第43話 新しい家族

 その日は真夜中から、前駆ぜんく陣痛と思われる腹部の張りが強かった。


 鈍い痛みが不規則に襲っては、また遠のいていく。


 ほとんど眠れないまま朝を迎えてから、アレクシアはルカに頼んで産婆を呼んでもらった。いつ来るかわからない出産の時に備えて、少し前から城に詰めてもらっているのだ。


「まだ微弱ですが……この後、本格的な陣痛につながりそうですね」


 産婆がそう診察すると、メイドのマリーがコホンと咳払いした。


「お嬢様、陣痛ですが──」


 経験者として陣痛の乗り越え方を教えてくれるのだろう──とアレクシアが耳を傾けると、マリーは真剣な顔つきで言った。


「耐えられるか耐えられないかで言えば、耐えられません」

「ん?」

「この世のものとは思えない痛みです。およそ人間が耐えられるものではありません。ですが、耐えられなくても耐えるしかないのです。一度始まったら後戻りはできませんから」


 耐えられなくても耐える以外ないし、やめたくてもやめられない。


 泣こうが騒ごうが懇願しようが、途中で止めることはできない。


(……拷問では?)


 恐ろしいが、そのくらいの心構えでいろということなのだろう。


 アレクシアは冷静に笑んだ。


「私は普通の女性よりも体力があるし、体も頑健な方だ。陣痛もきっと耐えられるだろう」




 ***




「痛すぎる……」


 顔面蒼白でベッドのシーツをにぎりしめながら、アレクシアは絶望した。


「……なんだこの痛みは」


 じわじわと起こっては止まっていた微弱な鈍痛は、翌日の夕暮れごろから徐々に強まり出した。


 海に寄せては返す波のように、陣痛は引いては満ちていく。干満の間隔が短くなるにつれ、痛みはどこまでも底なしに増していった。


 痛い。どんな姿勢を取っても痛い。痛い以外の言葉が考えられない。

 

「腰が……割れそうだ……」

 

 骨盤まわりの骨を鈍器で殴られているような痛みだった。


 痛い。身体が裂けて砕けそうに痛い。痛すぎて意識が遠のく。


 これまでどんな過酷な武芸の鍛練を積んでも、腰痛になどなったことはないアレクシアだが、今は腰が粉々に叩き割られるのではないかと思うほどの激痛に見舞われていた。


「お嬢様! 気をしっかりお持ちくださいませ!」


 叱咤したのはブリギッタだった。


 ブリギッタは産婆ではないが、本人が「お嬢様の出産に立ち会いたい」と強く望んだことと、アレクシアを叱り飛ばせるのは彼女くらいであるため、はりきってこの場に同席している。


「さすがは武家のお嬢様でいらっしゃいますね」


 産婆は腰をさすりながら、そう褒めてくれた。


「私はこれまで何百人も取り上げてきましたが、痛みに耐えかねて泣き叫ぶ女性も多いのですよ。お嬢様は取り乱されず、ご立派です」

「……戦場で負傷した時、いたずらに騒ぎ立てるのは悪手だからな。体力の消耗を極力抑えて、起死回生の機をうかがうのが定石じょうせきだ……」

「何の話かわかりませんが、体力を温存するのは正解です」


 産婆の指示に従って、アレクシアはとにかく呼吸をすることだけに集中した。


 痛みをやり過ごすためにベッドの周囲の柵をつかんだところ、バキッと派手な音がする。


「あっ……」


 壊してしまった柵を手に、アレクシアが固まっていると、ブリギッタは柵を取り上げてポイっと投げ捨てた。


「今日だけは見逃します! 柵でも壁でもいくらでも壊してよろしいですわ!」


 普段はアレクシアの野蛮ぶりを誰よりも口うるさく咎めるブリギッタだが、今日ばかりは別らしい。かいがいしく汗をぬぐいながら、懸命にアレクシアを励ましてくれた。


「……痛すぎないか……?」


 朦朧もうろうとする意識の中、瞼に浮かぶのは、幼い頃に亡くなった母ルイーゼのおもかげだった。


 体が弱くて病気がちだった母が、この壮絶な痛みに耐えて自分を産んでくれたのだと思うと、尊敬と感謝の思いを覚えずにはいられなかった。


(……お母様……!)




