第2話

日菜の引っ越しが終わってから、一週間ほど経った頃。

アツの姿を教室や屋上で見かける事が無くなった。


最後に日菜と話した時の記憶が脳裏に浮かぶ。

「これからも何でも俺に話せよ。力になるから。」

そう言った後に日菜は何と言っていたっけか?

「大丈夫だよ。いつまでも蒼志に頼ってばっかじゃいけないし…。

これからは自分で出来るから。」

そう、自分ですると言っていた。

日菜1人で解決できないような何かが起こった可能性がある。

俺は早退届を出して日菜の家に向った。

チャイムを鳴らしても反応は無い。

不安がどんどん膨らんでいく。

何度もチャイムを連打しても全く反応は無かった。

日菜は居留守なんて器用な事ができる人間じゃない。

が、母親が出ないように指図すれば居留守を使うこともあるだろう。

今日はこれ以上ここでな粘っても無駄だろう。

何かほかのアクションを考えないといけない。


それから色々と考えていると、以前日菜が住んでいたグループホームの職員が何か知っているかもと思い連絡をしてみた。

ビンゴだった。

4日前に日菜が泣きなから駆け込んできたらしい。

ただ、理由を聞いても何も語らずにいる。ということだった。

子供の癇癪に近く泣き喚いて手がつけられないとの事だった。

自分たちではどうにもできなくて、俺に連絡をするかどうか迷っていたらしい。

食事もまともに摂っていないそうだ。

日菜に何かがあった…

俺は電話を切ってからグループホームまで向かった。


グループホームに着くと、職員が出迎えてくれた。

さきに何点か伝えておきたいことがあると言って、会議室にまず通された。

「実は…日菜さんは、その…」

職員の方の言いたいことは予想がついた。

「暴力を受けたような感じでしたか?」

こちらが先に言い出しにくそうな話を切り出す。

「いえ、決まったわけではありませんが…」

ここに駆け込んできた時の日菜は衣服は乱れて、正気では無かったらしい。

本人は泣くだけで、何を質問をしても首を横に振るだけで全く話そうとしないらしい。

「ご家族の方にも連絡はしたのですが、何も無いし、家族間の問題なんで日菜さんを返してくれとの一点張りでして…

こちらの方ではとりあえず日菜さんが落ち着くまでは預からせてもらうとお伝えしたのですが、かなり強引で…」

数日持つかどうかといった所だったらしい。

その話を聞いて俺は日菜と話をさせてもらうことにした。

職員の方々は

「三条先生でしたら大丈夫ですよ。むしろこちらから頼みたいくらいです。

お願いしてもよろしいですか?」

と言ってくださった。


そして日菜の部屋の前まで案内される。

「私達がいると話にくいかもしれないので…」

そう言って職員の方たちは部屋の前から去っていった。


皆んなの姿が完全に見えなくなってから扉をノックした。

「日菜…どうしたんだ?」

「…蒼志?」

呼びかけに涙声で返事が返ってきた。

ずっと泣いていたらしい。

「日菜、どうした?泣いているのか?

何があったか俺には話してくれるか?」

「…」

しばらくの沈黙。

どれくらいの時が流れただろうか、そして日菜はポツリポツリと話し始めた。

引っ越した後すぐに何度も暴行を受けていた。

母親には勿論内緒。話したら嫌われるから言わない方が良いと念を押されてしまい、身体的と精神的苦痛からどうしようもなくなって逃げ出した。

との事だった。

ずっと啜り泣きながら嗚咽を漏らす声に居ても立っても居られなくなり、

「日菜、良かったら開けてくれないか?」

そう恐る恐る提案した。

また沈黙が少し流れたと思ったら、勢いよくドアは開き日菜は俺の胸に飛び込んできた。

「きもち悪くて…何度も蒼志に電話したかったけど、ママにバラすって言われて…」

大粒の涙と共に吐き出される嗚咽。苦しいだろうが、日菜の言葉は止まらなかった。

ただ、日菜の話が終わるまで優しく頭を撫で続ける他にな何もできる事は無かった。


それからは優しい言葉で落ち着かせ、正気に保てるように話題を日菜の好きなことに向くように少しずつ誘導していった。

しばらくは学校も休ませ、俺は日菜に会うためにグループホームに通う日が続いた。

俺は個別の談話室に通されてくだらない話をするようにしていた。

日菜は少しずつ笑うようになっていった。

それだけが救いだった。






学校は嫌いだった。

私の言うことを理解できる友人なんていなかった。

ママも私には無関心だった。

そんな中で蒼志だけが私を見つけてくれた。

私に分かるように話をしてくれ、私の言うことも何度も聞いて理解してくれるようになっていた。

だから。

とっても気持ち悪い出来事の後だったけど、それでもこうやって蒼志と毎日話せるようになって幸せだと思ったんだ。

ずっと毎日こうだったら良いなって。

でも長くは続かなかったよね。

よくわからないけれど何だか体が重くなって日常が辛くなっていった。

食欲も無くなってご飯を吐いてしまう事が多くなった。

毎日ご飯を吐いて、体重も減ってフラフラしてたけど皆んなを心配させたく無いから黙ってた。

でもある日、蒼志に言われたんだ。

「日菜…一緒に明日病院に行くか?

