第71話 ノルトハイム侯爵

ノルトハイム侯爵とは前作22話や41話や67話で名前だけ出てきた「平民の母を持つ私生児だが侯爵家の当主になった」という設定の侯爵閣下です。今さらのご本人登場です(遅い)がよろしくお願いします!

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 アーレンブルク公爵フェリクスと親しく話していたせいだろうか。他の貴族たちも目の色を変えて、次々とルカに声をかけてきた。


「リートベルク卿、ずいぶんと景気がよろしいようで──」

「さすがの手腕ですな。どうかこの機会にお見知りおきを──」

「卿とお近づきになりたいと願っておりました。私はこういった商会を運営している者でして──」


 揉み手をしながらすり寄ってくる彼らからは、わかりやすく下心が透けて見える。


 侮蔑とへつらい。矛盾する両方の感情を感じ取りながらも、ルカがそつなく握手をかわした時。


 品のいいシルバーブロンドの髪をかきあげて、壮年の男が口を挟んできた。


「人気者だな。リートベルク卿は」


 いかにも垢抜けた、洒脱しゃだつな印象を与える男だった。


 体型に合った礼服はオーソドックスな黒だが、ちらりと見える裏地は派手な色味で、遊び心が利いている。胸元のポケットチーフも斬新な柄で、挿し方までがいきだ。


 ルカは微笑んで、蜂蜜色のかぶりを振った。


「ご無沙汰しております。ノルトハイム侯爵」


 オスカー・ヨハネス・ノルトハイム。

 ノルトハイム侯爵家の当主だ。


 零落れいらくしていた生家を再興させたことで知られる敏腕の侯爵は、わざとらしく肩をすくめた。


「君はすっかり時の人だな。話題の女辺境伯の夫としても、国内でも指折りの資産家としても」

「いえ、運が良かっただけです」

「まったく苦々しいことだ。辣腕らつわんの投資家といえばかつてはこの私の代名詞だったはずなのだが……今やリートベルク卿に取ってかわられてしまったな」

「滅相もありません」


 ルカは否定したが、侯爵は洒落しゃれた仕立ての襟元を直しながら笑んだ。


「謙遜することはない。卿が生家の資産を注ぎ込んだ大街道の整備は、リートベルクの地に大きな繁栄をもたらしているではないか」


 ここ数年、リートベルク辺境伯領の経済成長率は上昇し続けている。


 転換点となったのは、街道の大改築である。


 まず新路の建設そのものが大規模な雇用を生み出すことにつながった。様々な専門家や大量の職人、おびただしい数の工人が職を得て経済が回り、膨大な資材および必需品の搬出入がさらに消費を拡大していった。


 工事が順調に進み、旅人や商人が多く行きかうようになると、道沿いには次第に店が立ち始めた。


 休憩のできる茶屋や、宿泊のできる旅籠はたご、飲食を提供する食堂に、運ばれてきた荷や通信物を継ぎ送りする施設などだ。


 旅人向けにさまざまな商いを展開する店が営まれ、好景気の波に乗って大店おおだなを構える者も増えた。


 やがて多くの店が寄り集まって、数年後には町が複数生まれた。いわゆる宿場町である。


 定住する民が増え、町医者も常駐するようになり、さらに商業設備が充実して、一帯はますます栄えていく一方だ。


「リートベルクの騎士団は最強と名高いからな。安全は商人にとって、儲け以上に大事なものだ」


 ノルトハイム侯爵がそう指摘する通り、屈強な騎士たちが領内の治安を守っていることも功を奏した。


 通行の安全が保障されたことで、街道の利用者はますます増え、流通がさらに活性化しているのだ。


 関税に通行税、宿場町からあがる収益を含めた税収も莫大なものになっている。工事はまだ続いているが、すでにルカが投じた初期費用は回収できたといっていい。


「全部使いきろうと思っていたのですが……予想外に上手くいっただけです」

 

 全財産を費やしたつもりが、なぜか使えば使うほど金が増えていく。


 大街道とそれに伴って生まれた町は、一銭たりとも王家の助成を受けていないからだ。ルカの個人資産を元に築いたものであるため、収入の大部分がリートベルクに流れ込んでくるのだ。


 ノルトハイム侯爵は目を細めて称賛した。


「素晴らしいな。潤沢な元手があったとはいえ、なかなかできることではない」


 この青年が抜け目のない金の亡者で、利益のみを追求してやっているならまだしも、天然でやっているらしいのが驚嘆に値する。


 街道の整備以外だけではない。農家や畜産など、領内の諸産業への支援なども積極的に行った結果、投資したすべてが倍になって返ってきているらしい。


 手厚い補助を受け取れるからと、リートベルクへ移住する農民も後を絶たず、人口の流入は増える一方だ。


(一介の商人から貴族にまで成り上がった、初代ヴァルテン男爵の血は伊達ではないということか……)


 経営の天才と言われた先祖の血はあなどれない。


「……痛快だな」


 侯爵が楽しそうにつぶやき、ルカはきょとんと眼を丸くした。


「痛快、ですか?」

「ああ。かく言う私も数え切れないほど『平民の血を引く卑しい私生児』だと言われてきた身なのでな。君のことは他人とは思えん」


 ノルトハイム侯爵は名声と同じくらい、その出自で有名である。


 侯爵は父が平民の女性に産ませた私生児だった。父の正妻に引き取られ、後継者として育てられたものの、爵位を継いで当主になった今でさえ『半分平民の血が混じった卑賎の生まれ』と陰口を叩かれる機会は絶えない。


 貴族に私生児がいること自体はさほどめずらしくはないが、その大半が日陰者として慎ましく生きている。


 平民の母を持ちながらも貴族の中で頭角を現した者は、現在の社交界ではノルトハイム侯爵とルカ。この二人だけと言っていい。


 侯爵はポケットに入れていた手を出して、ルカの肩を気さくに叩いた。


「卑しい私生児と蔑まれた私たちが、この国の経済界で幅を利かせているのは痛快でしかない。君にはここで満足することなく、さらに巨額の富を築いて、連中を見返してほしいと願っているよ」

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