第6話 風変わりな野郎ども

 姫野とのあれこれが起こった次の日。学園はある噂で持ちきりとなっていた。


「──ねぇ、あの〝女神様〟が生徒会に入るらしいよ」


「──マジ!? 生徒会長になったりするのかな?」


「──さあ? でもさぁ……いいよねぇ〝女神様〟がなってくれたら」


 小さなコミュニティ中での噂が回る速度は尋常ではない。それが〝女神様〟のような有名人ならなおさらだ。もっとも、現状流れている噂で真実を語っているものは一つもないが。


「──なあ、〝女神様〟部活入るってよ」


「──な、なん……だと……!? どこの部活だぁ!? 言えぇっ!!」


「──おっおい!胸ぐら掴むなって!! 俺も知らねえんだよ!」


 一説によると、嘘の情報は事実よりも二十倍の速さで伝播されるらしい。まあ、この噂を悪意を持って意図的に拡散させている者はいないとは思うが。それでも〝女神様〟に対する噂は、複数の情報が錯乱したものになっていた。


「──〝女神様〟が生徒会の佐竹さたけと二人っきりで話してたらしいぞ」


「──知ってるー。なんかお昼休みの時間に旧館から浮かない顔して出てきたって……」


「──えぇー……大丈夫かなぁ、〝女神様〟」


 タチの悪いことにその噂の一部には事実が盛り込まれており、俺にとってあまりよろしくないお話が囁かれている。


 けどまあ、人の噂も七十五日というし、良くも悪くも話題の絶えないこの学園のことだ、しばらくすればこのほとぼりも冷めることだろう。


 購買で買ったパンを入れたレジ袋をぶら下げて、生徒会室に向かうため本館と旧館を結ぶ渡り廊下に出る。


 購買に寄ったあたりから誰かに後をつけられているような気がするが、どうせろくでもないやつがよこしまなことを考えているんだろう。


 チラッと首だけ後ろを振り向くと、カラメルプリンのような髪色の変なやつが視界に入るが、捕まると面倒くさいのでスルーして歩みを進める。


 旧館側のはずれにある自動販売機で、飲み物を買うためにコインの投入口に小銭を入れて、緑茶のボタンを押そうとした時だった。風を切り裂くような声が耳に入る。


「──やあ、佐竹くん。君、今ちょっとした有名人だね」


「……」


 そいつに構わずボタンを押し、自動販売機の取り出し口から三百五十ccのペットボトルを取り出して、パンが三つ入っているレジ袋に乱雑に入れる。


「それはそれとして、僕は相変わらず最前のクラスに振り分けられてしまったよ。つまりA組だね。君は何組に配属されたのかな?」


「…………」


「あ、そういえば合同説明会の実行委員は明日から動き出す予定だったかな? なにか携帯に連絡があったような気がするけど、忙しくて確認できてなくてね」


「………………」


「君には借りがあるから今回は協力するけどあまり勘違いして欲しくはないね。本来君と僕はそんな気安い関係じゃないんだからね」


「………………お前、その頭どうにかしろ」


 俺がなにも言葉を発さないからと、好き勝手喋り続けたプリン頭。多賀谷清十郎たがやせいじゅうろうはフンと鼻を鳴らし、明るく染めた部分が中途半端に伸びている髪をまさぐった。


「失礼だね。僕はこれでも学年主席だよ?」


「脳みそじゃなくて髪の毛だよ。染め直すか切るかしてくれ。ついでに頭の中身も詰め直してもらえ」


「横暴だねぇ。この学園の規則にはなにも違反していないのに」


 確かにこいつの言っているようにこの学園の校則には違反してはいない。正確に言うと違反してはいるが、髪色を強制的に直す罰則がない。この学園では特別派手でなければ頭髪の髪染めは原則自由となっている。


