第2話 女神様からのお呼び出し
始業式がつつがなく終了した後のホームルーム。俺が新しく組み分けられた二年C組の教室内では、ちょっとした騒動が巻き起こっていた。
「やっば!〝女神様〟と一緒とか!!」
「顔人形みたい……ねえねえ、
「髪もめっちゃサラサラじゃん!」
「おれ……もう、あしたちんでもいいや……」
教室内では〝女神様〟を中心として、新しい面々との親睦を深めるための輪が広がっていた。男女問わず彼女を取り囲み、我先にとアピールを仕掛ける姿はまるで野生動物の狩りのように思えた。
当の本人はそれを恥ずかしがるような仕草を見せ、それがまた彼らの情熱を奮い立たせる。なんというかこの場がちょっとした狂宴の場になりつつあった。一応、ホームルームでの細々とした決め事などはすでに完了しているため、後は各々自由時間なのだが、俺のように一人でじっとしている者の方が少ない。
それにしても、まさか〝女神様〟と一緒のクラスになるとは。前日に自分がどのクラスに配属されるかは告知されていたが、このタイミングでこうなるとは思ってもいなかった。
今もなお冷めやらぬ狂乱の渦中にいる〝女神様〟とその周囲の人たちを観察して、改めて思う。もし、彼らに俺と彼女がご近所さんの関係になってしまったことがバレたら。
どれだけの人が〝女神様〟とお近づきになるために思案を巡らせようとも、彼女はたった一人の友人しか自らと同じ時間を過ごすことを許さなかった。それなのに、彼らのように熱狂的なファンでもなければ、彼女とさほど関係があるわけでもないやつが、物理的に近いポジションを得てしまった。
これはもうどうなるかは明々白々だ。バレたら俺に明日はない。
かといって〝女神様〟も事を荒立てることはしないだろう。軽率に自分の引っ越し先を話したりはしないだろうし、俺も誰かに喋ったりなんてしない。話すほどの相手がいない。そのため、俺ら二人が周囲の人間に黙っていれば事実が明るみに出ることはない。
だからお互いに干渉し合わなければ良い。そもそも関わり合いになることも少ないだろう。俺と彼女では住む世界が違う。住んでいる家は隣同士だけど。
そう。大丈夫だろう。いつも通りで。そう思っていた。
「
四限目の授業が終わった昼休み。購買に行って昼飯を調達しようと、財布を取り出そうとカバンを漁っている時だった。〝女神様〟から声をかけられた。予想外の出来事に思考が停止する。
「……え?」
「い、今時間あるかな……?ちょっと話したいことがあって……」
彼女は気まずそうに眉尻を下げて、長い黒髪を片手で押さえながら、顔を少しだけ近づけて小声でそう言った。
……まあ、そうだよな。同じ学園に通っている隣人がクラスメイトになる。そういう状況になったら挨拶程度の声ぐらいはかけるよな。でも教室で声をかけられるとは思っていなかった。
「あー、うん」
俺の気の抜けた返事を契機として、〝女神様〟の周囲にいた人が騒ぎ始めた。
「……は? なんで〝女神様〟が佐竹に……?」
「えっ、嘘……! そういう感じ?」
「おれ……もう、いますぐちんじゃうかも……」
時間をかけてやっと落ち着いてきた〝女神様〟のファンたちが、火山が噴火したように再び燃え上がった。ある意味この情熱こそが、この学園の生徒たちの良い点なのかもしれないなぁ。なんてよくわからない目線でクラスメイトたちを見つめる。
「えっ、あ、あの……」
〝女神様〟はその有り様を見て、その長い髪を揺らしてあわあわと狼狽えている。
そろそろ本格的に彼らがヒートアップしそうな予感を感じて、どう対応しようか考えあぐねている彼女に助け舟を出すために、周囲の人に聞こえるように声を張り上げる。
「あー……生徒会関連の話だっけ」
〝女神様は〟キョロキョロしていた視線を俺に向けて、一瞬固まった後、何かを察したようにスンと落ち着いた。
「え……あ、うん。そう……」
「ここじゃなんだし、生徒会室で話そうか」
腑抜けた返事をした彼女にそう促して、財布を持って椅子から立ち上がる。
「……生徒会?」
「えっ……も、もしかして〝女神様〟生徒会に入ったり……?」
ざわめきの質が変化し、ヒソヒソと話し合うファンたち。面倒くさいことになりそうなので、俺たちは早めに教室を出ることにした。
──────────
「……ここまで来れば大丈夫か」
「う、うん。……ごめん」
〝女神様〟を連れて旧館の校舎の最果てにある旧放送室のそのまた先、非常口階段の踊り場まで移動した。今朝の様子を見るに、今は生徒会室を使うわけにはいかない。
申し訳なさそうに顔を伏せている〝女神様〟にどう言葉を切り出そうか。ここまで移動するまでの間にもかなりの注目を集め、先頭を張っていた俺に、廊下ですれ違う生徒たちの容赦ない視線が突き刺さっていた。彼女はその事を気にしているのだろうか。
「やっぱすごい人気だな……」
「そ、そんなことないよ……! それに、今だけだと思うよ。ああいうの……」
「そりゃ、今後もあのテンションでいられたら困るけど」
