第41話 秋の祭り

 春の日にみずみずしく輝いていた緑の葉は、秋の日には豊穣をことほぐように鮮やかな、黄金の色へと変わっていく。


 まるで斜面に巨大な金色の絨毯を広げたかのようだった。どこまでも連綿と続く葡萄畑は、山肌から吹き下ろしてくる秋の香りを受けて、風と同じ形に波打っている。


「気を付けて、ゆっくり行こう」

「ああ」


 ルカはしっかりとアレクシアの手を取って、積み上げられた石段を一歩一歩、慎重に降りていった。


 林檎の葉で作ったリースや、葡萄のつるを編んだガーランドに飾られた門をくぐれば、そこに広がるのは活気あふれる祭りの光景。


 秋の豊穣を祝う祭りは、今年は例年よりもさらに大規模に催されていた。街道の整備が進められているおかげだ。


 道が整えば、当然ながら交通量が増える。近隣の村からはもちろん、遠く離れた集落からも多くの観光客が訪れることができる。


 人の往来が活発になり、物品の流通も活性化した結果、恒例の祭りはこれまでで一番といっていいほど、にぎやかに盛り上がっていた。


 想定よりも多くの来場者を迎えて、地元の領民たちは大忙しだ。敷石で舗装された目抜き通りには、出店がずらりと並んでいる。石橋のたもとや細い路地、流れる川の中州にまで屋台がびっしりと立っていた。


 子供たちが元気いっぱいに走り回っている。民族衣装を着た少女たちが手をつないではしゃいでいる。恋人たちが密着しながら幸せそうに歩いている。


 店の軒下に吊るされた色とりどりのオーナメントが秋風に揺れた。思い思いに楽しむ人々の頭上に、涼しげな音色がさらさらと降り注ぐ。


「無理はしないで。体調が悪くなったらすぐに言って」

「そんなに心配しなくても大丈夫だ」


 苦笑するアレクシアは、地味な庶民用のチュニックを着ていた。長い髪は村娘風に編み込み、足は質素だが歩きやすい、平らな靴を履いている。


『お二人には、ご出産前にデートに行かれることをおすすめします』


 そう提案したのはマリーだった。


『いいですか。お二人で過ごせる貴重な時間は今だけなのです。産前がどんなに自由の身だったのか、生まれてみればわかります。産後は絶対にお子様中心の生活になりますから、当分は大人だけの時間などないと思った方がよろしいですわ』


 深い実感のこもったアドバイスだった。


 確かにそうだと納得した二人は、仕事を前倒しにして片付け、休暇を作って城下町を訪れた。


 アレクシアはだいぶ目立つようになってきたお腹をさすりながら、ルカはそんな彼女をさりげなく守りながら、夫婦でゆっくりと祭りを見て回っている。


「涼しくて気持ちがいいね」

「ああ、天候に恵まれてよかった」


 秋晴れの空はどこまでも高く、澄んだ空気が美味しかった。つわりで寝込んでいた日々を思えば、こうして外出できるようになったのが夢のようだ。


 パンや菓子や焼いた肉の香ばしい匂いに混じって、シナモンやグローブの香りがした。あちこちの店で売られている、名物のホットワイングリューワインだ。


「ルカは飲んでいいんだぞ」

「ううん。君と一緒がいい」


 アレクシアの妊娠が判明してから、ルカも自主的に禁酒している。


 今日は妻の専属護衛として、万が一にも転んだり誰かにぶつかられたりすることのないよう警護するつもりなので、なおさら酒を飲む気はなかった。


「また一緒に飲めるようになる日まで、楽しみに待っているから」


 林檎酒アプフェルワインと並んで林檎ジュースアプフェルプンシュを売っていたので、二人ともそちらを買うことにした。


 林檎ジュースアプフェルプンシュは果実を絞った汁の中に、砂糖やスパイスを混ぜて火にかけたものだ。息を吹きかけながら少しずつ飲むと、体がぽかぽかと温まる。


 飲み物のカップを片手に、二人はゆったりと散歩を続けた。


 楽団の演奏を聴いたり、道化たちの大道芸を見たり、吟遊詩人の奏でる壮大な叙事詩に耳を傾けたりと、のんびりとした時間を過ごす。

 

「ゆっくり歩くと、見える景色が違うな……」


 アレクシアはしみじみとつぶやいた。


 この祭りには毎年のように参加しているが、これまでは領主側の立場として、異変やトラブルがないか気を配るのがメインだった。


 領民たちが思い思いに楽しんでいる姿を見るのが好きだから苦はなかったが、仕事抜きで、自分自身が純粋に楽しむのは初めてだ。


「……楽しいな」


 子供の頃からくりかえし訪れてきた祭りに今、夫婦で一緒に来ている。


 なつかしい過去の記憶に、新しい現在の景色が重なる。まるで人生という地層を織りなすように、思い出はさらに降り積もっていく。


「来年は三人で来よう」


 そう声をかけると、ルカは一瞬驚いて、それからとてつもなく嬉しそうな顔をした。


 その姿が可愛くて、アレクシアの胸はうずく。彼がとなりで笑ってくれていることを幸福だと、心から思った。


 やがて夕星ゆうづつがきらめき始め、暮れなずむ秋空に高く、大輪の華が打ち上がった。


 残照がほとぼり、山波が燃える。明るい花火が天を飾って、大きな轟音が大地にとどろく。


「出会った時よりも、結婚した時よりも、もっと君のことが好きだ」


 ルカはつないだ手をそっと持ち上げた。結婚指輪をはめたアレクシアの指にキスを落としながら、はっきりと誓う。

 

「愛している、アレクシア。君も、生まれてくる子も、ずっと大切にするよ」


 鮮やかな花火の競演の中でもかすれない、まっすぐな言葉だった。


 街に、野に、山脈に、古語で綴られた伝統の歌が響きわたる。


 歌の山リートベルクに包まれながら、アレクシアはそっとうなずいた。

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