HEROIC CHILDREN ~このゲームが終わるまで~

へぶほい

プロローグ「GAME START」

第1話 さよならデイリーミッション

 ある日、は東京都内のとある山岳地帯に墜落した。


 平和な時代の真夜中だった事もあり、目撃者は少なく、「流れ星か何かだろう」とを見ても誰も気に留める事は無かった。

  誰も思い付きなんてしないだろう。は現在の科学力では観測できない大気圏外からの侵入者であるなど。人が寄り付かなくなった山の上に佇む、ただの遊園地跡に何か落ちて来たところで、自分達の生活に何の支障も無いのだから。


 誰も寄り付かなくなった廃遊園地が、明るく燃えていた。

 葉やツタが生い茂っていた観覧車は真ん中からへし折れ、火の海が広がる墜落箇所は地面がめくれ上がり、土の山が出来ている。


 体の半分が埋まっている未確認飛行物体。その傍に、金属製のカプセルのような何かが落ちている。カプセルの殻は破れており、中から謎の気体が流れ出ていた。


 その気体は無色透明、無味無臭で、地球の空気に良く馴染んだ。時間が経てば、山の息吹となって街へ降り始めるだろう。


 これが街を混乱に陥れた全ての元凶だった。誰もが疑心暗鬼に陥り、人々は自分達を襲う何かから逃げ惑う生活を強いられる。

 無力な人間は、この未知を前に成すすべなく蹂躙される。それは避けられない事であり、時間の問題だった。



 しかし、そんな人々を救うべく彼らは現れた。


 彼らも元はただの人だった。


 力に選ばれた英雄的な子供達。伝説として名を残す、現代のヒーローである。






 ――ピピピッ、ピピピッ。


「ぅ」


 いつまで経っても聞き馴れないアラーム音で目を覚ます。自分で設定してる筈なのに耳障りにしか感じない。

 そんな事を思いつつ、目を閉じたまま腕を振って音の発生源であるスマホを探す。普通だったらそんな苦戦しない事なんだろうけど、自分は意地でも目を開けたくないし、恐らく人より寝相が悪いのか、こうして毎朝スマホが行方不明になる。諦めて目を開ければいいのではないかと時たま思うけど、まあ結局、面倒臭さが勝つものだ。「それだと倍の時間がかかるのでは」と思う自分は基本スルーしている。


「ふー」


 何とかスマホを止められた。画面を見ずにタップしたけど、忌々しいアラーム音は鳴りやんでるし、今日も朝の格闘は大成功に終わった。

 よし、二度寝コースだな。普段通り朝には弱いが、何だか今日は一段と眠い。

 そういや昨日は素材集めに熱中しすぎていつもより眠り始めが遅かったか。こうも睡眠時間が短くなると24時間しかない1日を少し恨めしく思ってしまう。


 あれ、課題やってたっけ?


「っ!」


 そんな事がふと頭に思い浮かび、突然に脳が覚醒する。現代高校生の身としては、課題とは仕事みたいなもので人を焦らすには十分な要素だった。

 しかし覚醒した脳みそに思い起こされるのは、ゲームを放置プレイしている間に黙々とプリントを埋める昨晩の自分。それは紛うことなく現実の記憶で課題が終わっている証拠。つまりは、ただの気鬱で自分は飛び起きたのだ。マジ焦った。


 勝手にこじ開けられた目でスマホを見ると、ロック画面に朝の6時32分と表記されているのが目に入る。二度寝するにも7時までには起きないと学校に遅れるし、目も覚めてしまったので、また横になる気力が逆に無い。余計な事を考えてしまったせいで更に寝覚めの悪い朝である。畜生。


「……はー」


 気が進まないままベッドから起き上がり、窓の方へと歩く。その途中、脱ぎ捨てられた学校の制服を躊躇なく踏むのも日常の一部となっている。期待に胸を膨らませて入学式へと挑んだ1年前の自分がこの光景を見たら、きっと微妙な顔で涙を流す事だろう。ヨレヨレになったブレザーにも頭を下げるべきかもしれない。


 そして開いたカーテンから差し込むこの朝日も嫌いで仕方ない。ただでさえ寝起きで目が慣れてないのに、この部屋は日当たりが良いせいで日中は電気も要らないほど余計に明るい。俺みたいな陰の者じゃなく光の人間が住むべき……とかは考えるだけ無駄だし惨めだな。

 だからこうやって明るい空を睨みつけるのも、どうか許してほしい。



「ねえ遊来ゆうき。昨日も遅くまでゲームしてたみたいだけど、勉強はちゃんとしたの?」


 リビングに移動した自分は、先に起きていた母親と一緒に朝食をとっている。


 自分こと夏代なつしろ遊来ゆうきは、夏代家の長男で一人息子。物心つく前に父親は他界しており、今はこうして母親と2人で暮らしている。女手一つで自分の面倒を見てくれる母さんには頭が上がらない。

 しかしうちの母親は少し心配性なところがあり、度々こうして似たような事を聞いて来る癖がある。そこだけちょっと玉に瑕で、全て正論ではあるものの母親の寛大なお言葉に、自分は心の中で悲鳴を上げている。大体いつも思春期の男子にクリティカルヒットするような事を聞いてくるのは、わざとだと願いたい。


