第10話 始動する視察隊 後編
淡々と所属クラスと氏名を言うだけの自己紹介を終え、会議らしい会議を進められるようになったのは、時計の長針と短針が合わさった頃だった。
事前に作成しておいた資料を全員に配布して、この組織の目的や進行の流れを説明していった。
「えー、このように、視察の際は二人一組で行動してもらう形になる。……ここまでの説明でなにか質問がある人はどうぞ」
俺がそう促すと、さっそく北条が律儀に手を上げて発問させろと視線で訴えてきたので、頭を縦に振って了承する。
「七十ぐらいある団体をこの人数で回るの? もっと人数増やした方がいいんじゃない?」
さっそく、もっともな質問が上がった。
校内には合計七十二団体もの部活動や同好会が存在する。それを約二週間で三組ずつに別れて視察していくとなると、平均で一日に二団体以上視察することとなる。
さらに、その視察での各団体の状況を報告書に書き残さなればいけない。その作業もなかなか骨が折れる。
そうなるともっと人手が必要になってくるが、それもなかなかそうはいかない。
「それには事情があって……」
そう前置きをして、事前に準備しておいた回答を頭の中で復唱しながら声に出す。
「数年前の年では二十人近くの人数が集まったが、部の審査の際に意見が食い違って暴動が起きてからは、極力少人数で行うこととなった。っていうのが学校側からの回答なんだけど……、普通に考えてこの人数は少ないよなぁ……」
「ふーん」
自分から訊いておいて興味を無くしたのか、北条は俺の話の途中から資料に目を通し始めており、適当な言葉が返ってきた。
「でも、やれないことはないんじゃないかな?」
多賀谷は一通り資料に目を通したのか、それを団扇代わりにして自分の顔に風を送るように扇いでいる。
外は土砂降りだしなんならこれからもっと雨の勢いが増すこともあり、部屋の湿度は寒いくらいだ。それなのに何かっこつけてるんだこいつ。
「どのペアがどの団体に視察に向かうのか紐付けられているし、それも全て時間で管理されているし。要はこのリストのスケジュール通りに動けばいいってことだよね?」
多賀谷は扇いでいた手を止めて、視察先の団体名がずらりと並んでいるリスト表を俺に向けた。
「あー、まあ基本的には」
「それは、その各団体の人たちが素直に言うこと聞いてくれたらの話でしょ」
北条が横槍を入れるようにそう言うと、彼女はなおも話を続ける。
「この学園の生徒たちが時間通りに規定の場に留まってるとは思えないんだけど。絶対この取り決めすっぽかすところも出てくるでしょ。どっかしらでこのスケジュールが瓦解する気しかしないんだけど」
北条の言っていることは一理ある。実際見回り業務の時に本来なら活動している所にいるはずの生徒たちが、行方不明になっていることが稀にある。大抵十分ぐらいすれば、のそのそと部員たちが帰ってくるのだが。
しかし、今回は部の存続にも関わってくる行事だし、彼らもそう簡単に予定を踏み倒すようなことはしないだろう。
「その時は俺に言ってくれればこっちで対処するから」
あいにく、どこかに遊びに行ったやつらの捜索には慣れているところがある。彼らのことを7割方探し出せる自信がある。なんの自慢にもならないが。
「そう。じゃあそういう予期せぬ事態に直面した時は、どうかよろしくお願いします」
「……あ?」
澄ましたような顔と声でそう言い、よく分からない態度を取る北条に、思わず喧嘩腰に返事をしてしまった。
……こいつもしかして、面倒なことになったら俺に押し付ける気でいるな。最初に難癖つけたのもこういう方向に持っていくためか。
「まあ、その時は各々のペアで対処する形でもいいんじゃないのかな。そもそも彼らには事前に告知しているんだし。それに、ここに集まっている人たちは優秀な人たちばかりだしね。僕が一番頭いいんだけどさ」
多賀谷の口から頭の悪そうな文言が飛び出てきたが、彼のその提案は間違いではない。
残酷ではあるが、和を乱す連中に一々かまけていては他が疎かになってしまう。
「じゃあそういう方針で。もし大事になりそうな時だけ俺に連絡して欲しい」
そう無理やり結論づけて次の議題に移った。
「それで、視察する時のペア分けだけど──」
リスト表が載っている資料の端の方に書いてある、事前に振り分けたペア分け欄を見ながら説明を始めると、廊下側の席からすっと手が上がった。
「あのー……拙者おなごと話せませぬ」
