なんだ……それだけは、本当なんだ……」


 なんの説得力もない惨めな言葉が、力なくこぼれた。


 もうダメだ。誰も信じてくれない。話すら聞いてもらえない。悪魔だというレッテルを覆せない。

 前世での光景が脳裏を過ぎる。犯罪者の息子というだけで、俺自身も危険なやつだと決めつけられた、あの時の記憶が――。

 全身から血の気が引いていき、体が震え出した。


「この悪魔は間違いなく魔王の手先だ。我が国において『勇者』の名を騙った大罪、死を以って償え!」


 国王が裁可を下すと、周囲の魔導士が一斉に詠唱を始めた。


(ああ、やっぱりダメだったんだ……俺は、どこに行っても……)


「殺せ!!」


 国王の号令とともに放たれた魔法砲撃。全方位から大量の火球が迫る。

 魔法陣の檻からは逃げられない。勇者の魔剣を使っても防ぎきれない。そもそも防ぐ気力すらない。

 俺の心はもう、完全に折れていた。


「――結界!!」


 と、その時。

 茫然と立ち尽くしていた俺の前に、白銀髪の魔導士が飛び込んできた。

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