第73話 凱帰

 昼の叙勲式と夜のパーティー。濃密な一日を無事に終えたルカとアレクシアは、晴れてリートベルクへと凱帰がいきした。


 令嬢としてこの地を発ったアレクシアが、女辺境伯として帰還した──。吉報を受けた領民たちは、祝福に湧き立った。


「お嬢様……いえ、ご主人様!」

「襲爵おめでとうございます!」

「新領主様に神のご加護を!」


 領内に入った瞬間、待ちかまえていた領民たちからそう喝采が浴びせられた。


 街道の左右に沿って、民たちがずらりと並んでいる。花びらが撒かれ、祝いの言葉が放たれる。アレクシアもそっと微笑んで、馬車の窓から手を振り返した。


 女辺境伯という地位は史上初であり、リートベルクにとっても女の領主をいただくのは初めてだ。


 他方では女当主に難色を示す国民も多いが、リートベルクの民に限っては、アレクシアが長く後継者の地位にあったおかげで抵抗感は少ない。


 むしろ「さすがはうちのお嬢様だ」とか、「先進的で我々の誇りだ」とか好意的に受け入れ、手放しで歓迎してくれている。


 ぱちぱちと拍手する幼女から花束を手向ける老婆まで、女性たちはとりわけ誇らしそうな明るい顔をしていた。


 やがて城に帰りつき、巻き上げ機を動かして跳ね橋を下ろした瞬間。


 娘のエリザベートと息子のヴォルフリックと山猫のバルーが同時に走り抜けてきた。


「お父さま! お母さま!」

「父上! 母上!」

「リザ! ヴォルフ! 会いたかったよおぉぉ!」


 ルカは子供たちを抱きしめてすーはーと吸った。この匂いが健康にいいのである。


 くすぐったいと笑う子供たちをしつこく吸っていると、バルーが頭の上に飛び乗って肉球でぺしぺし叩いてきた。


「よく帰った。ご苦労だったな」

「義父上、どうもありがとうございまし──」


 片手にエリザベートを、もう片手にヴォルフリックを抱いて振り返ったルカは、そのまま凍りついた。


「ち、義父上!? お疲れですか!?」


 ヴィクトルのいかつい顔は、いつも以上に恐ろしく苦みばしっていたのだ。


 ひぐまのような体躯は濃いかげに彩られ、猛禽のような鋭い目の下は深いくまでふち取られている。


 人を何人か殺してきたばかりと言われても違和感のない風貌に、バルーは本能的に毛を逆立て、シャーッと威嚇いかくしながら逃げ去っていった


「すみませんでした! 子供たちがわがままを言って困らせたのでしょうか?」

「いや、そうではない。二人ともとてもいい子だった」


 ヴィクトルは顔の傷を歪ませて首を振った。


 両親がそろって不在の日々の中。エリザベートとヴォルフリックは昼間はいつも通り元気だったが、夜になると不安になるのか、心細そうな顔を見せることもあったらしい。そして、


『おじいさま。こんやはおじいさまといっしょにねてもいいですか?』


 そう言って、二人でヴィクトルの寝室を訪ねてきたのだとか。


(うわっ……私の孫、可愛すぎ……!?)


 ヴィクトルの厚い胸板はときめきに鳴った。 


 もちろん断るわけがない。快く部屋に入れてやると、二人は喜んでベッドに飛び乗った。


 ヴィクトルは孫たちを壁側に寝かせ、自分は通路側を塞ごうと思ったのだが、二人は声をそろえて「おじいさまがまんなかにねて!」とせがんだ。


 ご所望とあらばとベッドの真ん中に横たわると、さらに両手を横に伸ばしてほしいとねだられた。言われた通りにしたところ、孫たちは左右からヴィクトルの腕を枕にして寝始めた。


(……!? 右を向いても左を向いても孫……!?)


