第4話

「なぜ、あなたはそんなにホイホイと引き寄せるんだ」


 夫にお茶会の内容を報告したら頭を抱えられた。


「でも、これだけで捕まえることはできないじゃないですか」

「あぁ。それはもちろん何の証拠にもならない。勝負はこれからだ」

「もしかしたら、夫人は夫の娼館通いに嫉妬してそんなことを言っているだけかもしれません。内通に全く関係ないかもしれないじゃないですか」

「私は娼館に通っていない。調査しただけだ」

「そこは疑っていません」

「以前、あなたは疑っていたじゃないか」

「聞いてみただけですよ。ほら、男性の嗜みのように仰る方が多いので」

「そんな嗜みなどない。それは勝手な妄言だろう」


 夫は頭を抱えながらも潔癖だった。そこまで口にして、夫は大きく息を吐く。


「バクスター公爵夫人には私が冷遇妻に見えたようで。それでご自分の境遇とも重なっているんだと思います」


 夫はさらに大きく息を吐く。


「すまない」

「えっと、それは何に対してですか?」

「これまでの私のすべての行動について」

「契約結婚からですか?」

「その通りだ。あなたと契約結婚したにも関わらず、遠ざけ避け続けてしまった」


 エルシャは急に謝罪されて何と答えていいか分からず、高速で瞬きした。なぜだろう、気にしてませんよとは言えなかった。言葉が喉の奥に引っ掛かっている。やっぱりこれはバクスター公爵夫人の影響だろうか。


 エルシャは一人で突っ立っていた時に夜会で散々バカにされた。貧乏よりは耐えられるから平気だと思っていたが、妹たちが嫁ぎ先であんな思いをしていたら妹の夫の顔を迷いなくグーで殴る自信がある。


 バクスター公爵夫人の言う通りだ。夫はそんなことをして何も言われないのに、どうしてエルシャだけ馬鹿にされるのだろうか。

 なぜ妹たちがこうなったら許せないのに、エルシャは自分だけは平気で耐えられると勝手に思っていたのか。


 エルシャがそんなことを頭の中でぐるんぐるん考えていると、夫が焦ったように立ち上がった。


「許さなくていい」

「え?」


 夫はハンカチを取り出すと、いつの間にかエルシャの頬に伝った涙を拭う。そういえば、バクスター公爵夫人からいい香りのするハンカチをもらったままだった。


「あなたは許さなくていい。今のは私が自分のために勝手に謝っただけだ」


 エルシャはぼんやり夫を眺めた。


「あなたが泣くとどうしていいか分からなくなる」


 夫は震える手でハンカチをバツが悪そうに仕舞うと、イスに座ってまた頭を抱えている。全然、この人はクールじゃない。不器用で口下手で傷だらけであるだけだ。今回は多分、エルシャが昔の義母と重なったのだろう。


「そういえば、私。階段から落ちるのを庇ってもらったことにお礼を言ってませんでした。ありがとうございます」

「あれは私のせいなんだから当然のことだ」


 夫は特に誇ることもなく淡々と返してきた。


「バクスター公爵夫人がもし情報を渡してくれるなら、王太子殿下の誕生日パーティーで会いましょうと。その時に書いて渡してくれと言われています」

「急だな。急いでいるのだろうか」

「公爵夫人はあまり外出されないからではないですか? 公爵が嫌がるとおっしゃっていました」

「それでどうやって内通を行っているのかが問題だな」


 離婚するとばかり思っていたから忘れていたが、王太子の誕生日パーティーも近々あるのだ。

 夫はしばらく考え込んでいた。エルシャは夫の無駄に長いまつ毛を見つめながら待った。


「公爵夫人に偽の情報を渡して、それを追うのが一番いいのだろうな……」

「そうですよね。公爵夫人だけ捕まえても、内通先まで分からなければまた同じことが起きるかもしれません」


 夫は苦しそうな表情をした。エルシャは彼の言いたいことが分かった。


「私、やりますよ」

「それだけは本当に嫌なのだが」

「でも、私が渡さないと不自然ですし。王太子殿下に報告があがれば絶対その方法になりますよ」


 夫は苦悶の表情を浮かべながらも、護衛方法をなんとか考えると言って最終的に頷いた。その苦悶の表情は「女が口を挟むな」の部類ではないことくらい分かっていた。



 あぁ、そうか。これまでエルシャが冷遇されて耐えられたのは、夫のことを何とも思っていなかったからだ。単なるお金のために契約結婚した相手だったからだ。なんなら紙幣や金貨に見えていた時もある。


 でも、エルシャは今バクスター公爵夫人の気持ちが激しいほど分かってしまった。きっと、夫人はいつもこんな景色を見ているんだろう。

 エルシャが先ほど過去の仕打ちに涙してしまったのは、夫のことが大切になってしまったからだ。そうしたら突然、夫のこれまでの仕打ちが笑って許せなくなった。この前まであんな秘密とトラウマを抱えていたら仕方がないよね、と思えていたはずなのに。


 グイグイ近付いてお世話してくすぐっても、エルシャは何とも思わず平気だったはずなのに今はそれが意識しすぎてできない。


 バクスター公爵夫人はまだ公爵のことを愛しているのだ。だから彼女は公爵のことを憎んで許せないのだ。公爵のことがどうでも良かったらあんな風にはならない。


 きっと彼女は内通している。公爵に振り向いてもらうために。公爵を苦しめるためにやっているのか、それとも公爵を王位に近づけるためにやっているという線もあるが……あれは彼女の「こんなに愛しているのに」という叫びである気がした。なぜかエルシャはそう直感していた。

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