「ちゃんとしてるよ。大丈夫大丈夫」


「ホントでしょうね? 勉強しないと私みたいになっちゃうんだからね??」


「分かってるって。心配し過ぎだから」


 心配そうにこちらを見つめる母親の視線に耐えながら、焼き魚を口に運ぶ。未だ訝しむ様子を見せる母親から逃れるように、天気予報のニュースを眺めた。実際、勉学は最低限こなしているし、普段の生活態度にも問題はない筈。今になって母親の気性を不満に思うなんて事は絶対に無いが、もう少し信用してくれてもいいんじゃないかと思う。決して不満とかはない。断じて。


「――あ、もうこんな時間!」


 ふと我に返った母親が、慌てた様子で席を立つ。テレビ画面の右上を見ると時刻は7時5分。いつも7時に家を出る母親からすれば5分の遅刻だ。たかがそんな誤差程度の時間とも思えるが、朝の5分は決して短くない時間だ。学生の自分でさえ惜しむほどだから、社会人となるとよっぽどだろう。


「いってきまーす!! お弁当と鍵かけるの忘れないでね~!!」


「はーいいってら~」


 玄関から聞こえる母親の声に、いつも通り声を返す。そしていつも通り自分は2人分の食器を片付け、準備を終えてから家を出る。今日は午後から雨が降ると天気予報で聞いていたから傘を持つのも忘れずに。



 家を出たら最寄りの駅に向かい、電車を一本乗り換えて学校へ向かう。

 これは自慢だが、自分は今まで遅刻をした事は無い。時間ギリギリで教室に入った事は何回かあるが、人生において無遅刻無欠席という記録を維持している。ほとんど昔からの習性による部分もあるが、他には真似できない珍しい事ではないだろうか。


 まあ、自分は学校が好きでないのだが。


 ――ガヤガヤ。


 自分が登校すると、大体いつもクラスメイトのほとんどが先に居る。誰も彼も笑顔を浮かべて友達と談笑しており、いかにも学校が好きですといった風のオーラを醸し出している。

 それに比べて黙々と席に座る自分は、いかにも学校が居心地悪いですと言いたげにイヤホンで両耳を埋め、すぐ机に顔を伏せる。

 勉学も交流も好きではなく、自分は義務感から学校へ通っていた。


「うーい。ホームルームすっぞー」


 気だるげな担任の男の声が聞こえ、控えめな音量が流れるイヤホンを外す。できるなら大音量でゲームのサントラを楽しみたいところだが、こうしないと自分だけ突っ伏して動かないという恥をかくため、なくなく周りの音を拾えるよう設定している。

 許される事なら、周りの世界なんて見聞きしたくない本心を隠して。


「起り~つ」


 今日の日直が号令をかけ、自分を含めたクラスメイト全員が席を立つ。

 いつもと変わらない風景だ。学校にいる間は、自分にとって心が昂るような出来事など無く、いつも退屈な日常を送っている。

 それでも一日くらいすらサボるという選択肢を取らないの自分の考えを、自分でもよく分かっていないし、臆病だと自己嫌悪している。だから自分みたいな臆病者は、あり得ない程の非日常を期待する事しか出来ない。そんな願いなど叶わないと知りながらも。


 チャイムが鳴り、教師が入れ替わる。

 チャイムが鳴り、教室を移動する。

 チャイムが鳴り、昼休憩。いつものように自分の席は他の女子に占領されるため、適当な場所で母が作ってくれた弁当を食べる。

 チャイムが鳴り、教室に戻る。今日は恐い先生の機嫌がよかった。

 チャイムが鳴り、教師が入れ替わる。夜更かしが祟ったのか、瞼を持ち上げるのに苦戦した。


 最後のチャイムが鳴った。周りは嬉しそうに帰り支度をし始め、誰よりも先に自分が教室を出る。別に急ぎの用があるわけではない。中学の頃から自分は生粋の帰宅部である。いや、帰ってゲームをするという大事な用があるため多忙な帰宅部である。



 学校で一番好きな放課後という時間に自分は気分を良くし、スキップを我慢して早歩きで階段を降りる。

 しかし、ここで願ってもない非日常が起きた。まあ、それは夢も無い現実的な範囲で、自分が期待したものとは程遠いものだったが。


「だからさ、お願いしてるだけじゃん」


「ご、ごめ」


「謝んなよ、感じ悪いな」


 気弱そうな男子が、運動部の男子と会話をしている。

 彼らは恐らく自分のひとつ年上の先輩だが、下の階に高学年の教室がある都合上、こうして他生徒と鉢合わせる事は珍しい事では無い。

 ただいつもと違ったのは、階段の先で話している先輩方が明らかに仲の良い間柄では無いように見える事だ。


「別に無理だったらいいから。いちいちビビんなよ」


「ごめん……」


「チッ……だからさ、当番を代われるか代われないか教えて欲しいわけ。謝られても困んだけど」


「えっと……代われ、ないです」


「はぁ? こんだけ長引かせといて無理なのかよ? 時間ムダにしたわー」


 露骨に機嫌を悪くした相手に、俯いて怯える男子生徒の姿が目に入る。話の内容的に掃除当番とかの所謂、雑用を代われるかの話みたいだけど、日常的に脅されなければあんな風に怯えたりしないだろう。

