第2話 BOSS【スーツ怪人】

「スキル『レベルアップ』を獲得しました」


 ……状況が理解できない。これ一言に尽きる。

 先ほどまでの苦痛が全て噓だったと思えるほどに体調は万全で、着替えた覚えもない謎のコスチュームもそうだが、ヘルメットの内部から聞こえてくる謎の声のせいで、頭が混乱する。

 そんな状態の頭に、新たなメッセージのようなものが届いても、意味を理解できるわけがない。かろうじて内容を聞き逃す事は無かったが、状況を整理するのに後どれだけの時間が必要になるだろうか。


 更に、混乱を極める自分の事はどうでもいいのか、ヘルメットのディスプレイに謎の文章が表示される。



 【レベルアップ】


 する毎に、レベルが上がる。



 その文章を噛み砕き、かろうじて理解したのは、これは先ほど獲得したスキルとやらの概要である事だった。

 まあもっとも、まるで説明しようとする気概を感じられないが。


 理解するための時間が必要だ。頭が限界を迎えた自分は、ひとまず体の状態を確認する事にした。

 当然のように消え去った痛みから分かる通り、素人目でも分かるようなあの致命傷は、何処かへ消え去っている。欠損した部位も完全に元通りになっており、ぼんやりとした気怠さも無い。

 それどころではない。何もしなくても分かるほど、自分は絶好調だった。運動不足だった筈の体には活力が漲り、何時間の睡眠をとればこうなるのか想像できないほど思考が鮮明だ。間違いなく人生最大のベストコンディションである。


 あまりにも都合の良い展開に、これが夢であると疑ってしまいそうになる。

 しかし、崩壊した駅前、自分の体の部位だったであろう転がる血肉、そしてこちらを警戒するように距離を取るスーツ姿の怪物。その全てがあの非日常の延長であると語りかけてくるようだった。



「ハイドチスミマリマスハイゴザアリモウシタイヘマシタ」


 また訳の分からない事を口走る怪物が、こちらを見つめている。いや、目がどこにあるのかさえ分からないのだが。


 ふと、嫌な事を思い浮かべてしまった。何故この状況で自分が立ち上がれたのか考えてみると、この世で最も位の低い貧乏くじみたいな仮説が湧いて出て来た。

 まさかとは思うが……こいつと戦うためだろうか。碌に運動をしない人間が、人間どころか小動物とさえ争った事が無い人間の底辺が、人を簡単に嬲り殺せる怪物を相手に戦う……? 体のいい冗談みたいな話なのに、なぜか笑えない。


 ……でも、試してみる価値はあるかもしれない。

 貧乏くじはいつもの事だ。陽キャの連中がサボりたい時は自分が掃除当番を代わるし、こんなのは別にいい。

 ここで問題なのは、これ以上の犠牲が増える事だ。俺はサイコパスでも何でも無いため、人が無惨に殺される姿を見れば間違いなく精神的に堪える。その中で更に最悪なのが、もし自分に人を救える力があった場合だ。その凄惨な現場を見なかったとしても、絶対に責任とか後悔とかそういう悪感情が吹き出物みたいに自分の頭に蔓延り始めるだろう。間違いなく一生の後悔案件である。


「……よ、よし」


 震えが止まらない手でファイティングポーズをつくってみた。不格好なのは初めてだから許してほしい。

 自分でも分かるくらい御座なりな姿だが、どうやら相手に敵意は伝わったようで、怪物はこちらを警戒しながら、しかし着実に距離を詰めて来た。


「ハイハイハイ」


 素早い動きだった。さっきとは訳が違う。先ほどまでは、こちらを弄ぶに値する餌か何かだと思っていたのだろう。

 まるでこちらを捕食せんとばかりに勢いよく走って来た相手を見て、幼い頃トラウマだったホラー映画を思い出した。随分昔に克服したと思っていたその恐怖が、目の前に迫って来ている。それと同時に、自身の変化の無さを悟った。


「ッ!!」


 常の自分なら躱せなかったという自信がある。どうやら動体視力も良くなっているようで、紙一重で相手のバットを凌ぐ事が出来た。

 だが、紙一重である。こうして相手の攻撃を避け、再び距離を取った後も、あの眼前に迫る釘が頭から離れない。あと一瞬でも遅れていたらと考えると、またあの死ぬほどの痛みが背中を伝うようだ。

 今でもあの瀕死の苦痛を覚えている。あんなの二度と御免だ。


「無理無理無理!!」


 きっと、天から戦う為の身体を与えられた。だけど自分はそれを無駄にする事しか出来ない。だって肝心の心が何も成長していないのだから。


 自分は闘争ではなく、逃走を選んだ。戦う選択肢なんてのはただの思い違いだったのだ。そもそもそんな話は誰もしていない。自分は選ばれたと勘違いした思春期特有のアレが働いてしまっただけだ。

 だから、何も悪い事なんて無い。そんなものは無いのだ。


 踵を返し、この場を離れようと足に力を入れた。するとどうだろうか。きっと陸上選手も羨むであろう初速を生み、自分は疾走した。

 自分の足がこんなにも速いとは信じられない。昔から運動はてんで駄目で、長距離マラソンに参加したら保健室に運ばれた事もある。そんな自分が、こんなにも疾走感を感じられるとは。

 相手の動きも速いが、きっとこれなら逃げ延びられるだろう。そんな確信を抱き、自分は必死に足を前へ前へと出し進む。


 そんな時、逃げ惑う人々の姿が目に入ってしまった。悲鳴は段々と鳴り止んできたものの、自分の目の先に少なくない人だかりが出来ている。ひしゃげたバスの中から避難しようと降りてくる人達を見て、それが先ほど自分を轢きかけた暴走バスだという事に気が付いた。あんなに人が乗っていたのかと驚愕してしまう。

 時間にして数秒も経っていないが、自分の中で迷いが生じてしまい、足を止めてしまった。今も尚、後ろから敵が迫ってると分かっているのに足が動かない。


「アー」


 向こうから声がした。その先を見てみると、ゾンビのように突っ立ている人間?が居た。それもゾロゾロと。

 背丈は普通の人くらい。体格も相違ない。そして、どこから現れたのかその人間達は、自分を殺そうとしているあの化け物に、どことなく似ていた。ゾンビほど無能には見えないが、理性も希薄そうだと感じる。


「ウォォォォォ」


 後ろから突然、あの化け物の咆哮が聞こえた。慌てて振り返ると、奴が動きを止めて片手を上げているのが見える。

 すると例の人間?達が一斉に動き出した。ただボーっと立っていただけなのに、何が起きたのか統率の取れた動きでこちらに迫って来る。正確には、あの避難しようとしている人達の方へ。

 友好的には見えなかったが、どうやらあのゾンビ共は、あの化け物の部下とかそういうものらしい。あいつが直前に叫んだ途端これだ。間違いないだろう。


「ヒィ!?」


 迫りくる敵の群れに、避難者達は怯えきっていた。体に煤や血が付いているし、事故で疲弊しきっているのだろう。誰一人としてすぐにその場を離れない。このままではあいつらの手で無惨な死に方をする。


