第1章 活動・同好会 合同説明会編
第1話 春の目覚め
忙しなかった春休みが終わり、新学期が始まる日の早朝。窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずりで目が覚めた。視界に映るのは机一面に広がる紙と、冷め切っているであろうコーヒーが入ったマグカップ。
午前六時三十分。机に置いてあるデジタル時計に表示されている文字を見つめる。遅れて、ビリビリと頭に響く音が鳴り始めた。その音に無理やり脳を叩き起こされ、胸ぐらを掴まれるように意識を引き戻される。
「──あぁー……」
どうやらまた寝落ちしてしまったらしい。太陽の光以外に、俺の頭上からも輝きを放出している物がそれを物語っている。
今もなお鳴り響くデジタル時計のアラームをぶっ叩くように切った後、朝日が漏れ出ているカーテンに手をかける。その時だった、昨日のことを思い出した。
隣の空き家に子連れの親子が引っ越してきたらしい。今時にしては珍しく、引っ越しの挨拶をするためにうちに訪れたらしいが、あいにく俺は外出していたためまだその一家の雰囲気を掴めていない。しかし、その家族の一人娘が俺と同じ学園に通っているということを、俺の親から又聞きした。
その少女の名前は
人が思い浮かべる理想の女神像を体現したような彼女のことを、誰かが〝女神様〟と呼び始めた。するとその愛称は学園中に広まり、学年問わず多くの者がその愛称を使いだし、絶大な人気を得た彼女を支持する者たちが現れた。
もし、その〝女神様〟と家が隣同士に、彼女と同じ生活空間に近づき始めた輩が現れたとやつらに知られたら。盲信的とも言えるほどの彼女のファンたちに何をされるかわかったもんじゃない。下手をすると俺の平穏な日常を脅かす事案になりかねない。
そうなると、今日からは慎重に行動しなければならない。そっと開こうとしていたカーテンから手を離して、時間を確認するためにデジタル時計を再び見る。俺が目を覚ましてから五分が経過していた。こんな思考のために貴重な朝の時間を消費してしまった。
「……いや、馬鹿らしい」
隣に誰が越してこようが俺の日常が変わることはない。学園中を忙しなく動き回り、好き勝手してるやつらを怒鳴り散らかし、そいつらがしでかした事件の後始末をする。そんな日々が俺の日常だ。
机に散らばっている書類の中から、今日提出する議事録を探し出す。手に持ったそれに記入漏れがないか確認していくと、作成者の欄に名前を書き忘れたことに気がついた。
その辺に転がっているペンを拾って、『
それを部屋に転がっている通学カバンにしまいこんで、寝間着から制服に着替え、そのカバンを持って部屋を出た。
──────────
春らしい暖かい陽気に当てられて、駅から学園までの通学路を歩く。一年前までは見慣れなかった街並みも、今ではもう地元のような風景へと変わっていった。
俺が通っている高校、『私立
この学園の他の特色として、部活動などの活動が盛んだということがいえる。部活動と同好会を合計すると七十を超える団体が存在する。他校にあるような運動系、文化系の部活動はもちろんのこと、少しマニアックな同好会まである。
歩き始めてから十分ほど経つと、我が学園の校舎が見えてきた。本館の昇降口では、クラス表が印刷されたプリントが配布されており、そこに人がこぞってたむろしている。歓楽の声や落胆の悲鳴など様々な感情が行き交うそこを通り過ぎ、旧館へ向かうために横道に入る。
だんだんと賑やかな声が遠のいていくのを感じながら、若干年季の入った旧館の開け放たれた玄関に入った。そこで、持ってきたシューズを投げ捨て、ローファーから上履きに履き替える。
この旧館には理科や家庭科などの、教科ごとに設けられた専用の教室がある。その特別教室を除けば、放課後に部室として使用される部屋や、もう幾年も手を付けられていない物置き部屋、そして生徒会室ぐらいしかない。そのため他の生徒が寄りつかないこともあり、割とこの校舎は気に入っている。
もう使われることのない掲示板、少し埃っぽい廊下、そこだけ切り取るとここだけ時が止まっているように感じる。
本館と違って静寂な廊下を歩いていき、二階に上がると目的地の部屋の前に立ち、その部屋のドアを三回ノックしてからゆっくりと開ける。
「……失礼します」
「──ん。おお、おはよう」
出入り口から見て両端の壁にびっしりと敷き詰められた棚。それに挟まれるように、向かい合わせで二列で並んでいる八つのデスク。縦長に広がるそれを見守るように鎮座された大きめのデスク。そこに座って、PCで作業をしている人が一人いた。
「おはようございます。会長」
生徒会執行部の会長、
真鍋さんはPCに向き合ったまま視線だけこちらに寄越した。その視線を受けて、俺は部屋の中に入ってカバンから書類を取り出して、それを真鍋さんに手渡した。
「これ、昨日の会議の議事録です」
「おお、サンキュー」
真鍋さんは一度作業の手を止めて、受け取った議事録を素早く確認していく。
「あの……大丈夫ですか?」
「んー?なにが」
「いや、なんか……」
真鍋さんはいつもきっちりとした雰囲気を纏っている。この学園はさほど厳しくない、というよりもかなり緩めの校則であるにもかかわらず、髪型も服装も厳格に整えている。
しかし、今日はいつもよりもやつれている印象を受けた。
俺が言葉を詰まらせていると、真鍋さんは書類から目を離して、鼻を軽く鳴らして俺の顔を見上げた。
「別になんもねぇって。気にすんな」
「…………」
「そんなことより。合同説明会前の視察の方、任せたぞ?」
「……はい」
「あの視察は二学年が中心になって執り行うことが恒例になってるからな。なかなか大変ではあると思うが、こっちでも手伝えることがあったら協力するから、その時は早めに言ってくれ」
真壁さんは議事録の書類を仕分けファイルに入れて、再びPCに向かいながら、視線だけをこちらに向けてそう言った。
「……わかりました。ありがとうございます」
「おう。……じゃあ、そろそろ教室に向かいな。もう時間だしな」
「会長はまだ移動しないんですか?」
「おう。ちょっとやることがあってな」
始業式前だというのに、まだ生徒会関連の書類仕事が残っているらしい。自分も手伝えることがあれば良いが、真鍋さんのこの感じからすると俺が居ても邪魔になるだけかもしれない。
「了解です。……失礼します」
軽く会釈だけして出入り口に向かい、ドアノブに手をかけてドアを開けようとした時だった。
「あー、佐竹」
真鍋さんに呼び止められ、後ろを振り向いた。
「日頃学園のために尽力してくれていることはありがたいが、自分の友人たちとの交流も大切にな」
なにかを憐れむように、なにかを詫びるように、そんな複雑な感情が透けて見える真鍋さんの視線に耐えきれず、思わず目を背けてしまう。
「……はい」
真鍋さんのその言葉に、真鍋さんのその優しさに、俺は空返事しか返すことができなかった。
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