第5話
エルシャはまた退屈し始めていた。
夫の腕の骨折が治ってしまったからだ。もうちょっと折れてくれていても全然良かったのに!
夫は自力で食事を摂るし、入浴もするし、エスコートも必要としない。完全にブンブン腕を使えます状態ではないが、これからは動かした方がいいと言われればエルシャとしてもグイグイとお手伝いできないのだ。お世話が減って面白くない。とっても面白くない。
夫が頭痛で倒れて回復してから二人でユーグさんに挨拶に行ったし、領地の仕事も手伝って一緒にやった。そうそう、数日たってから寝具は無事に届いた。
夫との会話も以前に比べれば格段にスムーズにできるようになったし、捻挫が治った後のようにエルシャから逃げ回ることもない。二人でいるのもやや自然になってきたが、逃げ回ったり困惑したりする夫を追いかけるのも少し楽しかったのだとエルシャは謎の気付きを得た。
言うこと聞かない弟を追いかけているみたいで楽しかったんだわ。
体も拭かずに走り回る弟と妹を追いかけているみたいで。あとは好き嫌いして野菜を残しているのを頑張ってなだめすかして食べさせるのとか。あの時はムカついていたけど、過ぎてみると懐かしいし楽しかったわよね。手がかかるほど可愛い、みたいな。
懐かない野生動物との距離を詰める期間というのは楽しかったのだ。今は少し刺激が足りないくらいだ。
いやいや。エルシャは首を振って考え直す。
夫はまだ記憶喪失だ。二年間の記憶がすっぱりないのは可哀想だ、うん。
そうやってエルシャは自分を無理矢理納得させて、自力で零さず食事ができるようになった夫をやや恨めし気に見た。
「旦那様、奥様。本日は急ぎの件もありませんし、天気もいいので外出されてはいかがですか? 近くに湖もございますよ」
パトリックがそう提案してくる。他の使用人もやや食い気味に頷いており、「本当にいい天気だ」などとしみじみ口にしている者もいる。
なんだろう、ネズミがまた出て退治でもしたいのだろうか。その現場を見せたくないとか? 以前、寝具が濡れた時はネズミが出たそうだから。
「ついでに領内を少し歩いていただければ、領民も安心します」
「いや、しかし揉めている境界の件を」
「あの件は問い合わせて返事待ちですので、今できることはございません」
パトリックは笑顔なのにどこか強い意思を感じさせた。
「籠ってばかりでは刺激がなく記憶も戻らないでしょう。ぜひ、治療ということで奥様に領内を案内して差し上げてください」
「いや、彼女はもうすでに毎日のように歩いて」
「奥様、湖にはまだ行かれていませんよね?」
「行っていません」
なぜかパトリックに主導権を握られつつある夫。エルシャは素直に答えた。
エルシャは毎日呆れられるほど領内を歩いているが、湖にはまだ行っていなかった。
「旦那様と私は幼い頃によくそこで遊びました。ぜひ足を運んでみてください。花も咲いていて綺麗です。ランチを詰めさせますので」
エルシャのグイグイ行くのが移ったのだろうか? そんなにこの屋敷をひっくり返してネズミ退治でもしたいのだろうか。
今回はパトリックに押し切られて、夫と湖に行くことになった。
「いやぁ、焦った。なんだか腕の治りとともに奥様の輝きが失われていくようで」
「なんで旦那様が元気になったら奥様が萎れていくんだ……」
「食事中のあの手持無沙汰な奥様、見ていられないわ」
「やっぱり奥様、介護が好きなのかな……」
「旦那様って老人扱いだったのか?」
「パトリックさん、ナイス」
「俺たちのボーナスがかかっている」
「だって、奥様。最近、午後から出かけてはいろんな領民のお世話をしてばかりで……」
そう、エルシャは夫の腕が治って面白くないので心の隙間を埋めるために浮気……ではなく、領民の世話をせっせと焼き始めていた。畑仕事もするし、老人の話し相手までしている。しかし、内心では夫のお世話程の充足感は得られていない。
「湖にピクニックはデートの定番だ」
「花を見てお話して仲が接近するだろうか」
「旦那様はまだ筋力がきちんと戻っていないから、いけるんじゃないか」
「なんだ、その押し倒すような状況」
「旦那様が疲れて、奥様がお世話するという状況だな」
「え、水切り知らないですか? 石切りって言うのかな? 跳ね石? 全部知らないですか?」
「知らない」
「えーっと、こうやって遊ぶんですよ。平たい石は……」
使用人たちの予想とは裏腹に、エルシャは夫に遊び方を教えていた。
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