 図らずも、自分は命を天秤にかけた。自分と、あの人達のを。

 自分の心音がやけに重く、ゆっくりと聞こえる。これが所謂、極限状態というヤツだろうか。今ならあの化け物の攻撃も難なく躱せるだろう。……いや、一歩も動けないみたいだ。


 やはり自分は役立たずだ。何も出来る事は無い。間に入ったところで一緒に殺されるのがオチだろう。

 なのに決断できずにいる。こうしている間にも時間は流れていくというのに。


 思考が纏まらず、ゆっくりと時だけが過ぎていく。避難者とあのゾンビ達の距離が縮まっていくほど、自分の鼓動が大きく遅くなっていった。


 ……意図しない事だった。本能が必要だと訴えて来たのか、それとも思考を放棄したのか、全く関係の無い昨日の出来事が思い起こされた。



 似ている、と思った。自分が間に入ったあの状況に。

 全くスケールが違う話だが、いや、話にもならない話だが。今まさに、似た選択を迫られている。

 目の前の悲劇を止められるのは自分のみ。失敗に怯え、なけなしの勇気を振り絞らなければならない。誰の感謝も無く、自分に得は無い。

 ……それでも、昨日の自分は確かに行動を起こした。目の前に見える貧乏くじを引いた。そうやって生きて来た。


 ――何であの時、助けようと思ったんだっけ?


 そんな疑問を拭えないまま、自分はゾンビの群れに突っ込んでいった。



 先頭を走っていた敵に、渾身のタックルをお見舞いしてやった。いつもの自分ならへなちょこなものだろうが、今は高い身体能力を持っている。ぶつかった敵は空中で何回転もしながら遠くに飛んでいった。当たり所が良かったのか、綺麗にぶっ飛んだ敵の姿に全員の目が釘付けになる。

 今がチャンスだ。


「早く立って!!」


「あ、あぁ」


 困惑している男性が、自分の差し出した手を取った。

 普通なら、こんな怪しい恰好をした人間なんて信用しない。だが今は警察とかよりも、こういう訳の分からない変質者の方が救いに見えるのかもしれない。

 心底そうであって欲しいと願いつつ、続々と動き出した避難者達の姿を見て、自分はその協力的な姿勢に心の中で感謝をする。

 今はどうやっても時間が足りない。効率的に動かなければ。


「アー!!」


 背後にはこちらを襲おうとするゾンビ共が居る。一丁前にスーツを着ている割には、話が通じそうな相手ではない。

 ……戦うしかない。他でもない自分が。このままでは、どうあがいても避難が間に合わないのは明白だ。必要なのは時間稼ぎ。


 またも自分はファイティングポーズを取った。主観ではあるが、心なしか手の震えは少なく感じる。

 この戦いには勝てなくていい。あの人達が逃げ切る時間を作り、あわよくば自分もその後に逃げられるように立ち回る。それが今の自分の役割。


「ア!」


 敵の1人が掴みかかって来た。しかし自分はそれを難なく避け、再び距離を離す。あの親玉に比べれば、こいつらは大した脅威じゃない。数にだけ気を付けて、囲まれないようにすればいい。

 逃げる人達を追いかけようとする奴が居れば、その妨害に入る。タックルでも蹴りでも何でもいい。とにかく敵の足を引っ張る事さえ出来れば。


「スミハイハイ」


 もっと気を配るべきだった。こんな状況は初めてで、経験の浅さが如実に表れた。

 目の前の敵に精一杯だった自分は、件の親玉の存在を失念していた。恐怖心や警戒心が薄れていたと気が付いても、もう遅い。

 急所は避けたものの、血塗れの釘バットが、自分の右腕に突き刺さった。あの苦痛が蘇り、声を上げる事もままならない。ただ痛みだけが思考を支配する。


 恒例のごとく自分の身が宙を舞う。体が地面に叩きつけられ、肺の空気が全て抜け、頭に耳鳴りが響く。

 痛む身体に鞭を打ち、自分はゆっくりと立ち上がった。なるべく傷ついた右腕は使わないようにしたが、それでも鋭い痛みが伴う。


 せめて武器が欲しい状況だ。流石に丸腰で戦える相手とは思えない。額に何か温かいものが流れていくのを感じながら、そう考えた。


 ……逃げれば、よかった。


 何を今更、と自分でも思う。もう引き返せない場所まで来ているというのに、またもあの疑問が頭を廻っているのだ。しかし、その疑問が消える事は無い。

 そう思い悩んでる内、理由も無く命を懸ける自分が、とても愚かに思えた。


 何故、立ち上がった。


 何故、立ち向かった。


 何故、助けようと思った。


 何故、何故。


 疑問が絶えない。……何も、何も分からなかった。



「レベルアップ」


 聞き覚えのある音声に一瞬、幻聴を疑ったが、それは現実に聞こえたものだった。体の内側から光が溢れ始める。


「アゥ!?」


 明滅する視界の中、雑魚数匹が風圧で飛んでいくのが見える。体が血肉を取り戻していく不思議な感覚を覚えながら、先ほどのスキルについて思い出してみた。

 ……全く理解が出来ない。成長というあまりにも曖昧な言葉から連想される出来事は、今のところ1回も無かった。

 貧乏くじの件はいつもの事で、それは正義感ではなく、どちらかというと使命感から出た行動であり、未だ疑問が解消できず更に積み重なっていく現状も残っている。それの何処に成長という要素があるのか。もしかしたら、あの説明文のようなものに意味なんて無いのかもしれない。






 遊来はそう考えていたが、実際に彼の成長はあった。


 遊来の精神は同年代の身近な人間と比べても一際、未熟なものだった。

 勝負の世界を知らず、損をしないため得を狙わない。臆病で惰性的な生活をしていれば、それも仕方ない。しかしそれは反対に、成長するための余力ともいえる。


 人は成長する際、必ず壁にぶつかり、疑問を持つ生き物である。

 こうして疑問が吹き溜まりのように積み重なる事は、遊来の人生において初めての事だったのだ。だから遊来は気が付かない。


 疑問というものは、紛れもなく成長の第一歩である事を。



 ――遊来に、明らかな変化が訪れた。


 負った致命傷に壮絶な恐怖、更に再び強制される戦闘を前に、遊来の脳は遂に限界を迎え、それを越える。

 遊来の本能はこの状況を乗り越えるために、遊来の経験を最大限に引き出す方法を模索し、その答えを導き出した。


 それは現実とゲームの世界を混同させる事である。万人にからすれば、それはただの現実逃避であり、その先に破滅が待ち受けているのは想像に容易い。

 だが今の遊来にとって、その思考はこのを上手く使いこなすための武器となる。加えて、遊来にとってゲームとは他と一線を画す得意分野である。彼の右に出る者は、そうそうお目にかかれない程に。

