第11話 憧れの女神様

 昨日までとは一転して、気持ちの良い風が吹き抜ける快晴に迎えられた今日。


 実行委員たちは三組に分かれて、それぞれの団体の視察を開始した。


 俺と姫野ひめののペアはまず初めにサッカー部の視察に訪れていた。


 人工芝が植えられているグラウンドでは、ボールを蹴り上げる音と生徒たちの掛け声が響き渡っていた。


 その熱気極まる渦中の中、スマホのメモ帳に文字を打ち込んでいく。


 こういう時は紙の媒体ではなく電子機器の方が便利だ。両手が塞がらないし、直射日光の下で見えにくい手元も、画面の明るさを調節すれば見えるようになるし。スマホのバッテリーの減りは早くなるけど。


 しばらくの間視察したところ、サッカー部の様子は良好だった。週に五日活動していて、ちゃんと休息日も設けている。


 そして高い頻度で定例会が開かれているようで、普段の練習内容の改善や試合内容の反省などがなされているとのこと。


 部員たちが顧問に頼み込み、休日にはほぼ毎日練習試合が組み込まれているらしい。それらの点から、部員たちの向上心や活動に対する情熱が垣間見えた。


 他に何か特出すべき点はあるか考えていると、背後から男女入り混じった黄色い声援が聞こえてきた。


「──姫野ちゃん大丈夫!? 暑くない!?」


「──〝女神様〟がうちらの部活見てくれるとかテンション上がるわぁ」


「──……てか〝女神様〟のことこき使うとかやばくね? 普通に異端なんだけど」


 グラウンドの端にはサッカー部以外の者たちが集まっていた。どうやら、姫野が部を見回っているという噂を聞きつけてやってきたらしい。


 サッカー部員たちの声量に負けないぐらいの騒音で賑わっているその場所に、小さく縮こまっている姫野を発見した。周囲をガッチリと囲まれるように拘束されている姫野は、それでも笑顔を絶やさずに、一人一人ファンたちの対応をしていた。


 こうして側から見ると、さながらレッドカーペットを歩くハリウッド女優のようにも思えた。


 〝女神様〟の様子を一目見ようと集合してきた者たちの黄色い声援が耳に届いたのか、先ほどまで熱心にグラウンドを駆け回っていた部員たちの足が止まる。


「──おい! またよそ見かよ……。お前〝女神様〟のこと意識しすぎだろ!」


「──わ、わりぃ! ちょっと気ぃ抜けてたわ……!」


「──ったく……このままじゃいつまでたってもレギュラー入りできないぞ」


「──……ああ、そうだよな……、約束したもんな……でも──」


「──チッ……お前さぁ、俺と〝女神様〟、どっちが大事なんだよ!」


「──えっ、それって……」


 何かが始まりそうだったので、俺はそれから目を逸らした。


 逸らした視線の先には噂の〝女神様〟がいて、ようやく彼らに解放されたのか、小走りでこちらに向かってきた。


「お、お待たせ……」


「ああ……お疲れ様」


 額に汗を浮かべて若干疲弊気味な姫野は、スマホを見ながら口を開いた。


「えっと……部内の備品に関する要望はいくつかあったけど、整備環境については特に問題ないって」


「了解。一旦水分補給とかしっかり取ろう」


 俺はそばにあるベンチを指差して、姫野に休憩することを促す。


「う、うん。そうさせてもらうね」


 姫野はそう頷きながらベンチに腰掛けて、ペットボトルに入っている水を飲んで一呼吸ついた。


 姫野にはサッカーボールを始めとした、部の備品に破損や欠品などがないかの点検をしてもらっていた。


「それで、要望って例えばどういうような?」


「サッカーボールの数を増やして欲しいっていう声が一番多かったかな」


「あー、サッカーボールねぇ」


 サッカー部は現在、約六十人ほどの部員で構成されている。そのため、グラウンドでの練習に参加できる人数が限られており、その周辺で練習に勤しむ者も多くいる。そのため、部員の数に対して、部に支給されているボールの数が少ないという声が上がるのも無理はない。


