第95話 対面

「辺境とは……?」


 エリザベートの実家は国内で最北端に位置する辺境地帯――そう聞いていたのだが、実際に訪れたリートベルクは風光明媚めいびという表現がぴったりな城塞都市だった。


 大国テュルキスと国境を接する辺境伯領は、まさに交通の要衝ようしょう


 見事な大街道が縦横に敷かれ、複数の宿場町がにぎやかに富んでいる。湖の浮き島には堅牢な監獄がそびえ建ち、なぜか観光名所と化している。


 黒煉瓦れんがで築かれた城を中心とした一帯は、辺境とは名ばかりに豊かに栄えていた。

 

「リザ! ヴォルフ! お帰り~!」


 城門の前に着いた途端。明るい笑顔を浮かべた好青年が真っ先に出迎えてくれた。


 蜂蜜色の髪はエリザベートよりも金色が濃く、水色の瞳はヴォルフリックとよく似ている。爽やかで整った顔立ちから、二人の肉親だとすぐにわかった。


 そうか、エリザベートには兄もいたのだな。


──第一印象が肝心だ、と私は顔をキリッと整える。


 少々気が早いが、ここは「義兄上」と呼んでしまおう。


「はじめまして、義兄──」

「リヒャルト殿下。私の父です」


 紹介してくれたエリザベートの言葉に、私は度肝を抜かれた。


「ち……父?」


 若い。若すぎる。


(……童顔すぎないか!?)


 私を見た瞬間、エリザベートの父君――もう義父上と呼ぶことにしよう──義父上の目から光が消えた。


 義父上の明るい髪色が黒くくすむ。柔和な顔立ちに闇が立ち込める。あたりの空気が急速に冷え込んでいく。


「……!!??」


 初対面だというのにめちゃくちゃ殺気立った目で睨まれながら、私の滞在生活は始まったのだった。 




***




 義父上の若々しさと、私を見る目の冷たさには戦慄したが、本命はこれからである。


 案内された城内の応接間で、私はその「本命」を待っていた


 義父上は当主ではない。婿に入った方で、手広く事業を展開している資産家でもある。


 以前エリザベートは雑談の中で「私も学園を卒業したら、父の事業を手伝いたいのです」と将来の展望を語っていたことがあった。


 つまりこの家の当主は他にいる。エリザベートの母君だ。


「女性が家長、それも辺境伯とは……!」


 辺境伯は国防を担い、自軍と国軍の司令官を兼任し、有事の際には王の判断を待たず兵を動かす特権さえ持つ武門の長だ。


 その地位を預かる女性が世界に一人だけ存在することは知識として知っていたが、まさかエリザベートの母君だとは。


 しかし私には確信があった。


 エリザベートの母君ならさぞかし清楚でたおやかな淑女なのだろうな──という確信が。


 辺境伯の爵位を継いだとはいえ、母君ご自身はきっとエリザベートと同じく楚々とした可憐な女性なのだろう。きっとそうだ。そうに違いない。


 エリザベートに似た温柔優美な母君を想像しながら、私は背筋を正し、精神を統一した。


「――お初にお目にかかります。リヒャルト王子殿下」


 現れたのは覇王だった。


 何を言っているかわからないと思うが、私にもわからない。


 しかし覇王だ。覇王としか言いようがない。


 百獣を従える王のような、強すぎるほど強い覇気。

 食物連鎖の頂点に立つ猛禽のような、鋭すぎるほど鋭い眼光。


 圧倒的な王者の風格を前に、統一したばかりの精神が無残に解散していく。


(怖い! 怖すぎる!)


 武者震いが止まらない。私は生まれたての小鹿のように震えた。


 並の男よりも高い長身と、エリザベートと同じ濃い青眼を持つ女辺境伯は、間違いなく美人ではあるのだが、あふれ出る迫力が美貌を凌駕りょうがしていた。


 ぶっちゃけ私の父であるグルナート国王よりも威厳がある。


 私は王子という立場上、それなりに政界の大物や国の重鎮を知っているが、誰を前にしてもこんなに怖かったことはない。

 

 あ……あの異常に若いふわふわきらきらした父親と、この誰もが平伏ひれふさずにはいられない威圧感を放つ母親が……夫婦!?


 いやいや! 嘘だ!


 偽装結婚か? 契約結婚か? 仮面夫婦に決まっている!


