第45話 新しい家族③

 小さなベビーベッドには、もっと小さな新生児が眠っている。


 清潔な毛布を肩までかけてあるのだが、こぶしの形にぎゅっとにぎった手は毛布から出ている。両手をちょこんと上にあげて、まるで万歳ばんざいをするような格好で寝ているのだ。


「「かかかかわいいいぃぃ~!!!」」


 悶絶しているのは、赤子の父と祖父である。


 二人は真新しいベビーベッドを左右から取り囲み、そろって恍惚こうこつの表情を浮かべていた。


「きゃわ……!」

「きゃわわ……!」


 赤子を起こさないようにごく小声でささやいているのに、実感がこもりすぎていて異様に強調されて聞こえる。部屋の隅でマリーは小首をかしげた。


「どうやって出しているんでしょうか? あの声は」

「さぁ……私にもわからない……」


 アレクシアにも謎だが、夫と父が生まれたばかりの娘にでれっでれのめろっめろにとろけているということはわかる。


「きゃわわ……!」

「きゃわわわ……!」


 二人がもう一度うっとりとつぶやくと、声に反応したのか小さな手足がビクッと揺れた。自分の手が頭に当たって、ふにゃふにゃと泣き出す。


「ああっ、ごめんね!」


 ルカはあわてて手を伸ばした。片方の手で頭と首をしっかりと支え、もう一方の腕を膝の下へ入れて、優しくすくうように抱き上げる。


「よしよし、いい子だね~」


 腕全体で輪を作り、包み込むように抱いて揺らすと、赤子はすぐに泣きやんだ。ふわぁっとあくびをして、気持ちよさそうに身を任せている。


「う、上手いな……ルカ君!」

「マリーさんに教えてもらったんです。しっかり首を支えて抱っこすれば大丈夫だって。お腹の中にいた時みたいに、ぎゅっと包んであげるのもいいそうです」


 新生児の世話など初めてだ。ルカとて怖くないわけではないが、かわいくてたまらない愛娘を前にすれば怖いよりも「尊い」が上回る。


 アレクシアのお腹の中にいた子が、無事に誕生して目の前にいる。そう思うとただ嬉しくて、直接触れられるようになったことが幸せでならなかった。


 産後間もないアレクシアには静養に専念していてほしいこともあり、ここは自分の出番だとルカははりきる。


「妊娠も出産も君が全部やってくれたんだから、育てるのは僕ががんばるからね!」


 その宣言通り、ルカはかいがいしく育児に励んだ。

 

 着替えも沐浴もあっという間に覚えたし、爪切りも寝かしつけもお手のもの。授乳は乳母にお願いするしかないが、飲み終えた後に背中をさすって空気を吐かせるのは得意だ。すでに産んだ本人のアレクシアよりもよほど手慣れている。


