第8話 緊急事態
「ピピピピッ」と部屋中に鳴り響くアラームの音で目が覚める。
中途半端に身体に掛かっている毛布を蹴り飛ばし、机の上に置いてある時計を手に取ってアラームを切る。
流れ作業で日の光を浴びるためにカーテンを開けようと手が動いていたが、先日からの出来事を思い出してなんとか踏み止まった。
こればっかりは習慣になっている動作なので矯正するまでには時間がかかりそうだ。
視覚的に光を取り入れて強制的に頭を呼び覚ます代わりに、大きなあくびをしながら携帯を拾い上げる。
何か連絡は来ていないかと確認していたところ、他の何よりも目が覚める文言が書いてあった。
『
これは強烈な目覚めになりそうだ。
──────────
「ごめん!」
雨に濡れた制服を気にする暇もなく教室まで行き、自分の席に着いた俺を待ち構えていたように詰め寄ってきた
息を切らしながら駆けつけた結城は、自分の顔の前に合わせた手をすりすりと擦り合わせている。
「ど、どうした? なんか予定でも入ったとか?」
事情も何もわからないので、単刀直入に彼女にそう訊くと、普段なら薄くチークを塗っているはずの自身の頬をポリポリと掻いて、しどろもどろに説明を始めた。
「あー、えーっと……実は、今描いてる絵のコンクールの締切日を見間違えてて……。来月だと思ってたら今月の下旬でして……」
後半になるにつれて萎んだ声になっていく結城。
彼女は昔から絵を描くことが趣味で、高校に上がってからは、定期的に企業や団体が主催しているコンクールに自身の作品を応募しているらしい。中学生の頃にも一度だけそれに応募して入賞したと、集会の際に表彰されていたのを覚えている。
結城の話によると、そのコンクールの公募の受付の締切日が五月の下旬始め頃だと思っていたが、昨晩改めて確認したところ、自分の重大なミスに気がついたとのこと。
「途中までは出来上がってるんだけど……その後の仕上げに時間かかっちゃいそうで……」
俺の前席の椅子に、背もたれを前にして身体を預けて座る結城は、あまり眠れていないのか目にクマができていた。
彼女はその眠たげで虚な目を俺に向けて、遠慮がちに聞いてきた。
「視察の仕事って結構大変だよね……?」
「ああ、まあ……少なくとも、最終下校時刻ギリギリまで作業することになると思う」
「だよねぇ……あぁーどうしよう……」
いつもなら化粧や着こなしなどをきっちりと決めて登校してくるはずの結城が、今はその風貌がなりを潜めているところを見ると、彼女も相当焦っているのだろう。
結城はこういう人との約束事やルールを反故にすることを嫌うタイプの人間だ。いや、そういう性格になったといえる。本来はもっと飄々とした性分なはずだ。
「これじゃ面目ないよぉ……」
まあ、ツラは合わせてるんだけどな。
結城はそう言って、何ヶ所かピンと毛先が跳ねている自分の髪をカジカジと掻きむしっている。
さすがにこれは結城の都合を優先した方がいいだろう。俺が彼女に頼み込んだ時以前から、彼女はそのコンクールに出展するために、絵の製作に取り掛かっていた。
ならば今回は結城以外の人を代わりに、視察に参加してくれる人を探すしかない。
その旨を彼女に伝えるために椅子を引いて身体を浮かせた。
「頼む結城! もう一回俺に暇そうな人を紹介してくれ!」
「えぇ……切実すぎる……」
机に両手をついて、そこに頭を擦り付けながら、これから忙しくなるであろう結城に仲立ちを懇願する。その様は側から見れば無様に映ることだろう。それでも俺はもう自分で人を集めることが困難だということを悟っている。
「……大丈夫だって。やっぱし私が無理してでもやるからさ」
おずおずと頭を上げると、結城は憐れみをはらんだ目で俺のことを見つめていた。
「それは悪いよ。こっちに付き合わせて作品のクオリティが下がったりでもしたら、それこそ俺は合わせる顔がない」
「……誰に?」
「結城が描いた絵を楽しみに待っている人たちに」
「…………」