 まあ、態度はあれだけどちゃんと断ってるし大丈夫か。いつまでも階段で立ち往生してる訳にもいかないしな。なんて思い、自分はなるべく目立たないよう2人の傍を通り過ぎる。

 すると、通りがかった自分の耳に新たな男子の声が聞こえた。


「おっすーお疲れ! あれ? 何、まだお話し中?」


「おーお疲れ。いやーそれなんだけどさ、こいつにも用事あるみたいで。わりいけど練習遅れるわ」


「……へー、そうなんだ前田くん?」


「え、えと……」


 待ち合わせをしていたのだろう新たな男子が現場に加わったらしい。思わず振り返った自分は、その男子生徒を知っていた。というより、自分でも知ってるくらい校内で有名な生徒だった。

 名前は憶えていないが、彼はバスケ部の部長だ。この学校で覇権を握る部活の主将であり、教師生徒問わず人望も厚い優等生である。だがしかし、噂ではあるが、人を殴るだの騙すだの黒い部分を持ち合わせていると聞いた事がある。自分と同じような恵まれない人間の戯言だと思っていたが、眉唾でもなさそうな状況になってきた。


「いやー前田くん、悪いんだけどさ。今、大会とか控えてて大事な時期なんだよね。コイツと代わってくんねーかな? 後でお礼するからさ」


「い、いやちょっと……今日は大事な予定があって……」


「ぷ、大事な予定ってどうせ家でシコってるだけだろぉ、なあ?」


「ブハッ、お前それ言いすぎだってぇ」


 ふざけてそんな事を言う運動部男子2人に、気弱そうな男子がプルプルと肩を震わせている。悔しくて仕方ないのだろう。正直、自分もあの2人の態度、というかノリはおぞましいと思う。あれがこの学校のカースト一位と知ってしまうと、更に学校を嫌いになりそうだ。


「ハハハハハハっ…………はぁ、おい。いい加減にしろよ、もう時間ねーんだよ。どうしてくれんだ」


「や、あの、すいません……!」


 豹変したバスケ部部長の様子に、思わず自分はギョッとしてしまう。

 バスケ部部長は気弱そうな男子生徒の首に腕を当て、顔を近づけ小声で脅し始めたのだ。同じ部員の生徒は、そんな様子をヘラヘラと見ている。


 しかし、本人は小声で喋っているつもりみたいが、会話の内容は階段に居る自分にまで筒抜けであった。これなら生徒でなくとも他の教師か誰かが仲裁に入るだろう。

 そう思ったのも束の間、上から気まずそうに階段を駆け下りる数人の生徒が横切った事で、自分は異変に気が付いた。


 そう、誰もこの状況に素知らぬふりで関わろうとしなかった。廊下の奥からやって来た教師が踵を返したのを見て、これがこの学校の日常の風景であると自分は悟る。

 いじめの現場を見るのは初めてではないが、暴力にまで発展しそうな状況は、自分も初めて見た。こんな学校に通っていたのかと思わず唖然としてしまう。自分の横を通って階段を降りる生徒の動きがやけにゆっくりと見え、逃げ出したい自分の気持ちを代弁しているかのように思えた。


 他に助けが来る。他の誰かが間に入る。他の教師が。他の、他の。


 そう思えば思うほど、それが楽観的な思考であると思い知らされる。ここに教師が間に入ったとして、将来有望なバスケ部の方を助けるのではないか、とまで妄想してしまった。それがあり得ない事ではないとも。



 ――……今更だな、と、ふと自分は考えた。何が、と聞かれれば、これ以上自分を孤独にする事が、だ。


「えっと、前田さんですよね?」


「え、は、はい」


「先生が呼んでましたよ。えっと……名前忘れたけど、確か国語科の」


「はぁ? なんだお前」


 前田と呼ばれた生徒に話しかけた自分は、同時に猛烈な後悔をしていた。先輩のドスの利いた声に心の中で悲鳴を上げ、悟られないよう必死にポーカーフェイスを取り繕う。コミュ障なのがここで功を為し、顔に表れなかったのが幸いだった。


「ええと、俺はただ伝えに来ただけです……あと前田さん、先生かなり怒ってるみたいでしたよ」


「え……わ、分かった」


「……前田くん、大事な予定に遅れないようにな~!!」


 自分の意図がちゃんと伝わってるのか分からないが、前田はこの場から逃れる事に成功した。肝を冷やしたが、自分の役目は無事に終わったようである。

 この性悪エセ陽キャの意地の悪い皮肉が、本人の耳に届いてない事を祈ろう。


「じゃあ、君に代わってもらおうかな」


「……え? いやいや、流石に無理ですよ。俺学年違いますし」


「……だよねー」


「……ハッ」


 自分に向いた矛先に、内心は汗ダラダラである。だが自分に興味を無くしてくれたのか、自分から外れた先輩達の目線に胸を撫で下ろす事ができた。

 だがここで油断してはいけない。自分は大事を取って、校門を通るまでは安心できない状況にある。こういう時は昨晩やっていたゲームの続きでも考え、無心になるに限るだろう。