 しかし、器用がゆえの弊害も出てきた。


 生まれて数日、ほとんど一日中寝てばかりの嬰児えいじだが、早くも抱っこの心地よさを覚えてしまったらしい。


 よく寝入ったと思ってベッドに置くとすぐに──下手をすれば手を離した瞬間に、目を覚まして泣き出してしまう。


 抱き上げれば泣きやむのだが、再びベッドに寝かせると、またご機嫌ななめにむずがり出す。


 息を殺してそっと下ろしても、細心の注意を払って腕を引き抜いても、寒いのかと毛布を温めてみても、おくるみに包んだままで寝かせてみてもだめだった。


 寝かしつけ成功と着地失敗の無限ループに、ルカは愕然とした。


「……抱っこの方がいい、ってこと……?!」


 嬉しい方の愕然だった。


 自分の抱っこがお気に召したなんて、光栄の至りでしかない。可愛すぎて胸がキュンキュンする。


「いくらでも抱っこする! 無限に抱っこするからぁぁぁ!!」


 リートベルクに来てから鍛え続けてきた筋肉はこのためにあったのだ──とルカは確信する。


 いや、わからないけど。せっかく付けた筋肉をここで使わない手はない。娘が満足するまで、抱っこくらい喜んでするつもりだ。


「義父上も抱っこしますか?」

「いや! いい!」


 ヴィクトルは強めに固辞した。


 初孫にすっかり骨抜きになっているヴィクトルだが、実を言えばまだ一度も抱っこしたことがない。自分の人並外れた怪力を心配しているらしい。


「旦那様はアレクシアお嬢様の時もそうでしたよ」


 あきれたように言ったのはブリギッタだ。


「壊してしまいそうで怖いとビビり……恐れをなして、いつも奥様ごと抱き上げていらっしゃいました」


 奥様とはアレクシアの母ルイーゼのこと。奥様ごとというのはルイーゼごとという意味だ。


 ヴィクトルはかつて娘のアレクシアが生まれた時もビビり散……怖じ気づいて直接触れることができず、アレクシアを抱くルイーゼごと抱き上げていたらしい。


 それから四半世紀も経って、そのアレクシアも母になったというのに、ヴィクトルの乳児に対する耐性は当時から進歩していない。


「……ムリ……デキナイ……」

 

 巨体を戦慄わななかせておびえるヴィクトルは、己の強すぎる力を制御できない哀しき怪物みたいになっている。


「義父上、僕も手を添えていますから。安心して触れてみてください」

「う……うむ……」


 ルカに促されて、ヴィクトルはおそるおそる前に進み出た。


 ガチガチに固くなった体躯は巨岩のように大きく、新生児との体格差がすさまじい。遠近法が仕事をしない。


「こ……怖がるのではないか……?」


 何しろヴィクトルの顔は怖すぎて、泣く子ももっと号泣すると評判なのだ。


 この無垢で汚れのない天使のような孫に嫌われたら、新米祖父は生きていけない。


「大丈夫です。ほら、ご機嫌ですよ」


 ルカが腕を揺らすと、赤子はヴィクトルの方向に顔を向けた。澄んだ青い瞳で祖父を見つめ、口角を上げてにこっと笑う。


「……!!!」


 新生児微笑と言われる原始的な反射反応で、本当に笑ったわけではないらしいが、だとしても可愛すぎることに変わりはない。


 ヴィクトルの顔の傷をつたって、滝のような涙がぶわっとあふれた。


「ルイーゼ……!」


 ヴィクトルが思わず号泣するほど、孫娘はルイーゼによく似ていた。隔世遺伝だろうか。


 まだ薄い髪は柔らかな淡い金の色。ルカのハニーブロンドよりも色素が薄く、プラチナブロンドだったルイーゼの髪色によく似ている。


「……ルイーゼぇぇぇ……」


 だばだばと泣きながらも、まだ抱くのは怖いと躊躇ちゅうちょしているヴィクトルに、指を出してみてはどうかと提案したのはルカだった。


 おずおずとさしだした大きくて太い指を、小さくて細い指がぎゅっとつかんだ。どちらも人間の指なのに大小の差が激しすぎる。遠近法が完全に仕事を放棄している。


「「きゃわわあぁぁ……!!」」


 ルカとヴィクトルの声がぴったりと重なった。

 

「とても細い指なのにちゃんと爪があるんです。すごいですよね」

「うむ。こんなに小さな手なのにしっかりとつかんでいるな。たいしたものだ」


 初めのうちはそうほのぼのと話していた二人だが、すぐに語彙ごいは死んでいき、


「ちっちゃいおてて……あんよ……」

「きゃわいいおめめ……ぽんぽん……」

 

 と、あっという間にただ赤子の可愛さに溶けるだけの存在になり果てた。

 

「完全なる……無力……っ!」

「圧倒的……可愛さ……っ!!」


 二人は身もだえていたかと思うと、急にキリッと背筋を伸ばして居住まいを正し、


「大切に育てましょうね、義父上……」

「ああ、大切に育てよう。ルカきゅん……」


 そう、顔を見合わせながら固く誓ったのだった。


(……夫夫ふうふかな?)


 一連の流れを見守っていた周囲が、そう心で突っ込んだのは言うまでもない。

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