第42話 もうひとつの慶事

 秋の祭りが終わると、北方の辺境地帯は急速に冬へと向かう。


 風は日ごとに寒さを増し、霜は日ごとに下り始める。


 吹きつける氷雪に一帯が白く染まる季節の中。凍てつく冷気も吹き飛ばすような明るいニュースがペルレス王国中に、辺境のリートベルクの地にももたらされた。


「まぁ!」

「王太子妃殿下が?」

「おめでたいこと!」


 王太子妃ベアトリスが第一子を懐妊したことが、王家から正式に発表されたのだ。

 

 数ヶ月前、アレクシアは王太子妃の館に乱入してきたアーレンブルク公爵を、腕力にものを言わせて追い払った。


 その後、王族以外の男性は立ち入れないという後宮の規則が改めて周知徹底され、アーレンブルク公爵は実質的に出入りを禁止された。


 父親の執拗な干渉がなくなったことで心が安らいだのか、ベアトリスはほどなくして妊娠したらしい。


 何事もそうだが、周囲が焦燥に駆られてプレッシャーをかければかけるほどうまくいかないことも、リラックスして自然に任せた途端、とんとん拍子に解決したりするものだ。


 生まれる子は国王フランツと王妃マルグレーテにとっての初孫でもある。国王と王妃の治世を寿ぐ声と、王太子と王太子妃の前途を祝福する声が、輪唱のように重なって国中を包んだ。


 辺境のリートベルクもすっかりこの話題で持ちきりになったのだが、実を言えばアレクシアは一足先にこの情報を知っていた。


「うん。妃殿下がわざわざ知らせてくださったからな」


 王家の公式発表に先立って、王宮からアレクシアのもとへ届けられた手紙。


 趣味のいい上品な便箋には、ベアトリス自身の直筆で先日の件の謝礼と、懐妊したことの報告が綴られていた。


 同年代の子を授かって嬉しい、今後ともぜひ親しくしてほしい──という旨も。


「エドガー殿下もお喜びだろうね」

「だろうな。目に浮かぶ」


 未来の国王夫妻の子だ。注目度は未来の辺境伯夫妻など比較にならない。


 国民たちは早くも生まれてくる子の性別をめぐって、そわそわと浮き足立っていた。


 期待されているのはやはり男児である。国王の直系男子の誕生を望む声は大きい。アーレンブルク公爵に至っては、さぞかし鼻息荒く翹望ぎょうぼうしていることだろう。


「我が国には女王がった先例がないからな。国王は初代から当代に至るまで、みな男の王だ」


 現在、至尊の冠を戴くいただのは国王フランツ・カール・ペルレブルク。後継者は第一王子のエドガーで、次代までは男の君主が確定している。


 王女にも王位継承権はあるが、王子が優先されると法で定められている。前例のない女王よりは、やはり慣れ親しんだ男の王を求める風潮は根強い。


 とはいえ、外野がやかましく騒ぎ立てるのは百害あって一利なしである。


 ベアトリスには周囲の声にわずらわされず、穏やかに日々を過ごしてほしいと願うばかりだ。エドガーがついているから大丈夫だろう。多分。




***




 雪しろに包まれて眠る山々に、美しい氷の木華きばなが咲く時季。


 いよいよ臨月が近づいてきた。


 家族も使用人たちもみんなそわそわと浮き足立って、話題といえばすっかり生まれてくる子のことばかりだ。


「アレクシアお嬢様! お腹が前に突き出ていれば男の子で、横に広がっていれば女の子だといいますよ!」

「私は妊婦の顔つきが厳しくてきつくなれば男の子、穏やかで優しくなれば女の子だと聞きました!」


 そんなジンクスを教えてくれた者たちは、うーんと首をかしげ、


「お嬢様は……お顔は優しくなったような気がしますが、お腹は前に出ているのですよね……」


 と悩んだ挙句「やはり生まれてみなければわからない」という結論に達した。


 実際、胎児はもういつ産気づいてもおかしくないほど育ったらしい。アレクシアの腹もすっかり大きくなって、人の皮膚はこんなに伸びるのかと思うほど膨らんでいる。


「……これは元に戻るのだろうか……?」


 これだけ膨張した腹が、元通りになる気がしない。


 体型だけではない。体重もかつてないほど増えた。最近では水を飲むだけでも太っていく気がして、アレクシアは内心驚愕している。


 世間の夫の中には妻の体重の増加を嘆いたり、体型の変化をからかったりする者もいるのだという。


 男は何も変わらないからだろうか。いい気なものだと思うが、ルカも実はアレクシアが太ったことに幻滅しているのではないかと考えると、一抹の不安が胸をよぎった。


「……ルカ。私は出会ってから今が一番太っているのだが……どう思う?」

「君が増えたなんて最高だと思ってるよ!」


 澄みきった目で即答された。ブレない男である。


──それに、とルカは真剣なまなざしで語った。


「君は太ったんじゃないからね。出産のために必要な体型になってくれたんだからね。赤ちゃんのために自分の体を変化させるなんて、本当に偉大だよ。尊敬してる」

「……そうか」


 アレクシアは素っ気なく答えたが、内心は嬉しさを隠し切れなかった。


 歯の浮くような甘い美辞麗句を駆使して口説かれるよりも、こういうことを素で言われる方が弱い。正直言ってキュンとする。


 産後に体型や体重が戻らなかったとしても嫌われることはなさそうだ──と安堵したが、嫌うどころかルカの溺愛はますます深まる一方だった。


 アレクシアが人生で初めての腰痛に見舞われていれば、腰や背中をせっせとさすってくれる。


 かがむのが難しく、自分で足の爪を切れなくなったと言えば「お安い御用だよ~」とかわりに切って、丁寧にやすりまでかけてくれる。


 毎日お腹に話しかけ、日に日に強まる胎動に興奮し、男女どちらでも使える色で新調した産着や肌着を水通しして干し、ベッドやゆりかごを手入れし、細やかに支度を整えてくれている。


 そうやって心待ちにし、指折り数えて過ごしながら。


 やがて、その日はやって来た。

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