第9話 深夜の語り


「……っ」


 目が覚めると、全身に嫌な汗をかいていた。

 少し荒くなった自分の呼吸音と、パチパチと焚き火の弾ける音が耳を打つ。


 仰向けで寝ていたため視界の先は満点の星空だ。

 この星の美しさは東京では見られなかったなと、そんなことを思いながら上体を起こす。

 昔の夢を見たせいか、目覚めの気分は最悪だった。

 母の最期の姿が、友人に浴びせられた心無い言葉が、寝起きの頭にこびり付いている。


 額の汗を拭おうとして、顔が仮面に覆われていることを思い出した。


「……大丈夫、ですか?」 


 気遣うような声が聞こえてきた。

 視線を向けると、焚き火を挟んで反対側に座るアリスと目が合う。


 今は洞窟を抜けてから三日目の夜だ。

 こんな森の中だと夜中も魔獣を警戒しなければならないため、俺とアリスは交代で仮眠を取っていた。

 そして今はアリスが見張りの時間だった。


「悪い夢でも見ましたか?」

「ああ、ちょっとな……。もしかして、うなされてたか?」

「…………俺は人殺しじゃない、とおっしゃっていました……」

「……」

「あとは何度か、母さん、と……」

「あぁ……そっか」


 そこでお互い口を閉ざし、少し気まずい空気が流れる。


 ……あんまり、聞かれたくないことを聞かれちゃったな。

 誰も俺の過去を知らない異世界に来たのに、わざわざ自分から口にするなんて馬鹿みたいだ。


「……えっと、明日の昼頃には教会に着きます。きっと心身ともに疲れてると思うので、ゆっくり休みましょうね」


 沈黙を破ったのはアリスだった。

 俺はアリスの気遣いの言葉を受け、何か返そうとして――また黙り込んだ。


 そうだ。明日には教会に着いてしまうのだ。

 そしたら俺は色んな人に紹介されて、国王に謁見することになってしまう。


「それと……もし悩み事があるなら、私でよければ相談してください。解決はできなくても、話すだけで楽になることもありますから」


 明らかに様子がおかしい俺に、アリスはそう言って微笑んだ。

 アリスは本当に優しいな。その優しさが心に沁みる。


 悩み事なんてない、と言えば嘘になる。俺は本当に勇者をやるべきか決めかねてるし、不安も抱いている。

 ここでそれを彼女に打ち明けないのは、さすがに不誠実な気がした。


「……俺さ、前の世界では人助けをモットーに生きてたんだ。人のために生きてれば、自分が困った時にみんなが力になってくれるって……母さんの教えでさ」


 俺は自然と話し始めていた。

 アリスは少し驚いた顔をしたけど、静かに聞いてくれた。


「おかげで友達はたくさんいたよ。……でも、父親が人を殺しちゃってさ……俺と母さんは犯罪者の家族ってレッテルを貼られて、いじめられるようになったんだ」

「っ……」

「俺は、そこで学んだんだ。人は噂や偏見だけで他人を判断するし、自分を犠牲にしてまで他人を助けたりしない。人間って、冷たい生き物なんだよ」


 俺の生い立ちを想像して、アリスは悲しそうに息を詰めた。

 こっちの世界での殺人やイジメに対する倫理観は分からないけど、アリスの反応からして前の世界と似たようなものだろう。


「俺にかけられた呪いって、それにちょっと似てるところあるだろ? 俺がどういう人間かとか関係なく、無条件にみんなから嫌われる」


 俺は悪魔なんかじゃない。俺がどれだけそう訴えようとも、この呪いは俺を悪魔だと周囲に認識させる。

 俺は犯罪者じゃないと訴えても、誰も聞いてくれなかったみたいに。


「だからさ、ちょっと不安なんだよ。いくらこの仮面の力があっても、俺の話なんて信じてもらえないんじゃないか、って」

「……少なくとも私は、あなたのことを勇者だと思っていますよ」


 アリスは自分の胸に手を当てて、励ますように言ってきた。


「ああ、そうだな……いやごめん、それはわかってるんだ。この仮面があれば、ちゃんとこうやって冷静に話せる。それは頭では理解してる」


 俺は自分の髪の毛を右手でくしゃりと掴んだ。


「でも、どうしても不安になっちゃうんだよ……。俺が本当のことを話しても、どれだけみんなのために尽くしても、みんなは俺を受け入れてくれないんじゃないかって」

「……」

「誰も俺のことを、勇者だと認めてくれないんじゃないかって、考えちゃうんだよ……」


 トラウマ、というやつだろうか。

 俺は呪いについて女神に聞かされた時から、ずっとこの不安が頭から離れなかった。


「だからさ、俺はまだ勇者をやろうって覚悟も固まってないんだよ。死んだらいきなり勇者に転生とか言われて……なんで一般人じゃなくて勇者なんかに、とかも思ったりしてて……」