 静かに自分が気合を入れなおすと、聞き覚えのある声が聞こえて来た。


「先輩! お疲れ様っす!! 探しましたよ~」


「おーお疲れ友樹ともき。悪いな今行くからよ」


「そろそろ顧問来るんで急いだほういいすよ! ……ん? そいつ……」


「ん、あぁ何でもねーよ。何、知り合い?」


「……いや、知らないっすね」


 見覚えのある顔だった。バスケ部部長のように見た事がある、という訳ではなく、恐らく自分の人生において最も親しかった顔見知りである。残念ながら彼との関係は、小学校を卒業した時に終わっている。


「……あー、じゃあ自分はこれで」


 あまり認めたくはないが、確かに自分は逃げ出した。何故か悔しいと思った自分にいつもの事だろと言い聞かせ、それが更に惨めさを植え付けた。外は大雨で、傘を差すのに少し手こずる。

 水たまりを踏み歩く自分の足が無意識に速くなる。さっきは機嫌のよかった早歩きが、いつの間にか逃げ足になっている事に自分は気付けなかった。



 しんどい。


 帰りの電車の中、自分は意気消沈していた。登校時はサラリーマンの方が多い車内だったが、4時ごろになると自分と同じような学生の方が目立つ。ほとんどが他校の生徒だが、自分以外に電車で学校に通う人間も案外いるんだなと毎度ながら思う。


 ……。


 こういう時、何も考えずにいるのはいつもの事だった。別に意識しているわけでは無いが、本能的に無駄を省きたいのか、こうして無心になる時間がある。

 しかし、今日はそういう訳にもいかなかった。心の平穏は無く、自分の乱れる心を意識してしまえば、その原因が自然と頭に浮かび上がってしまう。


「はぁ~」


 先ほどの出来事が尾を引きずっていた。我ながら、こうして家の外で本心が漏れるのは珍しい。そして不意に出た声に自分で驚き、ここが電車の中だとすぐに思い出すと、自分は慌てた様子で周りを見る。

 しかし、そんな心配とは裏腹に、誰も自分の溜め息に気を留めてなかった。ほとんどが小声で友人らしき生徒と談笑し、本を読んでいる学生でさえ見向きもしない。

 思ったよりも大きい声が出たと思っていたが、特に自分が目立った様子は無く、一安心する。それと同時に、さっきの出来事があったせいか、誰も自分を気にすることは無いんだろうな、と情けない事を思ってしまった。


 友樹は、一番仲のいい友達だった。

 引っ込み思案ではあったが、かつての自分は人付き合いに抵抗が無かった。友樹が話しかけてくれてから、自分は学校生活を楽しみ始めたように思う。家は遠かったけど、学校の外で集合して遊ぶ時もあった。友樹が友達を呼んでくれて、輪に入れてもらった事もある。


 しかし、中学に上がった途端、友樹の方から交友関係を断たれた。突然の事に、悲しむよりも驚いた記憶がある。

 その原因はどちらにも無かったと思う…………いや、自分の方にあった。自分はどうしようもないガキで、周りの成長と比べて遅れていた。友人が1人しかおらず、先生に注意される事も無いから、何か大事なものを培えなかったのだ。


 それから引っ込み思案だった性格が悪化し、友達を作ろうとは思わなくなった。

 一方、友樹は誰もが尊敬するバスケ部の期待の新人。昔から人に愛されやすい性格で、独りでいる自分の耳に噂が入るくらいの人望があった。


 いつ頃からだったか、友樹を見ると自分の惨めさを思い知るようになった。まさか志望校まで一緒だとは知らず、なるべく学費が安い所がいいと、安易に受験先を選んだ過去の自分を恨んでいる。

 ここまで気分が沈むのは久しぶりだった。音楽を聴く気にもなれず、電車の窓から灰色の空を眺めるしかないほどに。


 ……自分は、これからどうするんだろうか。


 先の見えない空を見て、そう思った。



「――ただいま」


 誰も居ない家に、自分はそう呟いた。

 母親はいつも、自分より早く家を出て、自分より遅く家に戻る。それは自分が物心ついた時からの事で今になって始まった事じゃ無い。孤独を楽しめると自負している事もあり、むしろ暗い静かな雰囲気はいつも自分を落ち着かせてくれる。

 だけど、今日はこの暗いリビングの雰囲気が嫌だった。


 何かに追われるように自室へと籠った自分は、いつものように個人用のパソコンを立ち上げる。これはコミュ障の自分が恥をかきながら働いて買った愛用のゲーミングPCだ。一式を揃えるのに、ほぼ1年分のバイト貯金が消えたのは良い思い出である。ちなみにバイトの方は、パソコンを買うとやる気が無くなり、すぐに辞めた。

