第44話 新しい家族②

「どうぞ、ルカ様。お嬢様がお会いになるそうです」


 マリーに告げられ、ルカは娘を再びブリギッタに託して部屋に入った。


「アレクシア!」


 先ほどは必死で保った涙腺が、アレクシアの顔を見た瞬間に盛大に崩壊する。


「ありが……ありがとう……! 本当にありがとう……!!」

「泣きすぎだ」


 号泣しながらベッドのそばに片膝をつくと、アレクシアは疲労の濃い顔をほころばせて笑った。


「私も生まれた直後に抱かせてもらった。可愛いな」

「うん!」


 ルカは首がげるほど大きくうなずいた。


「信じられないくらい可愛くて、天使が降臨したのかと思ったよ……」

「私は本当に人間が入っていたのかと思った」

 

 感動にむせび泣く夫と、冷静な妻。これがロマンティストとリアリストの差である。


 熱烈な感謝といたわりの言葉を捧げながら、ルカはアレクシアを見つめた。


「ゆっくり休んだ方がいいよね? 眠れるように、部屋を暗くする?」

「いや……疲れてはいるのだが、目が冴えて眠れそうにない」


 体はかつてないほど疲れきっているのだが、興奮状態にあるのか、眠気は感じられない。


「少しここにいてくれないか? ルカと話していたい」

「君がそう言うのなら、喜んで」


 ルカは寝台の脇に膝をついたままでいようとしたが、アレクシアはベッドの奥に詰めてスペースを空け、手招きした。


 ルカが遠慮がちに半身をベッドに乗せると、アレクシアは脱力した頭を肩にもたれかけて、寄りかかってくる。


「……とても……痛かった」


 アレクシアが言うのならさぞかしとてつもなく痛いのだろうな──とルカは痛感しながら、いたわるように黒い髪を梳いた。


 彼女は筋肉を擬人化したようなゴツい騎士たちを連続で何人地面に沈めようが、息ひとつ乱さない豪腕の持ち主なのだ。


「こんなにも大変なのかと……驚いた……」

 

 体の中に子供が宿るのはすごいことだが、外に出すのが大変すぎる。

 

 生命の神秘には敬服しつつ、もう少し何とかならないものかと思ってしまう


「人より体力のある私でもこれなのだ。普通のか弱い女性なら、どんなにか疲労困憊することだろう……」


 実際に自分が体験してみて実感したのは、妊娠も出産も簡単ではない、ということだ。


 いつ終わるかもわからない辛いつわり。数々の謎のトラブル。声にならないほど痛い陣痛。


 まるでそれまでは「自分」が主役の人生を生きていたのが、妊娠した途端、急に子供に栄養を送るための入れ物になったかのような感覚だった。


 命を次代につなぐのは生物の本能で使命だから、子供のために脇役として生きるのはむしろ正しいのかもしれない。


 しかし人間は社会的な生き物でもある。母としての役割だけに集中できるとは限らないし、担っている他の役割を投げ出せるわけでもない。


 アレクシアの場合は「辺境伯家の次期当主」という立場がそれだが、専門の仕事に誇りをもって従事している女性も少なくないだろう。


 そしてどんな健康な女性だろうが、出産の前後は休まなくてはならないし、仕事にも穴を開けざるをえない。


 これまでいったいどれだけの能ある女たちが、才能を満足に発揮できず、脇役としての人生を送らなければならなかったことか。


「私は男も女も変わりないし、個人の資質の方が重要だと思っている。が、女当主が歓迎されないのもわかるような気はした……」


 この国には女王が登極とうきょくした前例がない。貴族の家の歴代当主も男が大多数を占めていて、女性当主はこれまで片手で足りるほどしかいなかった。現在はゼロだ。


 男尊女卑の思考も根深いのだが、この慣習はそもそも元を正せば、性差ゆえの役割分担に由来するのではないだろうか。


 女の場合、実子が欲しければ自分で産むしかない。しかし先述の通り、つわりが重ければ何か月も動けなくなるし、出産の前後は必ず休まざるを得ない。体はもれなくボロボロになる上、最悪の場合、自身や子が命を落とす可能性すらある。


 それほど苦労しても、約一年かけて一人の子供を産むのがやっとなのだ。


 一抹の痛みも味わうことなく、何人でも自分の子を持てる男とは、身体的な構造からして違う。


 休む必要もなく、体の変化もなく、変わらず務めに打ち込めるという点では、男が当主として外向きの仕事を果たしているのは、理にかなっているようにも思えた。


「だが、女が能力的に劣っているわけではないのだ。私はそう思っている」


 アレクシアが言い、ルカはうなずいた。


 アレクシアは傑物だと、ルカは心から信じている。どんな男性当主にも勝りこそすれ、劣るはずがない。


 アレクシアはくすりと笑い、それから静かに告げた。


「……ルカが私に言ってくれたことを、私も他の者たちに言ってやりたい」


 つわりで寝たきりだった時期。アレクシアは「みんなに迷惑をかけるばかりで何の役にも立てていない」と嘆いたことがある。


『お腹の中で人を育てているのに!?!?」


 あの時、ルカは秒で否定した。


『君は片時も休まずに命を守って、育てて、成長させてくれているんだよ! これ以上の偉業がある!?』


 本心しかない言葉と、優しさしかない抱擁は、弱っていた体に染みた。


「ルカが私を支えてくれたように、私も他の者たちを支えたい。このリートベルクの地に生を受ける子供たちが、一人の例外もなく祝福され、愛され、大切に守られて生きてほしい」

 

 領民のために、この地における支援をより充実させたい──とアレクシアは語った。


 自分は恵まれている。地位も権力もある立場にいる。だからこそこの力を、持たざる者たちを守るために使いたいと。


 だいたいどんなに効率が悪かろうが、女が子を産まなければ人口は増えないのだ。感謝されこそすれ、迷惑がられる道理はない。


「私は領内の女たちが、子を持つかわりに何かをあきらめることのないようにしたい。子供たちにこの地に生まれてよかったと思ってほしい。手伝ってくれるか?」

「もちろん!」


 ルカは力強く即答した。

 

「……君はこんな時にも、領民のことを考えてるんだね」

「当たり前だ。自分が経験せねば気が付けないとは、私もまだまだだ……」


 強くて優しい妻に、改めて尊敬の念が止まらない。


 全身から漏れに漏れる「すっっきぃぃ……!!」の鳴き声を押し殺しながら、ルカは自分の腕を枕にして目を閉じるアレクシアの額にキスを落とした。

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