 ただここで、部員たちが個人で所有しているボールを学園に持ってきてもらうわけにはいかない。


 学園側が用意したものと、各人で準備したものが入り混じってしまうことや、備品として保管されているボールとの取り間違えの原因となったりと様々な問題が発生する可能性がある。


 そうなると、このサッカー部に割り当てられた予算から、備品を補充してもらうのが一番安牌ではあるのか。


 この手の話は本来ならはこの部の顧問の教師と話をするのが手っ取り早いのだが、先の通り顧問には休日の練習試合のために他校と交渉してもらっており、それの費用も馬鹿にならないため、話しずらい事柄ではあるのだろう。


 こういう直接顧問には言いづらい要望を、同じ目線に立つ生徒として拾い上げるのも、俺たち委員の役割だ。


「あと、トレーニングマシンをもっと増やして欲しいってお願いされた」


「おおー」


 それは他の部からも所望されるだろうな……。


 うちの学園はこの地域の中でも結構設備が整っている方だと思う。それ故に、運動部はどこも所属している人数が飽和状態にあり、工夫しないとまともに練習できない者がでてくる。


 その様な者たちはランニングなどの有酸素運動や、トレーニング器具を使用して無酸素運動をしている。そのため、トレーニングルームの設備の改善を求める声は多く上がっている。


 そういう事情はサッカー部に限った話ではない。野球部やテニス部などはもちろん、室内で活動する運動部なども同じ様な状況になっている。


 様々な事情を抱えた部からの生の声を聞くということは、視察の目的の一つでもある。まあ普段から生徒会業務としてそういう愚痴を聞いたりしているのだが。


「他にはどんな要望が?」


「他には……備品を保管している倉庫の風通しをよくしてくれ、とか」


「……なんだそれ? そんなの気になるのか?」


 部活棟に隣接している倉庫は確かに風通しは悪いかもしれないが、そもそもそこに長居するものでもないし、サッカー部なら備品を出し入れする際にそれほど時間も掛からないだろう。