 自分がパソコンでやる事と言えばゲーム一択だ。最近は新作のRPGにハマっており、今日もその続きをプレイする。


 ゲームが心の支えだった。

 初めてデジタルゲームというものに触れたのは、大体12年前。きっかけは確か、死んだ父親が残していった古いコンシューマーゲームだった。

 家にいる時間が暇で暇で仕方なく、部屋の隅々まで探索して見つけたゲーム機。自分は今まで大切に持っていた玩具を捨てる勢いで、それに夢中になっていった。


 初めは母親に遊び方を教えてもらっていたのを覚えている。大した時間もかからずゲームの勝手を理解した自分は、家に置いてあった名作を全てクリアし、母親に新たなゲームをねだるようになった。今思えば、家にそんな余裕など無かったと思うが、幼い自分が可愛かったのか、母親は渋々ながらも自分の我が儘を聞いてくれていた。


 人生において、ゲームが色褪せることない娯楽になると、幼いながらに自分は確信していた。しかし、そんな夢も叶う事は無い。

 人付き合いが苦手になってから、自分にとってゲームは娯楽ではなく、孤独を埋めるための心の支柱になってしまった。

 この先の未来に待っているのものは、きっと何も無い。最低限度の生活を送る廃人一歩手前の自分は、そう自覚していた。



「ただいま~!」


 イヤホン越しに帰宅した母親の声が聞こえた。自分はゲームを一時中断し、母親が居るリビングへ向かう。


「おかえり」


「遊来、今日中華系にしようと思うんだけど、ちょっと手伝ってくれない?」


「おん、分かった」


 仕事が終えて疲れている母親は、いつもなら簡単なもので夕食を済ます。だが今日はどうやら久しぶりに料理をしたい気分であるようだ。こうして頼まれごとをされるのは特に珍しい事でもないため、自分は二つ返事で了承した。



「――あ゛ぁあ……今日も体に沁みるわね~」


「おばさん臭いからやめた方いいよそれ」


「なに言ってんのよ。これくらい普通でしょ~」


 そう言って母親は自分でつくった料理をつまみ始める。呆れ半分でそれを見る自分だったが、息子の贔屓目無しでも母親の料理は絶品であるため、箸をつついては自分も舌鼓を打ってしまう。

 流石は料理亭を営む夢を持っていた我が母である。父親が死んでから食品会社の一般事務職をやっているが、今から転職しても遅くないと思うくらいの腕前だ。


「あ、そうだ遊来。プリントあるなら今のうちに出しときなさい。私明日早いから」


「……あ、ちょっと待ってて」


 母親に言われ、学校からなんか来てたな、と思い出した自分は持っていたエビチリを皿に戻し、自分の部屋に戻ってクリアファイルを取って来た。

 自分は何となしにファイルごと母親に預け、食事に戻る。母親はその中から1枚の紙を見つけると、軽い悲鳴を上げてわざとらしく溜息をついた。


「はぁ~もうそんな時期? 時の流れって早いわね~」


 そう言われて母親の手にある紙を見ると、大きな文字で「三者面談のお知らせ」と書かれていた。自分はそういえば、と思った矢先に、それが重要なものであると瞬時に理解すると冷や汗を垂らした。

 そう、心配性の母親である。去年も、中学でも、似たような事があった。


「それで、遊来はどうするの?」


 自分は箸を止めざるを得なかった。

 もちろんその答えを持ち合わせていない自分は、口を開く事が出来ない。不自然な沈黙を貫く自分に母親はポカンと疑問符を浮かべていたが、段々とその表情が曇っていく様子を見て、自分は思わず目を塞ぎたくなる。


「えーと、何が?」


 自分はそう惚ける事しか出来なかった。上手い言い訳も思いつかず、ようやく出て来た苦し紛れな返答に母親も驚愕している。


「分かってるでしょ? 進路よ進路。どうするの?って」


 空気が変わったリビングで、母親はおもむろにテレビの電源を消した。普段は目もくれないバラエティー番組が今では恋しく感じてしまう。

 母親の様子をちらりと窺えば、いつの間にか酔いも覚めてしまったようで、はっきりとした視線がこちらを射抜いている。こうなってしまった母に、自分は勝てた試しがない。


「遊来、将来の話よ? どうするの?」


「…………まだ、決めてない」


 結局、自分は本音をぶちまけた。普段から嘘とか冗談とか、そういう練習ができていれば良かったのだが、生憎そんな事を言える友人も居ない。

 必要最低限の生活なんてものを心がけるから、こんな事になってしまう。そう反省するも時すでに遅し。人生の転換期というヤツに疎い自分は、この状況から挽回するための知恵を持っていなかった。


「まだ、って……目標は?」


「あー……特には」


「……日頃からきちんと確認しとくべきだったわ」


 そう言って項垂れる母親を見て、自分は困惑してしまった。いや、実の親を不安にさせている自分が悪いとは分かっているのだが、この母親を見るとどうしても大袈裟なリアクションに見えてしまうのだ。