「……」

「昔の俺なら、喜んで勇者をやったと思う。けど今は、人に受け入れてもらえないのが怖い。人を助けることを躊躇っちゃう。……そんな人間に、勇者なんて務まらないだろ」


 少なくとも、アリスは俺を勇者として扱っている。だからこうして親切に、教会まで案内してくれている。

 そんな彼女に今更こんなこと言うなんて、自分でも最低だと思う。だけど、これが俺の本心だった。

 勇者になる覚悟も、人前に出る勇気もなかった。


「――テミス教の理念は『正しい行いをする者は必ず報われる』というものなんです。私たちも多くの信者にその教えを説いています」


 沈黙を挟んでから、アリスはそんなことを言った。


 正しい行いをすれば報われる……いかにも宗教らしい考えだ。

 この会話の入りからして、彼女は俺を慰めるつもりなんだろう。その気持ちはありがたい。


 でも、その教えは俺には響かない。

 教会のシスターである彼女にとっては絶対に信仰すべき教えなんだろうけど、俺には全く信用できない言葉だ。

 正しい行いをするだけで報われるなら、俺も、母さんも、あんなことにはならなかったはずだから。 


「でも、私はそうは思いません」

「…………へ?」


 だけど、彼女が口にした言葉は予想外のものだった。

 俺はつい間抜けな声を洩らしてしまう。


「だってそうじゃないですか。その教えが本当なら、みんなもっと報われてるはずです。でも現実は違います。理不尽に踏み躙られて、悔しい思いをすることばかりです」

「…………い、いいのか? 教会のシスターがそんな発言して。仮にも女神様を信仰して、その教えをみんなに説く立場なのに……」

「…………この発言は神への冒涜にあたります。バレたらクビです。なので、私が言ったことは秘密にしてくださいね」


 アリスは口の前で人差し指を立て、茶目っ気のある笑みを浮かべた。


 俺は呆気に取られてしまう。

 宗教のことはよく分からないけど、たぶん今のは絶対にしてはいけない発言だ。

 

 もしかすると俺が思ってるよりも、彼女は大胆な性格なのかもしれない。

 内心そんなことを考えていると、アリスは表情を暗くして言った。


「私は昔、魔人に家族を殺されました」

「ぇ……」

「何も悪いことをしてないのに、ある日突然、理不尽に、全てを奪われていったんです……」


 思わぬ生い立ちを聞いて、俺は息を呑んだ。

 大切な人を失う悲しみややるせなさは、誰よりも共感できるつもりだ。

 だけど彼女は、すぐに何でもないように明るい表情を作ってみせた。


「でもそんな理不尽、認めたくないじゃないですか。正しいことをしたのに報われないなんて、嫌じゃないですか」

「……」

「全部が報われることなんてありません。必ず報われるなんて嘘っぱちです。それでも私は、自分が正しいと思える生き方を貫きます。そうやって自分の手で抗って、神様に証明してやるんです」

「証明……?」

「はい。私は理不尽なんかに負けないぞ、っていう証明です」


 顔の前で両拳をぎゅっと握って、アリスはそう言った。

 なんて強くて気高い生き方なんだろう、という感銘と、美人でもこんな変なポーズするんだな、という意外性で、俺はつい笑ってしまった。


「はは……はははっ、そっか……そうだよな。こんな理不尽な呪いなんかに、負けるわけにいかねーよな」


 人とはこうあるべきなのだろう。

 もし信じてもらえなかったらと思うと怖い。

 アリスだってシスターとしての役目を果たすために今は俺といるけど、もし俺が勇者だと認められなかったら離れていってしまう。

 俺はまた独りになる。それはとても怖いことだ。


 それでも、立ち向かわなければ現実は何一つ変わらない。

 抗わなければ、理不尽に屈して引きこもっていた頃と同じなんだ。


「……わかった。勇気を出して国王に会いに行くよ。それで、勇者だって認められたら、ちゃんと勇者としての使命を果たすよ」


 俺がそう言うと、アリスは嬉しそうに笑った。

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