今朝のクラス替えからの一連の流れを思い出すと気が滅入ってしまうものの、彼女が言っているように、クラス替えという一喜一憂のイベントによって彼らがひと際興奮しているようにも思える。だから日が経てば〝女神様〟の熱烈な支持者たちの熱も静まるだろう。
「こ、ごめん……。あんなことになると思ってなくて……」
「いや、まあ……」
正直これに関しては、彼女は軽率だったといわざるおえない。あのクラスメイト同士で牽制しあっている状況で、〝女神様〟が特定の誰かに話しかけたらどうなるかは火を見るより明らかだ。
「あ、あと……その、……クラスで変な噂になってたりしないかな」
「……さっきの俺のでまかせが?」
「う、うん……」
……それに関しては完璧に俺に落ち度がある。今思えば安直な考えだったと思う。だから俺は彼女を責める資格がない。まあ、そもそもこんなので人のこと一々責めたりしないけど。
「もし校内で話題になって、それを不服に感じるなら俺が責任持って訂正する」
「あ、ううん……。その……さ、佐竹くんの迷惑にならないかなって……思って……」
「……俺は別に平気だから。そんなの」
「そ、そっか……」
〝女神様〟は緊張でもしているのか、乾燥している喉を震わせて乾いた笑いを上げた。どこか様子のおかしい彼女にこちらが困惑してしまう。
俺を呼び出した用件は予想できてはいるが、彼女の口から直接聞くために、その件の話をするように促す。
「それで、話って?」
「あ、う、うん! わ、わたし最近お引っ越ししたんだけど、お隣さんに佐竹さんって方がいて……」
一生懸命に口を動かして、言葉を紡ぐように喋る〝女神様〟。そんな彼女に何か違和感を感じる。
「そ、それで……その佐竹さんって、佐竹くんのお家なのかなって……」
「ああ……そうだよ」
「や、やっぱり……! わ、わたし佐竹くんのお隣の家に越してきたんだけど……」
「……知ってる」
「そ、そうだよね!」
急かされているようにおどおどと喋る〝女神様〟。こうして面と向かって話す機会は今までになかったが、彼女が普段こんな話し方をしないことは知っている。聞きたくなくても嫌でも話し声が耳に入ってくる。
「それでなんだけど……なんか、その……い、色々と気を付けようねって、話をしたくて……」
──ああ、これは……
「ご近所トラブルとかそういうのを心配してるんじゃなくて、そのぉ……」
俺は警戒されているのだろう。あの〝女神様〟に。
「も、もちろん、せっかくご近所さんになったんだから……仲良くしようとは思ってるよ……!」
そりゃそうだ。移住先の真隣に一緒の学園に通う同学年の生徒が、ましてや異性が住んでいたら誰だって少しは警戒するはずだ。
「それに、部屋も向かい合わせらしいし……、お互い気を遣っちゃうかもだけど……」
体の熱がスーッと冷めていく感覚がする。
ここまでしどろもどろに喋る彼女の真意はわからない。もちろん俺は彼女に危害を加えようなどとは思っていない。しかし、容姿端麗な彼女のことだ、過去に〝そういうこと〟が起きた可能性がある。そういうのを含めて色々と理解できる。
「──……大丈夫」
「…………えっ?」
あたふたしながら支離滅裂なことを口走る〝女神様〟に、若干笑いそうになりながら、彼女の話を遮るように口を開いた。当の〝女神様〟は俺の言葉の意図を図りかねて困惑している様子だった。
「そんな心配しなくても大丈夫だから」
「…………」
「家が隣同士になったからって
さっきまでとは違い、真剣な眼差しを俺に向ける〝女神様〟。
「俺は、学園ではいちクラスメイトとして、家では良き隣人として接するつもりでいるから」
「……うん」
〝女神様〟はその真剣な表情は変えずとも、少しばかりか微笑みながら相槌を打った。
「それにこのことがあいつらの耳に入ればどうなるかは大体想像できるし」
「うっ……あははっ……そ、そうだね……」
彼女は眉を下げて乾いた笑いを浮かべた。その姿まで様になっているのはなんだか徳に思えた。
「まあ、慣れるまではお互い大変だと思うし、引っ越してばっかで不安なのはわかるからさ」
逸れてしまった話を戻しつつ、そろそろ時間も時間なので締めの話に入る。
「もし今後気になることがあったら遠慮なく。一応俺も生徒会役員だし、ここの学園の生徒として、話聞くよ」
「うん……。ありがとう」
そう当たり障りのないようなことを言って会話を切り上げる。それでもどこか不安げな〝女神様〟を横目に、今にも鳴りそうな腹を押さえて階段を見下げる。
「それじゃあ……」
「あ……ご、ごめんね……! もう色々と気を遣わせちゃって……」
そう言う彼女の言葉に、手を軽く左右にパタパタ振りながら歩きだす。
とりあえず、今後しばらくは俺の部屋のカーテンが開くことはないだろう。そんな事を考えながら階段を下り、短くなった昼休みを満喫しようと本館へ向かった。
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