第98話 肖像画

 それにしてもヴォルフリックは強い。とんでもなく強い。


 学園一の強さを誇ることは知っていたが、直接対峙するとその実力が身に染みてわかる。毎日手合わせしているものの、私は今日も完膚なきまでに打ち負かされた。


 だがヴォルフリック自身は現状に甘んじる気はないらしい。「母上は私より強いですから」と言って日々の鍛錬を怠らない。


「それは当主だから、発言力が強いということか?」

「いえ、シンプルに腕力が強いです」

「シンプルに腕力が強い」


 確かに義母上の第一印象は覇王だったからな。


 あれほど覇気にあふれた人物なら、さぞかし鬼神のごとく強いのだろうと納得する。


 ヴォルフリックはクールな顔に、かすかな羞恥心を浮かべて語った。


「……お恥ずかしい話ですが、私は六歳の時、母上に勝てない悔しさから大泣きしたことがありまして……」


 三歳から剣術を習い始めたヴォルフリックは、六歳の頃にはもう大人顔負けの力を身につけていたらしい。しかし義母上にだけはどうしても、何度立ち向かっても勝てなかったとか。


 義母上に認めてもらいたかったヴォルフリックは大泣きしたが、義父上に慰められて復活した。


 そして義母上から言われたそうだ。『十年後には抜かれているかもしれないな』と。

 

「今がその十年後なのですが……」


 十年の月日が経ち、六歳だったヴォルフリックは十六歳になった。


 義母上とは今や互角。力量は並んだと言っていい。……しかし、抜いたとは……言えないようだ。


「すごすぎる……。女性の身で辺境地帯を治めるだけあるな……」

 

 実の母という最大の壁がいる以上、ヴォルフリックは学園で一番程度ではまったく満足できないわけか。


 私が感嘆しているとヴォルフリックは、辺境地帯、という言葉に反応した。


「リヒャルト殿下のおっしゃる通り、我が家は辺境を預かる家で、姓は"ベルク"です。"ブルク"ではありません」

「何か問題でも?」


 城を意味するBurgは王族や高位貴族に多く用いられる姓で、山を意味するBergは中央から離れた辺境貴族に多く用いられる姓だ。


「かつて"ベルク"のつく姓を持つ辺境貴族から、一国の王妃を輩出した例はありません」

「そうか。過去に前例がないということは、エリザベートが初めてということだな」

「……前向きですね」


 即答した私にヴォルフリックは端正な顔をしかめたが、きっと感心してくれたのだ。そういうことにしておこう。




***




「「「オラァ!!!」」」


 野太い声があたりにとどろく。


 私を鍛えてくれるのはヴォルフリックだけではない。今日も今日とて、ユリウスとクラウスとマリウスも遠慮なく私をいたぶっ……可愛がってくれていた。


「……甘ちゃん殿下かと思いきや、案外しぶてぇな」

「……しっぽを巻いて逃げ出すかと思ったのに、意外とあきらめが悪いんすねぇ」

「……ま、根性だけは買ってやってもいいっすけどぉ?」


 三人の見分けは未だにつかないが、私を見直してくれているようで嬉しい。


 ユリウスとクラウスとマリウスは、私が王子という身分でもまったく遠慮しない。


 彼らの容赦ない鉄拳のおかげで、私はこれまで自分が望まずとも手加減され、ぬるま湯の中で甘やかされてきたことを改めて思い知った。


 昼はヴォルフリックや三人の隊長たちと、血のにじむような鍛錬を積む。


 夜はテオドールにいいところを見せるべく、エドアルドに教わって猛勉強に励む。


 つまり私は意図せずに、世界でも最高水準であろう武芸を教わり、きわめて高いレベルの学問に挑む日々を送っていたのだ。


「この生活……悪くないな……」


 しかも美味しい食事とおやつ付きだ。


 最高の栄養を補給しつつ、肉体をしごかれ、頭脳を錬磨する毎日は、王子としてちやほやされてきたどんな過去よりも満ち足りていた。


 心身ともに芯から鍛え直されるような、充溢じゅういつした時間。


 私は思わずエリザベートに礼を言わずにはいられなかった。


「エリザベート。君と君の家族は素晴らしいな」

「家族を褒めていただけて嬉しいです」


 ん? 君を先に褒めたのだが……。


 しかし、にこにこと微笑するエリザベートは信じられないほど可愛い。可愛すぎて言葉が続かなくなる。

 

