第72話 ノルトハイム侯爵②

「しかし、君も大変だな」


 ノルトハイム侯爵は斜めにちらりと視線をやった。


 背後では先ほど侯爵の登場で会話を中断させられた者たちが、未練がましそうに指をくわえながらルカを見つめている。


「連中は蔑むわりに平然とすがってくるだろう? まったく厚顔無恥なことだ」


 遠慮のない口調で言われて、ルカは思わず苦笑いした。


「はい。実は最近、僕の親族だと名乗る人たちが後を絶たなくて……」


 ルカが資産家として知られるようになってからというもの。公式の場に顔を出すたびに、やたらと身内を自称する者が増えて困っているのだ。


『リートベルク卿! あなたの亡くなった母君は私の親戚なのです!』

『わけあって生き別れになりましたが、私はずっと彼女の行方を探しておりました!』

『母君の分までこれからは親しく付き合いましょう。身内なのですから当然です!』


 百歩譲ってその話が真実だったとして、涙ながらの感動の再会で終わればいいのだが、あいにくそうはならない。


 その次に出てくるのは、必ずと言っていいほど金の無心だ。


『少しでいいのです。融通してはいただけませんか?』

『卿からすればほんのはした金でしょう?』

『決して損はさせませんので、私の事業に融資を──』


 全員がもれなく金銭の援助を頼んでくる上に、断れば冷たいと非難される。


『ひどいです! 親族ではありませんか!』


 親族と認めた覚えはないのだが、相手の中ではもう親族に認定されているらしい。


『僕にとっての家族は、妻と義父と子供たちだけですので』


 そう笑顔で拒絶し、話を打ち切るようにしているが、相手も簡単にはあきらめてくれず、しつこく追いすがってくるので疲れるのだ。


 ノルトハイム侯爵は声をあげて笑った。


「わかるわかる。なぜ少し名が知れた途端に、ああも謎の親戚が多数沸いてくるのだろうな」


 こんな話を「わかるわかる」と共感してくれるのはノルトハイム候だけだ。


「侯爵もご苦労されましたか?」

「したとも。何しろ我々の実母については正確な情報がないからな。いくらでも作り話をでっち上げられる」


 ルカも実母の顔を知らないが、侯爵も似たような境遇らしい。


 生みの母についてあることないこと捏造ねつぞうしてくる連中には「母は実子のように育ててくれた前侯爵夫人だけだ」と断言して、切り捨てているのだとか。


「君はその手は使えんな。前ヴァルテン男爵夫人の悪評は有名だからな」


 侯爵が愉快そうにそう笑い続けるほどには、ルカは継母運がなかった。


 一方の侯爵は継母には恵まれたが、本人いわく、妻に関してはハズレを引いたらしい。


「君の若さも、莫大な遺産を元にした大胆な投資もうらやましいが、一番まぶしいのは奥方への愛情かもしれんな。私はあいにく妻と不仲でね」


 血筋が劣る息子を補おうと、父が無理に高位の家から侯爵夫人を迎えたが、これが致命的に気の合わない女性だったそうだ。


 気位の高い妻には、平民の血を引く夫がお気に召さないらしい。いつまでも嫌な顔をされ続けて、夫婦仲はすっかり冷めきっているのだとか。


「君の父君は夫人と離婚されたのだろう? ぜひ教えを乞いたいものだ」

「はは……」


 返答に困る話を振られて、ルカは苦笑した。侯爵夫人を悪く言うことはできないので、あいまいに言葉を濁すしかできない。


「ということで、この後だが……」

「いえ、結構です」

「誘う前から断らなくてもいいではないか。奥方以外の女を知るのも悪くないぞ。せっかく王都に来たのだから、少しくらいはめを外してもいいだろう?」


 ノルトハイム侯爵は辣腕にして慧眼けいがん、経営者としても投資家としても学ぶところの多い人物だが、一つだけ困ったところがある。


 いわゆる大人の悪い遊びに誘ってくるのである。


 ノルトハイム侯爵が懇意にしているだけあって、口が堅く身元もしっかりした高級店らしい。


 侯爵は出自で苦労したこともあって、私生児を作るような危険は冒さず、後腐れのない遊び方をしているようだが、そういう問題ではない。


「奥方には絶対にバレないようにしてやるから心配するな」

「いえ、そういうことではなく……」


 ルカは蜂蜜色のかぶりを振った。


「僕は妻と結婚できたことを奇跡だと思っています。妻以外の女性に興味はないんです」


 きっぱりと断っても、侯爵は気分を害することはなかった。話題を元に戻して、二人はお互いの手がける事業についてしばし語り合う。


(人当たりのいい青年だが……流されはしないな……)


 継母運がなかったせいで、並々ならぬ苦労をしてきたせいだろうか。ほわほわとした見た目に反して、芯のある男だ。


 髪色と同じ明るい笑顔は人を惹き付けるし、謙虚な会話は周囲を和ませる。


 どんな悪意を向けられても傷つかず、底意地の悪い視線にも物怖じせず、当意即妙な機転が光る受け答えをする。


「やはりリートベルク卿は良いな。血統しか誇るもののない連中とは腹のすわり方が違う」

「恐れ入ります」


 そう応じた水色の瞳は、いかにも人たらしな魅力であふれていた。


(この邪気のない顔に、みな心を許してしまうのだろうな……)


 若きアーレンブルク公爵にもうまいこと恩を売ったようだし、権力欲や上昇志向はないのかもしれないが、運と決断力は持ち合わせている。


「私はこれからも君と良好な関係を保ちたいと思っている。身分を自慢するしか能のない連中とつるむよりもよほど有益だし、君の活躍は私も胸がすくのでな」


 貴族社会などしょせんは腹芸と駆け引きの応酬おうしゅう、狐と狸の化かしあいだ。


 隙を見せればめられ、蹴落とされ、骨までしゃぶられる世界である。


 そんな修羅界で渡りあっていくためにも、この青年を引き立てることは損にはならない。


 せいぜい「卑賎」な自分たちで「高貴」な連中の鼻をあかしてやろう――。


 そんな願いを込めてさし出した手を、ルカはにこやかににぎり返した。


「はい。よろしくお願いいたします。ノルトハイム侯爵」 

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