 そう考えていると、目の前の姫野が眉尻を下げてぼやくように話し始めた。


「で、でも少し分かるかも……。あの倉庫の中すごく暑かったよ」


「そ、そうなのか……」


「うん……。なか暑いからってハンディファン貸してくれたし。クールタオルとかもくれたし」


 やはりというかなんというか、さすがは〝女神様〟、部員たちから手厚い対応をされていたか。


 「あれ小さくても結構涼しいんだね」と独り言のように呟く姫野。


 思えば俺が見回りを始めたのは肌寒い時期からだったし、暖かくなり始めてからはその倉庫に足を踏み入れていないかもしれない。


 今後もっと気温が上がることを考慮すると、少しばかりか対策を考えるべきなのか。


「でもなんとかしてくれって言われてもなぁ……。セキュリティ上穴は開けらんないし、スポットクーラーとか置いてもなぁ」


「なんか、太陽の光が当たっててサウナみたいになってるって言ってたよ」


「サウナか……。まあ時間的にも立地的にも日の当たりはいいよなぁ」


 なんてことを話していると、サッカーグラウンドとテニスコートの間に設置されている柱時計にふと目が行った。


 現在時刻を確認すると、サッカー部の視察を開始してから約四十分が経過していた。


 そろそろ次の視察先に向かわないとスケジュールが狂ってしまう。


「……こういう要望は後日まとめて生徒会の方で対応するとして、この部活はもう充分視察できたし、次のところに向かおうか」


「あ、うん……」


 姫野はベンチの上に置いていたタオルとペットボトルを持って、パタパタとこちらに駆けてきた。そして、校舎側へ向かう俺の後ろをちょこちょことついてくる。


 限られた時間の中での視察のため、コンスタントに移動しなければいけない。それでも、次に赴く先のことを思うと、踏み出した足が重く地面に沈み込んだ気がした。


 俺たちが、というより主に〝女神様〟がその場を離れることを、サッカー部の部員たちが残念がる声に見送られながら、グラウンドを後にした。



──────────



 じめじめとした外とは違い、いくらか涼しい校舎の中を歩いていく。次の視察先は本館の教室で活動している同好会だ。


 その道中、通りすがる人からの刺すような視線を感じて非常に居心地が悪い。おそらくその視線は俺に向けられているものではなく、俺の一歩後ろを歩いている姫野に向けられているのだろう。それでも好奇の目に晒されるのは気持ちのいいものではない。


 階段を上っていき四階に着くと、しんと静まり返った空間が広がっていた。学年とクラスが表示されているプレートを確認しながら、その閑散とした廊下を歩いていく。


 ここは二学年の教室があるフロアだ。この下に一年、上に三年のフロアがある。


 五階建てのこの校舎は、上から見ると長方形のような形をしていて、中心部は空洞になっており、それに沿うように十を超える教室が配置されている。それ故に、一つのフロアを一周するだけでも結構時間がかかる。


 目的の教室まであと半分といったところまで来ると、後ろで静かだった姫野が唐突に口を開いた。


「す、すごかったね……。サッカー部の人たち」


「えっ……、ああ、まあ、県大会で優勝するぐらいだしな。熱心に活動していると思うよ」


「そうなんだ……」


 彼女は窓枠に手をかけ、ここから見えるサッカーグラウンドを眺めながら話を続ける。


「みんな一生懸命で、一つの目標を叶えるために団結して取り組んで……。なんか、そういうのいいなぁって……」


 日の光に当てられながら窓の外を見つめている姫野。その横顔は逆光になっていてよく見えなかった。


 それでも、姫野が彼らに対して強い感情を抱いていることは感じ取れた。なぜなら窓枠に置いた手を力ませていたから。


 彼女は今、どんな心情なのだろうか。


 尊敬、憧憬、羨望、嫉妬、そんな類いの感情なのだろうか。


 全てを持ち合わせた彼女が彼らにそんな感情を寄せることはあるのだろうか。


 ただそばで見ているだけの俺に、それを知る術は持ち合わせていなかった。


 無意識のうちに口が動き出す。


「姫野さんは、ああいう風に──」


 しかし、その言葉が最後まで続くことはなかった。途中で喉が締まるような感覚に襲われて言葉が出てこなかった。


 いつのまにか俺と向かい合っていた姫野と視線がかち合う。彼女は優しい目を俺に寄越し、俺の言葉の続きを待っていた。


「──確か部活動か同好会に入りたいって言ってたよな……。入るなら運動部が良い、とか?」


「ん……うん」


 姫野は肩透かしを食らったように瞳を揺らして視線を落とし、それでも優しい微笑みを浮かべて自身の発言を修正する。


「うんん……。わたし、昔から身体が弱くて……今でも体育の授業は見学してばっかりだし」


 彼女は再びグラウンドに目を向けた。


「だから、なんていうのかな……ああいうのに、憧れはあるのかもしれないな……」


 彼女のその瞳は自身の内からくる悲しみを、包み隠すように輝いて見えた。


「……そっか」


 彼女のその瞳から目を背けるように、目的の教室がある方角へ向き直る。


「まあ、無理なく自分のペースでできる部活もあるからな。仲間内で週に一度集まって運動するような同好会もあるし」


「……そうなんだ」


「だから、そういうのも含めて色々と見て回るといい」


「……うん。そうする」


 俺が歩き始めると、姫野はその少し後ろを追うように静かに歩き出した。


「それに、多分周りの人らが姫野さんのこと放っておかないだろうし」


「ど、どうだろうね……」


 眉尻を下げて困ったように笑う姫野を見て思う。


 最近流れた噂や今回の生徒たちの様子から、姫野のことを部に誘いたい連中は多いだろう。姫野が居れば部員のモチベーションも上がるだろうし、単純に彼女と一緒に面白いことをしたい者も多いだろう。


