第9話 始動する視察隊 前編

 本日の授業が終了した放課後。


 職員室から持ってきた鍵で会議室のドアを開ける。


 普段俺たち生徒が使用している普通教室の半分ほどの広さしかないその部屋は、生徒たちの談笑している声が入り混じっている廊下と比べるとひどく閑散としている。はずだった。


 その誰もいないはずの部屋で、シャンシャンとリズムを刻んだ音が鳴り響いていた。


「ふむ」


 すでに部屋の中に入り込んでいたやつが、笑い声なのか感嘆の声なのかわからないがそう一言声を上げて、椅子に座ってタブレットをありえない速度でぶっ叩いている。


「なんでもう居るんだよ」


「へぁ!?」


 気持ち悪い叫び声を上げながら、手から滑り落としそうなタブレットを必死に掴もうとしている丸眼鏡くん。


 そいつは、液晶側から地面に落ちたタブレットを悟った表情で見つめると、どこからともなく布切れを取り出し、自分の丸眼鏡を拭き始めた。


「もう少しでフルコンだったんですけどねぇ」


 気持ち悪いジト目を俺に向けてそうぼやいたぽっちゃりくんの名前は葛西かさいわたる。俺と同じ二年生だ。


 俺はそこまで大声を出したつもりはないのだが、葛西からするとびっくりしたらしい。素直に謝ると彼はそれを許してくれた。


「液晶大丈夫か?」


 地面に落ちたタブレットを拾い上げて、ありとあらゆる角度から液晶を凝視する葛西。


「奇跡的に無傷でした。まあ、落下する時に少し角度を調整したんでね」


「ああ、そう」


 それはそれとしてこいつには聞かないといけないことがある。


「なあ葛西、どうやってこの中に入った?」


「それはもちろん、これですよ」


 葛西は気持ち悪い笑みを浮かべてロックピックと針金を取り出した。


「……もう一人代わりの人員を集めないとダメか」


「へ?」


「そんな非常識なことされちゃ信用も何もないもんなぁ」


「う、嘘です! 本当は若い方の顧問の先生にマスターキー借りました」


 俺が少し凄むと、葛西は簡単にことの真相をゲロった。


 彼は一年前は校内でも指折りの問題児だったのだが、今ではその扱い方も少しはわかってきた。


 というか、学生にそんなぽんぽんマスターキーを差し出す教師はどうなのだろうか。


高柳たかやなぎ先生か」


 生徒会執行部顧問の一人で社会科の専任教諭である高柳先生。先生は各専門委員会の代表者数名を選出して構成された合同説明会運営委員会と、この視察組織の監督を務める立場にいる人だ。