 遊来の本能が生みだしたこの状況は、まさに鬼に金棒となった。






「スキル『ソード』を獲得しました」


 心身ともに全快し、スキルの概要を見る。

 体は直っても、状況は変わらない。目の前には変わらず敵が佇んでいる。

 ……だというのに、自分は闘争を前に、心を弾ませている。



 【ソード】


 「剣」を生み出す。



 自分の知らないゲームが目の前にある。何か違うと感じながらも、この高揚は抑えられない。まるで、諦めていたあの時のようだ。そう、初めてゲームを遊んだあの時に似ている。

 二度と味わえないと思っていた未知への好奇心。いつしか忘れたそれを、今は無邪気に楽しめていた。


 ソード。……反応無し。心の中で念じるとか、そういう発動条件では無いらしい。


「ソード」


 そう呟くと自分の手のひらに1本の剣が収められた。何処からやって来たのか一瞬にして現れたそれが、初めて握ったにしては手によく馴染む。まあ、ここら辺はRPGゲームの類ならよくある話だ。

 スキルの発動条件は口頭での発音。これがコマンドで間違いなさそうだな。


「アァ!」


「ソード」


 飛び掛かって来た雑魚の動きに合わせ、自分はもう片方の手に剣を召喚し、不意の一撃を喰らわせた。自分の真横を通り過ぎた相手は、体を上半身と下半身に分けて床に転がる。新たにできた赤い血だまりを見る限り、こいつらも元は人間とかそういう設定もありそうだ。


 整理しよう。

 『レベルアップ』はHP全快付きのタイプ。周回が楽そうだ。

 『ソード』の方はMPとかTPとかそういったゲージの消費らしきものが無い。大した時間を空けずに2本も出せたし、クールダウンも無いと思っていいだろう。



 両手から剣を手放し、地面に落とした。小気味よい金属音が響き、相手の雑魚達が肩をビクッと震わせた。

 ボスの怪物は臨戦態勢のまま微動だにしていない。しかし、それは露骨に距離を縮めたくないようにも見える。あの怪物もこちらを見定めるのに必死なようだ。


 すると地面に転がった剣が同時に姿を消した。白いパーティクルとなって霧散した剣を横目に、脳内タイマーを止める。


 ――4、5……5か。手放した武器は5秒くらいで消える。


「ソード」


 今度は両手で持つような大剣2本をイメージし、コマンドを発動させた。

 すると派手な両手剣が自分の手のひらに収まる。しかし、イメージ通りではない。


 1ワンコマンドにつき1本。出現する剣は自分が定めたイメージ次第で形や大きさが変わる……が、条件は手のひらに収まり、かつ扱える物限定。

 ……制限が緩すぎる。本当にデメリットはこれだけか?


 ここまでの情報を精査し、そのでたらめな力に困惑する。ゲーマーの身としては、ここまでお膳立てされている現状を「ヌルゲー」と呼ばざるを得ない。


「……もう少し難易度を上げたいな」


 心の声が口から漏れた事に気が付かない。相手が目に見えて苛立ち始めているのを見ても、焦りなどは生まれない。

 相手の強さ、自分の状態をほとんど把握した自分は、勝利を確信した。


 両手で剣を担ぎ、なるべく予備動作を見せないよう自分は相手の方へ突撃した。

 前方に居た反応が遅い雑魚を何人か斬り伏せ、援護にやって来た他の雑魚をいなしつつ、ボスの方へと直進する。


「ハイ!?」


 予想外のスピードだったのか、ボスは素っ頓狂な声を上げながら慌ててバットを振り下ろした。

 その攻撃に合わせ自分は剣を振るのではなく、刃の腹でその攻撃をいなした。瞬時に両手を放して相手の懐に潜り込み、怪物の左胸に手を当てる。


「ソード」


 自分がそう呟くと、怪物の体が硬直した。言語を理解しているのかは分からないが、そのコマンドが攻撃の合図だとしっかり認識できているらしい。

 しかし、期待とは裏腹に剣が相手の体を貫く事は無かった。剣は現れる事無く、何も無い時間だけがその場に残される。


「!!」


「ソード」


 咄嗟に動き出した相手の行動を読み、バットの軌道上に剣を置いた。ガキン、と甲高い音が耳障りだが、おかげでダメージを受ける事無く再び距離を取れる。結果的に雑魚に囲まれただけになってしまったが、まあ収穫はあった。

 流石に、障害物を無視しての武器の召喚は出来ないらしい。あのまま心臓を貫ければ、いや心臓とかあるのか分からないが、とりあえず最低でも大きなダメージを与えられた。現実はそう甘く……ん? 現実、じゃないか。ゲームゲームゲーム……。


「ウォォォォォォオ」


 目の前のボスが咆哮を上げた。するとさっきまで怯えた様子を見せていた雑魚達が何かに操られたように一斉にこちらへ襲い始める。やはりあれは何かの合図、というより信号の役割を持っているようだ。こちらも警戒しやすくて助かる仕様である。

 さて、いよいよ本腰を入れて攻略を始めよう。楽しいゲームの時間だ。


「アィ!!」


 雑魚戦の肝は本来、リソースをどれだけ温存して先に臨めるかという点である。

 多対一での戦闘において一番厄介なのは、相手の数が多ければ多いほど消耗戦になる事だ。しかし、自分が生みだせる剣には消費するようなリソースは無い。つまり、心置きなく最大火力を振るえる。


「ソード」


 相手の動きは遅く、容易に対処しやすい。


「ソード」


 武器を変幻自在に出せる手前、相手に距離感を測られる事無くリーチを稼げる。


「ソード」


 両手を放すだけで新たな武器が手に入る。理性の無いCPUにこういう駆け引きは出来ないだろう。



 数十体の雑魚が来たところで、剣が無限に手に入る自分の相手ではない。2メートル近い大剣を出してしまえば一時的にだが、それだけで障害物を作れる。フィールドも自分の手の平の上にあると考えていいだろう。


 問題はあのボスだ。吠えるのを止めた途端、距離を取って雑魚達の後ろに隠れている。ここで間に入っても雑魚が邪魔で戦えない事を理解しているのだろう。

 だが、このまま雑魚の数を減らせば一騎打ちだ。何かされる前に早いところ雑魚を一掃した方がいいな。


「ハイ、モグ、ハイ、モグ、ハイ、モグ」


 やはりタダで終わる気は無いらしい。ボスはおもむろに手近な雑魚を持ち上げると、そのまま頭に被っている麻袋の内側へ押し込み始めた。スマイルマークが醜く歪み、ぐちゃぐちゃと音を立てながら袋を赤く染めている。

 それも1体だけではない。こちらの様子を窺いつつ、次々と部下であるはずの雑魚を捕食している。


「ウォ……ア、アゥオオオォォォオオ!!!」


 先ほどの低い地響きのような咆哮では無く、獣の雄たけびのような叫び声が辺りに響いた。耳を塞ぎたかったが、頭に被っているヘルメットのせいでそれは叶わない。


 するとボスは、ボコボコと不快な音を立てながら、姿を変えていった。

 3メートルくらいあった背丈が倍近くに伸び、体を前に預けたと思うと、四足歩行で動き始める。異様に長くなった手足は動物のように逆方向へ関節を曲げ、背中からは大きなガラスの破片のような物が、まるで突き刺さっているかのように内側から生え出ている。不気味な頭の麻袋の下半分が破れ、内側から血まみれの下顎のような物が出ており、その口からは血やら涎やら様々な液体が流れ出ているのが見える。


