第68話 女辺境伯②

 くるくると手のひらを返した人々が列をなして、新辺境伯の前に人だかりを作る。


 管弦楽団が優雅なメロディーを奏でる中、男性陣は鼻息を荒くしながら、口々にアレクシアをダンスに誘った。


「リートベルク女辺境伯! ぜひ一曲、私と踊ってはいただけないでしょうか?」

「いえ、どうか私の手をお取りください!」

「あなたと踊る一時は一生の名誉となることでしょう。美しき女辺境伯、何卒ダンスのお相手を──」


 アレクシアは困ったように微笑しながら、すべての申し込みを一律に断った。


「せっかくのお申し出ですが……お断りさせていただきます」


 ルカ以外の男となど踊れるはずがない。相手をことごとく負傷させる未来しか見えない。


 何しろアレクシアのダンスは無駄に殺傷力が高いのだ。ただ回るだけのターンでなぜか蹴りをくり出し、ただ円を描くだけのロンデでどうしてかひじ鉄を見舞ってしまう。


 ルカはかわすのが異常に上手く、難なく避けた上にリードまでしてくれるが、他の男ではそうもいかないだろう。


 王宮のパーティーを血みどろの惨劇に染めてしまったら、アレクシアの責任問題を問われる。授かったばかりの爵位をさっそく返上するような事態は、断じて回避しなくてはならない。


「ほら、やっぱりな」


 ダンスを断られた男たちは、やれやれと肩をすくめた。


「話には聞いていたが、案の定というわけか」


 有名な噂なのだ。アレクシア・ルイーゼ・リートベルクは夫としか踊らない──と。


 彼女はそもそも社交界に参加すること自体が少ないが、たとえ顔を出したとしても他の男からの誘いは一切受けない。


 夫とファーストダンスを踊ったら、それ以降はダンスホールに立つことすらしないらしい。


「ご夫君とは息の合ったステップを踏まれているから、ダンスが苦手というわけではないはずだが……」


 彼女は一般の貴族からの誘いはもちろんのこと、王太子エドガーや第二王子リュディガーからの申し入れさえ辞退したと聞いている。


 王族を無碍むげにするなど礼を欠く行為だというのに、なぜ拒むのだろうか──と人々は首をかしげた。


「あのご夫君が嫉妬するのかもしれんな。好青年に見えるが、人は外見ではわからないものだから」

「他の男と踊ることさえ奥方に許さないとは、生まれも劣るが器も小さい夫なのだな」


 あの夫より血統の優れた貴族は大勢いる。だから妻が目移りするのを恐れているのだろう──という答えに行きつき、男たちは鼻で笑いあった。


「人畜無害そうな顔をして悋気りんきが強いとはな。女辺境伯も束縛されてお気の毒に」


 独占欲が強くて嫉妬深い男、という評判が広まりつつあることをルカは知るよしもなかったが、たとえ耳に入ったところで気にすることはなかっただろう。


 他の男がアレクシアに触れるくらいなら、自分が心の狭い夫と思われている方がずっとマシである。


 男性たちが不満そうにルカの悪口を言いつつ引き下がった後から、着飾った女性たちがわらわらと湧いて出た。


「リートベルク女辺境伯! この度はおめでとうございます」

「このき日にお祝いを申し上げたく、お待ちしておりました!」

「お会いできて光栄の至りです。どうかこの機会にお見知りおきを――」


 競うように祝いの言葉を述べた女性たちは、次いでもれなく感嘆の声をあげた。


 アレクシアの首元には、大粒のサファイアを象嵌ぞうがんしたネックレスが強い存在感を放っていたのだ。


「まぁ……なんて見事なサファイア……」

「このような希少な品をお持ちでしたのね……」

「近くで見ると本当に素晴らしい輝きだわ……」


 昼の正礼装は露出を極力少なくするが、夜の正礼装は首元を大きく露出するのが決まりだ。


 アレクシアのドレスもネックラインが深くカットされており、開いたデコルテにはオーバルカットのサファイアがきらめいていた。まるで彼女のために特別にあつらえたかのような、瞳と同じ深い青色の石だ。


「ありがとうございます。夫が贈ってくれたものです」


 濃厚かつ鮮やかなブルーサファイアのネックレスは、かつて結婚前にルカが用意してくれた品である。今日という晴れの日に、これ以外のジュエリーは考えられなかった。


 アレクシアが視線を送ると、ルカは結婚指輪をはめた手で彼女の肩を抱いて、爽やかに笑みを返す。


 極上の笑顔と、高価な宝石を贈れる経済力の合わせ技に、若い令嬢はひきつけを起こしかけた。


「す……素敵な旦那様ですわね……」

「──ええ」


 ギリギリと歯を食いしばる女性陣に向かって、アレクシアはてらいもなく告げた。


「世界一の夫です」


 令嬢たちが完全に飲まれ、ルカが立ったまま気絶した時だった。

 

 言葉を失った女性たちの間から、一人の令嬢がしずしずと進み出てくる。


 彼女はルカとアレクシアの前に立つと、片足を斜め後ろに引き、もう片方の足の膝を折って、丁寧な礼を捧げた。


「リートベルク辺境伯ご夫妻にごあいさつ申し上げます。この度は誠におめでとうございます」


 花も恥じらうような乙女だった。華やかなストロベリーブロンドの髪が、落ち着いたオールドローズ色のドレスとよく似合っている。


 襟元にはサッシュシルクのリボンで作った花があしらわれ、まるで彼女をみずみずしい、咲きめたばかりの一輪の薔薇のように見せていた。


「……もしかして」


 意識を取り戻したルカは、はっと目をみはった。


「ローゼリンデ……?」


 かつてルカの婚約者だったナターリアの妹。


 ローゼリンデ・ハンナ・クレーフェだった。

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