第5話

「奥様。昨日は……その、激しかったですね」

「え、うるさかったですか? ごめんなさい」

「いえいえいえ、決してそんなことは~。いやぁ、あはは」


 馬車に荷物を積み込みながらパトリックは嬉しそうな顔だ。


「急な出立ですみません」

「いえいえ~。予想はしていたのでちゃんと準備はしております」


 パトリックはそう言って、ランチの入ったバスケットまで渡してくれる。


「それにしても、奥様は元気そうなのに。旦那様は……寝ておられないんですか」


 パトリックの視線はいかにも寝不足な様子の夫に向いている。


「朝弱いんじゃないですか?」

「いいえ、旦那様はいつもしゃっきり起きておられますよ」

「あ、じゃあ体調が悪いんですかね。うーん、きょう出発してしまって大丈夫でしょうか。馬車で酔うかもしれません」


 パトリックはなぜか出来の悪い子を見るような生暖かい視線を向けてくる。


「大丈夫でしょう。それに王都で急ぎの用ならば遅れるのも良くありません。ささっ、準備完了です。ぜひともまたこちらにお越しください、奥様」

「えぇ、急で挨拶できなかったのですがユーグさんにもよろしく」


 エルシャは眠そうな夫の背中を押して馬車に乗り込んだ。



「臨時ボーナスはもらえるかな?」

「昨日めちゃくちゃギシギシいってたから。ボーナスは安泰だろ」

「でも、奥様はすごい元気そうだよな。むしろ、旦那様の方が酷くお疲れで……」

「奥様って肉食系なのかな」

「え、あんなに健気で可愛らしい見た目なのに実は肉食系? ギャップがすごいな」

「昨日は奥様が夜這いかけたんだろ?」

「なんて羨ましい」



 使用人たちが臨時ボーナスに思いを馳せる中、エルシャは眠り込んだ夫を膝枕してご満悦だった。

 最初から膝枕をしていたわけではない。馬車に乗ってすぐに夫はウトウトとし始め、頭がガックンガックンしていたのでエルシャが見かねて膝枕にしただけだ。


 エルシャが朝すがすがしく夫の横で起きた時から、夫はすでに眠そうだが目を開けて起きていた。鳴かぬなら吐かせてみせようの途中でエルシャはすっかり眠ってしまっていたらしい。


 でも、夫が王太子になぜ脅されているかまで聞き出したので満足である。まさか先代カニンガム公爵がメイドと浮気していたのは驚きだったが。

 そしてこれからの対策を相談しているうちに眠ってしまったのだ。クローゼットの中は寒かったし、布団と夫の体温で温かくなって眠くなったのは仕方がない。


 遠くで馬のいななきが聞こえた。夫は眠っているにも関わらず、ビクリと体が強張る。胸を少し撫でてあげると、夫の体のこわばりが徐々に取れてきてまた規則正しい寝息が聞こえ始めた。


 ふむ、おかしい。

 怪我が治っても記憶を取り戻しても、それでも夫は可愛い。

 昨日、夫は「あなたは可哀想なものが好きだろう?」なんて口にしていた。なんだかエルシャが変態みたいな言い方だったが……可哀想なものは可愛いと思ってしまうだけで。無条件に守って庇護してあげなくてはと思うだけで好きと表現するには語弊がある、はず。


 それにしても、まさかこの可愛い夫がエルシャを守っていたとは。

 ひたすらエルシャのいい嫁努力をスルーし続けたのは、エルシャが狙われないようにするためだったのだ。聞けば聞くほど夫の心は傷だらけなのに。


 昨日は胸がモヤモヤしたが、今日はなんだか喉の奥に石でも詰まった気分だ。

 夫の頬をそうっと触ってみる。すべすべだ。思わず自分の肌を触って比べた。悔しいほどに夫の肌はすべすべである。


 しばらく頬を触って、今度は唇をなぞった。昨日、夫はエルシャの唇をこうやって触ったのだ。夫の唇はちょっとカサカサしていた。何か塗った方がいいだろう。


 急に夫の手が伸びて来て、手を掴まれた。


「あ、旦那様。お目覚めですか? よく眠れましたか?」

「……まぁ、そうだな」

「まだ予定の三分の二ほどですね。まだまだ寝ていて大丈夫ですよ」

「そもそも眠れなかったのはあなたのせいだろう」


 夫の青い目がエルシャをやや睨むが、咎めるような雰囲気ではない。


「え、私そんなに寝相が悪かったですか!?」

「そうではない」

「寝言で何か叫んでましたか?」

「違うが……あなたは……よくあの状況でくーかーと眠れる」

「ふっふっふ。弟妹たちと雑魚寝していたこともあるんですよ? 雷が鳴ると皆怖いみたいで。だから私はどこでも眠れます」


 なぜか夫は私の手を掴んだまま、大きく息を吐いた。


「旦那様は一人で静かに寝たかったですか? だから寝不足でしょうか? 失礼しました」

「いや、大丈夫だ。王太子殿下が来たから眠れなかっただけだ」


 夫はまた目を閉じた。なぜかエルシャの手を掴む形から握る形に変えて。

 エルシャは高速で瞬きをしたが、夫が目を開けないのでそのままにしておいた。

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