校内でたびたび表彰される結城の絵を鑑賞することを待ち望んでいる人は少なくない。結城の既存の作品をまとめて、小さな個展でも開けばそこそこ儲かるんじゃないかと思えるほど、この学園での結城の絵の知名度は高い。
「それはありがたいことだとは思うけどさ……でも、もういないよ? 佐竹くんが求めてる条件の人」
「それは、そうだけど……」
確かに結城の言っている通り、そもそも学園全体を見ると、どの団体にも属していない人の方が少ない。その中で俺の知人、さらにある程度その人となりを把握している人に限定されると、もうほとんど択は残っていない。
結城と二人で沈黙を貫き、誰か適材の人はいないか考え込む。正直、即座に思い浮かぶのはたった一人しかいない。
周囲を見渡すとクラスメイトたちがちらほら登校してきて教室に集まりつつあった。
すると結城が何かを閃いたように目を大きく開けた。
「──あのさ……〝女神様〟はどう?」
その言葉にドキッと心臓が大きく跳ねた気がした。
俺にそう尋ねた結城はせきを切ったように喋り始める。
「……今、校内で色々と噂になってるじゃん? その……〝女神様〟の行く末、みたいな」
「…………」
「なんか生徒会に入るやら、部活に入るやらなんやらって。みんな〝女神様〟がこれからどう落ち着くのか〝収まりどころ〟を、それぞれの願望を含めて噂にしてるんじゃないのかな」
結城が言っている〝女神様〟についての噂。その噂は一日で拡散され続け、どちらかというと生徒会に入るという噂よりも、部活動や同好会に入るという部分にフォーカスが当てられ始めた。
度が過ぎたところでは〝女神様〟の歓迎会の主催を企てているらしい。それはもう
「もし〝女神様〟が合流説明会の視察の業務に関与してるだけだって知れ渡れば、そういう噂も少しは落ち着くのかなって。……なんか色々と変な尾鰭もついてきてるし」
それは、俺も考えていたことだった。
生徒会や部活動などに所属するかもしれないという噂は、姫野が何かしらに属してしまえば噂としては成り立たなくなる。それが今回のような臨時で設置する、限定的な組織であれば都合が良い。
そして、俺との関係性を仄めかす噂を考慮しても、姫野が部活動と同好会を視察する組織に選出されたという事実があれば、それらの噂も鎮火するかもしれない。
つまり、〝女神様〟は生徒会にも部活動にも、同好会にも属すつもりはなく、俺との目撃情報はただ単に、その組織に参加することを打診されていた。という真実があれば、一番収まりのいい結果になるのではないかと思う。
しかしそれは、あくまで姫野がこの噂を良しとしていない場合に限る。それに、次の〝女神様〟に関する新たな噂が生まれる可能性も捨てきれない。そもそも姫野自身は部活動や同好会に所属したいと言っていたし、今回の噂自体がマイナスだけに働くわけではないと思う。
俺は固く閉ざしていた自分の口をこじ開けるように声を出した。
「──それは〝女神様〟次第だな」
「まあ、そうなんだけどさ……。なんか色々と気になっちゃって」
そう語る結城は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「別に、気にする必要はないだろ」
俺がそう言うと結城は曖昧な笑みを浮かべて、俺から視線を逸らすように土砂降りの空を見上げた。
「……とにかく、〝女神様〟に協力を仰ぐことも視野に入れて考えてみるよ」
それに、部活動や同好会の部員との取り次ぎの際に、〝女神様〟に仲介してもらった方が都合良くことが進むかもしれない。
しかしそれは姫野を道具のように扱っているようなものだし、そもそも学園でも家でも干渉し合わないという自分が立てた誓いに反している。
それは自分自身理解していながらも、現状を考えると姫野に協力を要請する手しかないようにも思える。
いつの間にか視線を窓から俺に向けていた結城は、晴れない面持ちで相槌を打った。
「うん……ごめんね、何もできなくて。もし絵が仕上がって何か手伝えることがあったら言ってね」