 その高柳先生は悩める生徒を前にして、「運営委員会の方で忙しいから、視察の方は適当にやっといてくれ」と言い放てるほど無責任な人でもある。とても教師とは思えない。


「はい……六限が退屈な体育だったゆえ、懇願したらくれました」


「……六限サボったのか?」


「いやサボったというより我が学園の体育の授業は自由参加なうえそもそも今回は私自身に深い事情があって──」


 ゲホンゲホンと芝居がかった咳をした後に、よくわからない言い訳をつらつら述べる葛西の話を聞き流して、壁に掛かっている時計を確認する。


 集合時間十分前。そろそろ他の委員たちが集合してきてもいい頃合いだと思うが……。


「それに、この僕が犯罪まがいなことをすると思いますか?」


「……一回停学になったやつが何言ってんだ」


「それはやむを得ない事情があったからです」


 思い出したくもない記憶が蘇ってきそうになるが、なんとかそれを振り払ってため息を吐く。


「どんな事情だよ、まったく」


 こんなやつでも、校内全体を見てもかなり頭がキレるやつだ、それ故に奇行を繰り返している節もあるが。それでも、その奇行も昔よりは落ち着いてきた、と思いたい。


 まあ奇抜な行動を繰り返しているのは葛西だけではないが。あのプリン頭もある種葛西と同じ部類の人間だ。


 それでいて、なぜかどちらも授業態度や成績などの面は優秀なので、二人を視察の人員として選出した。まあ葛西は今日の六限サボったらしいけど。


 なので決して俺にこいつとあいつ以外に、気軽に誘える友人が居ないというわけではない。


 ……でも本当にこの人選で大丈夫なのだろうか。


 集合時間五分前になっても一向に来る気配のない者たちを待ちながらそう思った。



──────────



 現在時刻、午後四時ちょうど。


 二分前に部屋へ雪崩れ込んできた人たちを見渡す。


 俺の前の席は空席で、その隣に座っている北条ほうじょうはイヤホンを耳につけて音楽を聴きながら、なにやらスマホを弄っていた。相変わらず不機嫌そうだ。


 俺の隣の席に座っている多賀谷たがやは、目を閉じて足を組み、薄寒い笑みを浮かべていた。こいついつ髪の毛直すんだ。


 その多賀谷の隣の席に座っている葛西はテーブルに突っ伏して寝ていた。何寝てんだお前。


 ──大丈夫なのか……これ……。


 思った以上にまとまりが無さそうなメンツが揃ってしまったかもしれない。これを率いていくのが俺の役目ではあるが、正直不安しかない。


 視線を前の席に戻して、スマホの着信履歴を確認する。目の前の空席に座っているはずの人物からの連絡は入っていない。


「ねぇ、これいつ始まんの?」


 斜め向かいの北条が耳にかけていたイヤホンを外して、不機嫌そうにそう訊いてきた。


「あと一人揃えば始められそうだけど……」


「誰がくるの?」


「あー、ひめ──」


 その名前を言いかけた時、閉まっていた教室のドアが開く音が聞こえ、六人目の委員が到着した。


「ご、こめん……! 廊下で話してたら遅れちゃって……!」


 視察に参加できなくなった結城の代わりに俺が協力を仰いだ人物。学園の〝女神様〟こと姫野ひめの一希かずきが息を切らしながら教室の中に入ってきた。


「良いね、〝女神様〟。面白くなってきたよ」


 最初に言葉を発したのは多賀谷だった。彼は目を閉じながらニヒルな笑みを浮かべてそう言った。髪色がプリンじゃなければそれも様になっていたかもしれないのにな。


「〝女神様〟が来るとか、聞いてないんだけど」


 北条は小さい声で、独り言のようにそう言った。彼女の表情からその感情を読み取ることはできないが、少なくとも姫野に対しての嫌悪感などは抱いていない様子だった。


 さっきまでテーブルに突っ伏していた葛西は、「ふにゅ」と気持ち悪い声を上げながら目を擦っている。お前ガチで寝てたのか。


「あ、あの……」


 皆の視線を一身に受けながら、姫野は狼狽えるように入り口付近でオドオドしていた。


「まだ始まってないから大丈夫。ここ座って」


 俺の前の空席を指差して、姫野に着席するように促す。姫野はそれに相槌を打ってパタパタと自分の席に向かった。


 姫野が席に着いたのを確認すると、その隣の席の北条がじっと俺を見つめていることに気がついた。


 北条のその目は、俺を咎めるような、非難するような感情をはらんでいた。


 その視線に一々突っかかっていると開始時間が伸びそうだったので、それを無視して音を立てて立ち上がる。


「よし。これで六人揃ったし、そろそろ始めようか」


 いまいち締まりのない空気感を醸し出している面々を前にそう発言すると、北条が突っかかってくるように声を出した。


「……六人って、今五人しかいなくない?」


 北条はそう言って周囲を見渡した。


「……居るだろ。隣にもう一人」


「えっ……」


 北条の隣の席に座っている人物に視線を向けると、彼女はそれを追うように首を傾ける。


「……っ!?」


「えっ、居たんだ……あっ」


 隣に人が座っていたことを初めて認識したように、幽霊でも見たかのように顔を歪ませる北条。そして、自分の失言を隠すように口を手で塞ぐ姫野。


「…………」


 多賀谷は馬鹿みたいな真顔でその人物を見つめている。


「ぶゅえぇっ!!」


 雄叫びのような声と共に、ドガァンと何か大砲でも撃ち込まれたかのような音が部屋中に響く。


 俺以外の人たちから、たった今存在を認知された彼女は、目の前でぶっ倒れている葛西や、隣で胸を抑えながら渋い顔をしている北条を見据えながら、淡々と話を切り出した。


「ごめんなさい。私の存在感が薄いせいでご迷惑をおかけしました」


 その人からの予想外の返答に一瞬時が止まる。その止まった時を動かすように北条が慌てて立ち上がり弁明を始めた。


「い、いや、ごめんって! 私鈍臭いから気がつかなかっただけだから!」


 多分それはフォローになってないぞ。


「もしかして……君ってそっち側の人間?」


 そっち側ってどっち側だよ。


「コヒュー……、こ、腰が痛いでしゅ」


 椅子が壊れてないか心配だよ。


 皆思い思いに喋り出し、一気に騒がしくなる会議室。


「あはは……」


 姫野はこの惨状を見て、どうして良いのかわからないようにただ苦笑いを浮かべていた。


 ……これは一回自己紹介から始めないとな。

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