「真面目な子だから大丈夫って思ってたけど……」


「いや、いやいや大げさだって。あと2年もあるんだし」


 そうやっておどけて見せるが、大した効果は無い。


「こういうのはね、準備が大切なのよ? 少なくとも今時点で進路が決まってないのは本当にダメ。今、自分で決めなさい」


「じゃ、じゃあ進学で」


「じゃあ、ってあんたねぇ……! 自分の事なのよ? 何かやりたい事くらいあるんじゃないの? 夢は?」


 何とかやり過ごせないものかと思案していた。しかし、ボルテージの上がった母親の言葉に自分は引っかかりを覚えてしまった。いつも素直に母親の言う事を聞く自分にしては、珍しい事だ。

 端的に言うと、イラついた。今日の学校の出来事のせいだろう。ちょうど今日、初めてと言っていい程に、自分は将来を不安に思い始めていたのだ。

 理性が「それ以上は」とストップをかけるが、「夢」や「将来」などの言葉が頭の中を反復し、母親の無神経さを主張し始める。一度上がってしまった熱は、すぐには冷める事が無かった。


「いいだろ別に!」


 自分はそう言ってテーブルを叩いた。母親から見れば急に自分の態度が変わったように見える筈だが、それでも怯む事なく苦言を吐いて来た。

 自分の言葉を歯牙にもかけない、そんな母親に、更にムカついた。


「よくないわよ!! どれだけ大事な事か分からないの!?」


「分かったから……! 後で決めとくからいちいちデカい声出すなよ!!」


 そんな押し問答が続き、耐えきれなくなった自分は席を立った。

 しかし、母親はそんな自分を見逃してはくれず、腕を掴んでくる。


「駄目よ、今決めなさい! ここで!!」


「放せよ!!」


 自分は手を振りほどいた。自分は同年代と比べて非力な方だったが、それでも母親に力で負ける事は無い。

 だから手加減するべきだった。腕を振りほどいた後、余った勢いでテーブルの上のグラスを床に叩き落してしまう。

 大きく音を立てて割れたグラスだった物を見て、途端に冷静さを取り戻す。気付くのが遅れたが、母親も静かになっていた。


「……っ」


 自分に出来る事は、黙って部屋に戻る事だけだった。脇目も振らずドアノブに手をかける自分の耳に、母親がパラパラと破片を片付け始める音が聞こえた。



 自分は逃げるようにゲームの世界へ戻った。「現実逃避をしよう」とか「今は別の事をして気を紛らわそう」とか、そういう考えはなく、ただ自然に自分の身体がゲームの方へ向いた。

 しかし、あれほど大好きだったゲームをしても、気が晴れる事は無い。


「……くそっ」


 自分でも分かるくらい、明らかに集中できていなかった。

 今までどれだけ嫌な事があっても、ゲームが心の支えになってくれていたのに。自分がゲームを楽しめないなんて事は初めてで、戸惑うしかない。


 愛着のあるキャラクターを操作する気にもなれず、遂にコントローラーを手放す。

 ダメージを受け続けるキャラクターをただ見つめ、久しぶりに「GAME OVER」の文字を見た。空っぽの頭で、しばらくその画面を眺める。


 ……飽きた、と思ってしまった。


 このゲームタイトルにじゃない。ゲームそのものに対して、手を付けようと考えられなかった。自分が好きなタイトルの新作が出たとしても、今は遊ぼうだなんて思えない。その確信がある。


 今日は課題をして寝る。そう決めた自分は、パソコンの電源を落とした。



 ――ピピピッ、ピピピッ。


「……」


 聞き馴れたアラーム音で目を覚ます。しかし、いつもの耳障りな感じは無い。

 早く寝たのが良かったのか、眠気はほとんど無かった。だが昨晩の出来事が尾を引いて、今も気分は沈んでいる。

 カーテンを開けてみれば、昨日の大雨が嘘だったと思えるくらいに、快晴が広がっていた。この空の爽快さが、今は妬ましいと思った。



 重々しい足取りでリビングに向かったが、母親の姿は無かった。そういえば、今日は朝早くに家を出ると言っていたか。

 すると誰も居ないリビングのテーブルに、手紙が置いてあるのが目に付く。



 ――朝ごはんとお弁当です。今日も忘れないようにね。それと昨日は怒鳴ってごめんなさい。遊来のことを考えずに口を出しちゃったね。遊来の気持ちを聞きたい私の我が儘を許してください。帰ってからまたお話ししようね。母より。



 手紙を読み終えた自分は、隣にある弁当と朝食を見た。心なしか、いつもより手が込んでいるように見える。


 椅子に座り、朝食を食べ始める。何故だかテレビの電源を点ける気分になれず、無音の時間を独りで過ごした。

 気のせいかもしれないが、不思議な事にいつもより心が落ち着いている。自分に足りなかったのは、こういう何もない時間だったのかもしれない。母が作った料理を食べると、少し気分が軽くなった。


「……行ってきます」


 準備を終えた自分は、誰も居ない家にそう言った。

 今日も、いつも通りの1日が始まる。



 そう、あんな事があっても、いつもと変わらない日々が続く。

 夏が近いのか照り付ける太陽に目を細め、思わず手をかざす。出勤ラッシュの駅前ではよくある行動だろう。

 すると謎のプライドが働いて、傍から見たらその行動が格好つけているように見えないか気になり始めてしまった。突然に抱いた羞恥心に困惑したももの、それが意識し始めた思春期の悩み、その延長線の心境だと客観的に悟ると、少しはマシになっていた暗い気分が再び深みを増す。