 ただ腹を満たす為の食事では無いと思っていたが、どうやら雑魚を取り込む事でパワーアップするシステムらしい。今、雑魚を全て片付けたからこれ以上ボスが強くなる事は無いだろうが……少し遅かった感が否めない。ホラーチックなデザインの敵には慣れているが、流石に迫力満点が過ぎる。


「ヴォ」


「!? ソド……っ!!」


 正直、反応できたのは奇跡だった。見た目以上に、先ほどまでとは能力が違う。

 汚い声と同時に襲い掛かって来たと思った次の瞬間には、怪物が目の前に迫って来ていた。咄嗟に武器を召喚する事に成功し、分厚いグレートソード越しに攻撃を抑えられたが……どんな衝撃を受ければこうなるのか、大剣には亀裂が駆け巡り、直撃箇所は煙をあげて黒くなっていた。

 曖昧な発声でもコマンドが発動するという収穫はあったが、これを見た後だと全く釣り合いが取れているように思えない。


 相手は、地面から上げている片腕にあのバットを持っており、こちらを見てニタニタと笑っている。

 ……状況は劣勢。今の自分では、あの巨体に有効打を与えられるような武器は召喚できない。火力重視で大剣を出しても、それを担ぎながら、あの敵のスピードを搔い潜って攻撃するのは難しいだろう。


 だからこそ、自分の胸は高鳴った。


 いつぶりだろうか。尽きる事無い興味から様々なゲームを遊んできた自分は、その内、苦戦する楽しさというものを忘れてしまっていた。

 時には、自ら手札の制限をかけて更なる難易度へ挑戦するという縛りプレイを実践していたが、そうやってゲームをしていれば本来の難易度に戻れないのは明白。プレイスキルは上がっていくが、自分を満たしてくれるゲームの数が減っていく。

 簡単なものも楽しいが、ゲームに没頭するあまり、結果的に自分の中でゲームという概念の幅を狭めてしまっていた。


 だが、今その悪循環が断ち切られた。一時的かもしれないが、自分の知らない世界が目の前に広がっている。

 例え自分の命が掛かっているとしても、今はただ、この世界を楽しむだけだ。



「ソード、ソード」


 いよいよ火蓋が切られたボス戦。自分は2本の直剣を両手に携え、相手を睨む。


「ヴェアァア!!」


 相手からの凄まじい速度の接近。完璧には躱しきれない。

 だが今日だけでその動きは何回も見ている。毎度毎度、馬鹿みたいに真正面から向かってくるおかげで、対処がしやすい。


「っ!」


 2本の直剣を地面に突き刺して防御を試みたが、予想通り剣は折れ、全く勢いを殺せなかった相手のバットが自分の腹を叩いた。ただの衝撃だけでも痛いのに、おまけとばかりに釘が体に突き刺さる。恐らくだがその釘は、胃か腸か、どこかの臓器まで達しているだろう。

 とんでもない深手だが、ここまでは想定内。ダメージ覚悟で気合を入れてたおかげで、今度は自分の身体が吹っ飛ぶ事は無かった。


 バットに体重を預けたまま、地面に突き刺さっている折れた刃を蹴り上げた。


「!? イッィィィイアァアア!!!!」


 飛んでいった1メートル弱の刃が、ボスの顔に突き刺さった。攻撃直後で油断していたのが目に見えるほどのクリーンヒット。狙っていたスマイルマークの目から、血飛沫が上がる。

 その攻撃がかなり堪えたようで、ボスは後ろに飛びのき、転げ回った。釘バットが腹から抜かれ、自分は思わず膝を突く。

 だが相手の方が重傷だ。両手で顔を覆い、すぐに起き上がる様子が無いあたり、本当に目に突き刺さったのか悶絶しているらしい。ボス戦あるあるの急所が分かりやすい親切設計で助かる。

 しかし、惜しくも脳までは届かなかったみたいだ。出来れば今の一撃で仕留めたかったが、流石にボス戦。そう上手くはいかないか。とりあえず、これだけ狼狽えているのにあのバットを手放さないのが分かっただけ良しとしよう。


「ゴフッ……ソ、ド」


 腹から昇って来た血のせいで上手く発声が出来ないが、発音は曖昧でもコマンドが反応するのは検証済みだ。

 自分の右手に問題なく剣が現れる。イメージ通り、全長は短いが、横に広く分厚い剣だ。十分に盾として働いてくれるだろう。



 自分は相手の攻撃に対応しきれず、相手に攻撃を当てられる余裕が自分には無い。ならばどうするか?

 選んだ作戦は、ダメージトレード。互いに正面から攻撃し合い、先に体力が尽きた方が敗北する。自分は、そんな勝負に出た。

 どちらが先に倒れるかの一騎打ち。これなら相手が自分より素早くても、カウンターで致命傷を狙える。

 普段ならHPゲージが可視化されているため計算を駆使して臨むその戦術。だが今は何の攻撃が互いを死に至らしめるか分からない為、これは一か八かの賭けだ。


 仮に勝ったとしても、体が限界を迎えて死ぬ。今のままでも、かなりの出血量だ。この腹の穴は間違いなく致命傷だろう。相手も目の傷が見た目より深ければ、何をしなくても弱っていき、恐らく息絶えるだろう。そうなれば、勝者は残らない。


 だがしかし、こちらはどれだけダメージを負ったところで、最後に立っているのが自分であれば……ボスを倒した経験値で、レベルアップができる。

 今の唯一の回復手段であり、未来を望める勝利の特権。プレイヤーに許された最強のスキル。……だからこれは時間との勝負だ。


 ゲームオーバー前に、あいつを倒す。それが勝利条件。



「ヴァァアアア」


 未だ血が流れる片目を抑え、ボスがこちらを睨みつけてくる。肝心の表情が見えないが、きっと血走った片目をこちらに向けている事だろう。

 ヘルメットのせいで見えない自分のにやけた面を拝ませたいところだが、そんな事をしている時間も無い。裂けた腹の痛みに躊躇せず、足を思い切り動かす。


 ボスがこちらの動きに合わせ、姿勢を低く構えると、目にも止まらぬ速度で走り出した。まるで追い込まれた獣のような一心不乱さだ。心なしか先ほどよりも足が速いように見える。

 恐らく、これが最後の一騎打ちとなる。数秒も経たずに起こる正面衝突。タイミングを見誤れば確実に負けるその勝負に、全神経を研ぎ澄ます。


「シャァ!!」


「ッく!!」


 目が慣れた事もあってか、相手の動きを見切る事は出来た。

 しかし、その攻撃は予想していたものでは無い。飛んできたのは、あの忌々しい釘バットでは無く、もう片方の素手によるパンチだった。

 咄嗟に右腕を守るよう剣の腹を合わせる。あのバットほどの威力は無いが、まるで感電したかのように、全身の骨に衝撃が伝わる。何とか勢いを殺す事は出来たが、右腕から力が抜け、剣を地面に落としてしまう。


「アァアアアアァ!!!」


「!? ソド!!」


 間を空けずに更なる追撃。相手は決定打になる釘バットでの攻撃を二手目に出してきた。これは全くの予想外だ。攻撃手段がバットしかないという固定概念に囚われていたのもあるが、見るからに野生溢れる獣のような奴が、まさかこういう駆け引きを仕掛けて来るとは……。やはり腐っても元は人間だからだろうか?