***




 アレクシアが永遠のように思える陣痛に、夜を徹して耐えている最中。


 ルカとヴィクトルは一睡もせず、厳寒の回廊で待ち続けていた。


 二人して目を閉じ、口をつぐみ、胸の前に手を合わせて、微動だにせず祈り続けている。まるで同じポーズで彫った銅像のようだった。


 緊張に張りつめた沈黙の中。山猫のバルーまで神妙な顔をしていた。


 バルーは前足を立て、上体を起こして背筋を伸ばしている。モフモフのしっぽは体に巻き付いて、まるでいつでも闘えるよう臨戦態勢を取っているかのようだ。


 二人と一匹がまんじりともせず、飲まず食わずで待ち続けること半日。


「──ルカ様! 旦那様!」


 さやかな黎明とともに、マリーが外に飛び出してきた。


「おめでとうございます。お生まれになりました」

「「……!!!」」


 ルカとヴィクトルは思わず手を取り合い、お互いに顔を見合わせた。ルカは足早にマリーに駆け寄る。

 

「アレクシアは!?」

「ご無事ですよ。母子ともにお健やかでいらっしゃいます」


 それを聞いて、張りつめていた緊張が一気に溶けた。


「少々お待ちくださいね。ブリギッタ様が今、うぶ湯を……あっ、いらっしゃいましたわ」


 白いコットンのおくるみを大事そうに抱えたブリギッタが、満面の笑みを浮かべてやって来た。これまでで一番の笑顔だった。


「ルカ様、旦那様。おめでとうございます。珠のようなお子様でいらっしゃいますよ」


 ブリギッタはおくるみをそっとルカの手に委ねた。


 柔らかな白いコットンに包まれた嬰児えいじは、とても軽いのに、とても重い。


「可愛い……!」


 胸が詰まって、心がいっぱいになる。涙があふれそうだったが、清らかな新生児を汚してしまうので必死に我慢した。横でヴィクトルはえぐえぐと男泣きしている。


 泣くのを耐えに耐えながら、ルカが小さな赤ん坊に吸い込まれるように見入っていると、ブリギッタがふふっと笑った。


「性別を聞かれないのですか?」

「え?」

「ご令息かご令嬢か、聞かれなくてよろしいのですか?」


 そういえば、とルカはようやく気が付く。


 母子ともに無事だと聞いて安堵して、すっかり満足してしまっていた。


「……えっと」


 ルカは腕の中の嬰児をじっと見つめた。


 湯で洗ってもらったのだろう、うっすらと生えた淡い金の髪はかすかに濡れている。閉じた目にあどけない口元。顔には赤みがさしていて、まつげは生まれたばかりなのにもう長い。


「女の子……かな?」


 ブリギッタは満足そうにうなずいた。

 

「はい。お嬢様でいらっしゃいます」


 その時、眠っていた嬰児がこぶしの形ににぎった手をもぞもぞと動かして、そっと目を開けた。


「「…………!!!」」


 まぶしそうに見上げる二つの瞳は、透き通るような青玉の色。


「アレクシアと同じ青い目……!」

「ルイーゼと同じ青い目……!」


 それぞれの妻に似た目の色に、新米父と新米祖父はそろって心臓を撃ち抜かれた、


「「か、か、か、かわいい~~~!!!」」


 小さな女の子は母ゆずりの、元を正せば祖母ゆずりの青い目を愛らしくまたたかせると、また静かに眠りに落ちた。






──────────────

読んでいただきありがとうございます!

金髪青目の女の子でした🎀


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(もうしてくださった方はお気遣いなくです!)

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