 ……自分は都会の喧騒が耳に入らないくらいに、未来を想像してみた。


 そこには何も無かった。正確には、いくつか可能性を思い浮かべても、その全てがスルスルと何処かへ抜け出ていくような感覚があった。

 やけにリアルな感触だった。何かを掴み取ろうとしても空を切るだけで、自分の手に何も残らない……そんなただの想像が恐ろしく堪らない。


 しかし、それと同時に自分が変化を求めている事に今気づいた。自分にとっては、珍しいどころか、あり得ないと言っていいほどの変化だ。何故ならそんな健全な思考は、他との関係を閉ざした時にすべて捨てていたから。


 だから心の底から願ってしまう。きっかけが欲しいと。変わるチャンスを恵んでくれないかと。神とか天に祈りを捧げてもいいと思えるほど、そう切望した。



 ――その願いが神に届いたのかは分からない。だが、確かにというヤツが天から舞い降りて来た。……誓っていい。自分はこんな事、決して願っていなかった。誰も、こんな事を願う訳が無い。

 しかし皮肉な事に、それは自分の変化の訪れだった。後から思えば、自分のの為に、多くの人間が不幸になる必要など……そんな理不尽は、あってはいけなかったと思う。たとえそれが、自分が願ってない事だとしても。



「はい、はい――大変申し訳ございませんでした――二度としません――」


 考え事に集中して周りの音など聞こえていなかった筈なのに、その謎の声が鮮明に聞こえた。駅前の交差点、その赤信号待ちの人々の中に、は居た。


 ヨレヨレのスーツを着たサラリーマン。後ろから見た印象はただそれだけだった。何の特徴もない、どこにでもいるような会社員に見える。

 ただ、ブツブツと何かを呟いているのが、不気味なくらいで。


 その様子に気付いたのは自分だけじゃなかったらしい。そのサラリーマンの周りに居る人達も違和感を覚えているようで、顔を背けて避けているように見える。こんな事を言っていいか分からないが、不審者にしか見えないそんな人間が近くに居れば、自分も危機感を覚えると思う。


 そんな事を考えていると小鳥の鳴き声が聞こえた。青信号に変わった合図である。不意を突かれて少し驚いた。早く信号を渡らなければ、人波に成すすべなく飲み込まれてしまうだろう。

 何気なく前へと進む。すると例のサラリーマンが急に蹲ったのが見えた。


「あぅ、ぅ」


「ちょっと、大丈夫ですか?」


 うめき声を上げ蹲るサラリーマンに、近くに居た女性が心配そうに駆け寄った。

 自分は止まるわけにもいかず、チラリと振り返る事しか出来ない。それが心配からの行動だったかは分からないが、おかげで自分はおぞましいものを見る事になった。


 何があったのか、そのサラリーマンの姿はマトモなものではなかった。

 病的なまでに痩せこけた頬。スーツの口から見える首や手には、くっきりと細い骨が浮かび上がっており、口から涎を垂れ流しては目を血走らせている。

 チラッとしか見えなかったのにも関わらず、自分の目に焼き付くほど、その姿は強烈なものだった。


「ぅう……! あぁ……!」


 そのサラリーマンは白髪まみれのボサボサな髪を掻きむしり、どうやっているのか瞳孔を目まぐるしく動かしている。

 ようやく、このサラリーマンが正常な人間じゃないと分かった。


「ちょっ、落ち着いてください!」


「アハハハハ!! たいへぇん! 申し訳ございませんでしたぁぁああ!!!」


 半狂乱になったサラリーマンが叫んでいる。

 その言葉の意味を理解する前に、自分は突然起こった爆風に吹き飛ばされた。




 よく見えなかったが、サラリーマンの体が突然、破裂したように見えた。何が起きたか分からず、頭から血が流れてきても、そんな事を気にする余裕もない。

 謎の蒸気で視界が塞がれ、パニックになった人々が上げる悲鳴のみが情報として脳に伝達される。すぐに逃げようと思い立ったが、自分は腰を抜かして立ち上がれないでいた。


 すると突然、何かが引きちぎれるような音と共に、自分の頬に何かが飛んできた。

 震える手で指をあててみる。目の前にその手を持っていくと、赤く湿った自分の手があった。

 自分が呆然とそれを見つめている間にも、似たような音が延々と響き続け、地面を赤く染めていった。時折、何かの塊のようなシルエットが飛んでいくのが見え、自分はその度、体を硬直させる。


 しばらくして霧が晴れると、自分の目の前には怪物が居た。


「ワタクシハイワタスミマモウシワケハイアリガソウハイスミデシタ」


 それを声と言っていいのか分からない。滅茶苦茶な音声を発するその怪物は、ジッとこちらを見つめていた。

 3メートルを超える長身に黒いスーツを纏った化け物が眼前に居る。頭には不格好なスマイルマークが描かれた麻袋が被せられており、細長い首には縄のような物がぶら下がっている。