 新たに召喚した剣は先ほどと同様の盾となる短剣。それを左手でしっかり握り、逆手で構える。

 しかし、これは1本目と違い、防御目的で生みだしたものでは無い。

 自分は、この短剣を高々と掲げた。


「ッガハ……!」


 自分は、相手の攻撃をモロに喰らった。横薙ぎのフルスイングが自分の脇腹に命中する。数値の表示があれば、クリティカルヒット判定だろう。

 体に入って来た衝撃が脳までをも揺らし、体のあちこちで不快な音を奏でる。だが胴体の安否はそこまで重要ではない。いや即死は避けたいが、それよりも重要なのは両腕の温存だ。ここが動かなければスキルを発動できない。

 そして今度は自分のターンだ。


「ウォぉオオ!!!」


 何とか気合で持ちこたえた自分は、掲げていた短剣を力一杯に振りかぶった。

 切れ味はお世辞にも良いと言えない。だがその短剣は横幅が広く、分厚い。こいつの細い腕を切断するのに火力は十分足りている筈だ。


 斬った、というより潰した、という感覚の方がしっくりくる。そんな感触を覚えながら、自分は相手のバットを持っていた右腕を地に落とす事に成功した。


「アギアァア!!?」


 無くなった右腕を見てボスが悲鳴を上げる。だが、これで終わるつもりは無い。


「……ギ」


 流石に攻撃を受けすぎたせいか、発声がままならない。無理に喋ろうとしない方がいい気がする。これでは、もうソードは使えない。

 ……ならば、こちらも相手を見習う事にしよう。


「ウ!?」


 ようやくここまで接近できた。素っ頓狂な声をあげるボスの頭が、目の前にある。

 後ろに飛びのこうとする相手の頭を左手で掴み、右腕に力を込める。

 スキルはあくまでも攻撃手段。こちらの決定打はただの拳だ。


「ヴァァァアアァァアアァアア!!!!??」


 先ほど開けた麻袋の穴に無理やり右手をねじ込んだ。そのまま潰れた眼球の奥へと目掛け、右腕を押し進めていく。

 ボスはもがき苦しみながら、どうにか自分を引き剝がせないかと片腕を使って抵抗してくる。だが、こちらも放す気は毛頭ない。


「ゔ」


 ボスがこちらの胴体を握り潰そうと体に手をかけた。ズタズタになった胴体が尋常じゃない圧力で潰されていくのを感じ、思わず口から血反吐を吐いてしまう。

 意識が遠のき始め、体から徐々に力が抜けていく。しかしここで止まる訳にはいかない。この状況でも右腕にだけは万力の力を籠め、ボスの頭を内側からゆっくりと圧し潰していく。もはや頭を上げる力も残っていない。手探りで相手の急所を、脳を破壊しなければ。


 後、数秒もせずに決着がつく。正直言って勝てるかどうか微妙なラインだ。相手の脳みそが思ってるよりも小さいらしく探すのに難航してるのに加え、素手で肉壁を突き進むのはどうやっても時間が掛かる。それに比べ、敵の握力が弱まっていく様子は無く、こちらの体力が尽きかけているのもあってか、相手の力が更に強まっているように感じる。……と、理性は判断していた。

 なのに心のどこかから「勝利」の2文字を訴えかけられている。強迫観念にも近いそんな感情が、自分に敗北を許さない。冷静に状況を理解しているのに、勝利の確信が頭を離れない。

 あぁ、そうだった。これはロールプレイングゲームだ。土壇場で勝利を諦めるような勇者は存在しないだろう。だから自分はこんなにも奮い立っているのだ。


 たかがゲームにプライドを持ち、それでも何かを諦めきれなかった自分を裏切らないために、ゲームオーバーまで勇者ヒーローを演じよう。



 肉壁を掘り進む事を一時的に諦め、胴体と一緒に拘束されている左腕をよじる事に集中する。こちらも手探りだが、今度の狙いは神経が通っている自分の胴体だ。外す事は無いだろう。


「がはッ」


 自分は左手で腹に開いた傷口を更に大きく広げた。大量の血液がボスの手を赤く濡らし、そのまま地面にドバドバと勢いを増して零れ落ちる。

 心臓の鼓動が遅くなっていくのを感じる。間違いなく失血死目前だ。

 だが、おかけで喉から溢れていた血が下がっていく。口から血の味だけでなく、嗅ぎなれた街の匂いがする。既に肺も潰れてそうだが、人生で一番の新鮮な空気が気管に通っていった。


「ソー……ド」


 押し進めていた右腕を軽く引いて多少の空間をつくった後、自分はそう呟いた。

 握っていた右拳に重みが乗った。問題なく現れたという事は、そういう事だろう。


 自分は一切の躊躇をせず、思い切り相手の頭を貫いた。



 ……絞められていた胴体から圧力が一瞬にして消えた。それと同時に自分の体に力が入らなくなり、そのまま地面に倒れ込む。


 掠れた視界とヘルメットのシールドが相まってよく見えないが、相手の死体が……蒸発? かは分からないけど、塵になって消えていっているように見える。

 どうやら、死線をくぐり抜けたのは自分の方みたいだ。……あぁ、嬉しい。勝利の感覚に酔いしれるのはいつぶりだろう。もう長い間、ゲームをクリアした喜びを感じていなかった。もう得られないとは分かっていたが、忘れる事は無かったこの興奮。まるで夢みたいだ……。


 心音と共に段々と熱が抜けていく。ゆっくりと冷静さを取り戻してきたところで、何も無く時間が過ぎていく事に気が付いた。徐々に焦りが募り始める。

 相手が倒れてから何秒も時間が経っているというのに、レベルアップをする前兆が無い。早いところ回復しないと、この体はもう長くは持たない。一体、何が起こっているんだ。


 そして不思議なことに自分は冷静さを取り戻した。この状況で何をとち狂ったのか……いや、むしろその狂気が自分の中から抜けていったのだ。

 そう、これはゲームじゃない。我に返った自分は、先ほどまでの自分の行動を恐ろしく思うよりも、まるで思い出したかのように襲ってくる痛みにもがき苦しんだ。最初にあの怪物に襲われて死にかけた時の比ではない。まるで針山の上に身を預けているのかと錯覚するほど、何をしなくても体に激痛が走り続けている。