「アレクシア、格好いい……! しゅきぃ……!」


 あ、夫婦だった。


 女辺境伯──もう義母上と言ってしまおう──義母上をうっとりと見つめる義父上は、恋する乙女のような顔をしている。


 偽装結婚とか仮面夫婦とかじゃない。ただのベタ惚れだこれ。


 義父上の金色の髪はさらにキラキラ輝いて、体の内側から光っているかのようだった。


 これか。この発光現象がエリザベートに遺伝したのか。いったいどんな原理なんだ。


 私はガクガクと震えながら名を名乗り、ブルブルとおののきながら滞在の礼を述べ、ガチガチにこわばりながら生きて部屋を退出した。


 廊下でエリザベートとヴォルフリックと顔を合わせ、やっと呼吸をした時。


 出たばかりの部屋の中から、かすかに会話が聞こえてきた。


「ほら! 僕が言った通りだったでしょ?」


 義父上の声だ。どうやら義父上はエリザベートが学園に通うのを反対していたらしい。


「だから僕は『リザみたいな可愛い子が学園に通ったりしたら、周囲の男はみんなリザのこと好きになっちゃうし、偶然留学してきたどこかの国の王子様に見初められて求婚されちゃうから! だから絶対ダメ!』って言ったのにぃ!」


 どうも、偶然留学してきたどこかの国の王子です。


 義父上には申し訳ないがもう見初めたし、求婚もしたいと思っています。


「決めるのはリザだ。親がどうこう言うことではないだろう。本人の意志に任せろ」

「そうだけどおぉ!」


 義母上が冷静にさとし、義父上が悲痛に嘆いた時。


 可愛らしい少年が、一冊の本を抱えて駆け寄ってきた。


「姉上! 兄上!」


 濃い金髪と水色の瞳の、まるで義父上を小さくしたような男の子だった。百人中千人が認めるであろう美少年だ。


「リヒャルト殿下。末の弟のテオドールです」


 エリザベートが紹介し、テオドールは愛くるしい顔をふくらませた。


「姉上、兄上、もっといっぱい帰ってきてよぉ。二人がいないと父上とお祖父様の愛が僕だけに集中して大変なんだからぁ!」

「あらあら。テオちゃんは可愛いものね」

「ああ。テオは可愛いから仕方ないな」

「もぉ~!」


 むくれる弟と笑う姉兄に、私の胸はきゅんとうずいた。


 なんだろうこの尊い絡みは。


 柔らかく笑むエリザベートは至高の可愛さだし、ヴォルフリックはこんな優しい表情もするのか……とほっこりする。


「姉上、これリリーから届いた本なんだ。書斎に行くなら置いてきてくれる?」

「ええ。わかったわ」


 テオドールは持っていた本を渡して頼んだが、エリザベートがこの場から去ると、愛らしい瞳は急速に凍った。

 

「へぇ……本当にグルナートの王子殿下が姉上に言い寄ってるの……?」


 あ、これさっきも見た。


 義父上の目が冷え込んでいった時と同じ現象だ。


 寒い。あたりの気温が急激に下がって、氷点下かな? ってくらい寒い。


「視察の申し入れ、うちは断ったはずだけど……? 空気も読まずに押しかけるとか王族のすることかな……?」

「テオドール君。言葉の端々に棘を感じるが不問にしよう。そうだ、私はエリザベートを愛している。出会ってから日は浅いがこの気持ちは本物だ」


 私がきっぱりと宣言すると、ヴォルフリックは切れ長の目をすがめた。


「リヒャルト殿下。本気で姉上との結婚を望んでおられるのですね?」

「もちろんだ。この想いに偽りはない」

「わかりました……」


 わかってくれた。よかった。


「ありがとう、義弟おとうとよ──」

「では、殿下にはムキムキになっていただきます」

「なんで!?」


 握手するつもりでさし出した手に、抜き身の剣が持たされる。


 困惑する私に、兄弟は冷静に言い放った。


「なんでではありません。リートベルク家は国防の要たる武門の家柄ですよ」

「その長女である姉上をめとりたいなら、ムキムキのバキバキになってくれなきゃ」

「君たちのお父上もそんなにムキムキではないが!?」

「父上はあれで案外、脱ぐと凄いのですよ」

「兄上、言い方~」


 何でも義父上は日常的に鍛えているらしく、温和そうに見えて筋肉質らしい。


 ヴォルフリックは鋭い眼光で私を射た。


「リヒャルト殿下。姉上が欲しければ私たちを倒してからにしてください」


 やだ、この子たち怖い。


 明らかに一国の王子に向ける目じゃない。 


――しかし、ここで退くつもりなどなかった。


 エリザベートのような素晴らしい女性が周囲に愛されていることは予想の範疇。


 いくら私が王子でも、権力で家族を黙らせる気はない。私という男を認めてもらわなくては意味がないのだ。


「受けて立とう!」

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