第8話 前世の記憶


 小学校四年生の時に両親が離婚した。

 ショックだったか、と聞かれればそうでもない。

 父親は母に暴力を振るうタイプの人間だったし、離れることができて正直ほっとした。


 俺は母に連れられて東京に引っ越した。

 ちょっと手狭なアパートだったけど、母との二人暮らしは平和だった。

 看護師だった母は夜勤もあって大変そうだったけど、俺が自由に過ごせるよう、そして大好きな剣道を続けられるよう尽くしてくれた。

 将来は必ず親孝行しようと、強く思っていた。


『春は能力が高いから、困ってる人がいたら助けてあげてね。そしたら春が困った時も、みんなが助けてくれるよ』


 母はよく俺にそう言った。

 俺は昔からなんでもできる子だった。

 勉強はみんなより早く理解できるし、運動神経のよさは同年代の中でも群を抜いていた。


 だから母の言うように、できない人には積極的に教えてあげた。

 悩んでいる人がいれば相談に乗り、困っている人がいれば必ず助けてあげた。

 そうしているうちに、俺の周りはたくさんの友達で溢れていた。

 みんなから頼られる存在になって、たくさんありがとうって言ってもらえて、幸せな日々を送っていた。


 だけど、そんな日々は唐突に終わりを告げた。

 それは高校一年の秋頃、たまたま母と一緒にテレビを見ている時だった。

 小学生女児三名を監禁し、犯した末に殺害したという男のニュースが流れてきた。

 俺と母は目を疑った。実名報道されていたその犯人は、離婚して別居中の元父親だったのだ。


 身内から犯罪者が出たという事実は、言いようのない不安感を与えてきた。

 俺たちはもうあの父親と縁を切っている。他人だと思っている。でも、世間はそうは見てくれない。

 もしあいつが身内だと知られたら、周りからどんな目で見られるか、どんな風当たりを受けるか、想像しただけで恐ろしかった。


 母はひどく動揺していた。


「大丈夫だよ。あいつとはもう何年も会ってないし、今は名字が違うからバレることはないよ。きっと大丈夫だ」


 俺がそう言うと、母は少し冷静さを取り戻した。

 もしかするとその言葉は、自分に言い聞かせていただけかもしれない。



◆◇◆



 翌日、不安で眠れなかったのが馬鹿らしいほど、学校では何も起こらなかった。

 友人がニュースのことを話題にした時は内心ヒヤヒヤしたけど、俺が息子だなんて思う奴は一人もいなかった。

 よかった。大丈夫だった。俺は死ぬほどほっとして家に帰り、そのことを母に伝えた。


 しかし翌日、学校に行くと違和感を感じた。

 俺が挨拶しても誰も返してくれないし、普段は話しかけてくる友達も近寄ってこない。

 みんなの視線や教室の空気が明らかに異質だった。

 まさか、と胸騒ぎがして、俺は普段ほとんど開かないSNSを開いた。


 スマホの画面を見て愕然とした。

『女児連続殺害事件犯人の家族』というタグで、昔家族三人で撮った写真がSNSに拡散されていたのだ。

 さらにタチが悪いのは、俺たち家族が『事件当日まで一緒に住んでいた』という風に書き込まれていたのだ。

 事実は全く違う。父親とはもう何年も連絡を取っていない。


 だが、ネットの情報を信じた世間の反応は酷いものだった。

 俺と母の本名、住所、顔写真が特定班により晒されており、コメント欄は俺と母への誹謗中傷で溢れていた。

 人殺しの家族。強姦魔。罪を償え。遺族の気持ちを考えろ。家族揃って死刑になれ。

 俺は頭が真っ白になった。この日から俺たちの生活は一変した。 



◆◇◆



 母は職場をクビになった。

 職場に「その病院に犯罪者の家族がいるのか」「怖くて病院に行けない」などの電話がかかってくるようになり、辞めざるを得なくなったのだ。

 自宅のアパートにも「お前らを監視している」「この街から出ていけ」などの電話や手紙がくるようになった。


