第74話 砂糖のパン

 義父と婿の晩酌は非常に盛り上がった。


 しかし父としては、子供たちとも思う存分ふれあいたくて仕方がない。


 ということで、娘とも息子ともそれぞれ一対一で過ごす日を設けることにした。やりたいことがあれば何でも、可能な限り叶えるという約束付きだ。


「リザは何がしたい?」

「うーんと……」


 ルカが尋ねると、エリザベートは愛らしい小首をかしげて考えた。


 なおヴォルフリックからはすでに「父上と馬でとおのりしたい!」とのリクエストをもらっている。


 息子が三歳にして無限の体力を誇ることを思えば、一日がかりの遠出になりそうだ。馬の手入れや弁当の下ごしらえなどしっかり準備をした上で、後日出発する予定である。


「リザはどう? リザのしたいことは何でも一緒にするよ」

「じゃあ……お父さまとおさとうのパンをつくりたいです」


 "砂糖のパンツッカーブロート"とは、パンと菓子の中間のような甘い食べ物である。


 パン生地をこねて発酵させ、中に砂糖を固めた小さなボールを包んで焼き上げたものだ。子供たちに大好評を博している、定番のおやつでもある。


「お父さま、髪をむすんでくれますか?」

「お任せを。お姫様」


 娘の父を五年もやっているルカは、今や編み込みもアレンジもお手のものだ。


 まず髪を梳かし、毛束をすくい集める。全体を四つに分けて外側を細く三つに編み、内側の髪とまとめて結べば、サイドを三つ編みにしたツインテールのできあがり。


 後ろで結った髪がクロスしてほどけにくいし、動くたびにくるっと揺れる毛も可愛い。


「かわいい! ありがとうございます」


 喜んで回ってみせるエリザベートは完璧に愛らしい。世界一の美少女である。父の欲目ではない。


 エリザベートは料理に興味があるらしく、これまでも何度も父と一緒に厨房に立ってきたので、準備も手慣れている。しっかりと手を洗い、自分用のエプロンを付けて、わくわくと作業に臨んだ。


「あっ、こぼしちゃった……」

「大丈夫だよ。こっちを代わってくれる?」


 まだまだ力が弱かったり、手先がうまく使えないところはあるが、そこはルカがフォローすればいい。


 この年頃の子供は「自分でできた!」が大きな活力になるものだ。さりげなく手助けして、あたかも自力で成功したかのように思わせるのも、父の腕の見せどころである。


 せっせとパン生地をこねた後は、成形の作業に入った。小さなシュガーボールを巻き込みながらくるくる丸めていくのだが、砂糖のパンツッカーブロートといえば定番の形は花だ。


 丸い生地に五つの切り込みを均等に入れて、それぞれの端に一つずつシュガーボールを詰めていけば、まるで花びらのような形になる。


 花の形の砂糖のパンツッカーブロートをいくつか一緒に作った後、エリザベートは自分で好きな形を作ってみたいと言い出した。


「もちろん! 自由に作ってごらん」


 オリジナルの形に挑戦するなんて意欲的で素晴らしい。うちの子は天才だ――とルカは目を細めた。


 エリザベートは練った生地を綿棒で細く伸ばし、折ったり曲げたり広げたりと懸命に工夫を重ねた。


 しかし長い楕円を二つくっつけて、先端にシュガーボールを詰めたところで、エリザベートはしょんぼりとつぶやいた。


「うまく、できない……」

「できてるよ。うさぎさんの形だよね?」

「わかりますか?」

「もちろんわかるよ! こっちはねこさんで、こっちはくまさんでしょ?」

 

 五歳児が作った形だ。どれもいびつで不格好なのだが、ルカはすべて正確に言い当てる。エリザベートはぱっと表情を明るくした。


「ねこさんはバルーをモデルにしたんです。あと、くまさんはおじいさまにあげたいの」

「いいね。義父上もきっと喜んでくださるよ」

 

 何でも肯定してくれる父に励まされて、エリザベートはさらに別の形に挑戦した。今度は犬らしい。客観的には違いがわからないが、父の目にはわかる。


「お父さま、もうひとつできました!」

「かわいい~!」


──うちの娘が、と心で思いながら、ルカはパチパチと拍手した。


 作った力作たちを天板に並べて、石窯でじっくりと焼き上げる。


 こまめに火の調節をしながら待つうちに、調理場は甘い香りでいっぱいに満たされた。


「わぁ……!」


 ルカが取り出した天板の上には、黄金色にぷっくりと焼き上がったパン。


「お父さま! ちゃんとふくらみました!」

「うん、上手にできたね」

 