 声も上げれず、もはや体も動かない。例のレベルアップの片鱗も無い。死ぬ思いであの怪物を倒したというのに何の褒美も無いみたいだ。

 経験値が足りなかったのか? ……いや、恐らくあのスキル説明にあったという条件が達成できていないのだろう。とんだクソゲーだ。せっかく力を得たというのに、全くその仕様が分からないなんて。

 でもまあ、自分にしては頑張った方だろう。敵を退けて、これ以上の犠牲を防ぐ事ができた。間違いなく自分の人生において一番の胸を張れる功績だ。これほどの有終の美というヤツも、そう無いだろう。だから悔いはない。何も無い。…………ああ、クソ。どうにかならないのか。


「お、おい! あんた! 大丈夫なのか?」


 どうにか生き延びられないか考えている自分に声が掛けられた。首を動かせず、声の主に反応する事も出来ない。だが恐らく、自分が助けた生存者の1人だろう。この声には聞き覚えがある。


「きゅ、救急車……来るわけねえ。おい! 誰か! 見てないで助けるぞ!!」


 そんな声が聞こえ、次第に複数の足音が自分の方へ近づいて来た。思ったよりも数の多いその足音に、まだこんなに人が居たのかと驚く。


「こいつはひでえ……」


「と、とりあえず止血しないと!」


「これ使え!」


「ぐッうぅ」


 そんな会話の後、自分の体が持ち上げられる。特に酷い出血を起こしている腹部を布か何かで巻こうとしているみたいだ。そんな行為、正直言って焼け石に水だろうし、無理やり持ち上げられて体が悲鳴を上げている。自分を助けようとしてくれているのに、あまりの苦痛にうめき声を上げてしまった。


「す、すまん」


「……これ、もう無理なんじゃ」


「!! 馬鹿言うんじゃねえ! 命の恩人だぞ!!」


「そ、そうです! 何か方法がある筈……!」


「まだ生きてるか!! 使えそうな薬とか持ってきたぞ!!」


 自分のあらゆる感覚が鈍くなっていく中、周りの人達が慌ただしく動いているのが分かった。少しずつ冷たくなっていく自分に、必死に声を掛け続けてくれている。

 ……こんな見返りを求めていた訳では無いが、自分の心は充足感で満ちた。これなら人助けも悪くないと思えるほどに。

 別に自分の命を諦めたわけではない。ただ今は、こんな最後も受け入れられる気がした。ここに母が居ないのが心残りだが、それでもいいと思えるほど。

 思えば随分と久しぶりだ。人に感謝されるなんて……子供の頃は当たり前のような事だったけど、今になって初めて本物の感謝というものを貰ったように思う。人からの評価なんて煩わしいとしか思っていなかったけど…………案外、悪くもない。



「レベルアップ」


 沈みかけていた意識が覚醒する。体はまたも発光を始め、辺りを白く包み始めた。


「!! 皆、離れろ!」


 誰かのその言葉を皮切りに、一斉に自分から人が離れていった。

 何とか堪えられないか気合を入れてみたが、どうやら自分ではどうしようも出来ないらしい。怪我人が出ないようにと祈っていると、そのまま軽い爆風が起きる。


「きゃぁぁあ!!」


「おわっ!」


 風圧に巻き込まれた何人かが尻もちをついたのが見える。

 しかし、見る限り大した怪我はない。確認させてもらおう。


「す、すみません! 大丈夫ですか!?」


「は、はい……」


 地面にへたり込む女性に手を差し出し、ゆっくりと立ち上がらせた。

 女性は、身に着けていたコスチュームごと体が治っている自分を見て、驚いているようだった。


 それは周りも同じらしく、誰もが目を見開いて自分の事を見ている。大体の人達は驚いているように見えたが、全員がそうな訳ではない。中には怯えた目をこちらに向けていたり、何故かこの状況で興奮している人も居た。


「すげー……! 流石にモノホンでしょあれ」


 誰が言ったのか、遠くから聞こえたその言葉に気が付いた。自分を助けてくれようとした人達よりも多い生存者が遠くからこちらを見ている。自分は思ったよりも大勢の人間を救ったらしい。

 回復した視力で、こちらに向けられた無数のスマホを捉えた。今の一部始終を撮影されたのだろうか? 自分が戦っている所も? ……まさか、最初からだろうか? 自分が変身するところまで……?


 そう考えると、自分は楽観的にはいられなかった。一躍ヒーローになった、と浮き足立てば少しは気が晴れたのかもしれないが、そんなポジティブ思考は持ち合わせていない。

 この混乱で世界がどう変わっていくのかは分からないが、もし自分の正体が明かされる事になったら、誰に何をされるか分からない。

 ネットでよく聞く陰謀論なんかは気にも留めた事が無かったのに、もはや国そのものが信用できなくなり始めてしまった。この嫌な想像が当たらなかったとしても、少なくとも元の生活には戻れないだろう。


 きっともう動画や写真がネットに拡散されている。消してと頼んだところで、誰が撮影をしたかなんてもう分からないし、意味が無いだろう。……ああ、嫌だ。無数の目に晒されているみたいだ。まさか自分が、ここまで人目に触れる事になるなんて。


「スキル『カメレオン』を獲得しました」



 【カメレオン】


  透明になる。



 レベルアップしたのは少し前の事だ。なぜ今になって新しいスキルを手に入れたのか分からないが……これは好都合。問題を後回しにするだけだが、最早ここには居られない。


「カメレオン」


 自分がそう呟くと、まるで空気に身体が溶け込んでいくかのような不思議な感覚に襲われた。手や足の先を見てみると、物の輪郭から体が消えていくのが見える。本当に空気と同化しているかのようだ。


「あれ!? どこいった?」


「え? え?」


 遠くの野次馬どころか、目の前に居る女性も状況を理解できていない。他の人の目にも、突然自分が姿を消したように見えたみたいだ。


 試しに少し動いてみる。どういう理屈か分からないが、自分の動きに合わせて風が体の内側を通っていった。本当にそんな感覚だ。自分が動いても気流は乱れないし、音も立たない。透明人間どころの話じゃない。カメレオンはただの擬態に比べ、これはそれを超越した何かである。このスキル、絶対に名前負けしている。



 自分はその場から逃げるように、自宅の方へ走り始めた。間違いなく登校している場合ではない。冷静さをようやく取り戻し、段々とこの先を考えられるようになってきたためか、自分は更に焦りを募らせ始める。


 結局あの怪物は一体なんだったのか。どうしてあんな事になったのか。この力は一体なんなのか。この先、自分はどうしたらいいのか。

 兎にも角にも情報を集めないといけない。さっきの戦闘でスマホが壊れてしまったため、一度パソコンからネット検索をしなければ。いや、これだけの大事だ。テレビの情報の方が早いだろう。


