第93話 樅の木

 城の庭園には、若いもみの木がある。


 樹形はすらりと整っていて、樹皮は固い灰褐色。樹冠はこんもりとした円錐の形。水平に伸びた枝には、極寒の冬でも枯れることのない深緑の葉が生い茂っていた。


「この星はこのあたりでいい?」

「まって! やっぱりこっちにしよう!」


 樅の木を囲んだ子供たちはわいわいと歓声をあげた。手に持っているのは色とりどりのオーナメントだ。


 きっかけは秋に、家族で恒例の祭りに出かけたことだった。


 年々いっそう盛大になる秋の祭りでは、会場の飾りつけもますます趣向を凝らした、豪華なものになっている。


 中でもエリザベートとヴォルフリックがひときわ目を輝かせていたのが、村の入り口に立つ立派な大木のデコレーションだった。


「家でもやってみたい!」


 そうせがんだ子供たちは、父と一緒にせっせとオーナメント作りに励んだ。


 紙を折って切って、星や花や雪の結晶の形を作る。

 毛糸を編んで、手のひらサイズの家や靴下や天使の形を作る。

 団栗どんぐりや松ぼっくりを拾ってきて乾燥させ、絵の具で色を塗る。

 木を丸く切り出してやすりをかけ、絵を描いた華やかなウッドボールもいくつも制作した。


 その一つ一つに穴を開け、紐やリボンを通して結べば、箱いっぱいのオーナメントのできあがりだ。


 さっそく母と祖父も誘い、みんなでにぎやかに庭に出る。


 ちょうどいい高さのもみの木を囲んで、家族で和気あいあいと飾りつけを楽しんだ。


「はい、テオもやってごらん」

「?」


 ルカからフェルト製のりんごを手渡されたテオドールは、大きな瞳をぱちくりさせた。


 口に入れて舐めそうになったが、兄や姉が枝に飾りを吊るしているのを見て真似しようと思ったのか、短い手足をえいっと上に伸ばした。


 しかし身長が足りなくて、枝まで手が届かない。


「あーう……」


 テオドールはきょろきょろとあたりを見回した。その場で一番背の高い人物の前に、よちよちと歩いていく。


「じぃじ、あっこ、ちて」

「「しゃ、しゃべったー!!」」


 ルカとヴィクトルは同時に目を剥いた。

 

 テオドールは二語文までは話していたが、三語文は初めてだ。


 ルカは感動に震え、名指しされたヴィクトルはでれでれと頬をゆるませる。


「テオたんんん! きゃわいいでちゅねぇぇ!」


 ヴィクトルが感涙にむせびながら頬ずりすると、テオドールはもう一度「あっこ」と催促した。「いいから早く抱っこしろ」と言わんばかりである。


「抱っこでちゅかぁぁ! いいでちゅよぉぉ!」


 裏社会の親玉のような強面こわもての外見を持つヴィクトルの赤ちゃん言葉に、かつては恐れおののく使用人もいたのだが、孫も三人目となる今ではすっかり平常運転である。もはや誰も違和感すら感じてはいない。


「あいっ」


 ヴィクトルに抱き上げられたテオドールは、手に持ったオーナメントを見事、枝にひっかけることに成功した。


 家族から一斉に「すごい!」「上手!」「よくできました!」と褒めちぎられて、ご満悦の表情である。


「じぃじ、しゅき」

「じぃじもだいしゅきでちゅよぉぉ!」


 ヴィクトルが常人よりもはるかに高い位置の「高い高い」を披露し、テオドールはキャッキャッと無邪気に笑う。


 リートベルク家の最年長者と最年少者が戯れる光景に、家族はほっこりと和んだ。


 冬の日は早くに落ち始めるが、祭りで買ったキャンドルを並べて灯せば、庭は一段と明るくなった。


 エリザベートは猫のバルーを抱いて、オーナメントに彩られた樅の木と、幻想的に揺らめく蠟燭ろうそくの炎を示した


「バルー、見える?」


 バルーもすっかり年を取って、老猫になった。もう狩りに出ることはほとんどなく、最近では一日中寝てばかりだ。


「ほら、きれいね。バルー」


 バルーはアレクシアの子供たちのことはみんな自分の弟妹のように可愛がっていたが、中でも最初に生まれたエリザベートは特別らしい。エリザベートの腕に心地よさそうに身を委ねながら、みゃあと返事をした。


「おじいさま! ぼくも乗せて!」

「おお、いいぞ」


 ヴォルフリックに言われて、ヴィクトルは片手を空ける。


 ヴォルフリックは抱き上げられるのではなく、自分からさっと祖父によじ登った。


「テオ。ほら、いっしょにやろう」

「にぃに」


 ヴォルフリックが弟ににぎらせたのはリースだった。植物のつるを乾燥させてぐるっと丸い形に固定し、それを土台にして花や木の実を飾りつけたものだ。


 父と姉と三人で作った力作なので、一番てっぺんに飾るのはこのリースにしようと決めていた。


「よし、がんばれ」

「ヴォルフ、テオちゃん、がんばって!」


 祖父と姉の応援を浴びながら、兄弟はリースを左右から持って、木の一番上に架けた。


「やったー!」

「お二人とも、素晴らしいです!」


 家族はもちろん、見守っていた使用人たちからも大きな拍手が湧き起こった。


 やがて淡い薄墨の色に濁った空から、雪のかけらが舞い落ちてくる。


 花弁ほどの大きさの雪片がまばらに散りながら、すらりと伸びた樅の緑に刷毛はけで撫でたような化粧をほどこし、元気にはしゃぐ子供たちの頭に降っては溶けていった。


「アレクシア、寒くない?」

「大丈夫だ」

「でも、指先が冷たくなってるよ」


 ルカはアレクシアの冷えた手を取って、両手で包み込んだ。自分の体温を彼女に分けるように、心をこめてあたためる。


「あっ、父上と母上がいちゃいちゃしてる!」

「けしからんな。もっとやれ」

「ぱぱ! まま!」


 ヴォルフリックが目ざとく指摘し、ヴィクトルが前半と後半で矛盾した指示を出し、テオドールが短い両手をばたばたさせ、エリザベートに抱かれたバルーがにゃあと鳴いた。


 周囲の声をものともせず、ルカはアレクシアの手を離さなかった。絡めた指を持ち上げて、熱い吐息を吹きかけながら告白する。


「アレクシア、愛してる」


 義父に、子供たちに、猫にまで囲まれたこの毎日が愛おしい。


 この時間を過ごせてよかった。この場所にいられてよかった。この人生を歩めて本当によかった。


「君と出会えて……よかった……」


 ちらちらと降り積む白銀が、黒衣の城を包んだ。


 空には沫雪が踊り、庭にはキャンドルの優しいあかりが連なる。

 

 冷たくてあたたかい時間の中、家族の幸せな日々は続いていった。






──────────────

ここまで読んでいただきありがとうございます!

次回から最終章になります

唐突な新キャラ視点でお送りします


101話で完結です。キリよく100話にしたかったのに収まりませんでした(計画性…)

最後までよろしくお願いします!

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