第96話 対面②

「ふぇぇ……むりぃ……」


 練兵場に五体投地して、私はめそめそと泣きべそをかいた。


 威勢よく立ち向かった私だが、それはもうこてんぱんに叩きのめされた。ヴォルフリックにはもちろん、テオドールにすらまったく歯が立たなかった。


 天使のような外見をしたテオドールだが、やはり辺境伯家の令息。可愛い顔をして腕は立つ。


 もう少しこう遠慮とか……躊躇ちゅうちょとかないのかな? ないのだろうなあの兄弟は……。

  

 ぐすんと鼻をすすった時、抱きしめていた大地が揺れた。


 複数の足音が重なりながら、まっすぐこちらに向かってくる。


「あれぇ……?」


 目がかすんで二重に見えたのかと思ったが、そうではなかった。


 私を取り囲んだのは、巨岩のような体にキレッキレの筋肉を装備した、三人の大男だった。


「どうもぉ……」

「はじめましてぇ……」

「俺らはここの騎士っすぅ……」


 凶悪犯の間違いでは?


 男たちが着ている制服は盛り上がった筋肉でぱっつんぱっつんだし、大胆にはだけた肌には派手なタトゥーがこんにちはしている。


 三人はそろって、ドスのきいた低音を響かせた。


「大隊長のユリウスっす」

「総隊長のクラウスっす」

「連隊長のマリウスっす」


 どう違うの? 誰? 誰が一番偉いの?


 というか三人ともそっくりすぎるよ?! 三つ子? 三つ子なの?!


「他人っす」


 ユリウスと名乗った男が、私の思考を読んだかのように言った。


 他人なんだ? 空似にもほどがあるんじゃない?


「なんでもぉ……うちのエリザベートお嬢様にご用だとかぁ……?」


 クラウスと名乗った男が、鬼の形相で太い指をバキバキと鳴らした。


 うすうす察していたけど、機嫌悪い? 悪いよね? なんで?


「どんなご用件かぁ……お聞かせ願えますかねぇぇ……?」


 マリウスと名乗った男が、憎悪の燃える血走った目で私を睨んだ。


 どうして憎まれてるの!? 私、何かしちゃいました――!?




***




「けっ、口ほどにもねぇな」

「弱ぇな、身の程知らずが」

「おととい来やがれってんだ」


 私をいたぶっ……可愛がってくれたユリウスとクラウスとマリウスは、そう吐き捨てて立ち去っていった。

 

 王子ぞ? 我、王子ぞ? 


 口ほどにもねぇとか身の程知らずとかおととい来やがれとか、人生で初めて言われたよぉ。怖いよぉぉ。


 エリザベートは家族だけでなく、騎士たちにも慕われているらしい。私を排除しようとする三人の目は本気だった。


 だが、エリザベートを愛しているのは私も同じだ。彼女を守ろうとする騎士たちは、私の敵ではなく同士のはず。


 ここで立ち止まるわけにはいかない。私はもっと強くならなくては――。


 そう決意を新たにした刹那。大きな地震が湧き起こった。


 ズシン、ズシンと地面に亀裂が走る。まるで大地が怒りに震えているかのような地鳴りが響く。


 逆光に照らされた雄々しい影に包まれて、私の視界はにわかに暗くなった。


「く、熊!?」


 野生のひぐまが人里に降りてきたのか?


 警戒した私に、あの何とか隊長たち三人を足したよりも厳つい顔をした巨大な熊は、苦みばしった顔で名乗った。


「……初めまして、殿下。エリザベートの祖父です」


 私の悲鳴が、広い練武場に響きわたった。




***




 雑巾よりもずたぼろになった私だが、心と体を回復させてくれる素晴らしい時間が待っていた。食事の時間だ。


「あの、リヒャルト殿下。うちでは宮廷で召しあがるような豪華なお食事は出せないのですが、本当に大丈夫ですか?」

「もちろんだ、エリザベート。むしろ君のご実家の味を知りたい。ぜひ相伴しょうばんにあずからせてくれ」


 そう答え、図々し……積極的に家族の食卓に混ぜてもらったのだが、結果から言えばこれは大正解だった。


「おお……いい匂いだな!」


 その日のメインは豚肉の林檎酒煮込みだった。この地域では定番の料理らしい。酒に漬け込んだ肉は芳醇なコクがあり、林檎の酸味が溶け出した煮汁は爽やかで、思わずうなるほど美味しかった。


 その翌日は牛肉のパイ包み焼き。パイ生地の表面はさくさく、中はしっとりとしていて、包んだ肉の旨味をぎゅっと閉じ込めている。赤すぐりのソースは見た目が美しいだけでなく、赤身肉との相性も抜群だ。


 さらに翌日は羊肉のグラッシュ煮込み。これも定番の郷土料理らしいが、じっくりと煮込まれた塊肉は柔らかくて、ほろほろと崩れる。パプリカグラッシュの赤い色も食欲をそそるし、ソースは滋味にあふれていていくらでも食べられる。


「うっ……ま……!」


 揚げたてだというフライドポテトポ メ スを食べた瞬間、思わず口を押さえてそう言ってしまった。


 ほくほくの食感といい揚げ加減といい、絶品としか言いようがない。まさに職人技だ。


「なんだこれは……うますぎる……!」


 シンプルな料理なのに、うますぎて手が止まらない。


「いったいどんな凄腕の料理人を雇っているんだ!?」


 私は本気でそう思ったのだが、驚いたことに義父上のお手製らしい。


 もちろん他の料理人たちの手も借りているが、基本的に家族の食事は義父上が作ることが多いのだとか。


「義父上……天才ですね……」

「滅相もありませんし、義父上ではありません」


 褒めた私に、義父上は謙遜した。笑顔なのに怖いが気のせいだろう。相変わらず目が冷たいのも気のせいだろう。


 エリザベートの言った通り、どれも素朴な家庭料理ばかりだ。贅を尽くした宮廷料理のような豪華絢爛なものではない。


 それなのに、お世辞抜きにどの料理も絶品だった。


 メインディッシュだけではない。前菜や副菜も美味しい。付け合わせのジャムやマスタードまで何もかも美味しい。


 マスタードなどどれも同じだと思っていたのに、自家製で作りたてだとこんなに風味豊かなのか。酸味と甘みと香りのバランスが最高だ。


 完全にエリザベート目当てでここに押しかけたのに、毎日こんなに美味しいものを食べられるとは思わなかった。


 うまい! 全部うまい! この家の子になりたぁい!


 当初の目的を一瞬忘れそうになるほど、私はこの家のご飯に魅せられた。


「愛は胃を通る」ということわざを痛感する私だったが、さらにもう一つ、ここに来てよくわかったことがあった。


 ただでさえ美味い食事は、家族そろって囲むとさらに美味く感じる、ということだ。


 義父上と義母上と三人の子供たち、それに前辺境伯を加えた家族六人はそれぞれ多忙の身ではあるものの、可能な限り一緒に食事を摂るようにしているらしい。


 夫婦仲も親子仲も姉弟仲も良好だが、一番仲むつまじいのは義父上と熊……前辺境伯かもしれない。


 二人は血のつながりのない婿と舅の関係だというのに、相思相愛という言葉がぴったりなくらい仲が良かった。最初は驚いたがもう慣れた。


「……これが家族団らんというものなのか……」


 和気あいあいとして笑いの絶えない食卓は、王子として育った私には新鮮で、非常に楽しいものだった。


 私もエリザベートと結婚したら、同じように家族の時間を大切にしよう――。そう決意を新たにしたのだった。

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