「はッはッ」


 全速力で走った自分は、大した時間もかからずに家までついた。そのままポケットに入ってる家の鍵を取り出そうとするが、ちょっとした問題に気が付く。

 透明化の解除方法が分からない。いや、そもそもこのコスチュームの脱ぎ方が分からない。今思えば、着ていた制服が何処に行ったのかも謎だ。地肌の上から直接この謎の衣服を身に着けている状態を今になって不思議に思った。


 まずは透明になっている状態をどうにかしなければならない。試しに同じコマンドを発声してみる。


「……。……!! ……!?」


 自分は間違いなく「カメレオン」と発声したつもりだ。しかし何も起きないどころか、そもそも声が出ていない。この状態では会話すらもままならないみたいだ。

 まずい。時間が無いわけではないが、このまま透明になっていると、なんというか頭がおかしくなってしまいそうだ。自分がこの世に存在していないのかと被害妄想が始まる自信がある。


 はやる気持ちを抑えて、どうにか元に戻れないか試行錯誤する。

 物に触れてみたり、心の中で色々と念じてみたりした。しかしどうにもならない。


 段々と余裕が無くなっていく。少し狂気に駆られ、何とか扉を開けれないものかとドアノブを引っ張たり、意味も無く床に寝転んで地面の感触を味わったりした。


 数分経ったところで、我慢の限界を迎えた自分は扉を殴りつけた。

 少し苛立ちもあったと思う。望んでもいない舞台に立たされ、前向きに考えようとした未来の道を閉ざされた。これから周りの目に怯えて生きなければならないと考えると、もう一生、この家に帰って来れないのではと不安だったのだ。


 幸い、スキルの効果で音は立たず、近隣住民に気付かれる事は無かった。更にドアノブを引っ張った時に錠前が緩んでいたのか、扉をこじ開けることができた。


 すると一瞬にして透明化が解除された。姿を現した自分の手を見てようやく冷静さを取り戻す。

 何が解除のトリガーになったのか分からない……暴力か? 少し怖いが、また検証が必要そうだ。



「――現在、東京の各地で原因不明の災害が発生しています。既に数百名にわたる死傷者が確認されており、都民の住人には避難命令が――」


「――ネット上には人を襲う生き物が撮影された映像が出回っており――」


「――この映像では人があの不可解な生き物に変わる瞬間が捉えられて――」


 ……状況は思ったよりも酷いものだった。どのチャンネルを見ても緊急ニュースが流れている。

 あの地獄は、あの駅前だけではなく至る所で現れているみたいだ。一体この世界はどうなってしまったというのか、自分の頭では想像もつかない。


 パソコンを起動してもっと有益な情報を探ろうと思い立った矢先、何よりも重要な事を思い出す。

 東京の各地で被害が出ていると報道されていたものの、その明確な所在はまだ分からない。もし、それが母親の勤務先に近い場所であるなら……。

 何よりもまず、母と連絡を取らなければならない。急いで電話を――。


「こんにちは。夏代遊来」


 固定電話に手を掛けようとしたところで、謎の声に名前を呼ばれた。

 自分は思わず臨戦態勢を取り、周りを警戒する。今日だけで何年分の寿命が縮んだか分からないほどの緊張を感じながら、その声の主を見つけた。

 それはリビングにあるテレビから聞こえて来た。


「探すのに苦労した。君のその能力には目を見張るものがある」


「!! ソード!」


 自分のこの力の事を知っている。警戒度を引き上げるには十分過ぎる理由だ。傍から見たら自宅のテレビに凶器を向ける阿呆の構図だが、今はそんな冗談を言えるほどの余裕は無い。


「落ち着け。話がある」


「だ、誰だ! お前は!」


「誠実に答えたいところだが、私の呼称は人間の声帯では発音できない。名称が欲しいなら『S』と呼んでくれ」


 あからさますぎる相手のコードネームに、警戒を解く事が出来ない。信用は出来ないが、こちらを襲ってくるような敵意は感じられない。……今日はもう、なるべく戦闘は避けたい。もっと情報が欲しい。話を、聞くしかないか。


「Sか。それで話ってなんだ」


「協力を要請しに来た。君は私が作るチームに加入してもらう」


「協力……?」


 協力にチーム。言葉の意味のみを捉えるなら、かなり友好的な申し出だ。先の人間の声帯がどうとかなどの台詞から、おおよそ相手が人間では無いと思っていたが一体どういう事だろうか。

 とりあえず武器は一旦不要だ。こちらも情報が欲しい。

 だが、まずは母の件が先。


「こっちも話をしたいけど、まずは俺の母親と連絡を取らせてくれ」


「駄目だ」


「ッ? 駄目、とは?」


「君の存在を外部に漏らすわけにはいかない。理解しろ」


 どういう事だ? こいつには何の関係も無い事だろう。


「そ、そんなの関係ない! 母さんが無事かどうか確認しないと!」


「なるほど、母親の安否確認をしたいのなら心配無用だ。彼女は現在も君の壊れた携帯端末に連絡を試みている。更に勤務先周辺で転化は起こっていない」


 転化……? いや、そもそも何故こいつに母が無事かどうか分かる?

 疑問は尽きないが、ひとまず相手が思ったよりも重要な情報を握っていると確信できた。まだ母の事が気がかりだが、こいつの話を聞かなければならない。


「この騒ぎの原因を知っているのか?」


「知っている。その話は直接会ってした方がいいだろう」


「直接?」


「ああ、君にはこの場所に来てもらう」


 Sがそう言うと、テレビ画面に地図のようなものが表示された。東京全体が映し出されたマップに、ひとつ赤い点が示してある。不必要な外出を避けるようにしていたため地理に疎いが、そこは都心から離れた地域に位置する場所である事が分かった。


「相手が誰であれこの話は他言無用だ。君の能力があれば誰にも気付かれずに辿り着けるだろう」


「……分かった。そこへ向かえば……全て教えてくれるんだな? この、お前が言う能力の事も」


「ああ、私が知っている全てを教えよう。だが、その前に話しておく事がある」


 ……違和感があった。まだ話して間もない赤の他人であるSだが、その勿体ぶった話し方に引っかかりを覚えた。大して気にする事でもないが、何か、嫌な予感が頭から離れない。

