第10話 テミス教の総本山


 森を抜けると緑の平原が広がっており、さらに歩くと街道があった。


 アリスはそこを通りかかった行商人を呼び止め、馬車に乗せてもらえないか交渉した。

 彼女がテミス教会のシスターを名乗ると、行商人は快く乗せてくれた。賃金の要求も一切ない。

 どうやらこの国では教会の力がかなり強いようだ。


 馬車の中には行商人と、護衛の用心棒が二人いた。

 俺は用心棒の厳つい見た目に若干ビビりつつ、初めての馬車に乗り込む。

 乗り心地は車より遥かに悪かったけど、これはこれで趣があっていいと思った。


 しばらく馬車に揺られていると街が見えてきた。

 街に入る前に衛兵による検問を受け、それを難なく通過する。

 俺は馬車の小窓から街の風景を覗いてみた。


「お、おお……っ」


 そこに広がっていたのは、中世ヨーロッパ風の街並みだった。

 石造りの建物が整然と並び、屋根がオレンジ色で統一されている。

 武器屋や果物屋、酒場といった様々な店があり、足を止める冒険者風のお客さんがたくさんいた。

 中でも目に付いたのは、エルフやドワーフなどの人間以外の種族だった。


「本当にファンタジーの世界に来たんだな……」

「ふふっ、勇者様が元いた世界とは趣が違いますか?」


 小窓に張り付いて目を輝かせる俺を見て、アリスが微笑んだ。

 どうやらかなり夢中になっていたようだ。

 アリスの膝に座っている女の子にも笑われて、ちょっと恥ずかしい。


「まあだいぶ違うけど、こっちの雰囲気の方が好みかな」

「それはよかったです。ここがテミス聖教国の首都、ロザリアになります。気になった場所があれば遠慮せずに言ってくださいね。後日案内しますので」

「ありがとう。ちなみに、テミス聖教国って結構大きい国なのか?」

「いえ、大陸の西端に位置する小国です。勇者様はこれから世界中を旅されるので、ここよりも栄えた都市にたくさん行くと思います」


 世界旅行か。前世では考えられなかったことだな。

 それはそれとして、俺は少し気になっていたことを言った。


「なあ、ずっと思ってたんだけど、その『勇者様』って呼び方やめないか?」

「え……? もしかして、何か気に障りましたか?」

「ああいや、なんかむず痒くてさ。普通にハルって呼んでくれた方がしっくりくるっていうか……あと敬語もない方が嬉しいなーって」

「えっと……すみません、それはできません。勇者様には最大限の敬意を持って接するよう、教会で言われているので……」


 アリスは申し訳なさそうに眉を寄せた。

 彼女にもシスターとしての立場があるから、勇者とラフに接することはできないのか。

 俺としては名前呼びの方が嬉しいけど……これ以上無理を言っても困らせるだけだな。


「そっか。困らせちゃってごめん。じゃあこれまで通りで」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 色々と本音を打ち明けたおかげか、彼女との関係はよくなってると思う。

