第3話

「どうしてこんな方が公爵様の奥様なのかしら」


 いつもパーティー会場で投げかけられるのと同じ言葉が投げかけられる。

 彼女たちは良い家のご令嬢で、エルシャが頑張って土をいじって食料を手にしている時にオホホとお茶を飲んでいたあろう方々だ。嫌味でも何でもなく、ただの事実である。


 彼女たちの見ている世界とエルシャの見ていた世界は、天と地ほどの差がある。


 毎回よってたかってわちゃわちゃ文句を言い、エルシャに全く響いていないと分かるとこの塊は解散する。

 エルシャも毎回義母に確認して見苦しかったり、流行から著しく外れたりした服装はしていない。さりげなく夫と色を合わせる契約妻としての努力もしている。


「いつ公爵様と離婚するのよ。身の程を知りなさい」


 今回は初めて、酷い言葉が投げかけられた。


「離婚はしませんが」


 夫に望まれない限り離婚はしない。だって実家への援助がかかっているから。

 離婚しろと言ったご令嬢は、私の実家が受け取るはずだったお金を代わりに一括で払ってでもくれるのか。そこまで考えてくれているなら全然問題ないが、単に嫉妬で言っているならやめて欲しい。


 契約結婚を舐めてはいけない。恋愛よりも契約はずっと重い。同情するならまずお金を出してほしい。そもそも困っていなかったらこのような契約結婚なんてさすがにしない。貧乏貴族のエルシャでも、ついこの前まで結婚に憧れがあったのだから。


「なんて図々しい」

「では、旦那様にお聞きください。いつ離婚するのかと」


 お金持ちそうなご令嬢が扇で軽くエルシャの頬を叩く真似をした。

 目撃されても遊んでいただけ、とか虫がいたからと言い逃れできるものだ。

 彼女は侯爵令嬢だったため、他のご令嬢が追随したのが良くなかった。


 肩を押され、普通の令嬢よりも体幹に自信のあるエルシャでもよろめいた。この無駄に高い靴のせいだろう。

 まずいことに集団に誘導されて階段の近くまで来ていた。


 さすがに殺人まではされないわよね? 階段から突き落とすなんて物語の中だけでしょう?

なんとか階段から離れようとしたが、令嬢たちは興奮してしまっているようで迫って来る。


 こっそり階段の華奢な手すりに手を伸ばしたが、肩を掴まれたのが先だった。さすがにこれほど直接的な暴力は受けたことがない。そこまでするほどあの夫は人気なのだろうか。


「あなたさえいなければ……せっかくお父様に頼んで婚約を整えてもらえるはずだったのに!」

「どうせお金目当てなんでしょう!」

「仮面夫婦なら公爵様を解放して!」


 いや、私に言われても……と思う内容ばかりだ。

 どうして夫に言ってくれないのか。あの人、女性嫌い過ぎてパーティーで女性と雑談しているところ見たことないからかな。


 肩を掴まれている手を払おうとしたら、エルシャの動じない態度に怒った令嬢に突き飛ばされた。


 いや、これはマズい。

 人生のピンチはゆっくりとした動きで見えると聞いたことがある。本当にそうだ。手すりを掴もうとした手が滑った。どうしてお城の階段の手すりはこんなに華奢なのか。

 せっかくいろいろ諦めて楽しい契約結婚生活が送れると思ったのに。


 急に銀色が視界に輝いた。

 私の走馬灯は銀色から始まるらしい。

 いや、なんだか違う。確実に私は今、階段を落ちたはず。それほど痛くはないが衝撃があった。令嬢の甲高い悲鳴まで上がっている。


 いつの間にか瞑っていた目を開けて起き上がると、地面の感触がおかしい。

 手でも折ったのかなと見たら、見覚えのある服だ。私のではない、男性の。


「え?」


 なぜか私の下に夫が倒れていた。

 見上げると、さっき塊になっていた令嬢たちが上に見える。ここは踊り場だ。上には令嬢たち、下には夫。そっくりさんではないだろう。双子の弟もいないし。


 しばらく瞬きしてどうやら夫に庇われたらしいということに気付いた。

 今まで一度もエルシャを庇うどころか構ったこともない夫に。


「死んでないわよね?」


 そんな夫婦関係なので、自分でもあんまりな言葉が口から飛び出た。胸に耳を当てると、心臓は動いていて安心した。そこから騒がしくなって、騎士や他のパーティー参加者が慌てて駆けつけてきた。

 エルシャは一連の出来事に現実味がなく、他人事のようにそれを眺めて指示に従った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る