 絶景にもほどがある。こんな幸せな固技かためわざがこの世にあっていいのか。


 腕枕など亡き妻ルイーゼにしかしたことのなかったヴィクトルだが、まさか孫たちに抑え込まれて完敗する日が来ようとは思いもしなかった。


(左右どちらも可愛すぎる……!)


 両方見たい。どちらかなんて選べない。


 しかし、すやすやと眠る孫たちを起こさないよう、眼球だけを忙しく左右に移動させていたヴィクトルは、ふと気が付いてしまった。


(……動けない……)


 動けば孫を起こしてしまう。この無垢な寝顔を妨げるなどできるはずがない。


 腕を引き抜くなど無理だし、熟睡することもできない。無意識に寝返りでも打とうものなら、自身の巨体で孫を潰してしまうからだ。


 ヴィクトルは静かに深呼吸をした。


――若い頃、戦地では意識を落とさずに眠るのが日常茶飯事だった。


 戦場での習慣を思い返しながら、当時の勘を再び体に呼び覚ます。孫のためならできないことなど何もない。


 そうして娘夫婦が帰って来る日まで、ヴィクトルは毎晩微動だにせず意識を保ち、孫たちの枕となる日々を送り続けた。


 その結果、目元には濃いくまが刻まれ、人を殺した直後のような風貌になっている――というわけらしい。


「義父上……本当にありがとうございます」


 話を聞いたルカは、深々と礼を言った。


「今日は僕が子供たちと寝ます。父上はどうかゆっくりと休んでください」


 たっぷり睡眠を取った後で晩酌をしよう、とルカは提案した。


「疲れを癒していただいたら、明日は飲みましょう。父上のお好きなさかなをたくさん作ります!」

「気を遣わんでいい。ルカ君も疲れているだろう」

「義父上に話したいんです!」


 水色の目がきらきらと輝いた。


「叙勲式でのアレクシアの勇姿も、その後のパーティーでの晴れ姿も全部! 全部目に焼き付けてきました! 一言一句、一挙手一投足記憶しています!」


 ルカはアレクシアに関する事なら何から何まで正確に覚えているという気持ち悪い特技がある。「一言一句」も「一挙手一投足」も誇張でもなんでもなく、噓偽りのない真実である。


 そしてアレクシアが爵位を受けた式典の最中、歓喜の涙を流していたルカの脳裏によぎったのは「義父上にもこの姿を見せてさしあげたかった」だった。


 昨年、急に辺境伯の地位を退くと宣言したヴィクトルは、一度言い出したら二度と前言を撤回することはなかった。


 何なら話し合いの末には「悠々自適な老後を送るんだ!」とか「これからは孫と遊んで暮らすんだ!」とか駄々をこねていたくらいだ。


 だが、ヴィクトルの本心は語らずともわかっている。彼は父として、自身がまだ壮健でいられるうちに、娘に実績を積ませたかったのだ。


 代替わりをしたばかりの家は少なからず不安定になるもの。アレクシアの場合は特に、女だからというだけで公然と侮ってくる輩が後を経たない。


 領内でこそ反対の声はないに等しいが、一歩外に出れば敵だらけと思って間違いない。


 だからこそ「女辺境伯」の時代を早く、少しでも長く実現させたいと願ったはずだ。


 ヴィクトルはアレクシアの叙勲式に同席することはなく、自ら望んで領地に残ったが、本心では一人娘の晴れ舞台を見たかったに決まっているのだ。


「アレクシアがどんなに立派で、凛々しくて、最高に格好良かったか……義父上にすべて聞いてほしいんです!」

「ルカきゅぅぅぅん!!!」


 熱い抱擁をかわすルカとヴィクトルを横目に、アレクシアは子供たちの手を引いて先に帰った。


「行くぞ、リザ、ヴォルフ。あの二人は放っておいていいから」


 その翌日夜から始まった義父と婿の晩酌は、夜を徹してもまだ話が尽きなかったという。

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