 今はそれだけで満足しておこう。


 そんな話をしているうちに、俺たちを乗せた馬車は教会に到着した。



◆◇◆



「ここが私の住む、テミス教会の本部になります」

「おお、すっげえ……」


 俺は協会の外観に圧倒されていた。

 百メートル越えの塔が二つ並んだ、大きくて華やかな建造物だ。

 ヨーロッパにある世界遺産に登録された教会とかによく似ている。


「おねえちゃ、みんなのとこいこ!」

「うん。無事に帰ってきたこと、ちゃんと報告しないとね」


 女の子が早く行こうよとアリスの手を引く。

 アリスは広場に面した正面入り口ではなく、路地を通って建物の横に回り、裏口っぽい扉から教会の敷地内に入った。


 扉の先は庭に繋がっていた。

 位置的には教会の真裏あたりで、教会とは別の建物がいくつかあった。


 アリスに続いて庭を横断する。

 すると、花壇の手入れをしていたシスターがこちらに気付いた。


「え、アリス……それにティオネちゃん……?」

「オカリナさん、ただいま戻りました」


 アリスはオカリナというシスターに頭を下げた。

 対するオカリナは、お化けでも見たように驚いている。


「えっと、二人とも本物よね? どうやって戻ってきたの?」

「本物のアリスです。ご心配をおかけしました。実は、こちらの方が人攫いから助けてくれたんです」

「そうなんだ……あ、ちょっと待ってね。ちょうどそこの部屋に教皇様がいるから、二人が帰ったこと報告してくるね」


 オカリナはアリスの話を聞くと、小走りで建物の中に入った。


「今、教皇様が来られます。こんな場所ですけど、少しだけお待ちください」

「……ああ、わかった」


 なんだろう。俺は二人の空気に少しだけ違和感を感じた。

 攫われたと思っていた同僚が帰ってきたら、普通はもっと喜ぶものじゃないだろうか。

 オカリナがそういう性格なのかもしれないが、ちょっと冷たい反応に思えた。


(この世の全員に好かれそうなアリスとも、少し距離があったような……?)


 そんなことを考えながら二分ほど待つと、建物の中から白い祭服を着た老齢の男性が出てきた。

 おそらく、あの人が教皇様だろう。

 オカリナを含めたシスター三人を引き連れ、こちらに歩いてくる。


「アリス、ティオネ、お帰りなさい。無事で何よりです」

「きょーこーさま、ただーま!」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。なんとかティオネちゃんを連れて戻ることができました」

「謝ることなどありません。あなたの勇敢な行動のおかげで、子どもの尊い命を守ることができたのですから」


 教皇はアリスたちの帰還を素直に喜び、労った。


 教皇といえば、たしか教会のトップのはずだ。

 テミス教を国教とする国において、テミス教のトップに立つ人物……たぶん死ぬほど偉い人だ。

 だけど、この人からはそういった威厳みたいなものをあまり感じない。とても穏やかな人柄で、親しみやすい印象だ。


「それで、いったいこれまでどうしていたんですか?」

「人攫いに捕まっていたところを、こちらの方に助けて頂きました。事情があって素顔は晒せませんが、私たちの恩人です」

「ほう、それは……」


 アリスが事情を説明すると、教皇や他のシスターの視線が俺に向いた。

 教皇は俺を警戒する素振りもなく、こちらに歩み寄ってきた。


「初めまして。私はロン・グリモルというものです。テミス教会にて教皇を務めております」

「えっと、ヤマヤ・ハルです。初めまして。仮面を付けたままですいません」

「事情があるのでしょう? 構いませんよ。そんなことよりも、まずは二人の命を救って頂きありがとうございました。心より感謝いたします」


 教皇は右手を胸に添えて頭を下げた。

 それに合わせて、後ろのシスターたちも両手を組み合わせて頭を下げる。


 その好意的な態度を見て、俺は内心ほっとした。

 仮面のせいで怪しまれないか心配だったけど、ひとまず受け入れてもらえたようだ。

 これもアリスが恩人だと紹介してくれたおかげだな。


「教皇様、折り入ってお願いがあります」


 アリスが言った。


「なんでしょう?」

「少しの間、ハル様を教会に泊めさせて欲しいのです。ハル様と私の方から、教皇様にお話ししたいこともありますので」

「もちろん構いませんよ。彼は二人の恩人です。誠心誠意のおもてなしをしましょう」

「ありがとうございます」


 教皇はあっさり了承すると、周りのシスターに部屋と食事、それからシャワーを用意するよう指示を出した。

 そして再びこちらを向き、柔らかい笑みを浮かべた。


「そういうことですので、ハル殿、今日はゆっくり体を休めてください。私との面会をお望みのようですが、それはまた明日以降に行いましょう」

「わかりました。ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、教皇は立ち去っていった。


 ひとまず、アリスのおかげで教会に泊まれることになった。

 俺が勇者だと話すのは明日以降になる。俺がこの世界でやっていけるかどうかの第一歩だ。

 それに備えて、今日はしっかり休むことにしよう。


「それでは、客人用のお部屋に案内しますね」


 俺はアリスや他のシスター連れられ、教会に入った。

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