【最終章】リヒャルト・マクシミリアン・ローテンブルク

第94話 リヒャルト・マクシミリアン・ローテンブルク

93話の10年後になります。

エリザベート18歳、ヴォルフリック16歳です。よろしくお願いします!

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 一目惚れなどという言葉を、信じたことはなかった。


 それなのに。

 

 彼女を見た刹那。私は身をもってその意味を知った。


「……!」


 そこにいたのは、絶世と言ってさしつかえない美少女だった。


 ゆるやかに波打つ髪は月光をって織りあげたようなプラチナブロンド。ぱっちりとした大きな瞳は最高級のサファイアのような濃い青。見慣れた紺色の制服さえ、彼女がまとうだけでどんなドレスよりも華やかに映る。


「……可憐すぎる……!」


 まるで魔法にかけられたような衝撃だった。




 ***




 私の名はリヒャルト・マクシミリアン・ローテンブルク。


 グルナート王国の第一王子だ。


 隣国であるペルレス王国には、王侯貴族の子女を入学対象とする国立の学園がある。


 学園の開校からはまだ数年ほどだが、国王の肝煎きもいりで優秀な人材をそろえたという教師陣の評判は高い。


 我がグルナート王国にはそうした貴顕きけん貴族を教え導くための学び舎は存在しないこともあり、私は自ら希望してペルレス王国への留学を決めた。


 学園での日々は充実したものだった。国境を越えた異国ではあるが、この留学生活は私にとって初めて味わう自由な世界でもある。


 私は同窓となる生徒たちと和やかに親交を深めつつ、新鮮な時間を送っていた。


 そんなある日のことだった


 突然に、唐突に、何の前ぶれもなく――私は恋に落ちた。


「光……?」


 きっかけは、見たことのない淡い光を感じたことだった。


 思わず投げた目線の先には、整然と刈り込まれた芝の広がる校庭と、楽しそうにおしゃべりしながら教室へと向かう女生徒たち。


 上流階級の出だけあって、令嬢たちはみんな清楚で上品だ。しかしはその中でも特別といっていいほど、一人だけ圧倒的に美しく輝いていた。


 比喩ではない。本当に光っているのだ。


「人が……光るのか?」


 だが、光は彼女の内側から放たれているとしか思えなかった。


 どんなに明るくきらめいても、彼女の姿は少しも薄れることなく、むしろ影が飛んで美貌が引き立っている。どんな仕組みなのかはさっぱりわからない。


──あの令嬢はいったい誰なんだ?


 あんな美しい女性を目にしたのは初めてだ。一度でも目にしたなら絶対に忘れるはずがない。


 気がついた時にはもう、体が勝手に動いてた。


 急いで階段を駆け降り、彼女の後を追う。廊下を折れた先で、彼女は私も知る相手と談笑していた。


「どうなさいました? リヒャルト殿下」


 落ち着いた物腰で私を呼んだのは、この国の第一王女であるマルゴット姫。


 マルゴット王女の父である現国王陛下は、この学園を創設した方だ。


 王女は入学以降、王族にふさわしいリーダーシップを発揮して生徒たちの模範となっていた。他国の王族である私のことも何かと気遣ってくれる、頼りがいのある女性だ。


「マ……マルゴット殿下、彼女は……?」

「彼女?」

「そちらにおられる令嬢です。無礼は承知でお願いいたします! どうか私にご紹介いただきたい!」


 胸に手を当てて懇願すると、マルゴット王女はちらりと横を見た。


「ああ、エリザベートのことですね」

「エリザ……ベート……」


 "神の誓いエリザベート"……なんと美しい名前だろう。


 今すぐ神に永遠を誓いたい。ここに教会を建てよう。


「リザ、あなたをお探しのようよ」

「でも、マルゴ様……私は殿下と面識はないのですが……」


 お互いに愛称で呼び合うマルゴット王女とエリザベートは、主従の垣根を越えて親しい友人であるらしい。


「面識はありませんが、今日これから知っていただきたい。リヒャルト・マクシミリアン・ローテンブルクと申します!」


 私はぐいぐい迫った。脳内ではまだ教会の鐘と讃美歌が鳴り響いている。


 聞けば、エリザベートはマルゴット王女と同い年だという。元より親どうしが知人だった縁で交流があったが、この学園に入学してさらに親しくなったとのこと。


「あら……?」


 ふと、エリザベートの青玉の瞳が細められた。愛らしい顔に花のような笑みが咲く。


「ヴォルフ!」


 ヴォルフ!? 男の名前か!?