 それにいやらしい話、〝女神様〟が所属するとなるとその部のアピールにも繋がる。部活動の部員だけでなく、部員数を確保したい同好会の者たちも積極的に彼女を勧誘してくると思う。


 先ほどのサッカー部の視察の時でも、部活動や同好会に所属していると見られる生徒たちが姫野のことを取り囲んで、彼女のことを口説き落とそうと言わんばかりに熱い勧誘をしていた。


 俺はそれを見てはた迷惑な連中だなと思っていたが、姫野はそれを受けて嫌な顔ひとつせずに一人一人丁寧に対応していた。


 彼女のそのどんな時でも笑顔を絶やさずに、優しく朗らかな態度でいられることは、人として尊敬できるところなのだろう。それに憧憬を抱き、うらやましく思う者が多いのも頷ける。


 しかし、行き過ぎた羨望は嫉妬へと変わる。


 持たざる者が持てる者の才能を憎み、自身の不出来を悔やみ、行き場のない何かを自分の中で蓄え、やがて肥大化したそれを一方的に他人にぶつけて僻む。


 そんな醜い感情を心の中で形成してしまう。


 実際に、〝女神様〟に対してそういう感情を抱き、彼女のことをよく思わない者も校内には居る。それもそうだ。この世に万人から好かれる者などいない。


 それでも、大半の生徒たちから支持されている姫野は、やはり学園の〝女神様〟だった。


「──それに、今回も正直助かったよ。生徒会の人間に対して素直に出れない生徒たちもいるからさ」


「……そうなの?」


「ああ、色々と溝があるから……」


 生徒会と、部活動と同好会は確執があると明言できるほどの拗れ方はしていないが、確かに譲れないものが双方にはあった。


 彼らの活動環境の改善における最終的な決定を下すのは学園側だが、全生徒の総意を代弁する生徒会執行部がその変革の入り口ではあって、生徒のどの意見を優先して上に上げるかは俺たち次第であって。


 なので、俺たち生徒会と生徒たちとの間に、細々としたいざこざが頻発するのは当然というか仕方がない部分があった。


 そのため、生徒会にもどこにも所属していない〝女神様〟の方が、彼らと円滑にコミュニケーションを図れるのではないだろうかという、俺の考え通りに事が上手く進んだ。


 目的の教室について、後ろにいる姫野に視線を向ける。


「でも、姫野さんにならその生徒たちも素直にもの言えるだろうし。好意的な感情を寄せられてるしさ」


「そう……なのかな……?」


 結果的に俺が〝女神様〟を利用するような形になってしまったが、正直なところ、今回の視察では姫野がいてくれて助かった部分が多かった。


「……そっか」


 そうぽつりと呟くように口を動かした姫野は、そのまま控えめな笑みを作り出した。


「わたしでも、少しは役に立ててるのかな……」


「それはもう、だいぶ」


 俺も口角だけを上げた笑みを姫野に向けると、彼女は小さく声を出して笑った。


 もしも、姫野が生徒会役員だったとしたら。


 この学園の生徒たちから〝女神様〟と呼ばれ親しまれ、多くの人から慕われている彼女なら、俺とはまた違った関係を彼らと築いていたかもしれない。


 姫野のことを好き勝手に取り囲む生徒たちだが、彼女が一声かけると一斉に道を開けて、彼らは不干渉の態度を貫く。


 そんな統制力を姫野は持ち合わせている。


 そんなものは俺にはない。


 そうだ。〝女神様〟は俺とは違う。


 胸の中に渦巻くドス黒いなにかには決して触れないように深く呼吸をした。

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