 怪物の、全てが恐怖心を煽る見た目の中、特に自分の目を引いたのは、細長い腕に引きずられた大きなバット、その先端にある血を滴らせる釘部分だった。


「スミマソウアリソレガワタトドコハイマシタ」


 怪物が襲ってきた。そう脳みそで理解した自分は、動かなかった体に精一杯の力を入れ、走り始める。

 振り向く暇はない。なのに必死に逃げても、後ろから聞こえる巨大な足音は全く離れてくれなかった。日頃の運動不足も祟り、長くは走れそうにない。


 世界は一変した。自分以外にもパニックで大勢の人々が逃げ惑い、車両が爆発したのか青い空に硝煙が上がり、見渡す限り血だまりの無い場所が無かった。

 自分を追う怪物以外にも、おおよそ友好的じゃない怪物が見える。人々を虐殺して周る怪物達を前に、自分の心は折れかけていた。


「やめてくれぇ!!」


「い、いやぁ!!」


「ああぁぁあ!!!」


 脇目も振らずにいられたら、どれほど良かっただろうか。走るのに精一杯なくせに、意識せずとも襲われる人々の姿が目に入る。

 人の心配などしている余裕はない。そう気が付けば、逃げられたかもしれない。


 よそ見をしている自分の目の前を、とてつもない速度で爆走するバスが通った。

 危なかった。目測で時速100kmは出ていそうな大型車両に危うく轢かれかけ、思わず足を止めてしまう。こうしている間にも、怪物は迫って来るというのに。


「ハイハイハイハイハイ」


 痛い。轟音と共に、激痛が自分の背中を襲う。間違いなく、怪物が持っている釘バットが自分に直撃したのが分かった。

 人生で味わった事の無い苦痛に襲われているにも関わらず、自分は声を上げる暇も無かった。釘が背中に突き刺さったかと思うと、返しのように入り込んだ釘によって背中の肉を抉られ、尋常じゃない威力で体が大きく吹き飛ぶ。


 死。コンクリートに打ち付けられた体が痛みを訴える中、自分はそう予感した。

 ゆっくりと勢いを失っていく心臓の鼓動よりも、こちらへ向かってくるあの怪物の足音の方が大きく聞こえる。

 現実味の無い非日常に、現実感を抱かざるを得なかった。



 暖かみのある後頭部を地面に預け、自分は空を見上げた。こんな惨状になって尚、この妬ましい空は青色を失わない。黒煙を避けて飛ぶ鳥が、目に残る。


 走馬灯が無い。死の淵でそう気が付いた。自分の人生とは、こんなにも空虚なものだったかと落胆してしまう。今から死ぬというのに、まるで何の感慨も無い。いっそこの青空が自分の全てと思えるほどに。

 ……いや、こんな自分にも楽しかった事や悲しかった事などいくらでもある筈だ。きっと走馬灯ってヤツは勝手にやって来ないものなのだ。


 考えろ。考えろ。考えろ。


 ……。


 ――……初めてゲームした時、楽しかった。


 自分で笑ってしまいそうになるくらいには、くだらない走馬灯だった。

 でも、嘘じゃない。人生で二度と味わえない幸福だ。あの期待と感動は、夏代遊来を形作った初めの一歩だったのだ。

 幼い自分の手には大きいコントローラーに苦戦し、操作を覚えてからも母親に手伝ってもらいながら遊んでいた。


 あの母の笑顔が目に浮かぶ。ゲームなんてそんな好きじゃない癖に、自分と一緒に笑って遊んでくれていた。そんな母が好きだった。


 ……そういえば、まだ謝っていなかったな。

 恐らく、昨晩の出来事は自分にとって人生の岐路というヤツだったのだろう。今から後悔なんてしても遅いが……喧嘩をするには余りにも下らない内容だった。


 死の最中、どうしても命を諦められず、ただ無性に、母さんに謝りたいと思った。






「ハハハハハアリアハイスミモウシリョウカアゲマス」


 仰向けに横たわる遊来へ、バットが振り下ろされそうになる。


 すると突然、今度は遊来の身体が爆発を起こした。その爆風で、怪物が大きく吹き飛ばされる。

 あのサラリーマンが怪物になった時の様子にも見えるが、それとは少し違う。

 爆風と同時に眩い光が辺りを覆う。怪物も直視できないのか顔を背け、向かい風に必死に耐えている。

 しばらくその状態が続き、そして風と光が止んだ。


「なんだこれ」


 そう声を発したのは遊来だった。あの致命傷は何処へ行ったのか全て完治しており、難なく立ち上がる事が出来た。

 遊来本人も万全な自分の身体にとても驚いているが、注目するべきは変化したその見た目だろう。


 遊来は黒を基調としたコスチュームで身を包み、頭全体を覆い隠す丸いヘルメットを被っていた。

 何の意味があるのか所々に施されたラインは虹色(俗にいうゲーミングカラー)に発光しており、ヘルメットの内部にはディスプレイのような機能が備わっている。


「GAME START」


 システムの案内のような音声が聞こえると同時に、遊来の前にそんな文字が浮かび上がった。

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