 俺は今すぐ引っ越すべきだと思った。

 だが、家に引きこもり、ヒステリックな行動を起こすようになった母の精神状態では難しかった。

 俺は母を安心させるため家では平静を装った。「大丈夫、こんなのすぐ終わるよ」なんて根拠のない言葉で慰めた。


 俺は学校に通い続けた。

 俺がいつも通り元気に過ごしていることが、母にとっての精神安定剤だったから。


 学校ではいじめられるようになった。

 始まりは授業中に消しカスを投げられるくらいだったが、それも日に日にエスカレートしていった。

 上履きを隠されたり、弁当の中身をぶちまけられたり、校舎裏で暴力を振るわれたり。


 仲の良かった友達は離れていった。

 クラスメイトからも無視されていたため、助けてくれる人は誰もいなかった。


 犯罪者の息子。お前もロリコンなんだろ。

 そんな心ない言葉を投げかけられるたび強く思った。

 俺は犯罪者じゃない。父親とは関係ない。俺はこれまでみんなを助けてきたのに。なんで誰も助けてくれないんだ。

 そんな激情を口に出して訴えたこともあった。

 

 だけど、俺がどんな人間かなんて関係ない話だった。

 もし俺を助ければ『犯罪者の家族の仲間』というレッテルを貼られる。一緒にいじめられるようになる。

 俺がこれまで助けてあげたとか、そんなことは何も関係ない。

 自分が損をすると分かって他人を助ける人なんて、この世界にはいないのだ。


 自分のこれまでの行いが無駄だったと知って、悲しかった。

 でも何より悲しかったのは、いじめの主犯格が小学校からの親友だったことだ。

 俺は二人きりになった時に言った。


「なんでこんなことするんだよ……俺たち親友じゃなかったのかよ……」

「――俺さ、本当はお前のこと嫌いだったんだよ」

「……ぇ?」

「勉強でも、剣道でも、俺の好きな人だって……お前は全部奪っていった。いつも上から目線で人にもの教えて、内心じゃ周りを見下してるくせに偽善者ぶって、みんなから慕われてよ……」

「……」

「ずっと、ずっと居なくならねーかなって思ってたんだよ! だから俺が、お前の父親が犯罪者だって晒してやったんだよ!」

「………………お前が、バラしたのか?」

「ああそうだよ! はは……ひゃッハッハ! だって事実だろ!? お前は人殺しの息子なんだぞ!? 誰もそんな奴と関わりたくねえんだよ! 頼むからもう学校に来ないでくれよ!」


 息が、詰まった。

 急に心臓が酸欠になったみたいに、呼吸がうまくできなくなった。


 俺は昼休みの途中で勝手に家に帰った。

 帰ろうと思って帰ったわけじゃなく、気付いたら家に向かって歩いていたのだ。

 家に着くと、誰かが投げた石で窓ガラスが割られていた。

 この飛び散ったガラス片を母は片付けられなかったんだな。そんなことを思いながら寝室に入ると、母が首を吊っていた。


 それからのことは本当に覚えていない。

 警察が家に来たり、病院に行ったり、何かしら大変だったと思う。

 母の葬式は行われなかった。親戚で話し合ってそうなったらしい。

 俺は田舎の親戚の家に引き取られた。この人たちは母が死ぬまで何をしていたんだろうと思ったけど、すぐにしょうがないと理解した。

 誰だって面倒な事には関わりたくない。みんな自分の身が一番大事なのだから。


 俺は家に引きこもってゲームをした。親戚には早くいなくなれと陰で言われていた。

 外に出られるのは夜だけだった。

 もうこのまま別の世界に行けたりしないかな。誰も俺を知らない場所でやり直せたりしないかな。

 そんなことを考えながら、夜の散歩を繰り返した。


 そしてある日、また懲りもせずに他人を助けてしまい、トラックに轢かれた転生した。

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