葛西がピンッと伸ばした腕を下さずに堂々とした態度でそう言った。
その葛西に続くように北条が口を開く。
「わざわざ男女でペア作る必要あるの?」
「……昔からの慣習だよ。男女で組んで部を視察する際の公平性を保つためとかなんとかって」
「何それ? 性別に違いによる意見の相違って今回の視察に関係あるの?」
「……さあ?」
正直なところ俺もこの慣習は理解できない。そもそも男女でペアを作るのも、男性と女性でものの見方が違うという偏見からくる悪習だと思う。
しかし視察中に色々と気を遣う場面があるのも事実ではある。女子は女子同士の方が気が楽な場合があるかもしれないし、その逆もまた然りだ。
なので今回はメンバー内でのそれぞれの関係性を考慮して、多賀谷と姫野、北条と葛西、そして俺ともう一人のメンバーである生徒会役員で会計を務めている、
彼女は先の通り人の目に止まりにくい雰囲気があり、生徒会で親しい人たちなら存在を認識することは苦ではないが、初対面の人の前ではあまり目立ちにくい。
それらの事を考慮してメンツを振り分けたが、組みたい者と組ませた方がモチベーションも上がるかもしれない。
「まあ、これは強制ではないし、各々好きな人と組めばい──」
「辻川さん、一緒に回らない?」
「多賀谷さんお願いします僕と組んでください女子と喋ると舌噛みそうになるし
速いね君たち。
北条と葛西がそれぞれ隣の席に座っている者とペアを組む事を持ちかけた。
北条が辻川に声を掛けるとは意外だった。先ほどの件で罪悪感でも抱いているのだろうか。
葛西は多賀谷に引っ付くように寄りかかり、涙と鼻水を垂れ流しながら懇願している。その様はもはや哀れとしか言い表せなかった。
「いやだね」
「えっ……」
葛西の色々な液が垂れかかっているブレザーをティッシュで拭きながら、多賀谷は率直に返事をした。
「僕は一人で回るよ」
「ペアで視察しろって言ってるだろ」
「ふふふ……」
会議が開始してから一度も声を発さなかった姫野が静かに笑った。
姫野が残るのも正直意外だった。まあ、俺も残りものなんだけど。
「そもそもなんで二人一組で動く必要があるのかな?」
多賀谷が自分の身体に張り付いている葛西を無理矢理引き剥がしながら、俺にそんな質問をした。
「それは、人によって活動に対する意見が違ったり、一人だと見逃してしまう部分があるからだけど……」
「じゃあここにいる全員で見回ればいいんじゃないかな?」
多賀谷は畳み掛けるようにそう言った。
「時間が足りないだろ」
「じゃあ人手増やせばいいじゃん」
加勢するように北条がそう言ったのを聞くと、頭の内の何かが弾け飛びそうになった。
「だから! 俺じゃあこれ以上人を増やせないって言ってんだろ! 知り合いが少ないんだよ!」
「皆まで言わなくてもいいよ、佐竹くん。僕も彼女もちょっとふざけてみただけだからさ」
多賀谷が同情するように目を閉じてゆっくりと頭を上下に振っている。
なんでこいつに同情なんてされないといけないんだ。
「私は本心からの言葉だけどね」
北条は哀れみを込めたしっとりとした瞳を俺に向けてくる。
一番可哀想なやつは自分だった。
外で降り注ぐ雨が窓を打つ音が大きくなった気がする。
時計を見て現在時刻を確認すると、あと十分ほどで午後五時を回る頃合いだった。
「雨、大丈夫かな……」
ぽつりと姫野がそう呟いた。
「……今日は視察するまでを視野に入れていたけど、夕方頃から更に悪天候になるらしいから、そろそろ解散するよ」
姫野を含めた人たちを見据えてそう話し、更に言葉を続けた。
「……それでペア分けについては自由にしてもらって構わないから。でもこれだけは心に留めておいて欲しい」
散々言いたい放題やりたい放題だったやつらだが、こういう時はちゃんと耳を澄まして話を聞いてくれるらしい。
「今回の視察での報告書は学期末に行われる、部活動等の一斉精査の際に参考資料として取り扱われるから、抜かりのないように」
部屋の空気が少しだけどんよりしてきたことを感じつつも、補足するように言葉を続けた。
「まあ、参考にするっていっても、基本的に部をどうするかは教員側が判断するから、そこまで気負わなくてもいい。あくまで一生徒としての意見を書いて欲しい」
「そういう話聞くと毎回思うんだけど、そもそも私たち生徒が部活動とか同好会を評価する意義ってあるの?」
北条から鋭い質問が飛んできた。それもそうだろう。自分たちが今からやろうとしていることが無意味な結果を生むかもしれない。その間の努力は泡となって消える可能性の方が高い。