 正直に言えば、最初は彼女の外見から惹かれた。


 今はそれだけではない。

 エリザベートの内面の美しさにこそ魅せられている。


 両親や祖父を敬う純粋な笑顔。

 弟たちに向ける優しい慈愛。

 屈強な騎士たちから慕われる清廉な性格。


 何もかもが私の胸をつかみ、心を捕らえて離さない。この地に来てますます彼女以外は目に入らなくなった。


「エリザベート、私は君を──」


 愛を告白しようとした瞬間。不意に目を奪われる。


「……ん? これは……」


 壁に飾ってあったのは、歴代の辺境伯と配偶者の肖像画だ。


 その中の一枚に描かれた美しい女性に、視線が吸い寄せられる。


 宝石のような青玉の瞳。ゆるやかに波打つプラチナブロンド。クラシックなデザインのドレスに身を包んでいるが、古めかしさよりも優美さが上回る。


「エリザベート、この女性は? 君にそっくりなのだが」

「私のお祖母様です」


 エリザベートの祖母ということは、義母上の母君か。


 言われてみればとなりに描かれている男性は前辺境伯だ。今でも迫力のある御仁だが、若い頃はさらに雄々しくて強そうだ。可憐な奥方と並ぶといかにも美女と野じゅ……いや何でもない。


「本当によく似ている。生き写しだな」

「はい、私はお祖母様にお会いしたことはないのですが、似ているとみんなから言われます」


 なるほど。エリザベートはあの絶対王者のような義母上の娘にしては清楚で可憐だと思っていたが、元をたどればお祖母様が清楚で可憐な女性だったわけか。


「お祖父様は思い出を記念に残すのがお好きで、よく画家を呼ばれるのです。私も幼い頃から絵を描いていただいていました」

「……君の……幼い頃の……絵!?」




***




 全速力で前辺境伯の元へと走り、開口一番「エリザベートの幼少期の絵はありますかあぁぁ!?」と尋ねた私に、前辺境伯はひぐまのような巨躯をゆらりとうごめかせた。


 幸い、門前払いはされなかった。


 死ぬほど渋い低音で「……お入りください」と入室を許された結果、私は無事に呼吸困難になった。


「きゃわゆいぃぃぃ!」


 前辺境伯の秘蔵のコレクションは、それはもう素晴らしいお宝ばかりだった。


 エリザベートを描いた最初の絵は、まだ生まれたばかりの頃のもの。目がくらむほど愛らしい嬰児えいじの姿が、肖像画の中に鮮やかに残っている。


「なんだこれは……至宝か……ッ!」

「これはリザが初めて手があることに気が付いた時の絵です。不思議そうにじっと自分の手を見つめる顔が、それはもう可愛くて可愛くて可愛くて……」


 解説は義父上である。別に呼んだわけではない。最初から前辺境伯の部屋にいたのだ。仲良しか。


「こちらはリザが初めて泣き声以外の言葉を発した時の絵です。『あー』とか『うー』とか、ご機嫌におしゃべりしていたのを思い出します」

「ああ、聞こえてくるな。この世で最も愛らしい天使の息吹が……」

「おわかりになりますか」


 私は本気で同意したのだが、使用人たちは「またヤバいのが増えた」という顔をしている。


 エリザベートはどんな年齢の時も世界一可愛かったことを確認し、喜びに浸った私だが、もう一つ驚愕したことがあった。


「義父上、変わらなさすぎる……!」


 節目ごとに描かれた家族の肖像画の中。子供たちは年月とともに成長しているのに、義父上は時が止まったかのようにずっと若いままなのだ。


「義父上は不老なのですか?」

「そんなことはないですし、義父上でもないですが……。そうですね、一番好きな人と結婚したからかもしれません」


 前半はスンッとした冷たい顔で、後半はキラッとした晴れやかな顔で義父上は答えた。切り替え早いな。


「世界一愛している女性と夫婦になれて、尊敬する義父の名をいただいて、可愛い子供たちを授かって、僕は本当に幸せ者だと思っています」

 

 そうか。義父上の若さの秘訣は幸福に満ち足りているからなのか。ということは……。


「私もエリザベートと結婚したら……幸せのあまり不老に……!?」

「それはありませんよ殿下」


 ぽんと置かれた手が、肩に食い込む。


 痛い痛い痛い! この優しそうな顔のどこにこんな力がぁぁ!?


 さらに反対の肩にも無言で手が置かれた。前辺境伯の手だ。


 私怨のこもったてのひらが左右からミシミシときしんだ音を立てるのを、私は歯を食いしばってひたすら耐えるのだった。

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