第87話 アイストラウム②

 第三子ともなると、とにかく成長が早く感じられる。


 テオドールはあっという間に一歳を過ぎ、歩くのも上手になって、カタコトながら言葉も発するようになってきた。


 とはいえ、よちよち歩きの幼児を氷のリンクですべらせるのは危ない。もう少し大きくなってからにしようと両親で決めた。


「ぱぱ、あーい」


 石や葉っぱを次々と拾ってルカに手渡してくるテオドールは、三人目にして一番外見が父に似ている。


 妊娠中は「何から何までアレクシアに似た子であってほしい。自分の要素はいらない」と願っていたルカだが、生まれてみるとこれが可愛くてたまらない。


 実際、我が子は無事に生まれてきてくれただけで優勝だし、こんなに自分そっくりな子をアレクシアがお腹の中で育ててくれたなんて、幸せすぎて爆発しそうになる。


 実際、彼女が「まるでルカを小さくしたようだな」と微笑みながらテオドールを愛でているのを見た時は、胸を押さえて倒れた。


「あっ! たい!」


 雪の積もった枝に手を伸ばしたテオドールは、勢いあまって尻もちをついた。


 雪の上だったのと、ふわふわもこもこの素材を使った服を着ていたおかげで、痛がる様子もなく平然としている。


 この服は、父が改良を重ねた力作である。


 はじまりはエリザベートのために編んだ、くまの耳付きの帽子だった。とても可愛かった。


 その後ヴォルフリックが生まれ、同じ色の毛糸でセーターを編んで帽子と一体化した。非常に可愛かった。


 そしてテオドールが生まれてから、ふと思い立ったのだ。上着だけと言わず足まで付けた、着ぐるみのような服はどうだろうか――と。


 やがて試行錯誤を重ねた末、ぼたんで着脱できる服が完成した。茶色の毛糸をふんだんに使い、尻には丸いしっぽも縫い付けてある。


 テオドールが着ると、まるで子ぐまが二足歩行しているかのようで、とんでもなく可愛い。


 家族にも大好評だし、使用人たちからも「可愛いの最上級」「控えめに言って国宝」とのコメントをもらっていた。


「はい、うさぎさんだよー」

「うしゃぎ!」

 

 ルカが一緒に雪玉を作って転がしたり、小さな雪だるまを作って木の実で目を付けたり、雪うさぎを作って葉っぱで耳を付けたりすると、テオドールはご機嫌で喜んでくれた。


 雪の手ざわりも好きなようで、何度も新雪に手を伸ばし、にぎったり潰したりしているうちに、テオドールの毛糸の手袋はすっかり濡れてびしゃびしゃになった。


「テオ、おてて冷たくなっちゃったね。おいで~」


 テオドールを捕まえて、手袋を脱がせる。冷えて赤くなった小さな指先をルカの手でまるごと包んであたためていると、ひとしきり滑走した上の子たちが戻ってきた。


「父上! 父上も行こう!」

「お父さまともいっしょにすべりたいです」


 目を輝かせてせがむ子供たちを見て、アレクシアもルカを促した。


「行ってきてやってくれ。テオは私が見ているから」

「わかった。よろしくね」


 テオドールの抱っこを交代しがてら、ルカはアレクシアの頬にキスをする。


 ヴォルフリックはもう大人顔負けなほど上手にすべれるし、エリザベートは周囲をちゃんと気遣いながら楽しんでいる。三人は歓声をあげながら、氷上をすいすいと滑走した。


「ぱぱ! ぱぱぁー!」


 広場を一周して帰ってきたところで、母に抱っこされた子ぐまがこちらに手を振っているのが見えて、父と姉と兄はそろってメロメロになった。


「テオが呼んでる~!」

「ほんとだ! 可愛い!」


 末っ子の可愛さたるや、反則級である。


 短い手足も、少ない等身も、つたないおしゃべりも、ふわふわもちもちした頬もすべて期間限定の特別なキュートさで、テオドールはすっかり城のアイドルだった。家族は毎日競うように、可愛い可愛いと言い合っている。




***




 たっぷり遊んでおなかをすかせた後は、お昼ごはんの時間である。


 公園の一角にラグを敷いて座り、ルカは持参してきたラタンのバスケットを取り出した。


「はい、どうぞ~」

「「わぁー!!」」


 ぱかっとバスケットを開けると、エリザベートとヴォルフリックが声をそろえて喜んでくれた。


 ルカが早起きして作ってきたお弁当の中身は、色とりどりのバゲットだった。


 具材は定番のハムやソーセージはもちろん、スモークチキンに厚切りのミートローフ、サーモンのフライに海老のマリネ、みじん切りの野菜を混ぜた卵のスプレッドもある。


 副菜は塩漬けのニシンに、かぼちゃとチーズとナッツのサラダ。デザートは昨日エリザベートと一緒に焼いたカップケーキだ。


「おいし~い!」


 ヴォルフリックはハムをたっぷり挟んだバゲットを豪快にほおばって、そう絶賛してくれた。


「あー! まま!」


 テオドールが母に向かって、短い手足をばたつかせた。愛らしい口はよだれでべたべただ。


「これが食べたいのか?」

「テオにはまだ早いかな~。きっとからいと思うよ」


 あいにくとお目当てのパンはマスタードとブラックペッパーをしっかり利かせた大人向けの味付けだ。一歳児の口には合わないだろう。

 

 ルカはじたばたもがくテオドールを取り押さえながら、用意してきた幼児用のスティックパンアインバックを取り出した。


 スティックパンアインバックは何本も連結した状態の、四角い形で焼き上げるものなのだが、エリザベートが手で一本ずつに割ってくれ、ヴォルフリックがテオドールに食べさせてくれた。


「テオ、おいしい?」

「おいち!」

「テオちゃん、よく噛んでね」


 子供たちがふれあう姿を見るたびに、ルカの胸は尊さで満ちるのだが、最近やっと言語化できるようになった。これは「推しと推しが絡んでいる」というやつだ。


(いい……! いくら見ても飽きない……!)


 あふれる多幸感を噛み締めながら、ルカはぐるりとあたりを見渡した。


 円形に設計された広い公園は、中央に巨大な氷のリンクを張っても、まだゆとりがある。


 使われていない敷地には自分たちのような家族連れが何組も座り込んで、持参した昼食をめいめい広げていた。


「どうかしたか?」


 そう首をかしげたのは、ルカの"最推し"だった。


「あのあたりの空いたスペースに、屋台を誘致できたらいいなって思って」

「秋の祭りのようにか?」

「そうそう」


 夫婦は指で示しながら、広場に沿って屋台や露店が連なる光景を想像した。


「お弁当も楽しいけれど、ここでできたての食事が食べられたらいいと思わない?」

「確かにな」


 アイストラウムは真冬の気候の中、氷のリンク上で遊ぶ催しだ。運動にはなるが、やはり体は冷える。


 だから温かい飲み物や食べ物がその場で買えたなら、きっとみんな利用するのではないだろうか。


 近隣の領民にとっても冬季は農閑期で、実入りが少ない。そんな季節でも屋台で稼げれば収入は安定する。


 すでに秋祭りのノウハウはあるのだから、さほど難しくはないだろう。出店が並んでにぎやかになれば、アイストラウムの来場者数もさらに増えて、より経済の活性化につながる。


「さっそく来年に向けて考えてみるか」

「うん!」


 雪景色を彩る美しいアイストラウムと、それを盛り上げる屋台の数々は、やがてリートベルク辺境伯領の冬の風物詩として有名になるのだが──それはまだ、先の話である。

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