ならばわざわざこんな一生徒にしては荷が重いことを背負うのも馬鹿らしくなってくる。それでも誰かがやらなくてはいけない。これがもう何年も前から続いている学校行事だから。
「今回の視察は部活動や同好会の人たちが、外部の人間からどう見られているかを改めて意識させる意図もあるから。同じ目線を持っているっていう点では意味はあるかもな」
「同じ目線ねぇ……」
北条は何か含みを持った言い方をした。それはなんというか倦怠するような辟易するような、そんな類の感情のように思えた。
「今までの説明から気が重くて嫌気がさす人もいるかもしれないけど、ここは一つこの学園のためだと思って協力して欲しい」
俺は腰を折り曲げて頭を下げた。
すると一拍子置いて調子のいい返事が返ってきた。
「しょうがないねぇ。ちょっとは真面目にやってあげようかな」
「まあ、一度引き受けた以上はね」
多賀谷と北条は似たような反応を返した。
それ以外の面々も三者三様に応えてくれた。
「ありがとう。……じゃあ今日はひとまず解散で。みんな早めに帰るようにな」
俺の会議の終わりの挨拶を契機に、彼らは各々身支度を済ませ、北条を先頭に散り散りに去っていった。
ホワイトボードに貼り付けた資料を外して、自分の席に持っていくと、荷造りをしている姫野と目があった。
「……姫野さん、本当に助かったよ。二つ返事で頼み受け入れてくれて」
「う、ううん……。わたしもこういうの面白そうだなって思ってたし」
結局、俺が結城の代わりに委員会への参加を打診した相手は姫野だった。
「そっか……そう言ってもらえるとありがたい」
「う、嘘じゃないよ? 本当に。……わたしにも何かできることがあるんじゃないかなって、何か恩返しできることってないのかなって思ってたから……」
「……恩返し?」
目を細めて両方の口角を上げて微笑む姫野の、「恩返し」という言葉に引っかかった。
「……うん──そ、それに佐竹くんから聞いた話しも納得だったし」
「ああ……うん」
姫野から話を逸らされた感じがする。あまり深追いされたくないことなのだろうか。
「少なくともこれで生徒会関連の噂は消滅するとは思う。あとは、どこに所属するかをより内部から吟味できるメリットもあるし」
「うん……わたし的にはこっちの方がじっくり考えれるかも……」
「姫野さん、当日は引っ張りだこかもしれないしな」
今の校内の雰囲気的に新入生たちよりも、姫野の方が熱烈な勧誘を受けるかもしれない。
そう考えると思っていた以上に、姫野にとっても参加のメリットがあるように感じる。
「それに、やっぱり困っている人は放って置けないんだ……」
姫野は〝女神〟のような微笑みを俺に向けた。
「……ありがとう。この借りはいつか必ず返す」
「だ、大丈夫だよ……! こういうのは損得じゃないもん」
姫野のその一言が胸にぐさりと突き刺さった。
常に損得勘定で動いている俺にとってその言葉は、俺の浅はかな部分を晒す光でしかなかった。
「そう……だよな」
「うん……」
俺の沈んだ気持ちを感じ取ったのか、姫野は居心地が悪そうに居住まいを正すと、カバンを持って立ち上がった。
「そ、それじゃあ先に帰るね……?」
「おお……また明日」
曖昧な空気の中、パタパタと廊下へ向かって駆けていく姫野。
俺を前にびくびくした態度は見せずとも、やはり俺と姫野のやり取りにはぎこちなさが残っていた。
明日から姫野と組んで視察に向かうことになりそうだが、これで大丈夫なのだろうか。
一抹の不安を胸に身支度を済ませる。
結局、自ら固めた姫野と一定の距離を保つという決意はどこへやったのやら、自らの意思でそれを薄弱なものにしてしまった。
でもこれしか方法はなかったんだ。これでよかったんだ。
そう心の中で言い訳をしながら、会議室のドアに鍵をかけた。
まだこれからもやらないといけないことが残っている。スケジュールの細々とした調整をしないといけないし、各団体とのコンタクトも取らないといけない。
こんなことで一々憂鬱な感情に浸っている暇はない。
最近何かと沈みがちな心持ちを、強く立て直すように足を一歩前に踏み出した。
「あの……まだ私が中に入ってます……」
「えっ……あ」
会議室の中にまだ辻川が残っていた。
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