いや…先にこっちだよな…」

目を伏せがちにした蒼志が差し出した物を見て、全て理解できた。

ああ。そういう事だったんだ。

私だってそこまでバカじゃない。

きっとここの職員の皆にバレないように蒼志が1人で買ってきてくれたんだ…

トイレで確認するとやっぱり陽性だった。

泣きたいような辛いようなよくわからない気持ちに襲われて、またトイレで1人でわんわん泣いてしまった。

その鳴き声を聞いて集まった人達を、一生懸命に何もないと誤魔化している声は聞こえてきていたけれど、この時くらいは甘えたかった。


翌日病院に2人で行って説明を聞くと、既に4ヶ月目を迎えてるって事だった。

なんでここまで放置していたのか、そう問われたけどうまく答えることはできなかった。

産むように勧められたけれど、この子を産んだらあのママの彼氏と結婚しなくちゃいけないから、それだけは絶対に嫌だった。

手術は一週間後に予定された。

4ヶ月に入っているから、前日からの入院で翌日の早朝に中絶手術は始まった。

寝ぼけた頭で手術台に登ってしばらくしてから激痛が走った。

膣内に麻酔を打たれたようだった。

その時まで、私は自分のことだけで精一杯で。あなたの事を全く考えてなくて。

「掻き出しますね。」

そう言われるまで自身の罪に全く気づくことが出来なかった。

「あの!あの…待ってください!」

「どうしたの?さっきもどうするか確認したけど…もう死んじゃってるわよ。」

「…」

「続けても大丈夫?もし気分が悪くなったのなら少し休憩する?」

優しい声で先生は言った。

私の頬は涙に濡れていた。

「あ、あの…」

「?」

「いえ、お墓に…入れてあげたいから…赤ちゃん連れて帰って良いですか?」

「それは構わないけど、ごめんね。こっちで処分すると思っていたから、掻き出す時に頭取れちゃったけどいい?

容器に入れる時はちゃんとくっついてるように見える入れ方をするから。」

その言葉を聞いた時、更に涙が溢れてきた。

痛かったよね。ごめんね。ごめんね。

「そ。それでも良いから…お願いします。」

先生はそんな私の様子を見て

「もっと綺麗にお腹から出してあげれば良かったわ。本当にごめんなさい。」

そう言って申し訳なさそうに俯いた。


蒼志は前日と、帰る頃に病院に来てくれた。

私が大事に包みを持っているとそれに気づいたのか、黙って頭を撫でてくれた。

この子をお墓に入れたいと話をすると、

「日菜は自分の墓の場所分かるのか?」

帰りの車でそんな事を聞かれた。

お墓。ママと行った事は当然無い。

小さい頃、パパと行ったかもしれないけど場所どこだったかな?

「日菜が良かったらの話なんだが。」

「うん。」

「俺の家の墓に埋めるか?

その辺に埋めるわけにはいかないだろ?」

「いいの?」

申し訳なさそうに聞くと、蒼志は笑顔で

「当たり前だろ。」

そう笑って言った。


蒼志のお墓に連れていってもらう日、車内ではほとんど話すことは無かった。

何かを話だすと涙がこぼれそうな気がしてずっと包みを抱きしめて黙り込んでいた。

墓地に着いて、お墓を空けてもらう。

包みを開けるとそこにはちゃんとした形の赤ちゃん。

首が少しズレてる。

その子を蒼志に見られたくなくて袖で隠しながらそっと中に埋葬しようとした時、

優しい手が伸びてきてその子を包み込んでいた。

「これが日菜の子なんだな。可哀想なことをしたけど、また良かったら日菜の元に産まれてきてやってくれよ。

痛い思いさせてごめんな。」

そう優しい言葉を聞いてしまったから、涙が溢れてきてしまった。

「あのね。あのね。」

「どうした?」

優しい手は私の涙を拭う。

「私が気づくのが遅かったから。」

「ああ。」

「その子の首がとれちゃって。」

「ああ。」

「本当はね。」

「ん。」

「産んであげたかったなって後から思っちゃって。」

「分かってる。」

「私だけ楽な思いして。その子だけが痛い思いして死んじゃって。」

「日菜も痛い思いしただろ?」

「でも、でも。」

「この子も許してくれるよ。」

「本当に?」

「ああ。それで名前はつけてあげたのか?」

「…うん。」

「名前、なんてつけてあげたんだ?」

「性別が分からないから…どっちでも良いように『響』ってつけようと思ってて…」

「そうか。」

そう言って蒼志は響に向き直って。

「響、また会おうな。」

そう言って響を大事そうにお墓に入れてくれた。

望んだ訳ではなく、最後しかあなたの事を考えてあげられなかった私の赤ちゃん。

でも蒼志が「また会おう。」なんて言うから。

何だか本当にそんな気がして笑顔で最後は手を合わすことができた。

とても綺麗な青空の日の出来事だった。

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