 能力のおかげで頭が冴えている。そのせいで、嫌な考えが現実に結び付いた。


「君が血縁を重要視しているために言う。恐らくもう二度と家に帰る事は出来ない。夏代遊来はこれから死んだ者として扱う。今ここで決心しろ」


「は?」


 突拍子も無い申し出に放心する事しか出来なかった。いや、申し出では無く強制的な命令なのだろう。少なくとも、その言葉に選択肢があると思えなかった。


「何でだよ!? 協力の話って、あの化け物を倒すって事だろ? それが終われば、元に戻ってもいいんじゃないのか!?」


「これを見ろ」


 冷静さを失いそうになっている自分に、Sはとある映像を見せ始めた。

 それはネットの動画を集めたニュース映像の切り抜きだった。それはさっき見たと言葉が出かけたが、その内容の差異にすぐに気が付く。



「――『ヒーローに救われた』と語る被害者が多数――」


 それは、素手で化け物を圧倒していた。


「――事件現場では青い衣服を身に纏った女性の目撃情報が――」


 それは、水を操る魔法のように見えた。


「――この映像に映っている巨人のような何かは――」


 それは、建物が小さく見えるほど巨大だった。


「――事態を鎮静化したのは、この空を飛んでいるように見える人型――」


 それは、空を飛ぶ超人だった。


「――人を救っていたという、この黒ずくめの人物――」


 ……それは、鏡に映る今の自分の姿だった。



「これが先ほど言っていたチームだ。現在、彼らにも接触を図っている」


 自分だけでは無かった。間違いない。映像に映っていた彼らは、自分と同じような力を持っている。それも、どれも自分よりも強いと思わせるほどの。


「君達の活躍で事態は一時的に落着した。しかし、この国の重要機関は君達の身柄を確保しようと躍起になっている。万が一、素性が露わになる事があればタダでは済まないだろう」


「な、なんで」


「君達を国を脅かす危険因子と判断したらしい。被害者を除いて、未だ世論も君達に懐疑的な意思を示している」


 テレビの画面にネットの声が映し出される。チラホラと自分達を擁護してくれるようなものもあるが、そのほとんどが否定的なニュアンスを含むメッセージだった。


「君達を死亡扱いにする理由は以上だ。これは私の不利益になる事では無い。君達の今後を考えての結論だ」


 ……つまり、こう言いたいのだろう。もし自分達の正体がバレるような事があれば、追い詰められ……その過程で、家族や友人が巻き込まれる可能性があると。


「……認めれない。何で犯罪者扱いされないといけないんだ」


「事情を把握できていない生き物なら珍しい事じゃ無い。理解しろ」


「いや……無理だ。断る。俺は母さんと一緒に暮らす。もう力は使わない」


 当然だ。もう自分の一世一代の戦いは終わったんだ。なのに、そんなの無駄だったと決めつけられて全てを捨てろと? 駄目だ。到底、納得できない。自分はこれからなんだ。こんなものに巻き込まれる筋合いなんて一つも無いんだ。


 なのに…………貧乏くじが、頭から出て行ってくれない。


「君があの場に居た事も、その内、明らかになる。データの改ざんをしなければ何をしなくても怪しまれるぞ」


「黙れ黙れ黙れ……!! 何も聞こえない何も何も……」


「母親が巻き込まれるぞ。いいのか?」


「五月蠅い。うるさい! うるさい!! うるさい!!!」


「よく聞け夏代遊来。仮に戦わない事を君が選んでも意味は無い」


 耳を塞げない。ヘルメットが邪魔だ。何故もとに戻らない。戻れ戻れ戻れ……。

 くそ、クソゲーだ。だから現実が嫌なんだ。この自分の理想と遠く離れた世界は、いつも自分の夢を壊す。まるで生きてちゃいけないと言われているみたいだ。

 ……嫌だ。まだ仲直りもしていないんだ。もしかしたら、これから親孝行だって出来たかもしれない。まだ何も返せていないのに。


 認めたくない。この一心だった。なのにこういう時に限って、道は一つしかない。


「――戦うが戦うまいが、もう君に帰る家は無い。ヒーロー」


 ……みっともない悪あがきだったと理解した。いや、最初からそんな事は分かっていた。こうやって喚くのは久しぶりだが、結局やる事は変わらない。

 いつもと同じ。貧乏くじを引いて、人を助けるんだ。


「……」


「決心は着いたみたいだな」


「……少し、気持ちを整理してから動く」



 ……酷い話だ。親元を離れる事が、今できる最大の親孝行になるなんて。むしろ前向きに考えるなら、これ以上母さんに迷惑をかけずに済むって事か。もしかしたら、こんな事件が無かったとしても、これが最善の道だったのかもしれない。


「カメレオン」


 自分の体が透き通っていく。心なしか、生まれ育った我が家が綺麗に見えた。

 ……結局、母と仲直りする事はもう叶わない。最悪な最後だ。あんな下らない喧嘩が母との最期の思い出だとは。

 本当に、納得なんて出来ない。


 静かな我が家を少し探索してみた。自分の心音すら聞こえない世界が、まるで芸術作品か何かに思える。相変わらず自分の部屋は散らかってて、台所には昨晩、自分が割ったグラスの破片が入った小さいビニール袋が置かれている。


 そうやって徘徊する内に、ここに長居はしない方がいいと思った。ここに長く居れば居るほど、せっかく現実を受け入れようとした心が揺らいでしまいそうになる。


 ――カッ、カッ、カッ!


 玄関の壊れた扉の更に奥から、足音のようなものがした。勢いよく階段を上っているのだろう。甲高い音が廊下に響いている。そしてすぐに、それは女性が履くようなハイヒールの音である事に気が付いた。毎朝の事で、少し聞き馴れていたから。


 ……その音の主を見聞きしてはいけない。そう感づいた。きっと彼女は連絡のつかない自分を探している。彼女が自分に気が付く事は無いが、もし自分が彼女の姿を見てしまったら、きっと……もう自分は、ヒーローを演じられなくなってしまう。


「!」


 急いで家を出ようとする自分の目に、一枚の紙が映った。それは、昨晩の下らない喧嘩の記憶をマシにしてくれる唯一の物だった。……これを持ち出す事くらいは別に誰も咎めたりしないだろう。

 テーブルに置かれていた母の手紙を手に取り、袖の下に忍ばせる。当たり前と言えばそうだが、このコスチュームの内側にも透明化のスキルの効果が及ぶらしく、その手紙は完全に見えなくなった。



 3階から飛び降りた自分は無傷で地面に着地した。スキルの効果で音は発生せず、埃一つも立たない。少し見上げれば、滅多に開かない自分の部屋の窓が目に映る。


 そして自分は急いでその場から逃げた。耳を塞げないのだ。空いた窓から聞き覚えのある声が聞こえてしまいそうだったから。それが怖かった。


 目的地まで記憶を頼りに駆ける。少し方向音痴の気があった自分がまるで嘘だったかのように、ここから何処へ向かえばいいか理解できていた。

 だから、自分の事なのに、自分が偽物のように感じた。


 ……正直、Sと名乗ったあの謎の声はまだ信用できていない。もしかしたらこれも全て何かの罠なのかもしれないと何処かで考えている自分が居る。

 だけど、それを抜きにしても、自分は戦えるかどうか悩んでいた。戦えるかどうかでは無く、戦いたいか戦いたくないか自分でもよく分からないのだ。



 ……まあどうせ自分は人助けだの何だのと理由をつけて戦うハメになるのだろう。

 それが自分でもよく分からない昔からの自分だからだ。可笑しいくらいに、自分は何一つ成長していなかった。






 遊来はそう自嘲した。誰よりも自分の事を理解しているつもりなのだろう。

 しかし、成長していないなんて事は、決して可笑しな事では無い。なぜなら、このゲームは始まったばかりなのだから。

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