 エリザベートが手を振る先には、長身の男。


 短い髪は黒曜石を溶かしたような混じりけのない黒。切れ長の瞳はアクアマリンのような透明な水色。まるで美しい漆黒の狼のような、近寄りがたい鋭さを孕んだ少年だ。


「あ、あいつは……!」


 その男には見覚えがあった。私と同級生であるだけでなく、学年で一番といっていい有名人だからだ。


 ヴォルフリック・ヴィクトル・リートベルク。


 学園に通う男子生徒には剣術の授業が必修として課されているが、彼はこの科目において抜群の成績を納めていた。


 先日開かれた剣術大会では上級生を抑え、圧倒的な強さで優勝したし、教師よりも実力が勝るせいで早くも何も教わることがないのだとか。


 名は体を表すというが、まさに狼を統べる者ヴォルフリックのファーストネームと、勝利者ヴィクトルのミドルネームがこよなく似合う男だった。


 腕が立つだけでなく、背も高くて顔もいい。悔しいが男前だ。

 

「くっ……エリザベートとあんなに親しそうに……!」


 美男美女が楽しそうに話す姿を、ギリギリとハンカチを噛みながら妬んでいると、マルゴット王女が淡々と言った。

 

「落ち着いてください、リヒャルト殿下。彼はリザの弟です」

「弟?」


 なんだ~。そうか~。


 よかったよかった。弟なら問題ない。


 安堵した私はその日以降、エリザベートとの距離を縮めるべく奮闘した。


 エリザベートは見目が麗しいだけでなく、品行方正で所作の一つ一つまで綺麗だった。乳母の薫陶くんとうを受けた成果だという。


 誰にでも丁寧に接するエリザベートは、気取っていないのにとても品がある。想いを寄せる男子生徒は数知れないが、表立って迫る者がいないのはあの最強無比な弟が睨みをきかせているためらしい。いいぞ弟、もっとやれ。


 元より実りのあった学生生活は、エリザベートと出会ったことによってさらに豊かに色づいた。


 毎日暇さえあればエリザベートばかり見つめているので、他のことは記憶があいまいだが、彼女以上に尊いものなどこの世にないので仕方ない。


「ペルレス王国へ留学して本当によかった……!」


 満たされた日々を送りながら、私は心からそう思った。


 やがて、入学以来初めてとなる長期休暇が目前に迫ってきた。


 普段は住み込みの生徒たちであふれる学生寮も、休暇中は空っぽになるのだとか。


「リヒャルト殿下はやはり、グルナート王国に帰国されるのですか?」


 エリザベートが小首をかしげて私に尋ねた。今日も可愛い。いつも可愛いが。


「エリザベートはどうするのだ?」

「私と弟は実家に帰る予定です。家族も帰省を楽しみにしてくれていますので」

「君の……ご実家……」


 エリザベートが生まれた家と、彼女を育てたご家族に思いを馳せた時にはもう、願望が言葉となってあふれ出ていた。


「行きたい! エリザベート、私も一緒に行かせてくれ!」


 いきなり北方の辺境伯領に行きたいと言い出した私に、母国から随伴してきた護衛たちはギョッとしていた。


 国王である父になんと報告すればいいんだとか、王妃である母が私の帰国を楽しみにしているだとかぶーぶー文句を言われたが、絶対にエリザベートに同行したい私は譲らない。


 これは視察の一環だとか、見聞を深めるのも王子たる者の務めだとかなんとか適当なことを言って、強引に押し切った。

 

 やはり権力。権力はすべてを解決する。


「王子に生まれてよかったぁ……!」


 かくして、私は初めて足を踏み入れたのだった。


 エリザベートの生まれ育った、リートベルク辺境伯領へと――。

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