 父娘で手を叩いて喜んだ後は、さっそく割って味見をしてみる。


「熱いから気をつけてね」

「はい!」


 焼きたての砂糖のパンツッカーブロートは溶けたシュガーボールが生地に沁み込んで、とろけるように甘かった。小麦の香ばしい匂いがただよい、ミルクの優しい風味がふわりと広がる。


「おいしい……!」


 エリザベートが青い瞳をきらきらさせて感動していると、ルカもにっこりと笑った。


「こんな美味しいパン、初めて食べたよ。リザはすごいね!」

「ほんとうですか?」


 明るく顔を輝かせて、エリザベートは父に飛びついた。


「お父さま、だいすき!」

「僕もリザのことが大好――」

「わたし、お父さまとけっこんしたいです」


 ルカは言葉を途中で言いかけたまま、口と目が最大まで開いた状態で停止した。


「大きくなったら、お父さまのおよめさんになります!」




***




「義父上! 義父上ー!! 聞いてください!!!」


 調理場からヴィクトルの私室まで、ルカは一気に走り抜けた。


 すれ違った人々がもれなく振り返るほどの全速力だったが、人目など気にしている場合ではない。一刻も早く義父に伝えたい大ニュースなのである。

 

「リザが……リザが言ってくれたんです!」

「……なん……だと……?」


 先ほどのエリザベートとの会話を余すところなく伝えると、ヴィクトルは愕然とわなないた。

 

「羨ましい! 羨ましすぎるぞルカ君!!」


 ヴィクトルは血の涙を流さんばかりに羨ましがり、床を叩いて悔しがった。

 

「義父上はアレクシアに言われなかったのですか?」

「……言われ……なかった……」


 娘から「おとうさまとけっこんしたい」と言われるのは全父親の共通の夢だが、あいにくアレクシアは恋愛や結婚を夢見るような少女ではなかった。


 今思い出してもすがすがしいほど、そんな甘い発言をしてくれた記憶は一切ない。

 

「『おとうさまのあとをついでへんきょうはくになります』は言ってくれたのだが……」

「有言……実行……!」


 幼い頃から辺境伯位を継ぐ決意を固めていたとは、そっちの方がすごい気がする。さすがはアレクシアだ。


 ヴィクトルは悔し涙をぬぐいながら、ルカが持ってきた土産を見下ろした。

 

「これがリザが作ったという砂糖のパンツッカーブロートか……」

「はい」

「孫が手作りしてくれる日が来ようとは……なんという至福……!」


 ヴィクトルは甘いものは好まないが、愛する孫のお手製となれば別である。


 楕円の生地に耳らしき丸が付いていて、くまの形だという話だが、もったいなくて食べられない。妻のルイーゼの肖像画の前に供えて、ずっと飾っておくつもりだ。


 ヴィクトルが巨体を震わせて感動を噛みしめた時。


「「ルカ様! 大変です!」」


 使用人が二人、あわてふためいた様子で部屋に飛び込んできた。


「新路の建設現場で落雷による火災が起きました! 幸い死傷者はいませんが、搬入したばかりの資材がすべてダメになったと……!」

「え!?」

「先日契約した業者の横領が発覚しました! 責任者はルカ様が支払った着手金を持ち逃げしたまま、行方がわかりません!」

「ええ!?!?」


 悲報は止まらなかった。


 その後も取引先が急に倒産しただの、担当者が高跳びしただの、次々と凶報が舞い込む。すべてルカが手がけている事業に関する不祥事ばかりだった。


「こんなに悪いことが重なるなんて……今日は厄日ですね……」

「厄日? とんでもない!」


 相次ぐ災難を受けて使用人はどんよりと顔を曇らせたが、ルカはきっぱりと首を振った。


 今日は愛娘が「結婚したい」と言ってくれた日なのだ。厄日でなどあるはずがない。

 

「必ず解決してみせます! 大丈夫……今日の僕は無敵なので……!」


 娘からお嫁さんになりたいと言われた父親に怖いものはない。どんな不幸も受け付ける気はない。


 今日を厄日になど絶対にしない決意をみなぎらせながら、ルカは毅然と執務室へ向かったのだった。

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