 ただ度を越して染髪している者へは、生徒会や風紀委員が警告して、常識の範囲内の明るさへ変更することを促す決まりがある。


「まあ、確かにそれを直す校則はないけど。純粋にみっともないんだよ」


「ふぅー……これも一つの個性として捉えて欲しいね。このカラメルがかかったプリンみたいな髪でも好んでくれる人はいるんだよ」


「俺はお前のためを思って勧告してるんだよ」


「それはありがたいけどさ。たとえ道ゆく人に後ろ指刺されて嘲笑されようとも、これを変えるつもりはないね」


 多賀谷はそう言うと、退けと言わんばかりに俺と自動販売機の間に身体を擦り付けてきた。


 俺は反射的に舌打ちしそうになったがなんとか堪えて、横にそれて退いてやる。


 多賀谷はスマホを取り出すと、自動販売機のタッチ決済のパネルにかざしてミルクティーを買った。


「このミルクティーのボトル、冷温兼用なんだね」


「……ああ、それが?」


 自動販売機から取り出したペットボトルを見せびらかすように手で弄び、ニヤニヤした顔で一呼吸おいた。まるでこれから長話でもするように。こいつの話長いんだよな。


「通常のペットボトルは熱を加えると容器が破裂する恐れがあるよね。加熱することを想定して設計されていないから」


「ああ。で?」


「この容器なら耐熱性があるから、専用のヒーターで加熱することを前提にある程度の温度は耐えれる。それでいて冷却時の負圧にも耐えれるように製作されている」


「……で?」


「他にも酸素による酸化防止の工夫がこれには施されているけど、それは置いといて」


「…………で?」


「あまり急かさないでくれよ。僕が言いたことはここからなんだから」


 なんでこんな忙しい時期にこいつのどうでもいいうんちくを聞かされないといけないんだ。というかそんなの元から知ってるし、なんならそのキャップに記載されている文言を読めば想像つくだろ。