「それはありがたい。それに、北条のことも紹介してもらったし、それだけでも助かった」
「…………あ」
結城が嫌な声を上げた。
「あの……
「…………」
「私が抜けるからって、自分も抜けるとか言い出さなければいいけど……」
「さすがにそれは……ないと思いたい」
「だよねぇ……」
遠く聞こえる結城の声に、北条なら言いそうだという予感を否定できないまま、一限目の授業を受けることになってしまった。
──────────
「なに? 集合場所とかはもう
「……え?」
昼休み。廊下を歩いていた
「……なに?」
言葉に詰まって黙っている俺を訝しんだのか、北条は目を細めていかにも機嫌が悪そうな表情を作り出した。
「あ、いや……結城が抜けるなら、北条も抜けるつもりなのかと思ってて」
北条は俺の言葉を聞くと、ふんと鼻で笑って人を揶揄するように片方の口角を上げた。
「一度交わした約束をふいにするわけないでしょ。誰かさんと違って」
彼女は普段よりもワントーン上がった声色で、そう皮肉くるような物言いをした。
「……それは、よかったよ」
「──ほら、早くしないとメロンパン売り切れちゃうよ」
「──あ、待ってよなーちゃん……!」
二人の女子生徒が、俺と北条の間を縫うように駆け抜けていった。それと同時に沈黙が訪れる。
俺と北条はその間に人一人が横になれるぐらいのスペースを開けて距離を保っていた。さらに階段の渡り廊下で話していては邪魔にもなるだろう。
しかし俺たちはその場を動かなかった。
しばらく沈黙が続くもそれを破るように、そっぽを向いていた北条が冷たい目を俺に向けた。
「それだけ? ならもう行くけど」
北条はそう俺に確認を取りつつも、すでに階段を下りようと足を前に出している。
「あーいや、ちょっと一個訊きたいことがあるんだけど。北条って放送委員会の人以外に知り合いいるか?」
「は? なにそれ私のこと煽ってんの?」
足を止めた北条はつんと肌に刺さるような視線を俺に向けて、苛立ちを隠さない声色でそう言った。
「いや、単純に友達いるのかなって」
「それ聞いてどうするの……」
北条は一つため息をつくと、手すりに寄りかかって目を閉じて、顔を上に向けた。
そして、北条はそのまま少し間を置いて話し始めた。
「もしも、足りなくなった人員を補充するために、私に人を紹介してくれってことなら……私には頼らないでよ」
「……そうだな」
今の言葉には色々な意味が込められているんだろうな。そう思えた。
それは面倒ごとを押し付けないでくれと言う意味か、はたまた俺を拒絶するために吐いたものか、それともシンプルに友達が少ないからか。
俺が集めた人たちの中で、他の生徒と交流がありそうな者が北条ぐらいしか居なかったこともあり、最後の希望を持って彼女に打診したが、まあ案の定の結果となった。
しかし、こんなダウナーでものぐさな北条との付き合いがある人はまともな性格をしているはずだ。それは間違いない。
「その顔、絶対失礼なこと考えてるでしょ。私辞めてもいいんだけど?」
「いやなにも」
ふんっと短く鼻を鳴らし、足を踏み出した北条の背中に向けて、一応確認のために声をかける。
「今日、十六時に集合だからな」
「はいはい。あと、私普通に友達居るから」
「ああ、うん」
そう言って気だるげに階段を下りる北条を見送ると、もう打つ手がないことを実感する。
今朝結城との会話を頭で反芻しながら、スマホを取り出して、連絡先から目当ての人を探し始める。
ちょうど昨日連絡先を交換した人物。
学内外問わず、何か困ったことがあったら相談してくれと言って交換したその人物に、俺から助けを求める旨のメールを送ろうとしている。
自分が作った文章を一度確認する途中にも、胸のうちから妙に鳴り響く何かを無視して、メッセージを送るべく送信ボタンを押した。
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