 腹の中でふつふつと煮え繰り返る怒りを鎮めるように、何度か大きく深呼吸をした。そうすると気が落ち着き、頭の中がクリアになった。


「どうしたの? 動悸かい?」


 もう、こいつの気が済むまで話を聞いてやろう。こいつも友人が少なくて喋る相手がいないんだ。だから、温かい目で見守るように相槌を打ってやろう。


「お前ふざけてるのか? 言いたいことは端的に話せよ」


「これでも話を選んでいるつもりなんだけどねぇ。本当はもっと君と喋りたいんだよ?」


「なに気持ち悪いこと言ってんの」


 なんだか寒気がして自分の身体を守るように腕を組む。こいつはいつもそうだ。本心か冗談かわからないセリフを平気で言う。


「それで結局なにが言いたいんだ? そのペットボトルの話から何に繋がる?」


「うーん……話を逸らしたのはそっちのくせにその態度は……」


「いいから早く話してくれ」


 多賀谷はやれやれといったようにイラつく仕草をした後、「つまりね」と鼻につくような声で続きを話し始めた。


「このペットボトルは季節や環境によってその身を左右されているってことだよ」


「……うん?」


「それは人だって同じだ。人格形成において生活環境による影響は計り知れないものがあるだろう。環境が人の性格を作り出すと言っても過言ではない」


 持ち前のよく回る口で、訳のわからない自論をペラペラ喋り倒す多賀谷。


「そう、それは例えば……」


「………………」


「僕みたいな愚直で純粋無垢だったやつが、卑屈で卑劣な皮肉屋に成り下がったのは、自由を奪う学校という教育機関があったからだよ」


「今もなお、その学校に縛り付けられているやつが言うセリフではないけどな」


 それは多賀谷がかねてから主張している持論だった。


 やっぱこいつの話は聞くだけ時間の無駄だ。なんでこんなやつに育ってしまったのか。俺が初めて出会った頃はもっと素直で良いやつだったのに。


 軽くため息をつきながら踵を返して生徒会室に行こうとすると、多賀谷はまだ喋り足りないのか俺の行く手を阻んだ。


「僕甘いもの苦手なんだよね」


「……は?じゃあなんでそれ買ったんだよ」


「間違えたんだ。本当は隣の緑茶が飲みたかった」


「ふーん。いい気味だね」


「だから交換しようよ」


「やだよ」


 掴まれた腕を無理やり引き剥がそうとするも、へばりついて離れない多賀谷の手を、逆に噛みついてやろうと素振りを見せると、そいつは簡単に引き下がった。


 「しょうがないねぇ」なんて、整った顔をひん曲げながら、ふざけたことを抜かしてミルクティーを飲む多賀谷。


 そいつを横目に、今度こそ生徒会室に向かうために旧館へ足を踏み入れた。



──────────



 生徒会室の扉を三回ノックして扉を開ける。


 中に入ると一人の小柄な男子生徒が、頬杖をつきながらノートPCに向かって、マウスを熱心に等間隔でクリックしていた。


 カチカチカチと、その人の人差し指で押されるマウスのクリック音が、静寂なこの部屋に鳴り響いている。


 俺が部屋の出入り口の近くでぼーっとその人のことを見ていたことに気がついたのか、その人は耳に付けていたイヤホンを取って、整理整頓されたデスクに雑に置いた。


「……お疲れ様です」


「んー。お疲れー」


 気づかれてしまったのでとりあえず挨拶をすると、抑揚のない声で淡々とした返事がきた。その人はなおも続ける。


真鍋まなべならいないよ」


「……実行委員会の準備に来たんで大丈夫です」


 長方形の形に並べられているデスクの真ん中、俺がいつも使用している所に移動して、パンと緑茶が入っているレジ袋を置く。


「ふーん」


 一言そう呟いてデスクに置いてあったマグカップを手に取り、中に入っているものを啜ったその先輩は──生徒会長である真鍋さんと同学年であり、生徒会執行部の総務を務めている、藤崎総司ふじさきそうじ。多賀谷とは別ベクトルで綺麗に整った顔からの、ダウナーでつれない態度が学園の女子生徒から人気を集めている。らしい。


「会長は、また会議ですか?」


「うーん。そうらしいねー」


 正直、俺はこの藤崎先輩のことがあまり得意ではない。かといって苦手という訳ではないのだが……。俺と藤崎先輩の間にはいつも微妙な空気が流れている。


「それで? ちゃんと準備進んでんの?」


「一応今日でもろもろ環境を整えたら、明日から始められます」


「ほー」


 もちろん生徒会役員としては尊敬している内の一人だし、俺ら二学年の役員のこともしっかり気にかけてもらっている自覚がある。


「それで……ここにあるノートPC借りてもいいですか?」


「佐竹の自分のやつならいいけど、俺のは持ってかないでね」


 しかし、反りが合わないというかなんというか、なんとも言えない感情を藤崎先輩に向けざるおえない。


「誤ってギャルゲーが起動したら困るから」


 その原因は言わずもがなこれである。


「──はい……」


 そう言うしかなかった。


 藤崎先輩はいつも生徒会室でギャルゲーをしている。ギャルゲーといっても自分はまだ高校生だからと、律儀に成人向けのノベルゲーム以外のものをプレイしている。


 しかし、それでも学内で、それも学生にとって聖域ともいえる生徒会室で、いかがわしいと言われても仕方のないようなことをしていることには違いないのだが……。


「なにその目は」


「──いや、なんか……相変わらずゲームしてるんですね」


「なんか文句あんの?」


 藤崎先輩はつり目気味の鋭い目つきをさらに鋭利にさせ、俺のことを一点に見つめてきた。


「もう俺の分の仕事は終わってんだけど」


 追撃のように飄々と、どこか感情が乗っていない声でそう言った藤崎先輩。というかなまじ顔が整っているだけに、凄まれると普通に怖い。


 本人曰く、自分に割り振られた業務を速攻で終わらせてからゲームをしているらしい。だが、俺は藤崎先輩が個人的な生徒会業務を全うしている様子を一度も見たことがない。


「いや、別に、なにも……」


 そう言いながら俺は、書類や備品などが整理されている自分のデスクから、ノートPCと必要な書類数枚を探す。


「なに? なんかやって欲しいの?」


 藤崎先輩は椅子の背もたれに身体を預け、気だるそうにそう訊いてきた。


「いえ……。今のところは自分たちだけでなんとかやっていけそうです」


「ふーん。まあ、あの行事は二年生を中心として執り行うのが慣習になってるからねぇ。二学年の君らがしっかりしないと」


 淡々と事実を喋るように、冷厳とした態度で話を進める藤崎先輩。しかしその目は先ほどとは違った。とても優しい目をしていた。


「……でもまあ、なんかあったら言いなよ」


 俺はその目、真鍋さんと似通ったその瞳から、再び目を背けるように視線を逸らしてしまった。


「──……はい」


 俺のか細い返事を聞くと、藤崎先輩はイヤホンを拾い上げて耳につけ、再びノートPCと向き合った。


 俺に振り当てられたデスク。そこは昨日の夕方頃には書類や用具が散乱していて、目も当てられない状態だった。それが今では綺麗に片付けられている。


 この部屋の清潔感を保つために整理整頓をしているのは藤崎先輩らしい。俺はそれを真鍋さんから聞いた。他にも学園や生徒会のことで色々と動いてくれているらしい。その詳細は教えてくれなかったが。


 人の見えないところで業務をこなす藤崎先輩のことを思うと、やはり生徒会役員に気軽に助けを乞うことはできなかった。

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